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現地情報誌「ライトハウス」が過去に取り上げた、アメリカ芸能界ゴシップ情報や、著名人・有名人へのインタビュー記事など。

ライトハウス編集部
ライトハウス編集部

【在ロサンゼルス日本国総領事着任インタビュー】
在ロサンゼルス日本国総領事
伊原 純一

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今年4月23日に在ロサンゼルス日本国総領事館に着任した伊原純一総領事。フランスでの留学・勤務や格差激しいフィリピンでの赴任経験を持つ。またペルーの大使公邸人質事件や北朝鮮の拉致問題、湾岸戦争といった難しい問題に関与してきた。アメリカ赴任は東海岸での2年間に次ぎ2回目という伊原総領事に、ロサンゼルスに対する印象や総領事としての役割、今後の抱負について聞いた。


LAも日系人社会も
単純に割れない複雑な社会

外交官を目指された動機は?
大学を出るまでずっと京都で過ごしたので、あまり外国のことを知らなかったんです。テレビの報道番組で外国の特派員のレポートなどを観て、「こういう仕事がしたいな」と漠然と思いました。最初はジャーナリストになりたかったんですが、国内で仕事をするケースが多く、どうしたら外国で仕事ができるのかわからなかったんですね。そこで外交官なら必ず外国へ行くことになるだろうと思って。しかも外交官の場合には、どういう試験があって、何を勉強をしたらなれるかが明快でした。それで外務省に入ったんですね(笑)。

印象に残っているお仕事は?
最初にフランスに4年間いたんですが、その間、今の天皇陛下が皇太子殿下としてアフリカを訪問されて、通訳として1週間以上ご同行したんです。それがすごく印象に残っていますね。

その後、日本に帰って8年間おりましたが、その間に起こった出来事で1番印象的なのは湾岸戦争ですね。その当時は北米一課にいて、アメリカとの関係を担当したんですが、非常に大変でした。

その後のフィリピンは初めての途上国勤務で、社会の格差というのが非常に印象に残っています。同じ家の中に使用人と使用者が一緒に生活するという、日本では普通ないような経験もしました。それから日本に戻って10年いたんですが、その間にペルーの大使公邸人質事件が起こりました。当時、事務次官の秘書官をしていたので、3カ月以上、外務省のオペレーションルームに毎日こもりきりで、人質事件対応に取り組んでいました。

外務省の仕事の良いところは、仕事を通じてたくさんの方にお目にかかれるということ。色々な方のお話をうかがって、強い印象を受けることが多いですね。昔も今も。

それから、外交問題に直面する時、色んなことを考えさせられます。例えば、GATT(関税および貿易に関する一般協定)とWTO(世界貿易機関)を合わせて6年間担当していたんですが、農業貿易の自由化をどうするかという国内政治的に難しい問題に直面して大変悩みました。

ロサンゼルスに来る直前に担当していた北朝鮮との関係では、拉致問題にどう対応するか非常に難しい状態でした。それから湾岸戦争の時の日本の対応も、今みたいにまだ平和協力ということに国内が前向きではなかった時代なので、そういう中でどうやって同盟国としてアメリカに協力していくかということが難しかったです。

外交問題は国内問題と密接に関係しているので、外交問題を通じて日本国内の難しい課題・問題に直面します。これが外務省の人間にとっては、非常に大きなチャレンジなのです。その国内の大きな問題にどう取り組んでいくかというのが、1番大変なところです。

ロサンゼルス赴任が決まってからはどんな準備を?
アメリカには2004年から06年にかけて約2年間、ボストンとワシントンに滞在していました。できればまたアメリカ勤務の機会が欲しいと希望を出していたので、ロサンゼルス赴任が決まった時は非常にうれしかったですね。しかも、今度は西海岸を経験できるということで、素直にすごく喜んでいました。

こちらに来る前に、色んな人の話を聞いておこうと思い、ロサンゼルスで総領事をしていた先輩に話をうかがってきました。歴代11人のうち9人と会ったんですが、全員に1つ共通していたのは、「日系コミュニティーとの関係を大事にするのが基本だよ」というアドバイスでした。

ロサンゼルスの最初の印象は?
総領事館で働くのは初めてでしたので、来てみて忙しい所だなと思いました。着任早々、色んな会合や行事があって、週末も含めて大変忙しいですね。出席すべき行事全部には出られませんが、それでも色んな場にできる限り出ていこうと思っています。

着任して3カ月経ち、色んな方とお会いしていくなかで、次第に新しいことを学んでいます。どこの社会もそうですが、LAは一色で塗り固めることのできない複雑な社会ですし、日系人と言ってもその中にさまざまなバックグラウンドの方がいらっしゃる。あまり単純に割り切って考えることはできないなという印象がありますね。

