ライトハウス
Magazine Information

ライトハウスの特集

アメリカでの教育・進学、ビザ・法律、市民権・永住権、観光・レジャー、求人・仕事、グルメ・レストランなど、現地情報誌「ライトハウス」の過去の特集をご紹介。

アメリカで活躍する日本人女性(1)

Lighthouse編集部

色んな人種がさまざまな夢を持って生きるアメリカ。
謙虚さやおとなしさが通用しないこの社会に、夢に向かってひたすら前進する日本人女性の姿も多くある。たくましく活躍する彼女らの、進行形の生き方にスポットを当てた。



ブロードウェイプロデューサー/吉井久美子さん

1987年ニューヨーク市立大学に留学。卒業後、法律事務所でパラリーガル職、投資銀行のM&A金融アナリストなどを経て、97年にゴージャス・エンターテインメントを設立。現在、ブロードウェイプロデューサー、映画や特別イベントのプロデュースなど、多分野を手がける。また、宮本亜門や蜷川幸雄演出の日本作品の米国招聘、日本企業によるミュージカル投資や招聘・ラ
イセンス案件のコンサルテーションも手掛ける

やっと見つけた仕事だから、絶対に手放したくない

金融界からブロードウェイを目指す
アメリカに初めて来たのは、高校の交換留学でした。帰国後は、テンプル大学日本校に入学しましたが、せっかくアメリカの大学の日本校に入ったのだから、やっぱりアメリカで卒業しようと決心しました。選んだ留学先は、ニューヨーク。昔からミュージカルが好きだったからです。実は高校卒業後、母と一緒にニューヨークに来て、初めてブロードウェイミュージカルを見たのです。その時は、将来はブロードウェイで仕事がしたいなんて野心は、これっぽっちも持っていなかったのですけれど。

大学卒業後も、エンターテインメントの仕事をすることはまったく考えていませんでした。というより、そんな仕事に就けるなんて思ってもみなかった。卒業後、法律事務所に就職してパラリーガルの仕事をしたのですが、これも「実社会で経験を積んだ方が、日本で就職する時に有利かも」という、単純な考えからなんです(笑)。その後、M&Aのアナリストにならないかというお話をいただいて、金融業界でしばらく仕事をしました。それまでウォール・ストリートに対する関心はまったくなかったのですが、そういう世界を垣間見るのもいいかなと思って。そうしたら、会社のオーナーの妹がブロードウェイの脚本家で、会社もアートやエンターテインメントとの関わりが深く、ブロードウェイに投資したなんて話が、ミーティングで度々出てくるわけです。それまでミュージカルは趣味で見ていたのですが、ここで初めて、ウォール・ストリートとミュージカルがお金を接点につながっていることに気が付いたのです。ミュージカルをどうしたら仕事にできるのか、それまでは見当も付かなかったけれど、ビジネスの側面からなら私にも何かできるかもしれない。ブロードウェイで仕事がしたいと、この頃から真剣に考えるようになりました。

無駄な時間もすべてが貴重な体験
でも、コネもなければ、業界で働いている知り合いもいない。ガイドラインはまったくないわけです。それでとりあえず、「ブロードウェイで仕事がしたい」って人に言いまくったんです。大抵の人には、「へえ、そう」とか、「グッド・ラック」って軽くあしらわれただけでした。でも、しつこく言い続けていると、「私の弟の知り合いが脚本家してるわよ」とか、「お隣の親戚がプロダクションに勤めている人だって聞いたことがある」とか、情報をくれる人が出てくるわけです。そういう話を聞いた時は、すぐに会いに行きました。1年ぐらいそういう状態を続けたでしょうか。小さなプロダクションを立ち上げる、という人と知り合うチャンスに恵まれ、アシスタントをやらせていただけることになったのです。

と言ってもブロードウェイではまったくの素人ですから、電話番やコピー取りなど、アシスタント業務ばかり。しかも、フルタイムで雇うお金はないというので、週に2〜3日のアルバイト雇用でした。それでは食べていけないので、M&A専門誌の仕事や経営コンサルタントのマーケティング等の仕事とかけ持ちで頑張りました。

その後、きちんとエンターテインメントの勉強をした方がいいと思い、ニューヨーク市立大学大学院のパフォーミングアーツ・マネジメントの修士課程に入学。仕事を2つかけ持ちながら、夜大学院に行く生活が続きました。この時はさすがにつらかったですね。修士取得に6年もかかってしまいました。

フリーランスで映画を1本プロデュースした後、1997年にプロダクションを立ち上げました。大学で演劇を専攻し、そのまま業界に入る人も多いのでしょうが、私の場合は行き当たりばったり。無駄な時間もいっぱい過ごしてきました。でも、色々な仕事をした経験が今、役に立っているんですね。


タイムズスクエアを見下ろすオフィスにて

「ノー」と言われた時が私の真価が問われる時
この仕事で1番重要なのはコミュニケーションだと思います。ミュージカルの中心にあるクリエイティブな部分を、いかに投資家などに「翻訳」できるかが勝負です。相手の立場や経験、志向を把握して、どうすれば伝わるか考える。相手に「ノー」と言われた時に、プロデューサーの真価は問われると思うのです。「ノー」と言った人にどうやって「イエス」と言わせるか。ブロードウェイというと華やかな世界のようですが、日々の仕事は交渉事や書類のやり取りばかり。でも、そこに面白さがあるし、私は「アート」を感じています。

仕事は確かに大変ですが、苦労だと思ったことはありません。やりたいことをやっているわけですから。一生この仕事を続けて行きたいし、生まれ変わっても、まったく同じ道を歩くと思います。やりたい仕事に出会えた、というのは幸せなことですよね。私にはこれしかない。代替案、プランBはないんです。紆余曲折の末、やっと見つけたものだから、絶対に手放したくないのです。

