映画監督 / 岩井俊二

ライトハウス電子版アプリ、始めました

いわい・しゅんじ◎映画監督・映像作家・脚本家・音楽家。1963年1月24日生まれ。宮城県仙台市出身。横浜国立大学在学中から映画を撮り始め、ミュージックビデオや深夜テレビドラマの演出を経て映画監督に。代表作に『Love Letter』や『スワロウテイル』などがある。現在、長編映画の撮影準備を進めるかたわら、映画ファンとの相互コミュニケーションで構成される「岩井俊二映画祭」の企画も進行中。詳細は、www.iwaiff.com

音楽みたいにとらえて ずっと映画を作っています

ロサンゼルスには10年くらい前から時々来ていました。映画の仕上げが主な目的です。こちらはオーディオのミックスとかフィルムの仕上げとか、優秀なスタジオが多いですからね。

初めて渡米したのは20代半ば。ボストンの北のフェアヘーブンという街で、ジョン万次郎の取材のためでした。雪景色を眺めながら、「地球の裏側にいる」という感動がありました。その時は英語が壊滅的にしゃべれなくて、ホテルのフロントに電話してみたものの、何を言っているのか意味がわからず、無言で切ったりしてました。それからちょこちょこと英語の勉強を始めて、気が付けばあれからもう20年以上経ってる訳で。依然この程度の英語力とは、我ながら情けないです(笑)。

 

4年くらい前からロサンゼルスに部屋を借りて、本格的にこちらで生活してます。ハリウッドに憧れて、という訳ではないんですが…。環境を変えたかったんですね、まず。僕は、同じ場所に長くいると、過去の残留思念が景色の中に残っていて、仕事にならなくなるということがあったりします。だから家を買えない(苦笑)。思えば昔から1カ所にいられない性格で、人生を辿ると、仙台、横浜、川崎、東京、そして今はロサンゼルスにいるという訳です。

それと、ボストン以来、英語圏の国で映画を作ってみたい、という想いもありました。ちょっとずつではありますが、英会話の勉強もしてましたからね。勉強した以上、使いたくもなる訳です。

自分なりのペースでの映画作り インディーズに目からウロコ

昨年4月に『New York, I Love You』という短編オムニバス映画の1エピソードをニューヨークで撮影しました。全員地元のスタッフでしたが、2日間という短い撮影だったので、それほど大変ではなかったですね。その際、アメリカのシステムが、意外にも僕の撮影法とよく似ていたのに驚きました。

僕はアシスタント歴がなく、学生時代からずっと監督をしてきたので、撮影法はとにかく我流だった訳です。日本でプロになった時、まずそこで色々衝突がありました。俳優さんたちから、「お前の撮り方は変だ」とか、「ドラマの撮り方を知らない」とか、色々叱られました。ですが、逆に僕からすると、彼らの言っている撮り方が、どうしてもいいとは思えなかったので、この我流に磨きをかけ続けてきた訳です。するとまるで同じシステムがアメリカにもあった訳です。この件に関しては、やはり日本のやり方はかなり奇妙です。自分を疑わなくて良かったです。

自分のやり方は、信じた方が勝ちかも知れません。「人と違う」というのは、僕らの仕事の場合、最大の強みになり得るので。人となんか競い合わない方がいい。マラソンに例えれば、時々他の人とすれ違うけど、自分のコースには誰もいない、というのがいい感じです。人と違うなら、そこまで違った方がいい。

自作の中で一番の大作映画となった『スワロウテイル』では、当たり前ですが、現場にたくさん人がいました。いかにも「映画の現場」という雰囲気です。ですが、実は個人的にはその姿に、いささかの疑問を抱いていました。そもそも映画作るのに、こんなに人がたくさんいる必要があるのか? 現場のスタッフはもちろん一生懸命やってくれてる訳ですが、監督にとっては身の丈に合ったサイズというのがある訳です。僕は、少数精鋭の方がモチベーションを維持できるタイプで、以後、ずっと小さなチームで映画を作ってきました。

ニューヨークでの撮影は、それでいうと久しぶりの大所帯でした。もちろんスタッフの質は高いし、言うことはないんだけど、やはりそれだと肝心の自分のモチベーションが維持できないんです。わかりやすく例えると、引っ越しの時に業者に完全に委託した方がいいか、自分で家具を運んだ方が楽しいか?こんな違いがあるわけです。僕の場合、自分でも家具を運びたいタイプなんですね。全部お任せでは楽しくない。美容院に来ているみたいに、かゆいところに手が届き、何でも至れり尽くせりの手持ち無沙汰な現場では、逆にしんどいです。こういう点では、アメリカのシステムも必ずしも僕の理想と合致するものではないし、その辺りは、常にカスタマイズが必要ですね。

元々日本で映画を撮っていた時も、学生時代の映画作りに戻りたかったところがありました。自由奔放に映画を撮れていた時の方が、やはり楽しかった。産業のための映画作りと、自分がやりたいことのための映画作りは、どこかで相容れないんです。好きだから作る、という純度の高いモチベーションに立ち返る。プロフェッショナリズムみたいなものを捨てないと、その純度が上げられないなら、そうした方がいいかな、と。

でもアメリカは、さすがDIY精神に溢れていると言うか、インディペンデントに映画を作っている人たちもたくさんいます。そして、それなりにビジネスとしても成り立っている。そういうところは本当に凄いと思うし、こんな僕にとっても居心地の良さを感じます。

映画やアニメは、途方もなくお金がかかると思いがちですが、原点に立ち返ればそんなことはないはず。それは先達たちが自分たちの利権を確保するために誇張し過ぎた部分が多大にある訳で。もし1人でアニメを作ったら、予算は0円です。こういうことに憧れるんですね、僕は。0円にではなくて(笑)、未だ誰も発想をしていないことに、です。

音楽のようにイマジネーションが刺激される映画を作りたい

『New York, I Love You』の撮影現場で、オーランド・ブルームとのツーショット

もともとハリウッド映画のような大作が撮りたくて、ロサンゼルスに来た訳ではありません。自分の作風と作品サイズに合った映画作りをしていきながら、日本だけじゃなくて、色んな国の人たちと映画を撮っていきたいと思って、その皮切りに英語が通じるアメリカに来た、というところがありますね。

ロサンゼルスに住んでも、やはり根っこでは全然日本人。日本で培ったものを表現したいというのが根本にはあるし、そこから離れてしまうと何も作れなくなると思います。これから作る作品も、そういう意味では今までとあまり変わらないし、変われないのかもしれません。

自分ではドラマを作っているという意識はないんですよね。話の展開より、2時間で何かのエモーションが動くといいな、というような。自分の中では音楽みたい。
 
(2010年1月1日号掲載)

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