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	<title>アメリカで働く（多様な職業のインタビュー集） | 現地情報誌ライトハウス</title>
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	<description>アメリカの現地情報誌「ライトハウス」が運営する生活情報＆観光情報サイト。現地在住の日本人編集者による観光ガイドのほか、アメリカでの教育・子育て、ビザ、求人・仕事、レストランなどの生活情報、ライトハウスの最新号をご紹介します。</description>
	<lastBuildDate>Mon, 22 Sep 2025 22:11:47 +0000</lastBuildDate>
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		<title>好きを仕事に★趣味を極めたプロフェッショナルたち</title>
		<link>https://www.us-lighthouse.com/work/hobby-turned-professionals.html</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[Lighthouse1260]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 16 Sep 2019 07:00:24 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[アメリカで働く（多様な職業のインタビュー集）]]></category>
		<category><![CDATA[働く]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>（ライトハウス・カリフォルニア版2019年9月16日号掲載） 「好きなことを仕事にできたらどれだけ幸せな人生が送れるだろう」とは誰もが思うこと。一方で「人生、そんなに甘くない」とストップをかける別の自分もいます。ここに登場するのは「熱中できる趣味を仕事にした」人々。趣味だった頃の夢、仕事にした今のやりがいと苦労やビジョンについて伺いました。 スケートボード短期留学コーディネーター キョウコ・ヒックスさん ワインショップ「Monopole Wine」オーナー サリー・宮城さん ヨガウエアブランド「 &#8230; <a href="https://www.us-lighthouse.com/work/hobby-turned-professionals.html">Continue reading <span class="meta-nav">&#8594;</span></a></p>
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										<content:encoded><![CDATA[<div class="writer">（ライトハウス・カリフォルニア版2019年9月16日号掲載）</div>
<p id="answer_text">「好きなことを仕事にできたらどれだけ幸せな人生が送れるだろう」とは誰もが思うこと。一方で「人生、そんなに甘くない」とストップをかける別の自分もいます。ここに登場するのは「熱中できる趣味を仕事にした」人々。趣味だった頃の夢、仕事にした今のやりがいと苦労やビジョンについて伺いました。</p>
<ul class="backnumber_list">
<li class="entry_list"><a href="#01">スケートボード短期留学コーディネーター キョウコ・ヒックスさん</a></li>
<li class="entry_list"><a href="#02">ワインショップ「Monopole Wine」オーナー サリー・宮城さん</a></li>
<li class="entry_list"><a href="#03">ヨガウエアブランド「urbanretreat」ディレクター Makkieさん</a></li>
<li class="entry_list"><a href="#04">オーガニックビーガンレストラン「VegiLicious」 オーナー 中尾昭さん</a></li>
</ul>
<div class="clearfix"></div>
<p><a name="01"></a></p>
<h2 class="tittle">スケートボード短期留学コーディネーター<br />
キョウコ・ヒックスさん</h2>
<h3>関わった子どもの中にはオリンピック日本代表も<br />
助けてくれたスケートボードに今は恩返しの日々</h3>
