遊ぶ
Leisure

USトレンド

現地情報誌「ライトハウス」が過去に取り上げた、アメリカ芸能界ゴシップ情報や、著名人・有名人へのインタビュー記事など。

ライトハウス編集部
ライトハウス編集部

小林三郎・エアバッグ開発までの死闘-その6

最新USトレンド

一橋大学院・客員教授の小林三郎さんを迎えて、講演会を開催します。それに先立ち、小林さんがホンダに入社してから、エアバッグ開発までの道のりを6回シリーズで連載します。


ライトハウス20周年記念イベント第13弾
「ホンダ・スピリッツとエアバッグ商品化の秘話を語る」
小林三郎さんセミナー開催
9月3日(木)
5:30pm開場 6:30pm開演

場所:ライトハウス・セミナー会場
2958 Columbia St., Torrance, CA 90503
セミナーは終了いたしました>>


(最終回)
「エアバッグの成果と意義」


高信頼性の効果実証

1987 年、エアバッグ初の搭載車レジェンドを発売した3カ月後、交通事故の第一報が入った。「エアバッグが開き、ケガがなかったことに感激し、お客様が再度レジェンドを買ってくれた」。

そのお客様、前橋の厨房機器会社のH社長に会いに行った。「ホンダのセールスマンがあまりに熱心なので、ほかの車からレジェンドに乗り換えた。友達から、『ホンダの車なんかに乗って、お前の会社うまくいってないのか』とか、さんざん馬鹿にされた。でも今度のことでエアバッグもただの袋じゃないねと、皆ホンダを見直している。私も鼻が高い」と、感激の対面であった。これ以降、数々のエアバッグ作動があったが、ほとんどのお客様がその効果に満足してくださった。

また、信頼性とは総合力ということで、サービスの信頼性確保にも取り組んだ。具体的には、故障や不良品が出た時でも速く正確に修理して直せるトレーサビリティーシステムを導入した。エアバッグの主要部品にバーコードを付け、どの車にどの番号の部品が付いているのかわかるようにした。費用は全体で6000 万円ほど。量産コストが上がるため現場では相当不評だったが、高信頼性のためにどうしても必要だと何とか納得してもらった。

1990 年11 月にインフレーターの一部に不良品が発生し、お客様に危険があるのですぐに交換するよう要請があった。国内の不良品は12 個。トレーサビリティーシステムのおかけで、お客様がすぐわかり、1週間ですべての車の部品組み換えが終わった。費用は約80 万円。もしこの管理システムがなかったら、その時期に組み付けたすべての車、約5万台のお客様に手紙を出し、車を販売店に待ってきてもらって部品を外し、該当したら部品交換するという作業が必要だった。エアバッグは簡単に外しにくい構造のため、環境とツールが必要で、これらの膨大な作業は約10 億円かかったと予測されている。

品質担当常務のYさんから喜びの電話がかかってきて、「小林さん、あんたの作ったシステム凄いよ。10 億円儲かった。品質関連でこんなに良い話は聞いたことがない。」。私も予想をはるかに越える良い結果になって無性にうれしく、チームメンバーに電話をしまくって喜びを分かち合った。量産判断時の予測、“ ホンダに高信頼性技術が残るか? ” の答えが出た時だった。


エアバッグが成功した理由は何だろう

もうこれで駄目だと思う崖っぷちを、ほとんど落ちかけながら越えた。私は運が良かったと思うが、運だけではどうしても説明できない。社内のほとんどが反対する中で後押しをしてくれたK社長。大反対していたUS エアバッグテストを、自分の責任において許可してくれたAさん。苦しい状況の中で、私と一緒に戦ってくれたチームメンバー。今に必ず量産にするからという私の言葉に、少し懸念を抱きながら付いてきてくれたサプライヤー企業の方々。何故こんな勝ち目のないものに協力してくれたのか? お客様の安全向上という“ 想い” が、大きな潮
となり、壁を乗り越えたとしか思えない。

エアバッグの話をした時、若い人が期待しつつ私に聞いたことがある。「小林さん、もし若返ったらホンダでまたエアバッグをやりますね?」。「もちろん」と言いたかったが、出てきた言葉は、「冗談じゃない、こんなもの2度とやるか!」。本音である。とてつもない苦しみだけで、量産後を除くと楽しい思い出がないからだ。しかし、もし若返ったらオヤジ(本田宗一郎)に肩を叩かれ、きっとまたエアバッグをやってしまうような気がする。そのくらい、あの手は熱かった。



ライトハウス2009年8月16日号


連載その1「ホンダ文化で形成された自己信条」を読む>>