戦後70年・日系アメリカ人インタビュー/ヒロ・ニシムラさん

徴兵か強制収容か MISとして戦場へ

ヒロ・ニシムラさんが生まれたのはシアトルの日本町(現インターナショナルディストリクト北側)。1907年に留学生として渡米し、その町で小さなホテルを経営していた父と母の下に育ちました。当時のシアトルは、全米で2番目に大きな日系コミュニティーを形成していたと言います。「父の教育方針で、他の二世と同様、地元の日本語学校へ通い、その上、私設の塾にも行って、家庭教師もつきました。計12年にわたって日本語を勉強したのです。でも日本語は漢字が難しいから大嫌い」とヒロさんは笑います。

42年、ワシントン大学1年生の時に、陸軍に徴兵。日系人が敵性外国人とみなされ徴兵が中断される直前のことでした。そしてほぼ時を同じくして、両親と弟、友人の多くはチュラリップ集合センターを経て、アイダホ州ミニドカの収容所へ強制収容されました。「収容所へ行くか、兵役に就くかの2択を迫られたのです。兵役を拒否して市民権を剥奪されてはと、徴兵に応じました」。ヒロさんはアーカンソーのキャンプ・ロビンソンで基礎訓練を受けた後、高い日本語能力を買われてMISに所属することになります。「442連隊に行きたかったし、6カ月も学校に行って日本語を勉強するなんて…と頭を抱えましたよ(笑)。でもそれまで日系人だからと二級の兵士として扱われていたのが、国のために戦う一人前の兵士として扱ってもらえるようになり、複雑な気持ちでした」。

ミネソタのキャンプ・サベージでMISの学校に通った後、43年8月、日本兵の尋問や書類を翻訳するため、英印第25師団の一員として中国を経由してビルマ(現ミャンマー)へ。ビルマでは、日本軍の決死隊による夜襲を受けるなど、死闘が繰り広げられていました。44年5月、日本軍の陣地に突入したヒロさんは、横たわる日本兵のしかばねの陰から日章旗を見つけます。ビルマからインドに移動し、そこで太平洋戦争は終結。シアトルへ帰ったヒロさんは、ビルマで拾った旗を実家の仏壇に供えました。

終戦から7年後、ある日本人に旗の話をしたところ、日本の新聞社やラジオ局が、持ち主を探してくれることに…。「その結果、旗は当時捕虜になっていた徳島連隊の兵士のものであり、なんと生きていることが分かったのです」。88年、ヒロさんは元日本軍兵士と東京で会い、旗を返却。今、その旗は、徳島県の戦没者慰霊塔、パゴダ記念塔に奉納されています。


一人一人の証言の積み重ねがもたらした戦後の補償

1945年の終戦後、シアトルのボランティアパークに日系二世の退役軍人が集まり記念撮影。ヒロさんは前列右から6番目

ヒロさんの戦後はそれだけでは終わりません。70年代からは、戦時中の日系人の強制収容に対する謝罪と補償を求める運動に参加するようになります。43年の出兵前、ミニドカ収容所に家族を訪ねたヒロさんは、社会から排斥され、有刺鉄線の中で監視されて暮らす一世二世の生活に激しい憤りを覚えたことを思い出し、黙っていられなかったのです。

「米国のために戦った退役軍人として、家族のため、友達のため、米国政府に不満を伝えたかったのです。私は周りの二世にも、『親のため、友達のためになるから不満を言いなさい』と言いました。でも、多くの二世は、『恥ずかしい』『私はキャンプに行ってない』と遠慮して何も言いません。私だってキャンプには行っていません。でも、親があんな目に遭ったら、遠慮するべきではないんです」。

81年に全米各地で開催された「戦時市民転住収容に関する委員会」の公聴会は、9月にシアトルでも開かれ、ヒロさんは証言者として出席。与えられた時間はたった3分間。祖国・日本と、米軍に徴兵された子どもとの間で板挟みになった一世たちの苦悩や収容所での苦しかった生活を訴えました。

こうした一人一人の証言の積み重ねが実を結び、88年、強制収容に対する謝罪と補償を定めた「市民の自由法」が成立。ヒロさんは「気が楽になって生き返ったような気分でした。カタルシスという言葉をこの時に実感したんです」と微笑みながら振り返ります。

公聴会での証言の後、さまざまな思いがとめどなくあふれ、ヒロさんは毎日少しずつそれを書き綴り、また資料を集めるようになりました。そして、93年にはそれらを軸に日系人の歴史を記した著書『Trials and Triumphs ofthe Nikkei』を発表。その後も、今になるまで講演などで積極的に自らの経験を語り続けています。

Hiro Nishimura

1919年、ワシントン州シアトル生まれの日系二世。両親は広島県出身。42年、ワシントン大学在学中に米軍に徴兵され、MISとして従軍。終戦後、ワシントン大学に復学し、その後、同大学の健康科学研究所などに勤務。70年代から日系人の強制収容に対する補償運動に参加し、81年には「戦時市民転住収容に関する委員会(CWRIC)」公聴会の証言に立つ。93年『Trials and Triumhs of theNi kkei 』を上梓。
 
(2015年8月1日号掲載)

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