吉田潤喜◎セミナー直前特別インタビュー

ライトハウス・サンディエゴ版主催イベント

ビジネスセミナー直前特別インタビュー
 
来たる2009年9月22日火曜日に、全米、日本で販売され世界中の人に愛用される「吉田ソース」の創業者、吉田潤喜氏の講演会を開催する。去る3月のロサンゼルス講演会では終始会場から笑いが絶えず、「元気がもらえた」という多くの感想をいただいた。いくら失敗しても「こんちきしょう。今に見とれ」という哲学で乗り越える吉田氏の強烈な意志の強さと明るさは、先行き不透明な日々の光明となることだろう。講演に先立ち、サンディエゴのセミナー参加者へメッセージを伺った。

空手の師範からビジネスの道へ

僕が渡米した1969年は、ベトナム戦争の真っ最中でね。「強い国、アメリカ」にあこがれて来たのはいいが、金もなく、英語も話せず、庭師や厨房の仕事で食いつなぐサバイバル生活。ちょうどその頃、ブルース・リーが有名になって、空前のカンフーや空手ブームが始まった。空手は小さい頃からやっていて、強かったね。大学に行きながら道場で空手を教え始めて、その後ワシントン州とオレゴン州の警察学校でも、逮捕術の師範をしました。
 
道場も買って、空手で食べていこうと思っていた頃、82年に大変なリセッションが始まって。生徒数はピーク時の3分の1にまで落ち込んで、生活の余裕が一気になくなった。「何とかしなあかん」と思っていた頃、生徒からのクリスマスプレゼントのお返しに、手作りのバーベキューソースを贈ったんやね。実家の母が京都で焼肉店をしていたので、レシピをもらい、ソースとしょう油とみりん、砂糖を8時間ほど煮込んで作ってあげた。そしたら思った以上に大好評で、みんながまた作ってほしいと言ってきた。それでソースを売り始めたんです。
 
商売というのは、細かい計画を立ててというのも大事やけど、僕のように何かのきっかけがあって、チャンスをつかむというのもある。でも、それまで空手で警官を殴って金もらってる人間が、モノを売ったりするんやから、すぐに成功するわけがない。だって、ビジネスの「ビ」の字もしたことないんやから。何度も失敗ばかり繰り返して学んだことは、人との出会いがいかに大事かということ。僕はこれまで4回も破産しかけて、とんでもないドン底を経験したけど、そのたびに人に助けられ、守られてきたんです。
 

夢を徹底的に追いかけると必ずどこかに行き着く

この「破産しかけた」というのがミソなんやね。人間、ギリギリまでつぶれかかった時に、どういう精神力を持つかで、変わってくる。「もうあかん。もうええわ」とか、恨みやネガティブなことを考えるんではなく、「何くそ」と思うかどうか。僕は「こんちきしょう。今に見とれ」という言葉を口にするんだけど、この言葉が出てくる時は、身体からものすごいエネルギーが出る。このエネルギーは渦のように沸いてきて、それが周囲にも伝わっていくんやね。どん底の時は、そりゃ、一旦は落胆するよ。でもローラーコースターのように下がった後に、すごい反動で上がってくんだよね。大事なのは、どこまで夢を徹底的に追いかけるかですわ。
 
僕と普通の人が違うとしたら、普通の人は何か障害物が出るたびに「もうええわ」と方向転換する。僕の場合は、夢をどこまでも徹底的に追う。「Keep on Dreaming」という言葉が大好きなんだけど、どうしようもなく強い意志を持って夢を追いかけていくと、必ずどこかにたどり着くんだよね。
 
苦労話を覚えているようじゃ、本当の苦労をしてないんだよね。死ぬ思いで走っている時は、周りの景色など覚えてない。僕なんかも初期の会社の写真なんてないですよ。写真撮る余裕もなかったし、大きくなってやろうとも思ってなかった。その日その日をがむしゃらに走ってたんやから。大きな事業なんて考えてなかった。そんなことしてたら、きっと落胆してつぶれてまっせ。
 
金儲けは恩返しだと思っています。長女が生まれた時、生後すぐに生死をさまよう状態だったのを、お医者さんが助けてくれてね。その時は、神様に「自分の命と交換してくれ」と心の底から願い、初めて自分を犠牲にしてでも娘を助けたいと思いました。当時は貧乏で保険もなく、娘の命を助けてもらったけど、治療費が支払えるか心配していた。すると、病院からもらった請求書はたったの250ドル。あの瞬間は涙が止まらなかった。病院に対する感謝の気持ちと共に、「何くそ、将来絶対に成功して、この何十倍も病院に恩返しする」と心に誓いました。
 

