本誌紹介

最新号特集

再開発で生まれ変わる

リトルトーキョー

日米関係の浮き沈みや時代の移り変わりと運命を共にしながら、120年以上にわたり、日本人や日系人の暮らしを支えてきたリトルトーキョー。今再び新しく変わろうとしている。

めまぐるしい変化を辿った
リトルトーキョーの120年

瓦屋根と植栽が日本的な高野山米国別院

 1885年にチャールズ・カメという日本人元水夫がロサンゼルス・ストリートの一角にレストランを開いたことから始まったリトルトーキョーの歴史。その後、日本からの移民によって栄えた同地は、第2次世界大戦時に12万人もの日本人が強制収容所に送られたことにより、廃墟となる。人種差別や緊張感が緩やかになった50年代に再建され、60年代末期からは日本の高度成長で、日本企業の出資によるビジネスが次々にオープン。70〜80年代にかけては、日系企業の進出が盛んになり、80年代後半のバブル時期には日本からの観光客目当てのビジネスが過熱化。それに伴い、日系2世や3世を含めたアメリカ人たちがリトルトーキョー離れをする結果となった。
 90年代にバブルが崩壊すると観光産業は衰退の一途を辿り、2001年にニューヨークの同時多発テロが起きた後は、都市開発の巨大プロジェクトが中断し、客入りの少ない観光施設や空き店舗が目立つ街となった。こうして、めまぐるしい変遷を辿ったリトルトーキョーは、近年活発化してきたダウンタウン全体の再開発と共に、再び勢いづく。オフィスデポやスターバックス、アメリカン・アパレルなどの米系ビジネスがオープンし、日系レストランで食事を楽しむ地元客やアジア系の観光客が増えるという新しいステージを迎えている。

地元やアジア系顧客が倍増
飲食チェーンも注目のエリア

リトルトーキョーを訪れる人を歓迎してくれ
るかのような壁画

 カレーハウスやマルカイ、牛角を誘致したことで知られるセブンスター不動産のフランク・オダさんに、リトルトーキョーの不動産事情を聞いてみた。
 「以前は『リトルトーキョーはダメだ』という声を聞きましたが、週5日しか稼動しないダウンタウンの他のエリアに対し、週7日間、途切れることなく人通りがあるのはリトルトーキョーだけです。今や、ここを訪れるアメリカ人やアジア系の人の数は倍増。こだわりのある飲食店はランチもディナーも予約で埋まり、しっかりビジネスとして成り立っています」。
 昔は、米系大手ファーストフード・チェーンなどはどこも興味がなかったが、今では「リトルトーキョーに出店したい」との声が相次いでいるそう。
 近年は、アパートやロフト、コンドミニアムなどが次々と建設され、住民の数も右肩上がり。小売やオフィス物件の賃貸料は上がり、空きスペースが急激に少なくなってきている注目のエリアなのだ。賃貸料はオダさんいわく、「小売スペースであれば、1スクエアフィートあたり、約2.75ドル。サイズが大きくなると交渉の余地もあります。オフィスとしてレンタルするなら、1スクエアフィートで約1.75から2ドルとなります」。また、今後、レストランをオープンするなら、アメリカ人向けの朝食が食べられる店が狙い目だとか。
 「リトルトーキョーには、アメリカ人を相手に朝食やブランチを出せるお店が一軒もないので、地元の警察官や市庁舎のエンジニアなどに人気が出ると思いますよ」とオダさん。

開発の中で尊重すべき
日系人の歴史と文化遺産

「日本人だけでなく、多くの人が訪れる
街づくりを目指していきたいです」
と亀井さん

 こうして開発が進められている傍らで、古いものを保存しようという動きも見られる。
 「明治生まれの1世たちが残してくれた大事な遺産を永久に伝えていきたい」という願いから発足した小東京協議会は、リトルトーキョーに関係の深い100以上の地元住民団体、ビジネス、企業団体、その他の非営利団体の代表をメンバーとし、日系人が一丸となって州や市に積極的に働きかけている。会長の亀井敏彦さんは語る。
 「協議会で作成した『小東京計画設計指針』では、新旧建物のデザインや大きさの調和、ビルや店舗の正面のデザインや標識、歩道の幅、望ましい草花や樹木の種類、照明にいたるまで、リトルトーキョーのあり方を細かく規定し、今なお残っている施設や行事、慣習、文芸、芸能、食文化、言語などの文化遺産を尊重して、開発計画に取り入れることをうたっています。今後、リトルトーキョーの周辺ではいくつもの住居関連プロジェクトが進められると思いますが、移り住む日本人以外の人たちを温かく迎え入れながら、このように保存努力を続けることによって、日本人町の伝統を長く残していきたいと願うのは、私1人ではないと思います」。

日系人の歴史を語り継ぎ
本当の意味での国際化を願う

全米日系人博物館には、戦争中の貴重な資料や
収容所での写真などが数多く展示されている

 戦争を経験した2世たちの思いで建てられた全米日系人博物館では、日系人の歴史にまつわる展示や教育を行っている。
 「戦後61年を経て、博物館に来るお客さんも変わりましたね」と語るのは、同博物館のマネージャー、渡辺美津重さん。
 「1世から日本の文化を受け継いだ2世は、戦争で米国に忠誠を誓わなければならなかったんです。その子供である3世、4世は日系社会から離れてしまい、日本語を話せない人も多いのですが、自分たちの子供を日本語の幼稚園に入れるのです。すると、その幼稚園の先生たちが、日系人の歴史を学びに博物館を訪れるようになる。新しいサイクルですよね」。
 また、ブラジルなどから日本に渡った移民の子供が、自分たちのルーツを知るために博物館を訪れることもあるとか。
 「日本は移民に対して閉鎖的ですよね。外国人は、無意識のうちに、自分とは違うものだと思っている。日系人が60年前に米国で味わったことが、今の日本で行われているのです。『戦争が悪い』というのは子供でもわかること。戦争強調ではなく、他の国の人々と理解しあうこと、共存しあうことを学ぶのが本当の国際化だと思います」と渡辺さん。日系人の歴史を学ぶことが、本当の意味での国際化につながっていくのかもしれない。


■取材協力
Seven Star Realty, Inc.
327 E. 2nd St. Ste 222
☎213-625-2853
Little Tokyo Community Council
www.ltcc.janet.org

Japanese American National Museum
369 E. 1st St.
☎213-625-0414
www.janm.org