起業家インタビュー・開業体験談

ライトハウス電子版アプリ、始めました

※以下のインタビューは特集「アメリカの起業はじめてガイド」(2014年12月1日号)に掲載されたものです。

Luckdish Curry社長:瀬尾知弘さん

起業歴:4年
事業内容:フードトラックのカレー店
社員数:1名

初日の売り上げ1ドル50セント。苦難を超えて4年で軌道に

大学卒業後にロサンゼルスに留学。OPTを体験後、一度日本に戻りましたが、雑誌の広告営業として再び渡米。数年後に『ライトハウス』に移籍しました。
もともと35歳までに独立すると決めていたので、たいした貯金もアイデアもないまま2010年秋に退職。雑誌で見て憧れていたレトロなトレーラーでフードトラックをする事業を思いつきました。飲食業など全く素人でしたが、カレー屋をやりたがっていた料理人の友人とメニューを考えました。
ところが営業許可が思うように取れません。あれもこれもと言われるまま改修していく間に1年が経過。やっと許可が出たものの、さてどこで店を出してよいやら見当もつきません。12年1月1日の初日は、売り上げがコーラひと瓶で1ドル50セント。しばらくはアルバイトをしてスタッフの給料を払う日々が続きました。
売り上げも伸びてきた半年後、保健局の抜き打ち検査で、調理器具が違法なものと判明して営業停止。車を改修した業者ともめ、結局弁護士を使って示談に。器具を入れ替えて再出発するまでに半年も無駄にしました。
それから2年。ようやく順調に回るようになり、場所によってはお客様が行列するほどになりました。当初の苦労は、商売の神様が、しっかり勉強して立派な商売人になれるように与えてくれた試練だと理解しています。
スタッフから、「給料で母親に腕時計を買ってあげたら喜んでくれたよ」とお礼を言われたとき、初めて経営者の喜びを実感できた気がしました。従業員の幸せを実現するためにも、事業をもっと大きくしていかなければいけないと責任を噛み締めています。

Green Valley Landscape, Inc. 社長:森 貢さん

起業歴:29年
事業内容:造園業、ガーデンセンター、造園設計
社員数:57名

経営には哲学が不可欠。5年で売り上げを2倍にする計画

苦学して日本の大学を卒業したのですが、閉鎖的な管理社会の日本の会社には受け入れられなかったことが、渡米につながりました。2年半の苦学を経てアメリカで修士号を取得しましたが、就学中にアルバイトで庭仕事をしているうちに、いつの間にかそれが本業に。その間、結婚し家庭を持ったことでアメリカに移住する決意を固めました。
修士号を持った庭師などいないものです。誇りというものを自分の起業の根幹に持ち、立派な会社にして行くのだという意識は常にありました。
20年近くかかりましたが、会社がある程度大きな規模になった頃に京セラの会長稲盛和夫氏の主催される盛和塾に加入し、自分の経営について基礎から見直す機会に触れました。経営理念の確立(何のための会社経営なのか、目的意義を明確にする)、会社の将来の計画、展望を持つ等、それに見合うほどの経営者としての人間形成を目指すということを自分の至上の使命と考えるようになりました。
5~6年前まで、3億以上の売り上げを上げていたので、もうこの辺でいいんじゃないかと考えていた自分の人間の矮小さを恥とさえ思っています。
稲盛哲学を根幹に「人格を高め、経営を伸ばす!」ことを自分の人生の究極の目的と考えています。他のことは全て枝葉に過ぎませんね。
あと5年間で現在の売り上げの5億を2倍にするという計画を立てています。無論これは、単なる数字ですが、その数字には私の命と自分の使命と社会の中での私の会社の位置付け(意義付け)が存在しているはずです。後続の起業家の参考になれば、幸いです。