不景気こそがチャンス 今だからこそ燃えなあかん

今、周りであまりにも不景気と言うのは、むかむかしてくるね。本当は今だからこそ、チャンスがあるんだよ。例えばうちは物流ビジネスもしてますが、不況で2千社ほどがつぶれたけれど、それは金払いの悪いお客さんがいたからつぶれたんでしょ。だったら金払いのいい何千何万のお客さんはどこに行ったかというと、物が送れなくて困っている。そんな会社がたくさんあるんだから、もっと探せと社員に言ってます。今こそチャンスなんだと。皆不景気不景気と言ってるけど、心の中までそうなったら自分がつぶれてしまうよ。今だからこそ、燃えないとあかん。
 
とにかくがむしゃらに走ることが大事。バスを動かすなら動かす。やる前からどこでガソリン入れようか考えてると、その間にほかの人が動いてしまう。バス動かしてガソリンが切れかけたら、どこかから出てくるもんです。もし出てこなかったら、自分が後ろに回って押してると、周りが一緒に動かしてくれる。そのうち誰かがガソリンを持って来てくれる。変な計算するよりも、一生懸命走っていたら、誰かが助けてくれる。それが人生、それが商売でっせ。古臭い言い方かもしれないけど、出会いをいかに大事にしていくか、それしかない。大事にしていない人は、成功してもきっと悲しい思いをしてるんと違いますか?
 

アメリカは義理人情の国 お返しをしていきたい

人生、障害物があるのが当たり前。それにぶつかるたびに方向転換したり落胆してたら、何やっても失敗しまっせ。「自分のものにしたいな」では、まだエネルギーが弱い。「自分のものにする」と強く思った時に、本当のエネルギーが出てくる。基本は自分がエネルギーを出せるか出せないかにかかっているんやね。
 
それとアメリカは、生き馬の目を抜く世界。だけど実は、日本以上に義理人情がある国やないかと思う。僕も色んな人に助けられて、ここまで来れました。だからそれに感謝してお返しをしたいと思っています。アメリカで商売してるのに、僕のスタンスは基本的に関西の浪花節の世界。落語でっせ。今回のセミナーに来てくださった方には、ぜひ、元気になってもらいたいと思っています。
 
 
ビジネスセミナー
日時:2009年9月22日(火)6:00pm開場/7:00pm開演
会場:Four Points by Sheraton
8110 Aero Drive San Diego, CA 92123
参加費:◆当日券$25(学生$20)◆前売り券$20(学生$15)
※当日、学生証のご提示をお願いします。
 
《世界で愛されるアメリカ生まれの日本の味「ヨシダソース」とは?》
アメリカで1日平均5万本生産されているグルメソース。
保存料無添加の本醸造の醤油を始め、高品質で自然な原料を使用し、添加物を一切加えない自然な製法が人気を呼んでいる。
 
ヨシダソース・日本向けオフィシャルサイト
www.yoshidasauce.jp
ヨシダソース・アメリカサイト
www.mryoshidas.com
 
チケット購入
■三省堂書店
サンディエゴ店
☎858-279-2900(ミツワ・マーケットプレイス内)
 ※なお、前売り券はディスカウント価格にてご案内させていただいておりますため、事前にご連絡をいただいても、または、当日、欠席された場合でも返金は致しかねます。もしキャンセルが予想される場合は、当日券をお買い求め下さいますようお願いいたします。大変恐れ入りますが、事前にご理解を賜りますよう、お願い申し上げます。
 
■後援
在ロサンゼルス日本国総領事館
YAMASA
Bayseide Inn
HIS
Japan Society
 
■協力
三省堂書店
テレビジャパン

Costcoなどで販売されるヨシダソース。吉田社長自ら、地元の料理番組や広告に登場し、その強烈なキャラクターが印象深い
LA講演会では240名の参加者が、涙あり笑いありの吉田氏の巧みな話術に大いに盛り上がった

■プロフィール: よしだ じゅんき■ 1949年京都に生まれ。69年に渡米し、波乱万丈の末、自家製秘伝のタレをベースにしたヨシダソース(ヨシダグルメのたれ)を生産販売。オレゴン州ポートランドに拠点に、ヨシダグループ18社を率いるグループの会長として世界中を飛び回る。
 
(2009年9月1日号掲載)

ライトハウス創刊20周年記念イベント第7弾
ヨシダグループ会長/CEO 吉田潤喜講演会

 

去る3月6日、ホリデーイン・トーランスにて、吉田グループ会長/CEOの吉田潤喜氏の講演会を開催した。当日は240名の聴衆を集め、吉田会長の涙あり、笑いありの巧な話術に会場は大いに盛り上がった。

自分がアメリカでやってこれたのは、「お返ししなあかん」という気持ちがあったから

今日僕が話す失敗の体験から何か得る物があるとしたら、それは「パワー」です。今日は皆さん、僕のパワーを持って帰ってください。人間は色んな問題を抱えているものです。根本的には自分のパワーとエネルギーでどれだけ走るかですわ。それが解決してくれるんですよ。
 
日本は「出る杭は打たれる」なんて言いますけど、僕なんか日本だったら完全に潰れてます。4回も高校を停学になって、大学もすべった。それで、アメリカで成功したると思った。長男には「勘当や」と言われましてね。お袋の空港での最後の言葉は、「どんなことがあっても刑務所に入ることだけはするな」でした。
 
