日本ではどうして「不謹慎狩り」が起きるのか?

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冷泉彰彦のアメリカの視点xニッポンの視点:米政治ジャーナリストの冷泉彰彦が、日米の政治や社会状況を独自の視点から鋭く分析! 日米の課題や私たち在米邦人の果たす役割について、わかりやすく解説する連載コラム

熊本地震以来、日本で広まる「不謹慎狩り」

不謹慎狩り

4月14日に熊本地震が発生して以来、「不謹慎狩り」という耳慣れない言葉が一気に流行語になった。この「不謹慎狩り」だが、実はよく見ていくと3種類ぐらいのパターンがあるよう だ。
 
1つは、「地震で困っている人がいるのに楽しそうにするのは不謹慎だ」というものだ。地震の発生直後に、SNSに「笑顔」を投稿した芸能人が批判されたのを契機にして、熊本で困っている人がいるのに、「自分だけ楽しむのは何事だ」という批判が浴びせられるようになっている。「自粛」もこれと似ている。地震の直後で、困っている人がいるのに「楽しそうなTVコマーシャルを流す」と悪印象が広まって逆効果になると判断したのか、各広告主は広告を自粛しているし、地震と無関係な場所でさまざまなイベントが中止に追い込まれた。
 
2つ目は、被災地に入った部外者、つまりボランティアや報道機関に対して批判を加えるという種類のものだ。例えば、ボランティアや報道関係者が、物資の足りない被災地で「食事を調達」するとか、「ガソリンの調達が強引」であるとか「報道陣が邪魔」だとして犯罪者のように叩かれる。そもそも報道機関の存在自体が「マスゴミ」だと批判される中、報道のヘリコプターに対しては「撃ち落とせ」などという暴言が浴びせられるようになった。
 
3つ目は、義援金の寄付をすると「偽善者」だと言って叩かれるというものだ。ある芸能人は、500万円を寄付したと発表したら虚偽だと叩かれ、仕方がないので銀行振込の領収証を提示したら、売名行為だとか偽善だという批判で「炎上」してしまった。
 
こうした一連の「不謹慎狩り」だが、何よりも特徴的なのは「被災地とは全く関係ない人々」が「不謹慎」な表現や行動を「捜査」しているということだ。主としてネットやSNSを巡回することになるが、そこには素朴な正義感はあっても悪意はないようで、続けていくうちにどんどん熱心になっていくものらしい。
 
もう1つの特徴は、本当は被災地のためになっていない場合が多いということだ。例えば、被災地では「コンサートなど自粛どころかどんどんやってほしいのに」と思っていたり、外の人の目があるから「ビールも飲めない」という窮屈な思いもあるようだ。また、ボランティアや報道の活動が萎縮してしまっては復興に影響が出るし、そもそも寄付が偽善だと叩かれるのでは、たまったものではない。

日本特有の不謹慎狩りの発生背景

では、どうして日本ではこうした不可解な現象が起きるのだろうか?
 
1つは、とにかく日本人にとって大震災というのは「誰にとっても他人事ではない」ということがある。特に1995年の阪神・淡路大震災、2011年の東日本大震災を経験したこと、そして中部から関東にかけては、南海トラフ地震や首都直下型地震の危険性を感じて生活する中では、この感覚が強まっている。実際に震災の起きた熊本とは1000キロ離れた東京でも、被災者の立場への共感は大変に強い。
 
もう1つは、日本のカルチャーに特有の「上下の感覚」が、こうした非常事態においてはより感情的になって出てきてしまうからだろう。「被災者は偉くて、何も被害にあっていない人は静かにしなくてはいけない」とか「自分の身分を隠してボランティアをする人は偉いが、売名行為でする人はダメだ」とか、とにかく何でも序列をつけてしまうのだ。そして、知らず知らずのうちに嫉妬心などの感情に引っ張られる中で、少しでも自分より「上」に立って偉そうに見える人は「何が何でも引きずり降ろす」行動に出てしまうのである。
 
これに加えて、SNSによるスピーディーな「拡散」が現象を加速していると言っていいだろう。
 
いずれにしても、この行き過ぎた「不謹慎狩り」については、復興が進んだ時点で一度しっかり再点検することが必要なのではないだろうか?

冷泉彰彦

冷泉彰彦
れいぜい・あきひこ◎東京大学文学部卒業、コロンビア大学大学院卒業。福武書店、ベルリッツ・インターナショナル社、ラトガース大学講師を歴任後、プリンストン日本語学校高等部主任。メールマガジンJMMに「FROM911、USAレポート」、『Newsweek日本版』公式HPにブログを寄稿中

(2016年6月1日号掲載)

※このページは「ライトハウス・ロサンゼルス版 2016年6月1日」号掲載の情報を基に作成しています。最新の情報と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。

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