<p id="answer_text">プロのスケートボーダーだった息子さんを長年支えてきたキョウコさん。今は自身も楽しみながら、日本からスケードボード留学で渡米してくる子どもたちのお世話に奔走しています。</p>
<h4>ー 今、お仕事にされているスケートボードとの出会いについて教えてください。</h4>
<table border="0" cellspacing="0" cellpadding="0" class="sub_img02">
<tr>
<td>
      <img decoding="async" src="/images/work/hobby-turned-professionals/KyokoHicks_01.jpg" width="300" border="0" alt="キョウコ・ヒックスさん" /></p>
<div class="caption">きょうこ・ひっくす◉東京都出身。埼玉県川口市で子ども服店を経営していた18年前、カリフォルニアに子ども連れで出張した際、スケートパークを見学したことで、次男がスケートボードにのめり込み、プロのスケートボーダーに。その後、息子の練習や大会出場で日米を往復、次男が20歳になった2015年にアメリカに移住し、アメリカ人と再婚。1年前に自身もスケートボードを始めた。現在は本場アメリカでスケートボードの短期留学生を受け入れるコーディネーター業に携わる。ロサンゼルス近郊に夫のジャメールさん、猫のタイガーと暮らす。 <a href="https://ameblo.jp/caskatepark/" target="_">ブログ</a></div>
</td>
</tr>
</table>
<p id="answer_text">2001年、私の次男の瑛生（杉本瑛生）が6歳の時にオレンジ・カウンティーのVans Skate Park, Orange（スケートパーク）に行き、スケートボードを見て、「やってみたい」と言ったことがきっかけです。<br />
　<br />
私は、2人の息子を持つシングルマザーで、埼玉県で子ども服店を経営していました。その仕事の買い付けで、定期的にアメリカに子どもたちも連れて来ていたのですが、何か楽しい思いをさせたいという気持ちで連れて行ったのです。<br />
　<br />
それがきっかけで瑛生はスケートボードを始めて、子どもながらプロのスケートボーダーになりました。日本には当時、スケートボーダーと言えば大人しかいなくて、アメリカと状況が大きく違いましたね。アメリカは小さい子どもでも活躍していましたから。日本で瑛生は注目されましたが、それはキッズプロが珍しかったということもあるかもしれません。<br />
　<br />
私は次男の瑛生が20歳になった段階で子育て卒業ということで、日本からアメリカに移住して来ました。そして、それまでは息子のスケートボードの練習や試合を見るだけだったのが、何か自分自身もエクササイズを始めようと思い立ち、それだったら瑛生と同じスケートボードに挑戦してみようかという気持ちになったんです。始めたのは2018年5月でしたから、48歳でした。</p>
<p>　</p>
<table border="0" cellspacing="0" cellpadding="0" class="sub_img02">
<tr>
<td>
      <img decoding="async" src="/images/work/hobby-turned-professionals/KyokoHicks_02.jpg" width="300" border="0" alt="キョウコ・ヒックスさん" /></p>
<div class="caption">48歳でスケートボードを始めた。</div>
</td>
</tr>
</table>
<p id="answer_text">やるからには目標を定めました。目標は、ベニスビーチのスケートパークにある蛇行したコースをマスターすること。ベニスビーチは息子の練習でよく訪れていたし、その関係でスケートボード仲間の友達も多いんです。まだまだ、蛇行したコースをマスターする段階には到達していませんが、10年後なら達成できるのではないか、達成したいという気持ちで日々、練習に励んでいます。運動は若い頃は陸上やバスケットボールをやっていました。リレーの選手もやりましたけど、何十年も前の話です（笑）。でも、運動神経がいいから大丈夫だ、簡単だと過信すると、スケートボードでは怪我をしますからね。私はずっと瑛生がやっているところを18年間見てきましたから、そのことが分かります。自分自身は少しずつでも焦らずコツコツと練習していきたいと思っています。<br />
　<br />
