映画『TOYO’S CAMERAJapanese American History during WWⅡ』すずきじゅんいち監督

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日系人の歴史を伝えるドキュメンタリー映画が公開
『TOYO’S CAMERA
Japanese American History during WWⅡ』
 
第二次世界大戦中の日系アメリカ人の歴史を綴ったドキュメンタリー映画が完成した。真珠湾攻撃により、敵国・日本のルーツを持つ12万人の日系人が収容所に入れられたことは、日本ではあまり知られていない。そこでの生活を写したカメラマン、宮武東洋氏の写真を手がかりに、苦悩と決断の歴史を紐解いた注目の作品だ。
 

この作品を手がけた
すずきじゅんいち監督インタビュー

 
日系人の歴史を
中立な視点で描きたい

ロサンゼルスに来て8年目になりますが、渡米前から収容所のことは知っていました。でも何か絵空事のような感じがしていて、リアリティーがなかったですね。収容所を描いた映画は日系人によってたくさん作られていましたが、それを見ても「過去にとらわれず、もっと未来のことを描くべきじゃないか」とさえ思っていました。
 
今から3年ほど前、ある日系2世の女性と知り合い、収容所での体験を聞く機会がありました。ツールレイク収容所に入っていたそうですが、当時はまだティーンエイジャーで、彼女自身はそれほど辛い記憶はなかったそうです。でもその後、父と姉は日本に戻ってしまい、母と2人、アメリカに残るという家族離散状態となり、父は日本で亡くなり死別するという、ドラマのような現実の話を聞かせていただいたのです。「これは大変な問題だったんだ・・・」。たくさんの写真や資料を見ながら実体験を聞くうちに、日系人が持つ深い心の傷や、収容所にこだわらざるを得ないことがわかってきたのです。
 
ただ、彼らの映画で物足りなく感じるのは、中立な視点。どうしても被害者的な立場で描いてしまうため、その一面が強調され過ぎている感じが拭えません。私のような第三者が、日本人として違う目線から描くことで、この事実をより多くの人に正しく伝えられるのでないかと思い始めました。でも、戦争体験者である日系2世の人たちは80代以上の年齢。映画を撮るなら、そういう人たちの生の声を聞けるうちに早く作らなければならない。ビジネスという観点よりも、後世に伝え残したいと決意して始めたんですね。
 

収容所の生活を伝える
宮武東洋の写真

当時の貴重な記録は、収容所で暮らした写真家、宮武東洋さんが残した写真を借りられるかどうかにかかっている。まずは、東洋さんの息子、アーチー宮武さんに会いに行きました。アーチーさんは子供時代、家族と共にマンザナー収容所で暮らした方。当時の話を色々聞かせてくださいました。父の東洋さんは、持ち込みを禁じられたカメラのレンズを隠し持ち、同じ収容所に入った大工にカメラのボディ作成を頼んで、手製のカメラを作り上げました。いつもアーチーさんに、「二度と起こってはならないこの事実をカメラで記録するのが、カメラマンの務めだ」と話していたそうです。
 
アーチーさんには映画の主旨に賛同いただき、貴重な写真を1500点ほどお借りすることができました。東洋の写真は何が素晴らしいと思いますか?彼はたくさんの人の写真を撮りましたが、どれも笑顔が素晴らしいんですね。これは、撮影している東洋さん自身が、写真が好きで、撮るのが嬉しいというのが伝わるからなんでしょうね。普通は団体写真でみんながとても自然に笑っているなんて、なかなか撮れないですから。彼はもともとリトルトーキョーにある〝写真館のおやじ〟で、人に喜んでもらうためにいい写真を撮り続けてきた人。写真館を始めてすぐの頃、お金を取らずに写してしまうので、困った奥さんがマネジメントを始めたそうです。取材で「東洋さん」の名前を出すと、「思いやりのある親切な人だった」と、皆さん協力的に話してくれました。
 
収容所に入った人たちは厳しい生活環境にショックを受けますが、勤勉さと努力で生活を整えていきました。1世の親たちは、なるべく子供が日常的な生活を楽しめるよう苦心したそうです。東洋の写真の中には、野球大会やクリスマスパーティーなどの場面もたくさんあり、そこには人々の笑顔やたくましい生活が写し出されています。そんな様子が伝わるのも、東洋の写真の力があったからだと思います。
 

過去の遺産を描くのでなく
未来を考えるきっかけに

宮武東洋の写真のほかに、ワシントンの国立図書館など多くの場所へ出かけて、当時の記録や映像を集めました。撮影は2カ月半でしたが、100カ所以上の施設や団体へ資料の使用許可などを依頼し、完成には約1年かかりしました。タイトルが「TOYO’S CAMERA」となっているため、東洋の生涯を描いたものだと思われることがありますが、そうではありません。この映画で伝えたいことは、東洋の写真を通じて、第二次世界大戦下に日系人がどういった状況に置かれ、どんな決断をしたのか。このようなつらい体験は、自由の国アメリカではもちろん、世界中で二度と起こってはいけないということです。
 
アメリカ人も日本人も、こういう歴史を知っている人はかなり少ないでしょう。この映画は日米両方で公開されますが、ぜひ色々な人に見てもらいたいですね。昔の話ではなく、あなたたち自身の現代の話ですよ、と伝えたい。過去の遺産を描くのではなく、未来に向かってどう生きるのかを考えるきっかけになればと思います。
 
 
 
 
●プロフィール
すずきじゅんいち 映画監督。1952年神奈川県生まれ。日活株式会社を経て84年からフリーランスとして『マリリンに逢いたい』(88年)、『砂の上のロビンソン』(89年)などのヒット作を監督。90年に文化庁派遣によりニューヨーク大学大学院、映画学科客員研究員。これまで22本の長編映画を監督、11本映画をプロデュース、13本の映画シナリオを執筆。2001年よりロサンゼルス在住
 
 
 

戦争の苦難を乗り越えた
日系アメリカ人の歴史

日本人がアメリカ本土に移住したのは1869年。90年代より本格的に移民が始まり、勤勉な日本人は努力の末、アメリカ国内で足場を固めてい

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