AuriQ Systems, Inc. 社長:幾留 浩一郎さん

起業歴:17年
事業内容:ビッグデータ解析製品開発販売
社員数:米国14名、日本25名

ネットバブルで厳しさを知る。起業初期時代を見つめ、独自商品で継続勝負

製鉄会社で5年働いた後、カリフォルニア工科大学に派遣留学。その後は同社の現地法人の駐在として働きました。数年後、インターネットを軸にIT業界が爆発的に伸びると、起業ブームが沸き起こりました。私もすでに永住権を取得していたこともあり、97年に独立しました。
しばらくは前職の仕事も請け負いつつ、独自開発したプログラムを企業に導入してもらう計画でしたが、机上の計算とは違い、実際には数名の従業員に給料を払うだけで精一杯。1年以上、自分の給与などありませんでした。
2年ほど経って開発した製品でケーブルTVや電話会社とのライセンス契約ができ、よしいける!と思ったのも束の間、ネットバブルがはじけてキャンセルが相次ぎました。この時は本当に厳しかったです。
やむを得ずレイオフもしながら何とかしのぎ、同じ技術を一般企業向けに応用した製品を作ったところ好評で、少しずつ売れ始めました。日本でも4社との代理店契約が成立し、結果的に400社以上に導入されました。日本法人も設立しました。
日本が世界に先駆けて携帯電話でのウェブビジネスを発展させたお陰で日本でのビジネスが成長しました。しかし、スマートフォンが急速に普及して従来の携帯を追い抜くと需要が大幅に減少。現在は新たな挑戦の時を迎えています。今度は、ビッグデータの解析を超高速に安くできる製品を開発し、挑戦しています。
家族に心配をかけたり、従業員の管理に苦労したりするときもありますが、自分の実現したいことに挑戦できる起業は魅力的です。日本からも、もっと起業家が出てきてほしいですね。

Pure Products, Inc. 社長:水口 知映さん

起業歴:25年(アメリカは14年)
事業内容:美容、建築、輸出入
社員数:11名

シングルマザーの美容家から、建築、輸出入などマルチ事業展開へ

日本でネイルサロンを経営していましたが、1994年にアメリカ人男性と結婚して渡米。すぐに仕事を始めると、当時は日本のサロンも少なくクチコミでお客様が広がっていきました。出産したときも、産んですぐに復帰したほど働くことが好きでした。
しかし事業が破綻した夫は、家で暴力をふるうようになりました。同時に私の乳がんが発覚。彼はやがて15万ドルの借金を残し、金品を持って失踪してしまったのです。病気は大事に至りませんでしたが、借金返済のために家を売却しました。
クレジットヒストリーもない国で、子ども2人を抱えて途方に暮れましたが、意地でもアメリカで成功してやろうと2000年に本格起業。日本の化粧品の全米卸売り、サロン、美容スクールの3本柱で軌道に乗せたかなと思った頃、がんが再発して手術。仕事禁止令が出たのですが、このときも3週間ほどしか休みませんでした。
事業は人に恵まれて、専門家の知人と店舗設計・施工の建築業を始めたり、独立心旺盛なスタッフを支援して、中国へ高級車を輸出する事業を始めたり、いつの間にか多角経営になりました。就労ビザが取りやすい大きな事業にしたいというのが、私の希望だったのです。
美容技術者は、ほとんどが将来の独立を夢見てスタートします。私もそうだったので、日本でもアメリカでも、スタッフの独立は全面的に支援しています。起業マインドを持った人の働き方はとにかく真剣なので、独立希望者を積極的に採用しているほどです。アメリカにはチャンスがたくさんあります。失敗を恐れず、どんどんチャレンジする人が増えてほしいですね。

