タレント / コロッケ

ライトハウス電子版アプリ、始めました

1つのことを永遠に続けることは大変 でも自分は死ぬまで芸人でありたい

ものまねのレパートリーは100種類以上。ロボットバージョンやヒップホップダンスとの融合、1曲のメロディーに乗せて、高速で一気に33人もの顔を連続で変える「ものまね33面相」など、エンターテイナーとして新境地を開拓し続ける、ものまね芸人のパイオニアだ。もうすぐ芸歴30年を迎えるコロッケさん。6月にTJSラジオ主催で行われたロサンゼルス公演直前に、芸に対する姿勢やこれからの抱負を聞いた。

アメリカの人は見る人もエンタメ上手

お客様は日系の方が多いので、ネタ的に極端に洋モノを出すわけではありませんが、やはり外国で行うのと日本で行うのとでは気分的に全然違います。日本を離れてロサンゼルスで暮らす皆さんがどれだけ楽しんでくれるかという点で緊張感がありますね。

 

海外公演の場合も、基本的にお客様は日本人がメイン。なかには海外生活の長い方もいれば、まだ在住1、2年という方もおられますので、変に洋モノをやるよりも、日本のものを中心にしっかりやる方がいいと自分なりにリサーチしてきました。日本でやっているような形に、アメリカバージョンとして少し普段と違うものを取り入れようと思っています。

 

アメリカに住んでいらっしゃる方は反応が速いですね。それにベタな笑いやわかりやすい内容の方が、ひねったものやマニアックなものよりウケがいい。今、日本でウケている笑いは、「一部の人にだけウケればいい」という場合が多いんですが、僕はあまりそういうのが好きじゃなく、皆さんにとってわかりやすい方がいいと思っています。

 

それから、盛り上がりも非常にいい。特にロサンゼルスやラスベガスあたりだと、いい意味で能天気な方が多いじゃないですか(笑)。楽しい感じがしますしね。パフォーマンスする側としても、とてもやりやすいです。

 

アメリカに住む皆さんは、もともとエンターテインメントへの受け入れ態勢ができているのでしょう。日本ではエンターテインメントという言葉が少し違う意味で使われているように思います。アメリカはオールマイティーでなければダメ。日本にもオールマイティーにやれるすごい人たちも大勢いるのですが、あまり認められていません。それより1つの分野で優れている人の方が、人気になっているところがあります。僕は、そういうところに反発して、色々なことにチャレンジしているんです。

海外では日本人同士の連帯感がいい

南カリフォルニアは、カラッとしていて、本当に過ごしやすい気候ですね。それに、日系人や日本人の方と話をしていると、日本人同士の楽しい連帯感みたいなものを感じます。日本を離れているからこそ、お互い助け合っていくところがあるのかなと思います。

 

ロサンゼルスでは、日系の焼鳥屋や焼肉屋にも行きました。働いている若い人たちを見て、「皆さん、アメリカに来てよく頑張っているな」と感心しました。英語がわからなくて一生懸命勉強している子もいれば、英語がわかる子もいるだろうし。でも、基本的には最初は皆わからずに来て、こうやって働いて、色々苦労しているんでしょうね。

 

それから、今回サンタモニカの街を歩いていて、日本人に「アッ!」と気付かれましたね。「アッ!」と言われれば、こちらも「エッ?」と言う感じで(笑)。街中で会って「一緒に写真を撮ってください」とお願いされれば、「じゃあ、撮りましょう」という感じで。だから道中、かなり多くの方と一緒に写真を撮りましたね。

ものまねの世界を自分の色に染めていきたい

ものまねをやり続けている理由を聞かれたら、「一生芸人でありたい」というのが1番わかりやすい答えになるかもしれないですね。芸人でも仕事が良い形になってくればくるほど、他の方面に進む方が多いものですが、僕は一生芸人でありたいと思っているんです。

 

そういう面ですごく好きで尊敬しているのは、志村けんさん。志村さんは、コントを「もういいや」と絶対に投げ出しません。他の分野に進出するよりも、永遠に同じ分野でやり続けることの方が大変じゃないですか。誰でもどこかで、「こっちに行きたいな」とか「あちらへ行きたいな」という欲が出てくるものです。自分の場合はそうはならないでしょう。死ぬまでものまねをやり続けたいですし、気持ちの中でもやり続けます。

 

僕の場合、つらいことが99%あったとしても、良いことが1%あれば、それでつらいことが忘れられると思います。それはお客さんの応援であったり、笑い声であったり。そういう点ではすごく恵まれていると思います。何しろ舞台に立っていると、反応がすぐにわかりますからね。逆に「ちゃんとしなきゃいけない」という気持ちにもなりますが。

 

僕には、「ものまねというジャンルを軽く見られたくない」という思いがあります。この世界は、まだ誰も特別な色で染めていない真っ白な道。そこを自分色に染めていきたい。そして後輩たちに、「君たちも別の色で染めてよ」と。「オレはそんなに真っ黒にはしてないよ。黄色とか薄いピンクとかそういう色にしておくから、また上から色塗れるでしょ」みたいな。

 

年齢的に1つの道を作り続けていかなきゃいけない立場にあるというのも感じますね。とはいえ、やはり基本的には見る人に楽しんでもらいたい。僕はそれでお金をいただいて生活できているのですから、これほどうれしいことはありません。ありがたいことです。

 

この仕事は好奇心や興味がなくなると続けられません。芸能界でも新人が出て来ると、気になる人はよく観察します。僕はいい意味でミーハーなんですけど、それが芸の上でも大切なことなんですね。

 

最後に南カリフォルニアに住む皆さんへのメッセージですが、こちらには日本にいる日本人より、日本人らしさを忘れないでおられる方が多いと思います。特に日系1世、2世の方など、色々な意味で日本を背負いながら頑張ってこられたのではないかと思います。自分たちにはそんなに大きなことはできませんが、より一層日本人として大切なこと、優しさや潔さを忘れないで引き継いで頑張っていきたいと思いますので、皆さんも頑張り続けてください。

 

1世の方が来られた頃のアメリカは大変だったと思います。そういう方たちの熱い想いを、逆に自分たちが忘れてはいけないなと、こちらに来て痛感しました。皆さんがいるからこそ、今、日本人がアメリカの人たちにこれだけ良い形で受け入れられているんだよと、後から来た日本人やこちらで育った人たちが、ちゃんと知っておかなければならないと思います。

ころっけ●1960年3月13日生まれ。熊本県熊本市出身。80年8月、日本テレビ『お笑いスター誕生』でデビュー。ゴールデンアロー賞・芸能賞、浅草演芸大賞・新人賞他、多数受賞。ものまねで全国コンサートを行う傍ら、TV・ラジオ等で活躍する。また、ロサンゼルス、サンフランシスコ、シカゴ他、海外公演も数多く行い、2006年8月にはラスベガスでの公演も大成功を収めた。新宿コマ劇場、名古屋中日劇場を始め、大劇場での座長公演も定期的にこなし、映画やドラマなど、俳優としても円熟度を増している。
 
(2009年1月1日号 掲載)

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