シアトルに渡ると、空手を子供や警察官たちに教えました。ところが、不況になって生徒が激減。その時、実家のオカンの手作りの焼肉のタレを真似て、
クリスマスプレゼントのお返しに生徒にあげたんです。ほんならみんな、おいしい、おいしいと言うんですわ。ついには「お金は払いますからゆずってください」って。それじゃ、ソースで商売したると。
 
会社が2回目に潰れかけた時は、もうあかんと思いました。ヤケになって泥酔して帰宅した僕に、妻のリンダがスコッチを1本持ってきて「もっと飲め」って。あ、これ絶対アル中にして殺されると思った(笑)。そうしたら「明日、家を売ってアパートに移るから、頑張らなあかん」って言うの。あの時の悔しさは、忘れられへん。酔いなんかパッと覚めました。
 
その後、義理の親父からちょっと会いたいと電話がかかってきました。怒られて、娘を
返せって言われるのだろうなと覚悟して実家に出向き、相対して長い沈黙の後、紙切れをポンとテーブルの上に投げられた。 
 
「My son, pick it up.」。いつもオレのことを「ジュンキ」ではなく、「Junkie(ジャンキー)」って呼んでいた義父が、その時初めて「My son」って言ってくれた。紙切れ16万ドルのキャッシャーズチェックでした。「This is all I have. I want you to useit.」。その時、義父の恩義に自分は燃えました。「ちきしょう、今に見とれ。絶対返したる」と。

「結婚したい」ではなく「あいつと結婚する」

そんな時にCOSTCOが2店目をポートランドに出しました。
そこでウチのソースを売り始めたけど、客がまず買ってくれない。そこで着物を着て、カウボーイハットをかぶって店頭販売したの。ソースを売るのは止めて、自分を売ろうとった。とにかく信用されなくても、安心してほしかった。お客が安心したら笑ってサンプルを食べてくれるんですわ。地元の日本人から「はしたない」って言われても、1本でも多く売りたい。それだけ。
 
その後、COSTCOから「これからはソースをヨシダに1本化する」って任せてくれた。COSTCOのバイヤーがほかのサプライヤーに言ったのは、「We’re just interested how far this guy can go,Crazy Yoshida.」。僕は、これがアメリカ気質だと思う。マジな人間には燃えてくれる。頑張ってる人間を何とかしてあげたいというエネルギーとパッションが、周りから出てくる。
 
今、リスクマネージメントなんて格好良いこと言うけど、失敗した時、どうしたらいいか考えた時点で、あんた、負けてまんねん! 
 
僕が妻のリンダと結婚した時と同じ。僕は周りに「結婚したい」って言わなかった。「あいつと結婚する」って言うたの。そのエネルギーの違いってスゴイ。絶対にやるって気持ちだけで突っ走ればいい。人に何かしてあげたら必ず戻って来る
 

人に何かしてあげたら、必ず戻って来る

次に娘の話ですけど、小さい頃、大病で命が危なかったんです。その時ドクターは5日間、朝から晩まで娘の命を助けるために頑張ってくれた。私もお祈りし続けた。生まれて初めて「オレの命と取り替えてくれ」って、自分の命を捨てようとした。そうしたら、何とか命が助かった。
 
 
でも医療費支払いの時に現実に引き戻された。保険もないし、絶望的な気分で請求書を見たら、たったの250ドルです。びっくりして、看護婦さんに確かめたら「Don’t worry about it.」。「あんた、お金ないでしょ。あんたみたいな人のために、寄付を集めて経営している」と。これでやっぱり、こんちくしょ?絶対お返ししたると思った。それが今も続いとるんですわ。ポートランドの子供病院の理事として16年間協力してますが、まだまだお返しが足りない。
 
人間っておかしいね。人に何かしてあげたら、必ず戻って来るんです。こんな自分がアメリカでやってこれたのは、心の中に「お返ししなあかん」「今に見とれ」っていう気持ちがあったから。
 
 
最後に親父の話ですが、親父は芸術家でした。その親父がよく言っていたことです。子供のゾウが捕まって檻に入れられ、泣いて檻を蹴って、血を吐きながら3日3晩過ごした。でも、ある時それがパタッと止まった。諦めたんだね。何年か後になって、このゾウがまだ檻の中におるわけ。外の人が「今のお前なら、檻を蹴り倒して外に出られるよ」って言うの。でもゾウは「え?」って。自分の身体が見えてないんだね。昔のままだと思ってるの。
 
親父はこの話をしながら、「お前は自分の姿をちゃんと見なあかん。過去なんか気にするな」って言ってくれてたんです。その言葉が心に響いて、ウチの娘3人にもしっかり教えました。今度は孫に教えるために、何とかして100歳まで生きなあきません。でも100になったら、「こんちきしょう、150まで生きるで」って思うのかもしれない(笑)。
 

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