 
※以下のインタビューは特集「独立・企業マニュアル」(2006年)に掲載されたものです。

AFC社社長:石井 龍二さん

大好きな寿司を広げたい

誰も手をつけていない白紙のビジネスチャンスを活かし、アメリカ社会でゼロからスタートして大成功を収めたのは、AFC社の石井龍二さんだ。同社は1986年の年末、スーパーマーケット・Von’s内に、寿司の実演販売の第1号店をオープン。以来、日系の外食産業最大の年商3億ドル、全米にフランチャンズ展開で約2200店舗、AFC従業員数とフランチャイジー人員合わせて4千人を有する企業に成長した。
石井さんはアメリカの大学を卒業後、公認会計士事務所に勤めていたが、ストレスから体調を崩したことで「このままではだめだ」と考えるようになったという。
80年代半ば、ちょうどアメリカのスーパーにも日本のデパ地下のような惣菜コーナーが充実し始めた頃だった。「ここに大好きな寿司があればなぁ」という発想から思いついたのが、寿司の実演販売だ。まだベンツに乗って寿司バーに行くのがステータス、という時代だったが、石井さんはヘルシーで憧れの食べ物である寿司を、もっと身近に広めることができれば、と考えた。寿司は新鮮さが命。「作って新鮮なうちに買ってもらえれば、アメリカ人にも喜ばれるはず」。そのコンセプトには、強い自信があった。
だがスーパーは組合の勢力が強く、外部の人間が中で就業するには組合の同意が必要だった。それがネックになって、テナント契約に持ち込めない。巨大な資本もコネもなかった石井さんにあったのは、アイデアと情熱だけだ。そんな時、「面白い。やってみよう」と立ち上がってくれたのが、Von’sのハン・スタイン副社長だった。
「スタイン副社長とアポを取り付けるまでが大変でしたが、会って話をすると即座に乗ってくれ、『組合の問題は、何か言ってきてから考えよう』と決断してくれたのです」。記念すべき第1号店をマリナデルレイに決めたのは、海沿いのハイクラスなエリアを狙ってのこと。目論みは見事に当たり、オープン初日から作っても作っても追いつかないほどの売上げを出した。
だが寿司の実演販売もスーパーのテナント契約も前例のない試みだったため、すべてが手探りの状態で、2号店をオープンするまで約半年の猶予期間をおいた。その後は1年半で約40店舗に拡大。絶好調に見えたが、2年目に最大の危機が訪れた。組合がVon’sを提訴し、調停問題にまで発展したのだ。
「基本的にこの調停は組合とVon’sの問題でしたが、この調停で負ければ、うちは組合に入るか撤退かを迫られるところでした。組合の顔色をうかがい、自分で会社をコントロールできなくなれば成功しないと思っていましたから、一時は撤退を覚悟したこともありました」と石井さんは振り返る。計3回の調停にかけられたが、Von’s側が勝ち、石井さんは組合に入らないという条件で契約することに成功した。

固定観念を持たない

それまで海辺の高級住宅地だけを狙っていた同社に、全米展開の転機が訪れたのは、テキサス州のサンアントニオ店のオープン。サンディエゴのスーパーからサンアントニオのスーパーに引き抜かれた人が持ち込んできた話だった。
「サンアントニオは内陸ですし、それまでの店とは客層もずいぶん異なっていました。事前に社内でサンプリングしても、『好き』は20%しかいません。それで6カ月だけやってだめだったら撤退するという条件でオープンしました」。
ところがふたを開けてみると、過去最高の売上げを記録した。石井さんが「全米でやっていける」と確信したのはこの時だ。以来、各州へ積極的に進出し、モンタナ州、ワイオミング州、サウスダコタ州を除く全米およびカナダに店舗を有している。
現在ではプリンストン大学などの一流大学150校以上のキャンパス、100の米軍基地、ステープルズセンターなどのスポーツアリーナやマジックマウンテンなどの遊園地、マイクロソフト社などの大手企業、さらに今年1月には全米最大のスーパーチェーン、ウォルマートにも進出。寿司以外にも、テリヤキボウルなどの丼物から生春巻きなどのヘルシーな素材を使った商品も多い。
2004年には、同社はスミソニアンの国立アメリカ歴史博物館内でも紹介された。「America on the Move」というコーナーで、全米展開する同社が取り上げられ、石井さんの言葉とともに同社の商品などが展示されている。
「食品管理や安全面の問題には特に力を入れていますが、同時に寿司の評価には、日本人として責任を感じています。そして、美味しい寿司を提供するのが自分の使命と考えています」と語る石井さんに、成功の秘訣を聞いてみた。
「私はお金がなくても、日本人でも、大手の会社と契約することができました。やはり好きなことを見つけ、情熱を持って取り組むことが大切だと思います。好きなことは意識しなければ見つかりません。最初から難しいだろうと決めつけるのではなく、とにかくやってみること、そして固定観念は持たないことです。やれば可能性が出ますし、それを受け入れてくれるのがアメリカ社会なのです」。
 
