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		<title><![CDATA[ロサンゼルス・サンディエゴ紹介]]></title>
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		<description><![CDATA[ライトハウス-暮らす、学ぶ、働く、遊ぶ… 日本語によるロサンゼルス＆サンディエゴ現地情報]]></description>
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		<copyright>us-lighthouse.com</copyright>
		<pubDate>Wed, 31 Dec 1969 16:33:26 PST</pubDate>
		<lastBuildDate>Mon, 5 May 2008 18:51:23 PDT</lastBuildDate>

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			<title><![CDATA[データで見るロサンゼルス10都市]]></title>
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			<pubDate>Wed, 29 Mar 2006 14:12:00 PST</pubDate>
			<description><![CDATA[<img src="http://www.us-lighthouse.com/lasdcity/832/1.jpg" width="133"> 日本と異なり、地区ごとによる教育、治安などの格差が大きいアメリカ。学校区や犯罪発生率、標準住宅価格など、これから引っ越しを考えている人には特に気になるもの。そこでロサンゼルス一帯でも日本人の多い10都市に焦点を絞り、データをまとめてみた。
　現在住んでいる人は、改めて自分の住むコミュニティーの実態を知り、そして、これから住もうと考えている人は、その街が一体どんな所なのかを把握するのに役立ててほしい。

ロサンゼルス
サンタモニカ
パサデナ
ガーデナ
ランチョ・パロスバーデス
トーランス
コスタメサ
アーバイン
ミッションビエホ
サウザンドオークス

エリアマップを見る

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			<title><![CDATA[人口400万人の巨大都市犯罪発生率は近年低下傾向]]></title>
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			<category></category>
			<pubDate>Wed, 29 Mar 2006 14:11:00 PST</pubDate>
			<description><![CDATA[<img src="http://www.us-lighthouse.com/lasdcity/1644/1.jpg" width="133"> 　ロサンゼルス市の起源は1781年とされている。44人の植民者がメキシコからこの地に移住し、現在のオルベラ街近くに村落を構えた。1821年にメキシコに併合された後、スペインからの独立戦争でメキシコが勝利した恩賜として、ロサンゼルスはメキシコ出身の名士たちに提供された。19世紀半ばには西部を目指してやって来た開拓民たちとメキシコ人が対立し、1850年に合衆国に併合された。市制化されたのも同年のこと。
　市内は平野部とバレーの２つの地域に大別される。平野部には、ダウンタウン、ハリウッド、ベニス、そして南側はサンペドロも含まれる。バレーには、スタジオシティー、ノースリッジ、シャーマンオークスなど、実に幅広い。
　市が電力、水道などのユーティリティーを供給しており、市内ではDWP（Department of Water and Power）以外に選択はない。近年、サンフェルナンドバレーがロサンゼルス市からの独立分離を目指している。



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			<title><![CDATA[街全体が娯楽の宝庫若者が多く住むお洒落な都市]]></title>
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			<pubDate>Wed, 29 Mar 2006 14:10:00 PST</pubDate>
			<description><![CDATA[<img src="http://www.us-lighthouse.com/lasdcity/831/1.jpg" width="133"> 　数多くの映画にも登場する、世界的に有名なビーチシティー。ヤングエグゼクティブやプロフェッショナルが多く住み、市内はアパートが４対１の割合で一戸建ての数を上回っている。
　市内はモンタナ・アベニューを境に南北に大別される。北側には、アッパーミドルクラスの一戸建てが目立ち、秩序良く区画された美しい並木通りが走る。南側一帯では、３階、４階建てのアパートが目立つ。しかし、90年代に市の人口がおよそ9600人余り増加したのに対し、アパートは1700戸余り建て増されたに過ぎない。そのため、もともとの住環境の良さに需要超過が拍車をかけ、レントの相場は非常に高くなっている。
　風光明媚なビーチ、無数のレストラン、サード・ストリート・プロムナードにメイン・ストリートといったショッピングストリートなど、市全体がエンターテインメントの宝庫であると共に、アートギャラリーや大きな市立図書館など文化的にも充実している。




