D1副社長・シニアアドバイザー / 土屋圭市

ライトハウス電子版アプリ、始めました

車体の向きと進行方向にずれが生じ、横向きにスライドしながらコーナーを走行する「ドリフト」。日本では、2001年から全日本プロドリフト選手権(通称D1-GP)が開催され、一般的に認知されている。近年、アメリカGPも行われ、ドリフトは新しいモータースポーツとしても確立されつつある。ドリフトの第一人者で「ドリフトキング」と称される、D1副社長/シニアアドバイザーの土屋圭市氏に話を聞いた。

ドリフトの好きな人に対しては、平等でなければいけないというのが、僕の考え方。

つちや・けいいち◉1956年1月30日生まれ、長野県出身。ドリフト走行を多用するそのドライビングスタイルから「ドリキン」(ドリフトキングの略)と呼ばれる。77年に富士フレッシュマンレースでデビュー。84年に、同レースで開幕6連勝を飾り、その名を有名にした。03年にレーシングドライバーを引退。現役時代から審査委員長を務めていた、D1-GPの運営に携わる。06年に『The Fast and the
Furious -Tokyo Drift-』に、テクニカルディレクターとして参加。釣り人の役でカメオ出演も果たしている。
公式サイト:www.k1planning.com

より早く美しく迫力のカーレース

18の時から峠でドリフトを始めて、21からレーシングドライバーを務めて、レーシングドライバーをやりながらドリフトイベント「D1-GP」で審査員を務めてきました。2003年に47でレーシングドライバーを引退してからは、D1-GPの運営にも携わってきました。レーシングドライバーとして、日本のレースのトップカテゴリーで闘ってきた一方で、ドリフトも続けてきました。いわば表の顔がレーシングドライバーで、裏の顔がドリフトキングとでも言いましょうか(笑)。

僕がドリフトをやっていた頃は、「ドリフト」イコール「悪」「暴走族」「人の迷惑」という図式があって、「じゃあ、ちゃんとサーキットでイベントとして始めよう」と、通称「イカ天」、「イカす走り屋チーム天国」というのから始めました。これがどんどんレベルが上がってきたので、「それじゃ、プロフェッショナルクラスを作ろう」と。それでD1-GPを始めたんです。

だから、日本発祥のドリフトの世界大会が開かれ、「ドリフト」という言葉が世界で通用するまでに定着してきたことは、ものすごくうれしいですよね。アメリカではもう4年、世界各国で大会が開かれ、D1を始めてから6年目で10カ国からの参加があるっていうのは、もう非常にうれしいことですよ。

ドリフトっていうのは、モータースポーツをまったく知らない人でも、フィギュアスケートの美しさと、相撲のぶつかり合いの迫力が楽しめます。右にコーナーがあるのに、逆の左にハンドルを切る。子供でも、お年寄りでも、スゴさがわかる。非常にわかりやすいモータースポーツだと思います。

スピードが何キロ出ているか、ドリフトの角度がどれくらいあるか、プラス、スタンディングオベーションを贈るだけの迫力があるか、この3つだけでお客さんはD1を理解できます。ちょっとミスしただけで、それがマイナス1点、0.1点になる。美しさの観点だけなら、フィギュアと同じです。

スピードと美しさと迫力を競うD1-GPは、サーキットのフィギュアスケートのよう

160馬力のクルマが600馬力に勝つ醍醐味

アメリカでは、3年前に僕が初めてデモランを行ってから、毎年ジャッジとしてD1-GPに参加しています。でも、今のアメリカのドリフトは、全然その当時の走りじゃないですね。クルマ自体は、基本的に400~600馬力で変わっていません。でも、3年前に比べて、確実にエントリースピードも、脱出スピードも上がっていますね。だから人間のレベルが上がったというのが1番大きい。

D1では、ドリフトがうまくて当たり前。その他に何かと聞かれたら、「迫力出せるの?」「お客さんにお金を払って見に来てもらえるの?」「スタンディングオベーションを受けることができるの?」、そういったプラスαがないと通用しません。日本人のトップ30は、そういったショー的要素もこなしていますが、外国人選手でそういうレベルにあるのは、多くて5、6人。アメリカでも記憶に残る選手というのはひと握り。ということは、日本人選手に負けてしまっているんだね。

アメリカ人選手と日本人選手の違いは、まずアメリカ人選手は人のアドバイスを聞かない(笑)。欧米の選手は、自分が1番だと思っていますから。日本人選手は予選に落ちたら、何が悪かったのか、僕に聞きに来ます。練習の合間にも自分のどこが悪いのか、アドバイスを求めに来ます。ただ、最近は、アメリカ人でもトップ選手になると、必ず僕のところにアドバイスを聞きに来るようになりました。

アメリカ人選手に今1番必要なのはスピード。どこのサーキットで見ても、ドリフトはできているんだけど、スピードがないから迫力がない。今、スピードを持っているのはタナー・フォーストただ1人。それじゃあ、なかなかレベルが上がらない。やはり、何人かうまい選手がいて、その国のレベルを引っ張っていかないと。レベルを上げるためには、日本から常に何人かの選手が来て、アメリカの選手とバトルをすること。だから、今年からレベルの底上げのために、D1-GP USAを立ち上げ、日本から常にトップ選手を送り込みます。

そもそもドリフトっていうのは、アメリカ人に合ってると思いますよ。瞬間、瞬間の勝負で終わる。しかも、トーナメントだから、その勝負がどんどんレベルアップしていく。勝負が一瞬でつくことが、アメリカ人やD1ファンにとっての魅力だと思います。

あとは、160馬力と600馬力のクルマが闘って、160馬力のクルマが勝つことがある。ドリフトのそういう信じられないことが起こるっていうところが、アメリカ人にウケるんじゃないかな。お金のある人もない人もいる。ドリフトの好きな人に対しては、平等でなければいけないというのが、僕の考え方。だから、テクニックだけで競いなさいっていうのが、ドリフト=D1-GPです。

ハリウッドが取り上げドリフトが一躍メジャーに

『The Fast and the Furious -Tokyo Drift-』が日米で公開され、ドリフトが一般にも浸透してきました。僕は最初、ユニバーサルとはテクニカルアドバイザーで契約していました。日本での撮影のドリフト部分は、全面的に僕に任せてもらい、主役のショーンのドリフトのダブルは、僕がやっています。で、撮影しているうちに監督から、「お前も出てみろよ」と言われて。台本にはなかったんだけれども、釣り人の役で出演しました(笑)。

ドリフトを、ハリウッドが取り上げてくれてうれしかった。D1をBBCやESPN、Speed Channel、Discoveryが取材に来てくれるのも、そのおかげ。アメリカ人が興味を持てば、世界のマスコミが興味を持ってくれる。D1-GPがここまで来られたのも、本当にアメリカのおかげです。

できるかどうかはわからないけど、これからは、D1をF1グランプリに次ぐポジションに上げていきたいですね。そして、僕と関わっている人間たちすべてをハッピーにしたい。ドライバー、メカニック、スタッフ、すべての人が良い暮らしを送れるようにするのが僕の夢ですね。

カリフォルニアでもD1は定着しつつあるので、もっともっと多くの人に見に来ていただきたいですね。皆さんがたくさん見に来てくれれば、もっと大きなサーキットですることもできます。今後とも応援してください!
 
(2007年1月16日号掲載)

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