ベニスビーチには女性だけのスケートボードの大会もあるんです。2020年5月の大会に、30歳以上の部門で出場する計画です。アメリカのスケードボードは層が厚くて、何十年とやっている人も大勢います。そういう人たちが、私のことを仲間に入れてくれて親切にしてくれることが、頑張れる理由でもありますね。</p>
<h4>ー 今はお仕事もスケートボードに関係したことに携わっているのですね？</h4>
<p id="answer_text">また、息子の話に戻るのですが、瑛生はスケートボードの日本国内の大会で勝ち続けていたので、さらに上を目指すため、小学校5年生の時にアメリカ進出を決めました。それから中学校3年までは練習の拠点をアメリカに移していました。その時にいろいろなスケートパークに練習に連れて行き、多くの大会に出場しました。スケートボードのコミュニティーにも参加し、人々とのネットワークも広がりました。<br />
　<br />
息子の時は、彼がスケートボードを続けるためには、親の私が一緒に（アメリカに）来て世話をするしか他に方法がありませんでした。でも、こういう子どもをアメリカにいる人が受け入れてくれて、スケートパークに連れて行ってくれたりしたらどんなに助かっただろうと思いました。だったら、アメリカに移住した自分が、今度は日本の子どもたちのためにやってあげられないかな、と思うようになったのです。<br />
　<br />
2020年の東京オリンピックの正式種目に選ばれたこともあり、スケートボードには日本でもさらに注目が集まっています。オリンピックへの出場を目指している子どもはもちろん、練習するには本場、アメリカの環境が一番理想的です。しかし、親御さんがお子さんを連れて来るのは、スケートボードの事情を調べることも含めて簡単なことではありません。どうしていいか分からない、という声も聞きました。そこで今、私は、日本からスケートボードの短期留学に来る子どもたちのコーディネートに携わっています。私自身も瑛生もスケートボードの世界に助けられたという感謝の思いがあるので、その恩を返す時だと思って、日々やりがいを感じてお迎えしてお世話をしています。</p>
<h4>ー コーディネーターのお仕事について教えてください。</h4>
<table border="0" cellspacing="0" cellpadding="0" class="sub_img02">
<tr>
<td>
      <img decoding="async" src="/images/work/hobby-turned-professionals/KyokoHicks_04.jpg" width="300" border="0" alt="キョウコ・ヒックスさん" /></p>
<div class="caption">スケートボード短期留学の子どもたちと。</div>
</td>
</tr>
</table>
<p id="answer_text">まず、こっちに来たいというお子さんのスケートボードのレベルや希望などをしっかりと確認した上で、滞在期間中にどのスケートパークで練習するか計画を立てます。ずっと同じパークで練習するのではなくて、せっかくこちらにはいろんな場所に練習場があるので、1日に2、3カ所を回ることも珍しくありません。そして練習している様子のビデオを撮影します。そうすることで日本にいる親御さんにも安心していただけるようにです。<br />
　<br />
練習するからには目標も決めます。いる間に板をクルクル回せるようになろうね、といった無理のない目標を決めて、その達成に向けて指導もします。ですからコーディネーターであると同時にコーチの役割も担っています。そして私がこれまで、瑛生と自分のスケートボードの世界で培ってきた知識とネットワークを惜しみなく活用しています。<br />
　<br />
滞在中、子どもたちの朝と夜の食事は私が調理しています。その待ち時間にジャメール（再婚したアメリカ人のご主人）が子どもたちに英会話を教えています。せっかくアメリカに来ているのでアメリカの日常生活を味わえるような経験を楽しんでもらいたいのです。<br />
　<br />
宣伝は私のブログと口コミだけです。仕事とは言っても半分ボランティア的な部分もあるので、子どもとスケートボードが大好きでないとできないことだと思います。実際に関わらせていただいて、スケートボードの世界最高峰の大会、ストリートリーグで優勝したお子さんもいます。他にもオリンピックのスケートボードの日本代表に選ばれたお子さんもいます。アメリカでの練習が日本での代表選考会での成果につながったと信じています。でも、そうやってついつい子どもたちに入れ込んでしまい、オーバーワークしてしまうことが今の悩みです（笑）。</p>
<h4>ー キョウコさんにとってスケートボードとはどんな存在ですか？</h4>
<table border="0" cellspacing="0" cellpadding="0" class="sub_img02">
