ロサンゼルス・ドジャース / 斎藤隆

ロサンゼルス・ドジャースのクローザーとして、チームのプレーオフ進出に貢献した、遅咲きの日本人メジャーリーガー。1度は断念したメジャー再挑戦を決意したことが報じられた時、誰がこの活躍を予想しただろうか。父と兄の影響で、物心ついた時から野球をしていたという斎藤投手の野球に対する思いを聞いた。

自分で能力を決めるのではなく見極めるためにチャレンジする

さいとう・たかし◉1970年2月14日生まれ。宮城県仙台市出身。91年、東北福祉大学からドラフト1位で横浜大洋ホエールズ(現横浜ベイスターズ)入団。14年間で339試合に登板し、87勝80敗48セーブ、1284奪三振、防御率3.80を記録。2006年、ロサンゼルス・ドジャースに移籍し、72試合に登板、6勝2敗24セーブ、107奪三振、防御率2.07を記録。ドジャースの新人セーブ記録を塗り替え、奪三振と被打率(.177)は救援投手の中ではメジャーナンバー1。
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意識していなかったプロ選手への道

僕が野球を始めたきっかけは、実ははっきりとは覚えていないんですよ。父親が少年野球の監督で、2人の兄が野球をしていたので、小学3年生になって僕自身がチームに入る前から、土日には試合や練習を見に行くのが当たり前でした。環境そのものが野球だったので、他のスポーツをする選択肢はなく、運命付けられていた感じですね。

高校時代まではプロなんて、考えもしませんでした。テレビの中の世界でしかなかったですよ。大学に入って、ピッチャーになったのは2年の終わり。3年の初めから本格的にやり始めて、4年の春くらいに急にプロからも注目され始めて、その1年間で、ようやくプロ野球を意識できるようになったというか、周りが意識させたというか。でも、「えっ? 本当に俺がプロ?」って感じでしたね。

プロに入ってからも、メジャーリーグに対しては、子供の頃にプロ野球をテレビで見ていたのと同じような感覚での憧れは持っていましたが、何か強い願望を持っていたというわけではありません。佐々木主浩さん(元シアトル・マリナーズなど)が大学でもプロでも同じチームの先輩だったんですが、あれほど近かった人が、雲の上というか、手の届かないところに行ったというか、まったくリアリティーを感じなかったです。

だから、メジャーリーグについて関心を持ったのも、そんなに昔のことではないんですよ。自分がどのようにチームに貢献しようかとか、自分のクオリティーを上げるためにはどんな努力が必要かとか、そういうことにだけ集中していましたから。5、6年くらい前に、長谷川滋利さん(元アナハイム・エンジェルスなど)と、自主トレを一緒にさせてもらったのがきっかけです。エンジェルスタジアムのブルペンで練習して、「ああ、こういう場所でメジャーリーガーたちはプレーしているんだな」と、リアルに感じられるようになって、何となく意識し始めたんです。

1番印象的だった打ち込まれた試合

2006年がドジャース1年目でしたが、最初はマイナーでスタート。すぐにお呼びがかかって、4月9日のフィラデルフィア・フィリーズ戦でデビューしました。シーズンを通して、本当に緊張の連続でした。特にメジャー初登板の時の緊張は、今までにない感覚でしたね。

でも1番印象深かったのは、デビュー戦でも初勝利でもないんです。優勝争いをしていた大事な1戦、9月18日のサンディエゴ・パドレス戦で、1点リードされた9回の表に登板して、1点も取られてはいけない場面で3点取られた試合です。ベンチに帰ってきた時、僕はうなだれて、落ち込んでいたんですが、チームメートが代わる代わる僕のところにやって来て、僕にもわかる英語で、「サミー、顔を上げろ」「お前がいたから俺たちはここまで来れたんじゃないか」って言ってくれたんですよ。うれしかったですね。そして9回裏に4人連続ホームランで延長戦。最後はサヨナラホームランと、本当に劇的な試合でした。

昨シーズンは、世界一の一歩手前まで行ったんですが、残念でしたね。とにかく悔いだけは残したくないと思って、無我夢中でやりました。

アメリカに来る前は、ピッチングスタイルが少し似ていたので、カート・シリング(現ボストン・レッドソックス)に憧れていました。昨シーズンのチームメートでは、グレック・マダックスですね。彼のことはプレーヤーとしても、人間的にも尊敬しています。練習でもグラウンドへ来るのは1番ですし、聞くところによると、グラウンド以外でもエクササイズを週に4日はやっているそうです。動きを見ているだけで勉強になるし、同じチームでプレーできたことがうれしいですね。あんな大投手なのに、決して偉そうにしてるわけではないし、すごく気さくで、驚くくらいなんですよ。

僕はメジャーでまだ1年しかやってないので、ひと言で日本の野球との違いを言うのは難しいんですが、あえて言うなら、アメリカの場合は1人1人の選手が力を発揮して、それを監督がうまくまとめる。個人を尊重しているお国柄なのか、僕にはそういう風に映りますね。日本の場合も、選手はみんなとても個性があって、それぞれ考え方も違うんですけど、まず監督の考え方を選手が理解して、それによってプレーするという、まったく逆なんですよ。

かといって、メジャーでは選手が自分勝手なことばっかりしているわけではないんですよ。ただ、練習メニューもトレーニングメニューも、最低限ここはやってくれ、という課題しか与えられないんです。そこから先は自分のやりたいこと、すべきことを考えてやっていく。練習量が10だとするならば、メジャーでは3ぐらいまでを最低限の全体の課題としてやる。残りの7は個人が工夫して自分のペースでこなしていく。日本の場合は全体で決められているのが7で、残りが自分に与えられた幅。そういう感じですね。

チャレンジする気持ちを持ち続けることが大切

プロで15年間野球をやってきて、最近よく思うことは、プロ選手というのは自分だけじゃなく、多くの人々の夢を背負っている、だから自分は能力が続く限り、チャレンジしていく気持ちを持ち続けなければいけないんだな、ということです。例えば、小・中学校の頃に、僕がレギュラーに選ばれたり、ポジションを取ったために、補欠になったり、野球を断念した友達がいた。高校時代には、僕たちのチームが甲子園に行ったことによって、涙をのんだ他校の高校球児が何千何万といた。そうやって僕のレベルが上がれば上がるほど、多くの人が僕に夢を託してくれていたんだろうなと、漠然となんですが感じたりします。

僕は、自分では意識していなかったにもかかわらず、結果として野球人の憧れであるメジャーのユニフォームを着ることになりました。人には、自分自身でもわからない能力がきっと誰にでもあって、僕はそれを試すためにずっと野球をやってきて、そのうちにだんだん貪欲になって、そして周りのみんなに支えられながら、しかもタイミングが合って、こうしてアメリカでプレーできているのだと思います。

自分で自分の能力を決めるのではなく、その能力を見極めるために、チャレンジしていく気持ち。そのお陰で、僕はメジャーの舞台でプレーできている、そんな感覚でいるんですよ。

 
(2007年1月16日号掲載)

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