周りは壁だらけでも必ず抜け道はある
アジア人女性がこの業界で仕事をするのは、確かに大変です。でも私は、これをマイナスだと考えるんじゃなくて、ポジティブに捉えるようにしています。例えば、珍しいから差別されることもありますが、1度会ったら覚えてもらえる。壁にだって何度もぶつかります。と言うより、周りじゅう壁だらけ(笑)。でも、360度ぎっしり壁に囲まれているわけじゃない。辛抱強く探せば、抜け道は必ず見つかります。

次の目標は、ロンドンのウエストエンドでミュージカルを上演すること。ブロードウェイと並ぶ重要な拠点なので、近い将来進出したいと考えて、今準備を進めています。そしてこれからも、優れた作品をたくさん世に出していきたい。日本でも、ミュージカルをたくさん上演できればと思っています。


オーガスト・ネットワークス・インク代表/西村由美子さん

神奈川県生まれ。お茶の水女子大学大学院人間文化研究科博士課程修了。実践女子大学などの非常勤講師を経て、1989年に渡米。91年よりスタンフォード大学アジア太平洋研究所で、医療問題の国際比較研究を
手がけるプロジェクトの立ち上げに参画し、研究員からプロジェクトマネージャーまでを歴任する。2004年、シリコンバレーに新規ビジネスのプロダクションAugust Networks, Inc.を設立し、現在は起業コンサルテーション、企画、プロデュースなどの分野で活躍中

本当にやりたいことだったら「どうやってやろう」とだけ考えます

実質的にはシングルマザー、娘と2人のアメリカ暮らし
日本の大学と大学院を卒業した後、大学で講師をしていましたが、夫がカリフォルニアに転勤になったのをきっかけに、1歳10カ月の娘を連れて、泣く泣く仕事を辞めてこちらに転居しました。その後、スタンフォード大学から声をかけていただき、医療社会学を研究することになりました。

夫は3年の任期を終えて帰国したのですが、1人娘をアメリカで育てようと、私は娘とアメリカに留まりました。娘をこちらで育てたいというのは、夫の強い希望でもありました。夫は、日本での私の苦労を見て、「女性は教育を受けるのも仕事をするのも、アメリカの方が楽でチャンスがある。のびのびと良い仕事ができる」と考えたのでしょう。端的に言えば、娘には私と同じような「女であるが故の余計な苦労」はさせたくない、と考えていたのだと思います。

私が日本で大学を卒業したのは70年代ですから、当時の女性差別は今とは比較にならないほどひどいものでした。差別された経験を挙げたらきりがないほど。それに比べると、アメリカの職場はびっくりするぐらい差別がない。ガラスの天井は確かにあるかもしれないけれど、私は公平な上司に恵まれて、本当に働きやすい職場でした。

もちろん、実質的にはシングルマザーなわけですから、大変なこともたくさんありました。でも、私は問題にぶち当たっても、1度も仕事を辞めようとは考えませんでした。どうしたら続けられるか、そういう風に考えました。楽天的なんでしょうね。

苦節8年、やっとできた福祉施設
仕事以外のことでも同じ姿勢です。何かしたいと思った時に、「そんなことできないよ」と他人に言われても、「できないのかぁ」とは考えないのです。「できるか」「できないか」という問いもしません。本当にやりたいことだったら、「どうやってやろうか」とだけ考えます。

日本にアメリカにあるマクドナルドハウスを作りたい、と思った時もそうでした。マクドナルドハウスというのは小児病院の隣にある福祉施設なのですが、この時も「やりたい」と言ったら、色んな方に「無理だ」って言われました。シカゴのマクドナルド財団から提示された条件は、日本のマクドナルドが協力すること、優れた病院と提携すること、そして永続するに十分な資金を集めることのできるボランティア団体を組織することの3つ。どれもハードルが高いでしょう。でも、諦めませんでした。日本マクドナルド創業者の藤田田さんに話をし、協力を取り付けて、財団を立ち上げてもらい…。何だかんだで最初のハウスができるまで、思い立ってから8年もかかりました。

結局、スタンフォードには14年いましたが、娘の大学進学を機に「これからはやりたいことをやろう」と、マネジメント会社を設立しました。企画、調査、コンサルティングなどを手がけるプロダクションです。日本でもスタンフォードでも研究者として仕事をしてきましたが、研究者の仕事って世の中にない新しい何かを生み出すことですよね。それをビジネスの世界でやってみたかったのです。現在は医療関係からソフトウエア開発まで、さまざまなプロジェクトに携わっていますが、その1つが子供のためのエクササイズDVDの開発。日本の子供たちの運動不足が今、深刻な問題になっているのですが、それを解決する商品の立ち上げです。


笑顔を忘れず業務に励む西村さん

どんな小さな力でも世の中を変えられる
若い人たちへのアドバイスとしては、焦らないこと。私は、人は誰も存在価値があるから生まれてきたのだと信じています。必ずいつか自分なりの生き方が見つかるし、なるべきものになれる時が来る。だから、思いつめて頓挫しないでほしいですね。そして、ぜひ世界に羽ばたいてほしいと思います。

私自身は、これからはできるだけ楽しく働こうと思っています。それから、世の中にお返ししたい。自分のことだけ、家族のことだけじゃなくて、世の中のためになるようなことを見つけて、積極的に関わっていければと思っています。個人のどんなささやかな力でも、世の中を変えられる。それを教えてくれたのは、アメリカなのです。アメリカってたくさん問題を抱えた国ですが、1人1人が立ち上がって自分でできることはないか探しているし、実際に道が見つかる、そういう社会だと思うのです。それを学ぶことができたから、20年この国に住んで良かった。今ではそう思っています。