ライトハウス
Magazine Information

ライトハウスの特集

アメリカでの教育・進学、ビザ・法律、市民権・永住権、観光・レジャー、求人・仕事、グルメ・レストランなど、現地情報誌「ライトハウス」の過去の特集をご紹介。

戦後の新時代を築いた
団塊世代の生き方(3)

Lighthouse編集部

戦後の貧しい日本に生まれ、ベビーブーマーとして常に厳しい競争にさらされてきた団塊の世代。日本では還暦や退職など、人生の節目を迎えている彼らだが、今、何を思い、これからの人生をどう考えているだろうか。


オールウェイズ・ステイ・ハングリー
自分の心と対話しながら生きる
[ 酒井真弓さん ](さかいまゆみ)

1949年、東京都生まれ。中央大学法学部卒業。
「女子大生亡国論」がささやかれる時代に、次第に
海外に目を向けるようになり、海外研修とアメリカ横
断1人旅を実行。PR会社に就職後、75年に駐在
員として渡米。81年から10年間、JBAで海外進出
企業をサポートする。自分にしかできないサービスを
提供したいと思い、91年MSリサーチを設立。
JETROなどの公的団体を始め、これまでサポート
してきた日米企業は約100社。地域再開発やイン
ターネットビジネスなど、独自のアイデアを活かした
新規事業にも積極的に取り組んでいる。

幼少期〜大学生時代
◎アメリカ1人旅で確信したこと

 
競争率が高く、大学受験には苦労しました。無事入学できたものの、学生運動が激しく、機動隊が常駐し騒然とする中で学生時代を過ごしました。思想の違いから校内で人が殺されたり、授業も休講になったり。私も例に漏れず、反米、半帝国主義を掲げた学生運動に参加していました。もちろん、今では社会主義は間違いだったと思っています。
 
「女子大生亡国論」なんてものがささやかれ、22歳で卒業する新卒女子を雇っても、24〜25歳で退社するから会社の負担になるだけと、女子大生の就職先は事務職や中小企業に限られていました。真剣に仕事をしたいと思う人には生きにくい時代でしたね。そんな閉塞感から、海外へ目を向けるようになったのです。
 
大学を卒業した年に、国際インターンシップ制度を利用し、アメリカで3カ月間研修しました。その後3カ月間、長距離バスで放浪の旅に出ました。乗り合わせた人たちは、裕福でもないのに私にごはんを食べさせてくれたり、優しい人ばかり。その時、アメリカの方が自分に向いていると肌で感じましたね。それからは、海外に突破口があるような会社に絞って就職活動をしました。

渡米時
◎積極的に新しい道を進む

 
社員が70人ほどのPR会社に務めて3年後、1975年に駐在員として渡米しました。あの頃は、会社に行くのが楽しかった。でも81年に会社がなくなり、クライアントだったJBA(南カリフォルニア日系企業協会)に就職。10年間、海外進出企業のサポートに従事しました。
 
そのうち、好き勝手に仕事をしたいと思うようになって(笑)。自分が良いと信じるサービスを提供したいと独立しました。特に明確なビジョンがあったわけではないので、未熟な時代がずいぶんありました。経験を積みながら何が求められているのか、自分にしかできないサービスは何かを学んでいきました。自分でビジネスをする限り、新しいことにチャレンジして、脱皮していかないと長続きしません。「仕事を続ける=勉強し続ける」ことですね。
 
独立して何年か経ち、ある電話会社にプレゼンに行った時のこと。担当者が話しかけてきました。その若い女性は、以前私の会社に面接に来て不採用になった方でした。つまり、判断する側、される側の立場が逆転していたのです。その時、若い人は自分を超えていく、時代を捉えるには新しい人たちの意見を聞くことが大事だと実感しました。


独立したばかりの頃の自社オフィスにて。常に
チャレンジ精神を持ち、業務に就いた

未来とメッセージ
◎常に自分との対話が大切

 
2年前に、友人がインストラクターを務める「トランジション・ワークショップ」に参加しました。人生の転機をどう考えるかというものです。アメリカ人はそれまでの人生を総括して、次の目標を立てるのがとても上手。目からウロコでした。私は人生について考えるより先に、「このワークショップは日本語でもいけるかも」と自然と仕事に結びつけてしまいました。これからしばらくは、仕事中心の生活は変わらなそうです。
 
