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ゴルフ徒然草

ヒデ・スギヤマが、ゴルフに関する古今東西の話題を徒然なるままに書きまとめた、時にシリアスに、時にお笑い満載の、無責任かつ無秩序なゴルフエッセイ。

ヒデ・スギヤマ/平日はハリウッド映画業界を駆け回るビジネスマン、
週末はゴルフと執筆活動に励むゴルフライター。

ヒデ・スギヤマ

vol. 24 伝説のゴルファー列伝その1.ハリー・バードン

米国PGAにデビューしたばかりの、まだ紅顔の頬を持つ、
希望と野望に満ちた若きプロゴルファー達に、「あなたの将来の夢は?」と尋ねると、
返ってくる代表的な答えは以下の二つ。
一つはライダーカップのメンバーに選ばれること。
賞金ゼロでアメリカの名誉のためだけに闘う、
この2年に一度の試合のメンバーに選ばれたいという願望は、
愛国心の強さが印象的な米国人気質をよく表している。
そしてもう一つの答えが今回のテーマ、
“バードン・トロフィー”を取りたいことである。

バードン・トロフィーとは、その年の平均ストローク1位の選手に贈られる名誉ある賞。
過去と現在の選手を比較する際、物価や景気の変動によりトーナメントの賞金額も変動するため、
獲得賞金額は公平な指標になり難い。
もしくはあまりお金のことを言うのは(実際にはすごく気になっても)、
強欲な印象を持たれそうで、誰もが拒否反応を示すのかもしれない。
とにかく賞金ランクに対し、平均ストロークは文句無しにその年で“一番上手かった選手”を意味するので、その尺度が明快であり、プロとして最も胸を張れる勲章なのだろう。


余談になるが、過去数年における日本の女子プロの盛り上がりは、
宮里藍選手や横峰さくら選手といった数名の人気選手が活躍したから、
と分析するのはあまりに早計である。一番の理由は、
日本の女子プロ全体の技術レベルが上ったから、
観ている方も面白くなったのではないだろうか。それを数字で実証したい場合などに、
平均ストロークは最適な指標になる。例えば昨年2006年の女子プロ上位選手の平均ストロークと、
5年前の2001年を比較してみよう。

06年は賞金女王の大山志保選手が70.92。
以下2〜4名は全て71台で、5位の李知姫選手も71.99。
平均のパーを72とすると、上位5名は全員が年間平均でアンダーパーなのだ。
そして一方の001年は、賞金女王の不動裕理選手のみがアンダーパーで71.59。
2位以下は全員が72以上のオーバーパー。
この5年で実際に女子選手全体の実力が上っている、という嬉しい事実を発見した。
またラウンド数も多い。
5年前の上位5人はほとんどが年間70ラウンド後半から80ラウンド前後だが、
06年では全員90ラウンド以上。
トップの大山選手は、年間100ラウンド以上もこなした上で賞金女王に輝いた。
その体力と姿勢、つまり肉体と精神の自己管理力が何より敬服に値する。


さて本題に戻るが、この名誉ある賞に名前が冠されているバードンとは、
一体どのようなゴルファーだったのだろうか? 

19世紀後半のヨーロッパで、最も優れた天才ゴルファーと言われたハリー・バードン。
ゴルフを始めたのは早かったものの、決して最初は才能溢れるタイプではなかったようだ。
しかし、生涯一度も怒ったことがないと言われるほど温厚な人柄に相反し、
陰では目の色を変えて寝食を惜しみ、死に物狂いで練習を重ねた努力型のゴルファーである。
何しろ当時はクラブもボールも非常にお粗末な造りで、
またコースやグリーンのメンテナンス技術も低いレベルだった。
その結果、プロでさえ80以上を打って普通という時代に、
バードンは常に70ちょっとでプレーしたというのだから、
一気に伝説化したのも不思議ではない。

また彼が残した偉大な足跡に、“バードン・グリップ”がある。
研究熱心でも有名だったバードンは、当時の主流であった、
10本の指でそのまま握る“ベースボール・グリップ”にいつも疑問を抱いていた。
試行錯誤の結果、右手の小指1本を外すことによって“右手4対左手5”という、
画期的でしかも理にかなった理想的なグリップを発案する。
この“バードン・グリップ”は一気に広がり、
現在も“オーバーラッピング・グリップ”という名称で、
プロ・アマを問わず世界中で最も多くのゴルファーに愛用されている。

また19世紀後半当時は主流だった、“クローズ・スタンス&フラット・スイング”に対して、
“オープン・スタンス&アップライト・スイング”を発案・推奨したのもバードンである。
その結果、当時では珍しい高い弾道のアイアンショットが可能になり、
それまで誰も見たことのない、スピンの利いたピタッと停まるボールを次々と打ってみせたのだ。
それを眼にしたファンは魅了されて拍手と喝采の嵐を浴びせ、
他のプロ達は同じショットを打てるように、必死で真似をして習得しようとしたという。

全英オープンで7回優勝、またアメリカでは1900年の全米オープンに外国人として初めて優勝するという、名誉ある記録も残っている。
しかし何よりもゴルフの中心地である米国で、外国人でありながら死してなおその名前を残し、
それも毎年登場する若い有望なゴルファーの“夢”に挙げられるという点が、ゴルファー冥利、
男冥利に尽きる人生だったと言えるのではないだろうか。
その温厚な人柄の陰に隠れた日々の努力と研究姿勢こそが、
永遠にゴルファーの目標とされる、“名誉”を築いた土台となったのである。
そして平均ストロークという公平な指標に使用されている限り、
間違いなくバードンの名前と伝説は、今後も何百年にわたり、
未来のゴルファー達の間でも語り継がれていくことだろう。