女優 / 美元

結婚が自分の心のゆとりになって仕事もプライベートも充実する気がします

俳優の高嶋政伸さんと2008年8月に東京・帝国ホテルで式を挙げた女優の美元さん。日本人の父と韓国人の母の間に生まれ、ミス・ユニバース日本代表の準グランプリをきっかけに、グローバルな視点を持って、モデルとして、また女優として活躍してきた。「ロサンゼルスには人生の節目で呼ばれる」と言う美元さん。結婚指輪を作るためにロサンゼルスに訪れた際に、仕事のこと、結婚のこと、将来の夢を語ってもらった。

ミス・ユニバースで 物の見方が世界基準に

幼少の頃から、モデルに憧れていました。私が9歳の時に他界した母が、結婚前にモデルを夢見ていたことも、この世界を目指した大きな要因の1つかもしれません。

 

大きな転機は、20歳の時のミス・ユニバース大会。高校2年生の時、進路を迷い、海外で暮らしてみたいと思い始めていました。父はそれを許してくれたのですが、「費用は自分で出しなさい」と。そこで高校を中退して、1年半で500万円を目標に派遣社員やアルバイトをして、必死に貯金を始めました。そして、目標を達成した時にふと目にしたのが「賞金100万円」という、ある企業のイメージガールの募集要項。「これがあったら、現地で楽ができるのでは」と、勢いで受けた審査会場で、ミス・ユニバースに推薦してくださる方と出会いました。

 

残念ながらミス・ユニバースは賞金はなかった(笑)のですが、母が出場を夢見ていたと聞いたことがあったので、迷わず挑戦しました。天国の母が喜んでくれることだけを考えていたので、優勝争いはまったく念頭になく、一番のんきな出場者だったと思います。

 

ミス・ユニバース受賞後は、各国の大使や各種メゾンの方など、諸外国の方々と触れ合う機会に恵まれました。あるパーティーで、香港のアクションスターのサモハン・キンポーさんと出会い、アジア人の女優を探していたプロデューサーの方をご紹介いただいたのが、最初にロサンゼルスに来たきっかけです。

 

当時は英語も片言で、何しろ物心付いてから初めての海外だったので、本当に不安でした。ロサンゼルスではホームステイをさせていただきながら、英語を勉強したり、サモハンの携わっているチャリティー活動に、一緒に従事させていただきました。

 

でも、その頃の私は女優にも憧れていましたが、モデルは今しかできないという思いの方が強く、滞在を3週間程で切り上げて、「パリコレに出るまで帰らない」と、フランスに行くことを決意しました。

 

そして、その目標を達成できた時、今度は世界中を見てみたいと思うようになりました。大学に行く代わりにモデルをしながら4年間世界を回ろうと、進学のための貯金を使って、まずはアジアから旅を始めました。同じアジアの中でも文化や生活習慣、国民性が違うことに驚きました。ロシアやベルギーなど、各国から集まっていたモデル仲間と一緒に暮らしたりもしました。

 

私は当初「モデルの仕事が好きだから、例えお金にならなくてもモデルができるだけでいい」と思っていました。でも、一緒に暮らしていた女の子たちは、10代にして家族を養うためにモデルをしていました。大きな仕事が決まると、「弟が学校に行けるよ」と、家族に報告。それを見て、自分がいかに贅沢な環境にいるのかを、痛感させられました。

 

20代前半の時に、他国の方々を身近に感じられる環境にいられたのは、本当に幸せだったと思います。結婚が決まった今、いつか自分が母親になることを、よりリアルに感じられるようになったからこそ、自分が見てきたことが、いつか子育てに役に立てられたらと思っています。

この人といれば大丈夫 いらない気負いが取れた

政伸さんとはドラマの共演をきっかけに出会いました。大韓航空機爆破事件を題材にしたフジテレビのドラマで、私が金賢姫さんを、政伸さんは外交官を演じました。

 