プライベートでは、GPSを使ったお宝探し『Geocaching』にハマっています。ウェブサイトに公開された座標とヒントを頼りに、GPS片手にキャッシュと呼ばれる宝箱探しに出かけるんです。バーチャルではなく、実際に隠されている宝物を探すのは夢があるでしょう。
 
現在は、経済がどん底で就職も大変という点では、私たちが生まれ育った時代と一緒。しかし1つ違うのは、団塊の世代は日本の経済と共に成長して来たこと。何もない時代から、テレビが登場し、次は冷蔵庫、洗濯機と生活レベルが向上していった。「明日は今日より良くなる」と、皆信じることができたんです。
 
逆に今は、明日を夢見ることが難しい時代なのかも。でも、アメリカにいるわけですから、「オールウェイズ・ステイ・ハングリー」の精神で自分の道を切り開いてください。アメリカでは、意見の違いを主張しなければやっていけません。それには、常に自分自身との対話が必要。自分は何をしたいのかさえわかっていれば、その手段は自ずと見つかると思いますよ。


1948年、熊本県生まれ。中学時代から音楽に目
覚め、ブラスバンドでトロンボーン、指揮者を経験。
横浜市立大学商学部を卒業後、三協精機製作
所へ入社。海外営業担当を経て、80〜85年まで
アメリカ駐在でトーランスに滞在。帰国後は欧州、
北米を中心にほぼ毎月、海外へ出張の生活をこ
なす。97年に49歳で早期退職し、アメリカの精密
機器メーカーに転職して渡米。2009年に退職して、
現在は将来の活動を計画中。ロサンゼルス郊外の
自宅では、妻と一緒に植木や野菜、フルーツなど
数十種類を育てている。

「引退してゆっくりしよう」という考えはない
一生涯何かをやり続けたい
[ 内田泰博さん ](うちだやすひろ)

幼少期〜大学時代
◎中学から音楽に目覚める

 
ベビーブーマーと言われますが、あまり自覚がないんですね。小学校時代には、1学年に11クラスあり、生徒の数は多かったです。3人兄弟の次男で、周囲との競争より家族内での葛藤が関心事でした。小さい頃にバイオリンを習わされて、遊ぶ時間がなくなるので大嫌いでしたが、中学時代に音楽に目覚め、ブラスバンドに入っていました。トロンボーンをやっていたのですが、ほかの楽器も色々触って吹けたので、指揮者もやって。ギターは大学に入ってから始め、社会人になってからはフラメンコギターが上手い先輩の影響でフラメンコに凝っていました。
 
高校の頃、近くの教会のバイブルクラスで、英語を話す機会はよくありました。外国語大学に行きたかったんですが、先生から「英語だけできても仕方がない」と言われ、商学部に進みました。ちょうど学生運動の最中で、市民組織の運動に参加していたこともあります。でも下宿しながらの貧乏学生だったので、街頭活動とか参加するような時間と金銭の余裕がなかったので、続きませんでした。


渡米期
◎海外営業で身に付いた粘り強さ

 
大学卒業後は、三協精機製作所(現・日本電産サンキョー)に入社。好きだった英語を活かせる海外営業の部署に配属され、日本以外がすべて対象でした。1980年に駐在として渡米し、85年までトーランスに住んでいました。当時、コンシューマー向けの製品が全滅に近い状態で、その事業撤退と、部品事業への転換をするということで送り込まれたんです。ちょうどコンピューター産業でディスクドライブのマーケットが急速に拡大していたので、モーターの販売がヒットして大きく売上を拡大できました。
 
帰国後はほぼ隔月、メジャークライアントがあるスコットランドを中心に、欧州から北米を2週間出張で回る生活でした。海外との取引ではクリアしなければならない問題が色々出てきますが、そういったなかで身に付いた力は諦めないこと。それと好奇心ですね。「何でだめなの?こっちの国ではいいのに、そちらの国ではなぜだめなの?どうしたら使えるの?」と追求していくと、道が見えてきます。
 
三協精機はカードリーダーメーカーとしては世界一のシェアで、銀行のATMやセキュリティー関連などで利用されています。「やるからには世界一を狙おう」という企業目標の下に、社内のチームワークで到達できた結果ですね。日本には、小さいけれど地道な努力で業界ナンバー1という隠れた優良企業がほかにもたくさんあって、これはとても誇れることだと思います。
 