取材協力:AFCCorp.
www.afcsushi.com/

「たまえん」オーナー:東山 昌史さん

オープンまで3年 資本は余裕を持って

大阪で焼肉屋をやっていましたが、ロサンゼルスに住む友人を訪ねて遊びに来たのが、こちらで店をやろうと思ったきっかけです。ちょうど大阪の店が立ち退きになることが決まり、別に店舗を探さなければならない時期だったのです。2年間ほど、年に3、4回来て、店舗探しやマーケット調査などをしました。
ロサンゼルスでは、夏は9時くらいまで明るいのに、レストランはほとんど10時で閉店してしまいます。暗くなって「さあ、何か食べようか」という頃には、閉店間際ということが多いので、第1の希望は遅くまで営業することでした。そのため店舗を探す際は、客層に加えて、治安面を最優先しました。今の場所に決めたのは、大通りに面しており、治安が良かったからです。
弁護士は雑誌で調べて見つけましたが、実際に内装工事の契約をしてからオープンするまで、1年近くかかりました。というのも、工事の許可を取るのに9カ月ほどかかったのです。例えば壁の工事をする前に、壁の中に水道管が入っているかどうかを保健局がチェックするのですが、見に来てもらうのに1週間かかるなど、壁1つ作るのにも時間がかかりました。日本では、建物がないところに一から建てても、3カ月もあれば大丈夫です。それが内装工事だけなのに1年近くかかったわけで、その間、収入はないのに家賃を払わなければならず、これは大きな計算違いでした。結局、ロサンゼルスに店を出そうと思ってから、オープンまで3年かかりました。
リカーライセンスは指紋押捺が必要ですが、意外に早く、3カ月以内で下りました。オープン4日目に保健局の人が検査に来ました。ABCレジストレーションは減点方式で、事細かな規定があります。例えば、卵や肉などは、冷蔵庫の中で割れた時や肉汁がたれた時のために1番下に置かなければなりません。調理用の3層シンクで網を洗うのも違反で、網は別のシンクで洗わなくてはなりません。保健局の検査は、年3、4回、抜き打ちで行われます。
これからアメリカで店を出そうと思っている人は、資本に余裕を持って準備したほうがいいですね。家賃や保険、税金などの経費も、私がいた大阪より高いと思います。しかし、こちらでは新しく店がオープンするとすぐにお客さんが来てくれます。オープンして3日間は半額サービスを実施したのですが、それで顧客がついてくれました。大阪では、新しく開店しても、そういうわけにはいきません。自分で作っているので、美味しいものを出せばいけると自信を持っていました。美味しいものを心からサービスすれば、日本であれアメリカであれ、お客さんはそれに応えてくれるものだと思います。