勇気付けられているのは、リトルトーキョーを始めとして、日系人社会がすごくダイナミックに発展している、あるいはダイナミックに発展する可能性を持っているということ。日系人社会の発展のために、総領事館もできるだけお手伝いしていきたいし、お手伝いしていける可能性があると思います。

それから、日系人社会の発展は日系人の中だけに留まっていたのでは実現しません。そういう意味で、今、拡大しつつある、他のエスニックコミュニティーとの関係を強化しなくてはいけないし、LAの多民族社会の中での発展を考えていかなくてはいけないと思いますね。


領事館を日系社会の
活動の中に巻き込んでほしい

今後の抱負や目標は?
総領事館のできることは、率直に言って限られていると思うんです。そんなにたくさんの職員がいる訳でも、豊富に予算を持っている訳でもありません。総領事館ができることは、さまざまな方々との関係をうまく活用して、色んな方々の力を借り、そういった方たちを応援する、「ファシリテート」することだと思うんです。

例えば、ロサンゼルス郡やロサンゼルス市などと、きちんとした関係を築いていくというのが総領事館として重要だし、そういう関係を築くなかで、日系人のさまざまな団体の方々が、自分たちのやろうとしていることが実現できるよう、総領事館をうまく使っていただければありがたい。こちらにいる皆様が何かをするにあたって、ぜひとも総領事館をうまく巻き込んでほしいと思います。当館もできる限りのことをしていきたいと思います。

日系社会はどんな印象?
外国でこれだけたくさんの日本人が住んでいる街というのは、そうないですよね。それから日系アメリカ人の方々がこれだけまとまって活躍されている場所もないですし。そういう意味でロサンゼルスは日本にとって特別な街。ロサンゼルスの日本人・日系アメリカ人のコミュニティーの存在の大きさというものを、みんなが活用していくことによって、より大きな可能性が生まれていくのではないかなと思います。

JETRO(日本貿易振興機構)や観光振興協会、国際交流基金など、政府系のさまざまな機関と連携するのも大事ですが、JBA(南カリフォルニア日系企業協会)や南加日商、リトルトーキョーのコミュニティーの各種団体、あるいはオレンジ・カウンティーやサンディエゴの方々、そういった日本人・日系アメリカ人の団体とネットワークを作って、横の連携をもっと強化していくことで、いいプロジェクト・仕事をさらに応援していけるのではないかと思っています。

プライベートはどんなことを?
自動車に依存した毎日なので、できるだけ身体を動かさないといけないと、手軽なところで散歩をしています。それから、時々バスを使って移動したり、泳いだり、運動をできるだけしようと思っています。面白い所もたくさんあるので、もっと色んな場所に行ってみたい。まだ南カリフォルニアをよくわかっていないですね。自分の足で、もっと色んな所を回ってみたいと思っています。

ゴルフですか? フィリピンで勤務していた時に、一生懸命やっていたんですが、2回ほどひどく腰を痛めて、それぞれ1週間ずつぐらい動けなくなってしまい、お医者さんから、「ゴルフに向いていないんじゃないですか?」と言われたので、それ以来やっていません。こんな良い天気の下、素晴らしいゴルフ場でプレーするのは楽しそうですし、ゴルフをされる方から「何でしないんだ」とお叱りを受けますが(笑)。

南カリフォルニア在留邦人の皆さんにメッセージを
色んな方にお会いしてお話をうかがい、総領事館として、私個人として、何ができるのか、どんなお手伝いができるのかを考えていきたいと思っています。そのためにも、皆様の方から総領事館にコンタクトしてください。色々なことを企画され、さまざまな意見をお持ちであれば、できるだけ私たちとシェアしていただきたいですね。

そして、私たちのできる範囲で皆さんの良い企画に参加して、一緒にやっていきたいと思っています。機会があれば総領事館に来ていただき、何かあればご連絡をいただきたいと思っています。





◆ PROFILE ◆

生年月日
1956年4月18日生まれ

職歴
1978年度 外務公務員上級試験合格
1979年  京都大学法学部卒、外務事務官
1986年  アジア局南東アジア第一課課長補佐
      経済局国際機関第一課課長補佐
1988年  北米局北米第一課課長補佐
1989年  北米局北米第一課首席事務官
1992年  在フィリピン大使館一等書記官
1994年  人事課首席事務官
1995年  事務次官秘書官
1997年  アジア局南東アジア第一課長
1999年  経済局国際機関第一課長
2002年  会計課長
2004年  官房参事官(監察・査察担当)
      在米国大使館公使
2006年  官房
      アジア大洋州局参事官