ライトハウス
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ライトハウスの特集

アメリカでの教育・進学、ビザ・法律、市民権・永住権、観光・レジャー、求人・仕事、グルメ・レストランなど、現地情報誌「ライトハウス」の過去の特集をご紹介。

夢を実現させた経営者たち(1)

Lighthouse編集部

独立・起業はアメリカンドリームの1つでもあり、日本よりもはるかに一般的だ。しかし、いざ起業しようとしても、不景気な昨今では相当の勇気が必要。ためらう人も多い。今回は、そんな時だからこそ、独立・起業した経営者たちに、彼らの軌跡や今後の展望を前向きに語ってもらった。


飲食店経営
重田光康さん                                 

SHIGETA AMERICA INC.社長
鹿児島県徳之島生まれ。大学卒業後、1988年に渡米。バイト先のオーナーから焼き鳥を学び、ガーデナに「新撰組」をオープン。今年になって初めてオフィスを構える。現在はアメリカで12店舗、日本で1店舗のレストランと建築会社を経営。


会社名:SHIGETA AMERICA INC.
業務内容:飲食業
従業員数:250人以上
創業年:1992年
ウェブサイトwww.shinsengumigroup.com


起業のきっかけ

空手のデモンストレーションを行う重田さん

実家は建設業をしており、私はその跡継ぎ候補でした。しかし、それには物足りず、自分を試したいと思い渡米しました。でも、半年間の英語学校じゃ何にもならず、帰国しても土産話の1つもできない。それではビジネスを始めてみようと思ったのが、起業のきっかけでした。

いずれは日本で建設業をやるつもりだったので、バイトをしながらそれに関連する不動産ライセンスに一発合格。しかし、英語力も信用力もなかったので何もできない。それで、物件売買やリースの過程で掃除が必要と知り、清掃業を始めました。

また、自分の肩書きにインパクトを付けるために空手全米大会で初出場、初優勝という目標を2本立てました。今までの人生の中であれほど努力したことはありません。結果は2つ共達成でき、そのことは今の自分にも大きな糧と自信となっています。

しかし日常は、相変わらずバイトと掃除の毎日。先が見えない状況は何も変わらなかったし、不動産業も性に合わなかった。そうするうちに、自分を売り込んでお金が入る商売、つまりカウンター商売に目が向いたのです。

学生の頃、日本で食べた焼き鳥の美味しさをここでも伝えたくて、当時のバイト先の主人に焼き鳥を教えてほしいと頼みました。修業は2カ月ほどで終わりましたが、オープンする物件が見つかりませんでした。最終的には、渡米当初「ここに焼き鳥屋があったらなぁ」と何気に思っていた場所に、導かれるように決まりました。それが現在のガーデナ本店です。起業の準備期間に1年半以上。資金は、田舎の土地を担保にローンを組みました。

余談ですが、「将来に関係ないと思う仕事でも、その時その時一生懸命にすることが、目に見えない信頼という財産を築き、それが結局は自分の近道になる」と、私はいつも若い人に話しています。当時の私も、「重田はよく働くから、千円出しても安いもんだ」と思われるくらい頑張りましたね。それこそ「王道に近道なし」です。



ビジネス運営のプロセス

「新撰組」オープン当日の鏡割り。
威勢良く、酒樽が割られた

1992年9月25日、「新撰組」をオープン。運転資金が乏しく、働くのも空手仲間の素人でしたが、最初の1カ月は満員でした。しかし2カ月目から、売り上げが3分の1に激減。そこで、「何があっても365日休まずやってやる!」と決心しました。とは言え、従業員に給料を払い、自分も食べていくのが精一杯。ローンも滞納する状況でした。しかし1年後、売上がオープン1カ月目に並んだのです。

それはお客様の声を真剣に受け止め、悪いところは改善していく。当たり前のことを毎日積み重ねていった結果だと思います。オープン当初、私たちにあったのは元気だけ。「大きな声だけで中身がない」とお叱りを受けたこともありましたが、その頃のお客様は今でも来店してくださいます。叱ってくださるお客様ほど大切です。