「アンジェラック」オーナー:中村猛さん

器が大きくチャンスも多い 人の2倍3倍働く覚悟で

実家が花屋で、花の勉強のために渡米した時、日本人経営の花屋から「居抜きで買わないか」と持ちかけられたのがきっかけです。日本で開業することも考えましたが、当時はバブル全盛期で、どこも億単位の資本が必要だったため、ロサンゼルスで開業を決意しました。花屋はロケーションが命です。それで、結局そこではなく、メルローズにある店を居抜きで買いました。エスクローを通す必要はありましたが、ロサンゼルス市のビジネスライセンスや、卸しで仕入れするためのSeller’s Permitは、前オーナーと一緒に行って自分で取りました。個人経営なので、手続きは大変ではありませんでしたが、ビザの問題をクリアするのに弁護士が必要でした。結果的に、実家の花屋の支店という形で解決しました。
オープンして1番苦労したのは英語です。自分では十分通じると思っていたのに、電話でのオーダーなどは大変でした。でも英語は下手でも、いいものを作ると信頼してくれれば、アメリカでは買ってくれます。顧客には大手プロダクションもありましたが、日本ではコネやつながりが重要で、例えば日本語のそれほどできない人が、どんなにすごい商品を作ったとしても、日本の大手が買ってくれるかどうかは疑問です。その後、アメリカでは注文がメインであることがわかり、注文販売に切り替えました。
またこの9月には、ブライダルサロンをロミータ市にオープンしました。今までもウエディングに花を提供することが多く、チャペルやレセプションの問い合わせも多かったので、ノウハウはありますし、リスクも少ない、いわば連結ビジネスです。ブライダルサロン用のビジネスライセンスは取得しましたが、特に必要としたのはそれだけで、店舗の工事に関しても、ロミータ市は、規定の範囲内であれば、特に許可も必要としません。独自のミニチャペルも作りましたが、壁なども自分たちで塗って内装を整えました。ブライダルサロンでは、セレモニーからレセプションまでトータルでコーディネートし、挙式は24時間可能。さらにインターネットカメラを入れて、列席できない家族や友人にも実況中継できるようにしています。
注文販売だけに切り替えたり、花屋がブライダルサロンを手掛けたりするのも、日本ではしきたりにとらわれがちで、アクションを起こすまでが大変です。また失敗でもしたら「ほら、見たことか」と言われかねませんが、「Nice try!」と言ってくれるのがアメリカで、フィードバックも多く、当たり前のことをまじめになっているだけで評価してくれます。基礎や努力は当然必要ですが、アメリカでは才能とやる気があれば、一からでもやっていけます。人の2倍、3倍働いて、ということは、同時に2つ、3つのことを同時進行することも必要で、無理をしても急な要望に対応すると差も出てきます。後発ビジネスの場合は、金額やサービスは努力しないと無理ですし、その覚悟は必要だと思います。でもアイデアを活かせる土壌があり、器が大きく、チャンスも多いのがアメリカだと思います。

HPI Holdings Inc.:渡辺 龍郎さん

【企業プロフィール】
■業務内容:ラジオコントロールカー
ラジオコントロール飛行機、ミニカーの製造、販売
■従業員数:約300人
■創業年:1986年
■年商:約1億ドル
■www.hpiracing.com
【個人プロフィール】
■出身地:福岡県
■渡米年:1983年
■趣味:子供とラジコンカー・飛行機で遊ぶこと。
スキー、スノーボード、車、飛行機
■起業・経営略歴:留学中にアメリカでの就職を考えたが、
留学生というハンデがあることを考慮して、在学中に起業。ラジコンは子供の頃からの趣味。資本金200ドルで、ガレージの中から、高性能な日本製ラジコン用小型モーターをアメリカのメーカーに販売した。

小さなことの積み重ねで7年目頃から成長した

①経営する上で大切にしていること:会社としての考え方や方針を社員と共有し、よく理解してもらうこと。
②創業以来、1番苦しかったこと:大学在学中の21歳で起業しましたが、きちんと働いたこともなかったので、創業間もない頃が1番苦しかったです。すべてが手探りの状態でした。最初の5年は、食べていくのがやっと。自信を持てるようになったのは、7、8年くらい経ってからです。特にきっかけになるような大きな出来事があったわけではなく、小さいことも積み重ねで成長してきたのが、その頃でした。
③夢と目標:世界中のお客さんに楽しんでもらえるものを作り続けていくこと。多くのお客さんに夢を与え続けていくのが夢です。この20年間ラジコンカーを手掛けてきましたが、今後はラジコン飛行機やミニカーなど、趣味の輪を広げた展開をしていくことが目標です。
④成功の秘訣:あきらめないこと。できるという強い意志を持つこと。
⑤独立する人へのアドバイス:難しく考えすぎると、実行に移しにくくなってしまいます。安易にという意味ではありませんが、強い意志を持って、とりあえず実行に移すこと。在庫コントロールも重要で、経費や売上げなどは具体的な目標を立てて実行しています。目標は、実行していくのが難しいのです。あきらめずにしっかりとした計画を立てることが重要だと思います。
⑥座右の銘 :を高める、経営を伸ばす(稲盛和夫京セラ名誉会長の著書名)
⑦おすすめの本:『生き方』『君の思いは必ず実現する』(共に稲盛和夫著)