50歳を目前にする頃、早期退職の希望を募る通知がありました。これからの展開を考えると、海外で何かやりたいという気持ちもあり、それならこのタイミングしかないと決意しました。運良くアメリカ西海岸の精密機器会社に転職が決まり、97年に渡米しました。アメリカへの移住は特に抵抗なかったですね。郊外に自宅を構え、そこをオフィスにして全米へ営業に出向きました。


妻の美恵子さんと一緒に家庭菜園に精を出す。
イチジク、リンゴ、バナナ、トマト、キュウリ、ミョウガ
など季節ごとの収穫が楽しみ

未来とメッセージ
◎何かで1番になる


前職の仕事の区切りのタイミングに退職しましたが、引退してゆっくりしようという考えはあまりないんです。これからも生涯何かをやり続けたいと思います。妻がNPOを作っていて、「子供たちにアートを通じて夢を実現する機会を設けよう」というコンセプトで、これから活動をしていく予定。その運営をサポートしたいと思っています。子供向けのアートギャラリーを作りたいとい
う夢もあります。もし、企業で働ける縁があれば、違う業界にもチャレンジしてみたいですね。

若い世代の中には、平均であることを求める人が多いように思います。でも、自分は何かの分野では1番なんだという部分を作ってほしいですね。自分が1番かどうか知るには周りをよく見なきゃいけない。日本には、ある特定の分野で世界一になっている企業はいっぱいあるし、それは気持ちを持ち続けることにより達成できるのだと思います。


読者アンケート

在米の団塊世代に聞きました
これからのライフスタイルと夫婦関係は?

◎今後の生活拠点

アメリカ 65% 未定21% 日本7% N/A7%


◎今後のライフスタイルは?

●自分優先の生き方「。量」より「質」を重視した人生を送りたい。
(ケイさん・55歳・女性・オレンジ郡在住)

●ア パート経営者です。自分のできる範囲で仕事をしており、いつがリタイアかわかりません。今後は経済面の問題を、気力があるうちに片付けなくては…。
(オコトカヨッコさん・61歳・女性・アーバイン在住)

● 時間に追われず、のんびりと暮らしたい。
(Michiko Goodwinさん・60歳・女性・トーランス在住)

● 退職後は家にこもらず、ボランティアをしたいです。健康を考え、運動量も増やしたい。
(T2さん・56歳・女性・ロミータ在住)

● 身体と精神が許す限り仕事をしたい。退職後も何らかの形で社会貢献できればと思います。
(ヒロコさん・56歳・女性・グランデール在住)

● ハワイへ移住することで、物を極力なくしシンプル生活へ戻る。
(シュンイチさん・59歳・男性・バーバンク在住)

● 身体が動かなくなるまで現役でいたいですし、死ぬまで勉強。ですから、人生への取り組み方は変えません。でも、快適に暮らせるスタイルがあるのなら、積極的に取り入れたいですね。
(マイクさん・58歳・男性・ウィッティア在住)


◎これからの夫婦関係や時間の過ごし方

● 孫がもうすぐ産まれ、今後は子守りのスケジュール調整を考えています。ボランティアもしたいですし、日本以外を旅行したいですね。
(Nobuko Smithさん・62歳・女性・ビスタ在住)

● 互いに、好きな趣味に時間を取るようになりました。共通の趣味を1つだけ持ち、ほかはそれぞれ、好きなことに集中しています。
(師匠さん・56歳・男性・ロミータ在住)

●こ れからは、夫婦で色んな所に旅行に行き、共通の感動、経験、思い出を作っていきたい。
(waduckさん・57歳・男性・ダイアモンドバー在住)

● 再婚し、現在3歳と4歳の子供がいます。まだまだ子育て! 日本とアメリカを行ったり来たりの生活も変わりません。
(マットさん・61歳・男性・トーランス在住)

● 気持ち良く生活できる方法を2人で考え、互いの問題には干渉しない。相談が来れば応じる。自由な考え方や行動を尊重し、見かけや体裁を構わない生き方が私の理想です。
(テリーさん・60歳・女性・モントレーパーク在住)

●テ ィワナに家を買ったので、夫はメキシコ、私はアメリカと離れている時間が多くなりました。すると逆に、一緒の時間を大切にするようになりました。
(ポチくんさん夫妻・夫71歳・妻51歳・ガーデナ在住)

● 駐在員ですので、いずれ日本で退職を迎えます。その後は、自分で会社を立ち上げるつもりですから、今の延長線上で暮らすでしょう。やりたいことがある限り、ずっとやっていきたい。
(マックス・ヤマザキさん・57歳・男性・トーランス在住)