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			<title><![CDATA[美術館や名門学校が多い文化の薫り漂う温暖な地]]></title>
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			<pubDate>Wed, 29 Mar 2006 14:09:00 PST</pubDate>
			<description><![CDATA[<img src="http://www.us-lighthouse.com/lasdcity/1619/2.jpg" width="133"> 　パサデナの街作りはインディアナ州の人々が温暖な気候に惹かれ、集団移住を目指したことから始まる。The San Gabriel Orange Grove Associationという団体を組織し、1875年に正式にパサデナと命名した。ちなみに、パサデナとはチペアインディアンの言葉で「Valley」「Key of the Valley」「Crown of the Valley」と訳され、王冠と鍵は市章にもあしらわれている。1886年に市制化された。
　1920年代の終わりにパサデナは観光、避寒リゾートの中心地として栄えた。1940年に西部で初のフリーウェイとなるArroyo Seco Parkwayが完成し、パサデナ-LA間が結ばれると、ロサンゼルスで働く労働者たちのベッドタウンとなっていった。40、50年代に急速に人口が増加すると、住居が不足、スモッグなどで環境も悪化した。60年代には企業が用地不足のため相次いで移転していった。
　しかし、70年代にはパサデナ再開発局が設立され、多くの企業が戻り、コンファレンスセンターやショッピングモールなどの建設が終了し、文化、経済の両面で復活を遂げた。




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			<title><![CDATA[日系人の心の故郷中流階級のベッドタウン]]></title>
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			<pubDate>Wed, 29 Mar 2006 14:06:00 PST</pubDate>
			<description><![CDATA[<img src="http://www.us-lighthouse.com/lasdcity/1620/2.jpg" width="133"> 　1880年代のガーデナは、Domingues、Amestoy、Ducazau、Rosecransなどのスペイン人大地主の大邸宅の外れにある小さな家々の集まりだった。Spencer R. Thorpe氏が、現在の161st St.とFigueroa St.の交差する辺りのガーデナバレーに移住したことから、街としての発展が始まった。
　ガーデナの名称が何に由来するかは諸説紛々だが、ガーデナバレー一帯にあった湿地帯や河川が緑豊かな景観を作り出していたことから、「Garden Spot」が語源であると推測される。
　1930年にGardena、Monea、Strawberry Parkの３地区が統合され、ガーデナ市ができた。小さな農業都市だった当時の人口はおよそ２万人。この頃から既に多くの日本人が移住し、リトルトーキョーに次いで大きな日系人社会を形成した。現在は、トーランス市にその中心は移りつつあるが、歴史のある日系レストランや商店などが存在し、日系人の心の故郷となっている。




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			<title><![CDATA[日系ビジネスが集中商・工・住のバランスとれた街]]></title>
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			<pubDate>Wed, 29 Mar 2006 14:05:00 PST</pubDate>
			<description><![CDATA[<img src="http://www.us-lighthouse.com/lasdcity/1622/2.jpg" width="133"> 　1912年にDominguez Estate CompanyからJared Sidney Torrance氏が2791エーカーの土地を購入して、トーランス市が設立されたが、元はRancho San Pedroと呼ばれたスペイン人の土地の一部に過ぎなかった。当初は工業都市として計画され、わずか500人が住むのみの小さな街だった。ちなみに、市憲章は46年８月20日に採択された。
　その後、石油が発見され、工業都市化が加速。近隣の都市との合併・併合を経て、現在では人口15万近くのロサンゼルス郡最大の都市のひとつとなった。工業都市として発展したが、デルアモ・ファッションプラザを筆頭とする商業や、日本人が多く住むプラザ・デルアモを中心とする住宅地など、バランスのとれた街作りが進んでいる。
　ホンダ、トヨタを始め、多くの日系企業がオフィスを置き、日系のレストランやマーケットなども充実。学校区の教育水準の高さ、犯罪発生率の低さなどから、日本人駐在員が多く住み、南カリフォルニアの日系社会の拠点のひとつとなっている。




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			<title><![CDATA[治安良く教育水準高い風光明媚な高級住宅地]]></title>
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			<pubDate>Wed, 29 Mar 2006 14:04:00 PST</pubDate>
			<description><![CDATA[<img src="http://www.us-lighthouse.com/lasdcity/1621/2.jpg" width="133"> 　1900年代初頭のパロスバーデス半島は牧畜や農業用地として栄えていた。この時期半島南側では、多くの日系移民が農業を営んでいた。
　1913年にニューヨークの銀行家のFrank A. Vanderlip氏が牧畜業者から土地を買い上げ、「アメリカ１お洒落な住宅地」を目指し開発を開始した。53年７月にフランクの息子が開発会社であるPalos Verdes Corporationの社長に就任、その後、パロスバーデス・コーポレーションは半島の地下資源に目をつけたGreat Lake Carbon Corporationにより買収さた。しかし、グレートレイク・カーボンコーポレーションは、買収地の風光明媚さに着目し、住宅地として開発を開始した。
　50年代から60年代の初めにかけ、パロスバーデス・エステーツ、ローリングヒルズ、ローリングヒルズ・エステーツが相次いで市制化された。ランチョ・パロスバーデスも72年９月に州最高裁判所で市制化が認められた。




