高橋典子さん/シルク・ド・ソレイユ『KĀ』・パフォーマー

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どんなことが起きようとそれを受け入れ、学んで自分を磨いていきたい

世界選手権に通算回出場し、7個の金メダルを獲得、世界に名を知られたバトントワラーの高橋典子さん。2003年、1通の勧誘Eメールを頼りにシルク・ド・ソレイユに入団。高度な芸術性とパフォーマンス技術を誇る同劇団最新のショー『KĀ』で、ソロパートを務めるが、「演技については未だに正解がわかりません」と笑う。その舞台裏には、プレッシャーと格闘し、日々たゆまぬ努力を続ける高橋さんの姿があった。

【高橋典子さんのプロフィール】

たかはし・のりこ◎1970年、横浜に生まれる。6歳の時にバトンを始め、小学校3年で全日本バトントワリング選手権に初出場、5位入賞。以後、2004年度の大会まで25回連続出場。個人種目では17回のグランドチャンピオンに輝く。海外でも、6年生で世界バトントワリング選手権大会日本代表選手に選ばれ、1991年に個人シニア部門で金メダルを獲得。世界選手権には通算15回出場し、7個の金メダル。2004年シルク・ド・ソレイユに入団。『KĀ』ではソロパートでバトンの演技を見せる。

 

内容も役も知らされずメール1通でショーに参加

ショーは緊張の連続。終わった後は1番ホッとしますね(笑)

バトンを始めたのは6歳の時。そのうちに世界大会にも出るようになって、1991年に日本人として初めて、世界大会で金メダルをいただいたんです。それから何回か優勝することがあって、もっと芸術的な部分を含めて、何かをしていきたいなと思っていました。その時に、ちょうどシルク・ド・ソレイユから、バトントワラーが欲しいという話がありまして。各国から選ばれた人が、演技のビデオと履歴書を送ったんです。でも、結局、その話はなくなってしまいました。
 
ショーのことも半ば忘れかけていたある時、1通のEメールが届きました。差出人が知らない人だったので、「怪しい」と思って、そのまま開けずに放っておいたんですね。夜中にアドレスを見たら、「~~@cirquedusoleil.com」だったんです。で、「新しいショーがあるのですが、興味があったら出ませんか?」みたいな感じで、2行くらい。詳しいことはまったく書いてありません。でも、何か新しいことをしたかったので、ぜひぜひというメールを書いて。それが『KĀ』との出会いです。後から知ったんですが、本当は最初のクリエーションの時点から、「この人を使おう」と決めてたみたい。
 
それから1年以上経った2004年2月に、やっとトレーニングセンターのあるモントリオールに行くことに。それまでは、具体的にどういうことをやるか全然教えてくれないんですよ。自分がソロということも、ショー自体がどういうものかも。「秘密だから」っていうので、両親にも言えなかったんです。それに、この話自体がウソだったら困ると思って(笑)。
 
他のメンバーは2003年の10月か11月にトレーニングに入っていましたので、私を見て「あっ!この人なのー!?」みたいな話をしてるんです。振り付けの人もいて、「あなたはソロでバトンをやる人だよね?」って言われて、「えっ?そうなんですか?」って。キャラクターであるということは、契約書の中に入っていたんですけれども、バトンをするとはなかったですし、ストーリーのあるショーの中での”役”があるとは、知らなかったんです。
 
モントリオールでは、自分のパートの振り付けと、高い所から落ちる練習をしました。安全ネットがいつも敷いてあるんですけれども、そこにきれいに落ちないと怪我をするので。だから10メートル上から落ちる練習とかをよくしました。振り付けとか、自分以外のメンバーのシーンがあるので、学ぶことはたくさんあって。
 
『KĀ』は、舞台装置がすごいので、なかなかでき上がらなかった。やっと舞台ができて、最初に通し稽古をしたら、8時間以上かかったんです。
 
例えば、空中に浮いているような舞台装置があるのですが、それを使うあるシーンの練習。私の出番は初めのほんの一瞬、舞台側面の中だったんですが、舞台上のクリエーションがなかなか終わらず、ずっと中で待たされて。トイレに行きたい共演の友人もいて、「私たち、何時間待ってると思う?」って。結局、舞台が下に降りて、外に出たら、2時間半も狭い中にいたことがわかりました。その夜も同じ練習があって、また入って、その後1時間半。そういう感じ。

 

不測の事態に対応するため緊張の連続の舞台

©Tomas Muscionico
Costumes by Marie-Chantale Vaillancourt.
Cirque du Soleil Inc.

大会に出て演技するのと、ショーでするのとでは基本的には同じ。だけど、ショーはストーリーを語らなければならない。だから、表現する部分が多いですね。台詞がないので、感情を表現するという演技の部分が大きいかも。演技とかは、これまでしてこなかったので、「これでいいんだろうか?」って、常に気を遣うというか、どういう風にするのが正解かっていうのが、未だにわからない。自分でショーのビデオを見て、「何してるかわからないじゃん」って思ったら、変えていったり。自分ができることを精一杯、毎日やるしかない。日々学びながらやるしかないんですね。
 
ショーをやっている中で1番難しいことは、ライブなので何が起きるかわからないこと。そこにいかに普通に対応していくかってことですかね。常に感覚を研ぎ澄ましておかないと、不測の事態に反応できない。だからそういう意味では楽しいし、緊迫感がありますよね。自分のキャラクターをもちろん持ちつつ、何が起きても対応できるように心構えをしている状態です。
 
今はショーに出る毎日、毎日が本番という生活なので、「毎日、なんで自分はこんなに緊張して生活しなきゃいけないんだろう」って思うことはよくあります。自分が舞台に立っていて、何かが起きた時っていうのは、本当にドキドキしますね。だから、1番ホッとするのは、ショーが終わった後なんです(笑)。いつまでもこのホッとしたのが続くといいなって。

 

日々ベストを尽くせば新しいものが見えてくる

今までトラブルは、たくさんありました。バトンを落としてしまったこともあるんですよ。それに対して振り付けの方が「それは失敗ではない。それに対してどういうリアクションができるかが大事」って言ってくれた。他のアーティストは毎日私を観てるじゃないですか。だから、何かあった時の方が、彼らにしてみれば、お客さんは別として楽しい訳です。「ノリコは今日、どういう風にカバーするのか」っていうのが。うまく行った時には、みんなもすごく喜んでくれて。最近はうまくリアクションできた時は、失敗してもあんまり落ち込まない。「あっ、こういう風にできるんだ」って学べるから。でも、「どうしたらいいのかな、これ」って時もあるんですよ。精一杯のことはするんですけど、うまく行かなかった時には、やはりすごく落ち込みます。でも、逆にそういうことも、大変ですが面白いことでもあるかな。
 
チャレンジとか、プレッシャーを楽しめるタイプではないですから、できるだけ楽しもうと努力しています。プレッシャーとかをマイナスにとらえたら、楽しくないですし、発展もないですから。それはそれと受け止めて、それに対して自分がどうするか、考えていくのが楽しみ。ポジティブに建設的にやっていこうっていうのを、日々、心がけるっていうか、自然にそうなるっていうか。ただでさえ毎日緊張しているので、そうしないとやっていけないっていうのもあります。
 
現在は『KĀ』のショーで、同じことを毎日、一生懸命に繰り返していますが、日々自分ができる限りのことをしていれば、きっと何か新しいものが見えてくるかなと思っています。どんなことが起きようとも、それがいいことでも、悪いことでも、自分が育っていく過程のひとつだと思うので、それを受け入れ、学んで、自分を磨いていきたいと思いますね。
 
(2006年1月1日号掲載)

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