中西麻耶 / 陸上女子走り幅跳び選手

“健常者と障がい者、その壁を飛び越えたい”

2017年7月に行われた世界パラ陸上世界選手権ロンドン大会で銅メダルを獲得した女子走り幅跳びの中西麻耶選手。しかし、その視線は既に2020年東京パラリンピックに向かっています。ロンドンに向けた最終調整をサンディエゴで行った同選手にこれまでのこと、これからのことを伺いました。
(2017年8月1日号ライトハウス・ロサンゼルス版掲載)

なかにし・まや◎1985年生まれ。大分県出身。高校在学中に軟式テニス選手としてインターハイおよび国民体育大会に出場。2008年の国体出場を目指していたが2006年に事故で右足の膝から下を切断。2007年より陸上競技を始め、走り幅跳びにおいて頭角を現す。現在、アジア記録、日本記録を保持。2017年7月世界パラ陸上選手権ロンドン大会で銅メダル獲得。2020年の東京パラリンピックの活躍に期待がかかる。

―2006年、21歳の時に事故に遭い、脚を温存するか切断するかの選択で迷いなく切断を希望したと伺いました。その時のことを教えてください。

中西麻耶さん(以下、中西麻耶):当時は軟式テニスの選手で、2008年に大分県で行われる国体に出て引退するつもりでした。事故にあった時、義足にした方が早く復帰できると分かったので、国体までの年数を考えて、切断を選びました。迷いは全くなく、むしろ親をどう説得するかに悩みました。当初は健常者のテニスの世界への復帰を考えていたのですが、義足で元通り動くためのリハビリやトレーニングの方法を探しているうちに陸上競技に辿り着きました。当時、義足で健常者のスポーツ界に戻りたいというのはずいぶん突飛なことで、現実的に難しかったので、まずはパラリンピックを目指すことにしました。

―2008年の北京パラリンピックで好成績を収めるも、2012年のロンドンでは予選敗退し、一度引退を表明して翌年に復帰。どんな心の動きがあったのでしょう?

 

中西麻耶:義足になってからは「きつい思いをさせたくない」というような周囲の雰囲気を感じることが多く、自分がそれまでしていたスポーツとは別物のように感じていました。でも、北京パラリンピックで、障がい者スポーツの世界にも本物のアスリートがいることを知りました。それで、自分も世界に出ようとトレーニングの拠点をサンディエゴのUSオリンピック・トレーニング・センター(現チュラビスタ・エリート・アスリート・トレーニング・センター)に移したのです。
 
ところがそれが「裏切って故郷を捨てた」というようなバッシングにつながってしまって…。フローレンス・ジョイナーを育てたアル・ジョイナーという素晴らしいコーチが付いたことへの嫉妬もあったのかもしれません。スポンサーを得ることも厳しくなり、資金繰りのためにセミヌードカレンダーを出したらさらに批判を受け、ロンドン大会は出るだけで精一杯という精神状態でした。
 
脚がなくなってもスポーツをしたかったのは、ただ好きだったから。だけど、現状は自分がやりたかったことと違ってしまった。そう感じて引退を決意したのですが、その後、コーチから「なんで辞めちゃうの?」と連絡があって。「私がメダルを取ろうが世界記録を出そうが、日本では誰も喜んでくれないし…」というようなことを言ったら、「少なくとも僕はすごくうれしい。しかも、君はその可能性を持っている」と言ってくれて。初めて自分のことを本当に信頼してくれたコーチだったので、そういう人がいてくれるなら、もう少しがんばろうと思い直したんです。

―アメリカに来て感じた違いや、変わったことはありますか?

中西麻耶:アメリカでは義足でも盲目でも一人のアスリートとして扱ってくれるところが、日本とは感覚が違うなと感じます。例えば、ハードルを使うストレッチ兼トレーニングがあるのですが、足首がないと微妙な動きができないので日本では義足の人はしなくていい、できないから必要ないこととされていました。けれど、アメリカに来たらごく普通にメニューに入っていて。「義足だからできない」とコーチに言ったら、彼は笑いながら「できないことをできるように努力していくのが君たちの仕事でしょう」って。自分について言えば、海外に出て、いろいろな人に会って刺激を受けて、視野が広がったと思います。アスリートとしてというだけでなく、人間として成長できたかなと。人間として成長すればそれは競技にも生きるので、海外に出て良かったと思っています。

現在32歳の中西選手。「体の衰えを感じることはないし、まだまだ限界は感じていません。

―2020年、東京パラリンピックへの意気込みを教えてください。

中西麻耶:一番の目標は6mを飛ぶことです。記録を出せれば、パラリンピックでなくても何の大会でもいいんです。6mというのは、日本では健常者の中でも「走り幅跳びの選手です」と胸を張って言える記録です。私はたぶんどこかで自分のことを障がい者と思っていないんです。けがから復帰しただけという感覚。だから、6mを飛べたら次はパラリンピックでなく、オリンピックに出たい!自分にはまだ伸びしろがたくさんあるので、できるはずと信じています。

―競技以外で、今後やっていきたいことはありますか?

中西麻耶:これまでの日本では、障がい者は障がい者の枠の中にいて、通常の社会からは離されているようなところがあったように感じます。自分自身、プロとして表立って活動するにあたって「障がいを利用して金儲けをしている」という声が多いことに驚き、また、苦労しました。障がいはその人の個性だと私は思います。個性を生かしてビジネスをするのは自然なことだと。だから、障がい者も健常者と同様に普通に社会と関わっていけるような仕組みを作っていきたいと考えています。
 
※このページは「2017年8月1日号ライトハウス・ロサンゼルス版」掲載の情報を基に作成しています。最新の情報と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。

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