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			<title><![CDATA[巨大ショッピングモール擁すオレンジ郡の商工業の拠点]]></title>
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			<pubDate>Wed, 29 Mar 2006 14:03:00 PST</pubDate>
			<description><![CDATA[<img src="http://www.us-lighthouse.com/lasdcity/1623/2.jpg" width="133"> 　Mission San Juan Capistranoの所有する牧畜地だったコスタメサに、動物の群れの世話をする牧人のための中継村ができたのは19世紀の初め。1880年頃までには、当時の地主のJose Antonio Yorbaの子孫たちから、定住者らが次々と牧場の一部の土地を買い取り、Fairviewという街を作った。
　1890年にはSanta Ana、New Port Railroad沿いにHarperという小村ができた。1920年５月11日に付近の牧場主だったHarperは、街の名前をCosta Mesa（スペイン語で海辺の台地）に変更。53年６月29日に市制化され、市議会が設立された。
　現在ではサウスコーストプラザやオレンジ・カウンティー・パフォーミングアーツセンターなどを擁し、オレンジ・カウンティーの商業、工業の中心地として栄えている。
　また、３本のフリーウェイに囲まれる（405・55・73号線）形になっているため、オレンジ郡の他都市へのアクセスも大変便利で、住宅地としての魅力も高い。




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			<title><![CDATA[計画に基づいた開発都市地域全体で治安・教育に力注ぐ]]></title>
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			<pubDate>Wed, 29 Mar 2006 14:02:00 PST</pubDate>
			<description><![CDATA[<img src="http://www.us-lighthouse.com/lasdcity/1624/2.jpg" width="133"> 　1800年代前半までスペイン領だった土地は、1800年代中頃に土地所有権を巡る訴訟や、大干ばつによる資金難により、James Irvineら牧羊業者に割譲、売却された。1878年にジェームス・アーバインは、他の牧羊業者の土地を買い集め、11万エーカーもの土地を得た。
　ジェームスの没後、1893年に息子のJames Irvine Jr.は牧畜から農業へ転換し、第１次世界大戦中はオリーブや柑橘類の果樹園が広がった。
　1959年にUC Irvine設立計画が持ち上がると、大学周囲に５万人規模の複合都市を開発するマスタープランが立案される。この計画に基づき、現在のIrvine Business Complexなどの商業地域、Turtle RockやUniversity Parkなどの住宅地が建設された。
　71年12月28日に住民投票により、当初の計画を拡大して、都市開発を進めることが承認された。80年６月の人口はおよそ６万5000人だったが、急速に開発が進み、現在では３倍近いおよそ18万人が居住する。



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			<title><![CDATA[酪農には適さなかったがLAの都市化によって発展]]></title>
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			<pubDate>Wed, 29 Mar 2006 14:01:00 PST</pubDate>
			<description><![CDATA[<img src="http://www.us-lighthouse.com/lasdcity/1625/2.jpg" width="133"> 　ミッションビエホの歴史は、スペイン人が入植し、同地をスペイン領と宣言した1769年に遡る。７年後には、ミッション・サンホワン・カピストラノが設立されている。
　1821年にメキシコがスペインから独立した後、ミッションビエホは周辺のエル・トラブコ、ロス・ポトレロスと共に、イギリス人ビジネスマン、ジョン・フォースターの手に渡る。フォースターは同地で大規模な酪農を展開しようと試みるが、枯れた土地は農業に適さず、フェンスで囲われた20万エーカー以上の巨大な牧場が緑に覆われることはなかった。
　フォースターの死後、ミッションビエホはアイルランド人、リチャード・オニールの手に渡る。1963年、ロサンゼルス南部に都市化の波が押し寄せることを知ったフォースターの孫たちは、１万エーカーの土地を売却。ドナルド・ブレン、フィリップ・ライリー、ジェームズ・トプファーの３人がミッションビエホ社を設立した。
　ミッションビエホのマスタープランは65年、オレンジ郡により承認された。かつてフォースターが所有した牧場に多数の住宅が建設され、２万1000ドルで売りに出されると、多くの人々がこの地に移り住もうと列をなしたという。



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