<tr>
<td>
      <img decoding="async" src="/images/work/hobby-turned-professionals/KyokoHicks_03.jpg" width="300" border="0" alt="キョウコ・ヒックスさん" /></p>
<div class="caption">ガーデナのスケートパークで。</div>
</td>
</tr>
</table>
<p id="answer_text">私を常に助けてくれる存在です。今、私は英会話を習うためにアダルトスクールに通っています。クラスメイトと話すと、彼らにはアメリカ人の友達はほとんどいないと言うのですが、私はスケートボードのコミュニティーを通じてたくさんの友達に恵まれ、助けてもらっています。<br />
　<br />
スケートボードに助けられたのは息子も同じです。我が家のように母子家庭でも、息子がスケートボードを続けることができてプロになれたのは、200〜300ドルあれば板を買うことができるからなのです。スノーボードだったら、最初からお金がかかって、とても続けることなどできませんでした。<br />
　<br />
今後もアメリカでスケートボードを練習したいという方がいらしたら、精一杯お世話をさせていただきたいと思っています。</p>
<div class="clearfix"></div>
<div class="mB10 content line_top clearfix"></div>
<p><a name="02"></a></p>
<h2 class="tittle">ワインショップ「Monopole Wine」オーナー<br />
サリー・宮城さん</h2>
<h3>開眼して20年、パサデナでワインバー併設のショップ経営<br />
ワインのおいしさや楽しさ知ってほしい</h3>
<p id="answer_text">最初は週末の楽しみだったワイナリー巡り。その後、大学でワイン造りを学び、ワイナリーでのボランティアに精を出し、ワインショップで研修。現在はワインショップの経営者に転身したサリーさんに話を聞きました。</p>
<h4>ー 今、お仕事にされているワインとの出会いについて教えてください。</h4>
<table border="0" cellspacing="0" cellpadding="0" class="sub_img02">
<tr>
<td>
      <img decoding="async" src="/images/work/hobby-turned-professionals/SallyMiyagi_01.jpg" width="300" border="0" alt="サリー・宮城さん" /></p>
<div class="caption">さりー・みやぎ◉東京都出身。日本での就職を経て、1988年に留学を目的に渡米。卒業後、ロサンゼルスの旅行会社に就職。その後、ワシントン州カークランドに移り、航空会社での営業やゲーム会社で事務職に携わる。週末のワイナリー通いがきっかけでワインクラブに加入し、ワインに目覚めると、カリフォルニア大学デービス校のオンラインコースでワインメイキング・プログラムを修了。2014年にロサンゼルスに転居し、近郊の街パサデナの中心にあるワインショップ、Monopole Wineでインターンとして働き始める。2018年11月には同店の経営権を買い取りオーナーとなる。ロサンゼルス近郊在住。<a href="https://www.facebook.com/monopolewine" target="_">Facebook</a></div>
</td>
</tr>
</table>
<p id="answer_text">20年近く前のことになります。ワシントン州シアトル近郊のカークランドというところに住んでいた時に、近くにChateau Ste. Michelleという大きなワイナリーがあったのです。そこに、日本から遊びに来た友人や家族を連れて行ったりしていました。そのうち、Chateau Ste. Michelleのワインクラブのメンバーになって、初心者向けワインクラスやイベントに参加するようになったんですね。<br />
　<br />
でも、当時の私にはワインの知識がなかったし、それほどワインも飲んでいなかったので、正直、10ドルくらいのスーパーで買うワインの方がおいしいって思っていたんです。ワインクラブでは高いワインのテイスティングもできたのですが、高いのになんでこんなにおいしくないんだろうって（笑）。</p>
<h4>ー その後、本格的にワインに引き込まれたきっかけとなったのは？</h4>