当時、日本食レストランで週7日間、年365日オープンしている店はなかった。だったら自分でやろう。俺だったらレストランに何を求めるだろう。じゃあ、正月には餅をついて配ろう。その当時1人のオーナーが複数の店を経営することはありえないと言われました。反骨精神と可能性を広げたい一心で、ラーメン屋とちゃんこ屋を同時にオープンしました。私は焼き鳥とラーメンと鍋が大好きなんですよ。自分の好きな物を、好きな味と好きなサービスで提供する。日本では、大好きなスンドゥブをメインにした店を5年前にオープンしました。自分に嘘をつかないからエネルギーが湧くし、後悔もないです。

仲間にも恵まれてきました。博多ホルモンも九州の仲間のレシピを使わせてもらっているし、ラーメンも博多で10年間ラーメン屋をやっていた職人を呼び寄せて、現地の材料で試行錯誤して実現しました。思い通りの味にならなくて、1週間店を閉めたこともありましたね。長いスパンで考えると、信用が1番大事ですから。

ビジネス面では、いかに効率良くコストを抑えるかに徹しています。「セントラル・キッチン」という別会社を立ち上げ、食材を一括で仕入れ、ここで加工した物を各店に配っています。なぜなら、良い物をより安く提供すると共に、スタッフにはお客様へのサービスに徹してもらいたいからです。

リスクマネージメントと言っても、精神論ですよ。当たり前のことを当たり前にする。好景気の時は、理念や理想がわかりづらいし、わかる必要がない。だから逆に、今の方が追い風です。毎日の朝礼、終礼、週1回の店長会議や月1回の全体ミーティングは欠かさず行い、上下に関係なく意見や情報を交換する場を大切にしています。去年からは、アルバイトも含めた全スタッフの声を聞くために、個人面談も始めました。




独立の喜びと苦しさ

若いスタッフを預かる立場として、礼義のない子が挨拶ができるようになったり、気の利かない子にサービス精神が湧いたりした時が、1番うれしいですね。開業2年目のある日、立派に成長したスタッフの後ろ姿を見て、自分の心がサーッと晴れていくのを感じました。「これが俺の天職だ」と実感したのです。つまり、店は商売の場ではなく、人間育成の場とわかったんです。お金を追いかけていた時は何をやってもダメだったのに、これに気付いてからは売り上げがぐんと伸びました。

私の理想は「自然体」。木の実が成長して種が弾けて落ち、発芽して自然と大きくなる。そしてそれが林となり森となり、そこに動物たちが生息して世界ができあがる、そのようなイメージです。会社を大きくしたり利益を追求するのに比重を置くのではなく、成長した従業員に新たなチャンスを与えると同時に、遠くから来てくださるお客様に時間を節約してもらいもっと喜んでいただきたい。そういう思いの結果、店が増えていったのです。

自分のチャレンジとしては、経営は51%で、残りの49%は「まごころ、奉仕の心」です。「世界一の気合いとまごころがこもった店作りと、職場を通じて社会貢献できる豊かな人間育成道場」が私たちの理念です。人間育成に時間と労力を費やし、常にその理想を追いかけるつもりです。

苦しいと感じたことはないですね。何があっても自分が成長する機会、神様がくれたプレゼントだと捉えています。問題が起きると「またきたか」と思いますが、1つ大きくなるための挑戦だと考えると、どう解決していくか楽しくなってくるんです。そんな私は、世界一の幸せ者だと思います。



これから目指すこと

今後のテーマは、「まごころを世界に」。食文化を通じて世界に「心」を伝えていきたいですね。このように私が取材され、私の言葉が誌面に掲載されることで、うちのスタッフはお客様や世間から厳しい目で見られます。でも彼らには、周りからの期待に応える力があると信じています。高い志を持ち、「人間力」の高い人間が伝える「まごころ」こそが、本物だと確信しています。



《成功のポイント3カ条》
1 大義を持つ
2 人間力を身に付ける
3 真実を伝える



キャリアパス
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1988年 日本で大学の土木科卒業後、23歳で渡米
1991年 不動産ライセンス取得、空手全米大会ミドル級優勝
1992年 「新撰組やきとりレストラン」をガーデナにオープン
1994年 結婚
1996年 「新撰組博多ラーメン」と「新撰組ちゃんこ」を同時オープン



(2009年3月16日号掲載)