パーソン不動産:茶谷 孝さん

【企業プロフィール】
■業務内容:不動産
■従業員数:エージェント 約100人
■創業年:1987年
■年商:300~400万ドル
■www.personrealty.com
【個人プロフィール】
■出身地:三重県
■渡米年:1974年
■趣味:健康のために、週4回、45分歩くこと、カラオケ、テニス
■起業・経営略歴:留学で渡米し、その後はシステムエンジニアとして米系会社に勤めていたが、人とダイレクトに接することができ、なおかつここにいる日本人、日系人のために働けないかと考えて、37歳で不動産業に転身

プロとしての知識は最低限聞き耳を持つことが大切

① 経営する上で大切にしていること :経営に限りませんが、相手の言うことをよく聞くということ。プロとしての意見を押し付けるのではなく、聞き耳を持った上で、適切なアドバイスをすること。
② 創業以来、1番苦しかったこと:90年代の初めにバブルが崩壊した時。でも山あり谷ありで、苦しいことは楽しいことを迎えるのに必要だと考えています。
③ 夢と目標:より多くの地元の日本人、日系人のお役に立てること。
④ 成功の秘訣:1人でも多くの人をお助けするのだという使命感を持って、一生懸命に仕事をすること。
⑤ 独立する人へのアドバイス:プロとしての専門知識は、最低限必要なことです。それ以上に、クライアントのいろいろな事情を理解して、お客様のためになるように、ニーズに見合ったサービスをすること。また継続は力なりで、継続してこそ本当の成果が見えてきます。通常アメリカでは4、5年で家を買い換えるので、その時にはクライアントが戻ってくるのですが、いい加減なサービスをしていると戻ってきません。金銭的見返りは二の次です。また、私がいつも言っているのは、『悪いことでない限り、勇気を出してやりましょう』ということ。恥ずかしいとか良い結果が出ないんじゃないかと思ってやらないのでは、何も結果は出ません。人の道に反することでない限り、いろいろなことにどんどん挑戦していくべきです。

ボンジュール:白木 雄二さん

【企業プロフィール】
■業務内容:フランス菓子製造、販売 
■創業年:1989年  ☎310-323-1468
【個人プロフィール】
■出身地:福岡県
■渡米年:1981年 
■趣味:アウトドア派なので、キャンプなど。
  夏はジェットスキー、冬はスキーも 
■起業・経営略歴:日本の「ドンク」「アンリ・シャル・パルティエ」「マキシム」などの有名店で修業を積んだ後、25歳でフランスへ。修業中に、ロサンゼルスから日本人シェフを探して投資家が店に訪ねてきたことがきっかけで、アメリカのケーキも見てみたいと思い、2年目に渡米。ロサンゼルスで一からフランス菓子店を立ち上げて成功。別の投資家に請われて、87年、ウエストLAでも開店し評判を呼び、2年後に独立

修業時代に120%働いたから独立時は120%の自信があった

①経営する上で大切にしていること:「アメリカだからこれでいい」ではなく、どこであれ、手を抜かずに、こだわりを持って良いものを作ること。
② 創業以来、1番苦しかったこと:苦しかったのは、起業してからよりも修業時代です。120%仕事をしないと生き残れない業界なので、休みもまったくなしで働き続けました。これで食べていくんだ、という強い思いがあり、必死でした。でもそのおかげで、技術だけでなく、心構えなどあらゆることを学びました。だから開店した時には120%の自信がありました。ここまで順調に来ることができたのも、つらい修業時代があったからこそ。強いて挙げるとすれば、人の教育くらいでしょうか。
③ 夢と目標:17年間、1店舗に絞ってボンジュールというブランドを守ってきましたが、ここに来てもう1軒オープンさせようと考えています。パティオのある一軒家で、アフタヌーンティーもできて、デニッシュなどを置いたベーカリーも手掛ける、トータルコーディネートしたこだわりのある店にしたいと思っています。またクッキーが好評なので、近々、別の部門を作り、インターネットで全米販売も始める予定。ボンジュールを全米ブランドにするのが夢です。
④ 成功の秘訣:内装や商品などを常に変えて、お客さんがワクワクして来てくれるようなことを、次々と展開すること。
⑤ 独立する人へのアドバイス:1番いい店で修業をすること。1番いい店というのは、いいレシピを持っているだけでなく、サービス面なども厳しいものを持っているので。修業してノウハウを学び、それを得てからオープンする。私もそれで自信がついたので、目標を早く決めて、それに向かって若いうちに苦労することです。