<p id="answer_text">ワインクラブで開催されたワインとチーズのペアリングのイベントに参加したことですね。ワインの印象が、チーズや食べ物によって全然変わってしまうこと、ワインが時を経て熟成するところに興味を持ちました。<br />
　<br />
そのうち、私がワインクラブに入会した頃は、Chateau Ste. MichelleとColumbia Wineryくらいしかなかった周辺のワイナリーの数が、ワインブームでどんどん増えていきました。そこで私もあちらこちらのワイナリーやテイスティングルームに足を延ばすようになりました。ワシントン州の東部やコロンビアバレーまでワインテイスティングに行ったりするようにもなりました。<br />
　<br />
そうやっているうちに、ワイナリーの雰囲気、発酵の匂い、ブドウ畑のきれいな景色、ワインと一緒に楽しむ食事など、どんどんワインに惹かれていくようになったのです。そこで、今から考えるととんでもないことですが、自分でワイナリーを経営できるようになったらいいなという将来設計図を描くようにまでなっていました。</p>
<h4>ー 当時はどんなお仕事を？</h4>
<p id="answer_text">ゲーム会社で事務の仕事をしていました。ですから、ワインは週末と夜だけの楽しみだったのです。</p>
<h4>ー 趣味からワイナリー経営へと行動を起こしたのですね？</h4>
<p id="answer_text">まず、カリフォルニア大学デービス校で、ワインメーキングプログラムを2年間学びました。オンラインのクラスですけど、クラスメイトとのやりとりもできて、彼らはすでにワイナリーを経営している人などワインのプロフェッショナルばかりでした。経験がない私は、クラスで知識を習得しようとしても実際に分からないことが多く大変でした。<br />
　<br />
そこで、時間がある時にワイナリーにボランティアに行くようになって、少し実地で経験し、クラスで勉強している内容が意味を伴ってピンとくるようになりました。ボランティアとしては、収穫したブドウがベルトコンベアの上で運ばれてくる工場で、ゴミや枝、虫を拾ったりする作業を担当しました。ソーティングと呼ばれる段階ですね。ボトリングの作業も経験しました。<br />
　<br />
当時の目標はワイナリー経営でしたから、家でブドウを栽培し、ワインを造ったこともあります。ブドウを潰して酵母を入れて発酵させればワインは造れるのですが、おいしいワインを造るための要素はほかにもいろいろあって、自分で、市場で売られているワインよりも優れたワインを造るのは至難の技、と思うようになりました。結局、クラスで学んだり、ボランティアしたりしたくらいではワイナリーの経営なんて無理、と挫折しました。ですが不思議なもので、ワインって勉強しだすと、もっともっと深く知りたくなるものなんですよ。やればやるほど奥深さに気付かされました。</p>
<h4>ー ワインショップを経営するようになったきっかけは？</h4>
<table border="0" cellspacing="0" cellpadding="0" class="sub_img02">
<tr>
<td>
      <img decoding="async" src="/images/work/hobby-turned-professionals/SallyMiyagi_02.jpg" width="300" border="0" alt="サリー・宮城さん" /></p>
<div class="caption">パサデナの中心街に位置するお店の前で。</div>
</td>
</tr>
</table>
<p id="answer_text">ワイナリー経営の夢は消えましたが、ワインに関する仕事は何かやりたいという気持ちを抱えたまま、ロサンゼルスに引っ越してきました。そこで新しい仕事を探していたら、今の店がインターンを募集していたんです。経験がないからダメ元で応募したところ、幸運なことに受け入れてくれました。それが私にとっての大きな転機でしたね。<br />
　<br />
それで、昼間は別の仕事で会社勤めをしながら、夜と週末にここでお手伝いを始めました。2人のオーナーは、本当にワインの知識が豊富で、ソムリエの資格も持ち、スタッフもワインオタクのような人ばかりで、彼らからワインについていろいろ学びました。イタリアやフランスなど世界各地のワインやカルトワインについても詳しかったですね。<br />
　<br />
ますます興味が湧いて学んでいった結果、2年ほど前にサーティファイド・スペシャリスト・オブ・ワインという資格を取得しました。その資格を取った後、前のオーナーが店を売りに出すことになり…。私はこの店が大好きだし、もしなくなってしまったら嫌だ、そういう気持ちに後押しされたことで、思い切って店を買うことにしたんです。酒屋になるつもりはなかったのですが（笑）、これは自分にとって二度と来ないチャンスかもしれないという気持ちもありました。</p>
