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現地情報誌「ライトハウス」が過去に取り上げた、アメリカ芸能界ゴシップ情報や、著名人・有名人へのインタビュー記事など。

ライトハウス編集部
ライトハウス編集部

小林三郎・エアバッグ開発までの死闘-その5

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一橋大学院・客員教授の小林三郎さんを迎えて、講演会を開催します。それに先立ち、小林さんがホンダに入社してから、エアバッグ開発までの道のりを6回シリーズで連載します。


ライトハウス20周年記念イベント第13弾
「ホンダ・スピリッツとエアバッグ商品化の秘話を語る」
小林三郎さんセミナー開催
9月3日(木)
5:30pm開場 6:30pm開演

場所:ライトハウス・セミナー会場
2958 Columbia St., Torrance, CA 90503
セミナーは終了いたしました>>



(その5)
「エアバッグ搭載車の誕生」


アメリカでの市場テスト実施

エアバッグの高信頼性を証明するための市場走行確認テストが許可されない。アメリカ・ホンダCEO のAさんに懇願するため、再び渡米した。これで断られたら責任を取ってホンダを辞めようと、まさに辞表を胸にという境地で臨んだ。

Aさんは、なかば呆れ顔で、「何でアメリカが要らないと言っているのにやろうとするのか?」。自分の信じる安全の大切さを必死に訴えることしかできなかった。「今アメリカで年間5万人が交通事故で死亡しています。毎日150 人の方が亡くなっているのです。自動車企業としてできるだけのことをする義務があります」。

最後にAさんは少し怒りながら、「アメリカ・ホンダとお客様には絶対に迷惑をかけないこと」を条件にテストを許してくれた。後日談だが、エアバッグ商品化後、アメリカでは要望が拡大し、装着率がうなぎ上り。日本メーカーとしてエアバッグ初装着のアキュラ・レジェンドは安全での優位性を確保し、販売も好調だった。そんな析、アメリカ・ホンダの廊下でAさんに出会ったところ、「さぶちゃん! エアバッグのおかげでアキュラが好調なんだ。次のアキュラ・インテグラにはエアバッグを100%装着しよう!」。技術屋の気持ちを馬鹿にしやがって、首を締めてやろうかと思ったが、サラリーマンなのでじっと我慢した。今は「間違えてごめんよ」という意昧だったのかなと理解している。

しかしAさんは何故テストを許してくれたのだろう?自分は信じていないし、EVP も大反対したエアバッグのテストをアメリカでやるリスクを負って、自分の責任でOK してくれたのだ。多分、安全はお客様にとっての大切な価値と思っていたことと、私の熱意に反応してくれたのだと思う。他の企業の人に、同じことが起きる可能性はありますかと聞いたことがある。「あり得ない。反対された提案を3回CEO のところに持って行ったら、左遷です」。



量産化判断の経営会議

アメリカでの市場テストも終わり、量産を決める経営会議が青山本社で行われた。開発チーム側からの報告が終わり、関係者約十数名の討論が始まった。リスクの大きさが議論となり、3分の1が量産反対意見を言い、3分の2が消極的反対意見で、賛成は研究所側だけだった。さすがに私もこれまでだと覚悟を決めた時、K社長(前研究所専務・社長)が私に聞いた、「小林さん、エアバッ
グをやると、ホンダに信頼性技術が残りますか?」。私は答えた、「今までにない技術ですから、必ず残ります」。「わかった。信頼性はお客様にとっての大切な価値だからエアバッグをやりましょう」。誰も反対しなかった。

1987 年9月、レジェンドの一部に運転席用エアバッグを装着して発売した。レジェンドを見るとついハンドルに目が行き、エアバッグ仕様車だと思うと、とてもうれしかった。ところが自分ではきちんと作り上げたつもりが、どこかに不安があるのか、時々暴発や不発の夢を見て夜中に飛び起きることがあった。会社でも「あれ本当に大丈夫かい?」と心配する人もいて、私は努めて明るく自信ありげに振る舞っていたが、実は胃が痛くて煙草を止めた。

そして発売3カ月後の12 月10 日、渋谷の東武ホテル会議室でワイガヤ(戦略・本質討論)をしている時に、前橋での交通事故の第一報が入った。「エアバッグが開き、ケガがなかったことに感激し、お客様が再度レジェンドを買ってくれた」。しばらく頭の中が真っ白になって、言葉を失った。体中の血が沸き立ち、身体がカーッと熱くなり腕のどこに血管があるかがわかった。(次号へつづく)



ライトハウス2009年8月1日号


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