U.S. Hi-Tech Industries Corporation:奥田 英樹さん

【企業プロフィール】
■業務内容:航空、防衛関係製品の輸出 
■従業員数:14人
■創業年:1989年 
■年商:1000万ドル
■www.ushitech.com
【個人プロフィール】
■出身地:奈良県
■渡米年:1984年 
■趣味:飛行機の操縦、読書、旅行
■起業・経営略歴:日本航空高校を卒業後、日本航空大学の当時の姉妹校エンブリリドル大学に留学。軍事部品の専門商社を89年に設立。94年、横浜に日本支社ユーエスハイテック産業ジャパン(株)を設立

リスクを負ってもクライアントのために

①経営する上で大切にしていること:人の役に立つこと。
②創業以来、1番苦しかったこと:起業当時はバブルの全盛期だったので好調だったのが、バブルが崩壊して注文が少なくなりました。商品単価が高いのにもかかわらず、当時は起業して間がなかったので、アメリカでの信用もあまりなく、資金繰りが大変でした。
③夢と目標:日本以外の国へも販路を広げ、業界で最も信用される老舗の企業を目指すこと。
④成功の秘訣:得意分野を持っているということは重要だと思います。また信用は小さなことの積み重ねで得るものなので、クライアントの期待に応えられるように、小回りを利かせることも必要です。時には製造中止品や稀少な製品などのオーダーのために、海外に足を運んで、自分の目で確かめて購入することもあります。サプライヤーとの折衝や取引のリスクもありますが、取引がうまくいけば信用も勝ち取れます。
⑤独立する人へのアドバイス:強烈な目的意識を持つこと、これに尽きるのではないでしょうか。また、良き師やメンターにアドバイスを請うことも必要です。今ではインターネットでも、いろいろな業界でリタイヤした人などが無料でアドバイスをくれるサイトも多くあります( www.score.orgやwww.hardatwork.comやなど)。そういうサイトなどもどんどん利用し、精通した人にアドバイスをもらうといいでしょう。
⑥座右の銘:どこに行こうとも、心とともに行きなさい(孔子)
⑦おすすめの本:渡辺昇一、大前健一の著書

Travel Oriented, Inc.:久保 徹さん

【企業プロフィール】
■業務内容:航空券の発券、国内旅行・日本行きツアーなどの企画販売
■従業員数:7人
■創業年:1983年
■www.traveloriented.com
【個人プロフィール】
■出身地:東京都
■渡米年:1981年
■趣味:旅行
■起業・経営略歴:大学を卒業後、アメリカの旅行会社に就職。2年後、会社の閉鎖を期に独立

じっくりプランを練っておごらずにコツコツと

①経営する上で大切にしていること:顧客の満足度。適切な値段でよい商品を売ること。
②創業以来、1番苦しかったこと:悪いことは忘れるようにしている。
③夢と目標:最近は、アメリカ人対象の日本行きツアーに力を入れ始めています。以前の航空券やホテルの販売だけでなく、お客様が交通機関、ホテルの手配に煩わされることなく、旅だけを楽しめ、添乗員・食事などすべてが含まれたパッケージ旅行は、日系人のみならず、多くのアメリカ在住の方々に好評です。www.tagents.com/traveloriented/というサイトでも販売しておりますが、世界中からさまざまなお問い合わせがあり、日本への関心の高さを感じております。これからも細く長く、「行って良かった」と言ってもらえるように続けていくのが目標です。
④成功の秘訣:成功などしていませんが、1つ言えることは、おごらずにコツコツとまじめに働くこと。価格を安くすることのみがサービスではないということ。親身にお客様のためを心掛けていれば、おのずと道は開けるのでは。
⑤独立する人へのアドバイス:ゆっくりとプランを練ってから始めること。用意周到な下調べは必要ですが、スタートのタイミングもあります。
⑥座右の銘:無心不立
⑦おすすめの本:『世界がもし100人の村だったら』(池田香代子著)

「アメリカ起業ガイド」のコンテンツ