初めてお会いしたのは台本の読み合わせの時でした。でも、役作りに必死でひと目ぼれとか、政伸さんを個人的に意識できる余裕はありませんでした。私の母方の家族は、朝鮮が南北に分断される前に日本に移り住んだのですが、もしその時、日本ではなく北側に移り住んでいたとしたら、私の母がテロリストになっていたかもしれない。決して他人事ではない、という思いでドラマに取り組んでいました。

 

でも、政伸さんとのラストの山場のシーンでは、2人の中で何かがつながったように感じました。それは男女としてではなく、役者同士としてというか、戦友になったような。不思議な感覚でした。

 

政伸さんを異性として意識するようになったのは、撮影がすべて終わってからです。打ち上げの日に、政伸さんが帰り際に送ってくださって、そこで初めて2人でお話しする時間が持てました。その後、政伸さんが想いを伝えてくださったのですが、実は最初にお付き合いを申し込んでいただいた時は、即答できませんでした。交際するのは、結婚を意識できる方、と決めていたので、もう少しお時間をいただきたいと思ったのです。でも結局その後、結婚を決めるまで、2人でお会いしたのは、わずか5回程(笑)。
 

決心できたのは、ベトナム旅行も大きなきっかけかもしれません。友人と海外旅行を計画していた時、政伸さんがベトナムをすすめてくださいました。こと細かく教わった通りに旅をしてみたら、「こういう時間の過ごし方が楽しめる方なんだ」と、いつか一緒に旅をしたいと思うようになりました。

 

結婚後は、政伸さんに「帰りたい」と思ってもらえるような家庭を築きたいです。以前は結婚すると仕事や趣味を抑えなければならないのでは、と不安もありました。でも、役者の先輩である政伸さんとだったら、仕事も今まで以上に広がっていくように思えます。食にも旅にも詳しいので、趣味の世界も広がる。友人との時間も大切にしてくださる方なので、交友関係も広がっていく。今はまったく不安はありません。世界が2倍、3倍に拡大していくようにも感じています。

 

政伸さんは画面で観ていた以上に本当に「いい人」でした。何をやるにも真面目で、安易な近道をしないんです。周囲の方々を大切にして、1つ1つの決断が思慮深い。「政伸さんに従っていれば大丈夫」。これまで何でも自分で決めてきた私が、今まで感じたことのなかった心境になりました。その想いがいずれ自分のゆとりとなって、自然と仕事もプライベートも充実していくような気がします。

 

夢は母親になること。自分が今、両親に感じているように、私の子供にも想ってもらえるような親になりたいです。あとはとにかく健康でいること。「元気が1番、笑顔が2番、あとはおまけ」が父の口癖。孫を見られなかった母の分まで長生きしたいと思っています。

 

今までは日本と韓国、アジアと世界の架け橋になりたいという大きな目標がありました。でも、今はまず何より自分の家庭を大切に築くこと。そうしていけば、自ずと色々なことができるようになるのではと、発想が変わってきています。

 

「3年くらい経ったら新居を構えたい。それまでは世界中を一緒に旅して、それから子供を授かれたらいいね」とプロポーズの時に言ってくださった政伸さんの言葉に従って、いつかそんな流れに乗れたらいいなと思っています。

先日、私が食事の支払いを終えた政伸さんに「ごちそうさま」と言っていたのを友人に、「夫婦なのに?」と言われました。だんな様が支払ってくれて当たり前ではなく、きちんと感謝を言葉にしたいと思っています。「ごちそうさま」「ありがとう」、そのひと言があるだけで、家事が義務ではなく喜びになりました。ずっと感謝を「伝え合える夫婦」でいたいです!

みをん●1979年生まれ、東京都出身。日本人の父と韓国人の母を持つ。2000年度の準ミス・ユニバース・ジャパンを受賞。アジアを中心に、パリやLAなど10カ国以上でモデルとして活動する。05年、中国で開催された、MODEL LOOK世界大会で特別賞を受賞。07年9月公開の映画『M』(監督:廣木隆一、原作:馳星周)でヒロインを演じ、女優としてもデビュー。ウォーキング講師やライター、MCなど幅広く活動中。www.miwonkeito.com
 
(2009年1月1日号掲載)

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