<h4>ー ワインショップのオーナーとしてやっていく上でのやりがい、そしてご苦労とは？</h4>
<p id="answer_text">楽しいですね。儲けるのは本当に大変で、リテイルは儲からない商売だと思います（笑）。今は競争が激しく、スーパーやネットでもいろいろなワインが手に入りますから。<br />
　<br />
それに苦労しているのは仕入れです。ここのワインは私とスタッフが試飲した上で買っているのですが、商品選びをしていく上で、自分たちが気に入るだけでなく、より多くの方に気に入ってもらえるものを選び、さらにそれを納得の値段で提供しなければなりません。<br />
　<br />
クオリティーが高くても値段が高いものばかり置いていては、お客さんに「ここの店は高いものばかり」と思われてしまうし、値段が手頃で飲みやすいワインばかり置いていても「ここの店にはつまらないワインしかない」と思われてしまいます。<br />
　<br />
ワイン通の方からワインを今まであまり飲んだことがない方、美食家やビーガンの方にまで楽しんでいただけるような、できるだけ幅広い品揃えに気を配っています。<br />
　<br />
苦労は毎日ですね。なんでこれをやることになっちゃったんだろうと思ったりもします。高いワインを目の前で盗まれたこともあります。時間も会社勤めのように決まっていませんから、アポなしで業者さんが来たり、お客さんももちろん来るし、それぞれに対応しなければならなくて、決断しなければならないことやスケジュールの調整、店の家賃、スタッフの給料、業者への支払いで、頭の中がゴチャゴチャしてしまい、優先順位が付けられず、初めの頃はストレスだらけでした。最近はそのストレスをだんだん乗り越えられるようになりました。それもまた、助けてくれるお店のスタッフのおかげです。</p>
<h4>ー お仕事にしてしまうと、リラックスしてワインを楽しめないのでは？</h4>
<table border="0" cellspacing="0" cellpadding="0" class="sub_img02">
<tr>
<td>
      <img decoding="async" src="/images/work/hobby-turned-professionals/SallyMiyagi_03.jpg" width="300" border="0" alt="サリー・宮城さん" /></p>
<div class="caption">まだワインを仕事にする前の2010年、ドイツでアップルワインを楽しむ。</div>
</td>
</tr>
</table>
<p id="answer_text">プライベートでワインを飲むときも、このワインはどう表現したらいいだろう、どういう料理に合いそうか、いくらくらいだったら買うかな、とか考えてしまいます。でもそれもまた、楽しいですね。</p>
<h4>ー 今後のお仕事の展開について教えてください。</h4>
<p id="answer_text">幅広い層の方がおいしいワインを楽しめる店として、気軽に立ち寄れる空間を提供できたらと思っています。ワインショップだけでなくワインバーも併設しています。フライトのメニューは毎週変わりますし、ブドウの種類を当てるブラインドテイスティングも毎週金曜日に開催しています。さらに、毎月1回ワインとチーズペアリング、ジャズの生演奏など趣向を凝らしているので、ぜひ多くの方に来ていただきたいです。スタッフは皆ワインが大好きで、フレンドリーで美食家、世界を旅している人が揃っていますので、話題も豊富ですし、お探しのワインに関する相談にも応じます。<br />
　<br />
まるで宣伝のようになってしまいましたけど（笑）、お客様に、ここであっと目覚めるようなワインに出会ってもらえたら、ワイン好きが高じてワインショップを経営するまでになった私としては言うことないですね。</p>
<div class="clearfix"></div>
<div class="mB10 content line_top clearfix"></div>
<p><a name="03"></a></p>
<h2 class="tittle">ヨガウエアブランド「urbanretreat」ディレクター<br />
Makkieさん</h2>
<h3>「ありのままでいい」と教えてくれたヨガ<br />
経験生かして「自分らしい」ウエアをデザイン</h3>
<p id="answer_text">熾烈な競争が繰り広げられるファッション業界の中で、疲れたMakkieさんの心身を癒してくれたヨガ。ヨガウエアのデザインとプロデュースに専念することになった経緯を伺いました。</p>
<h4>ー 現在、ヨガウエアのブランドurbanretreatを世界に向けて展開されているMakkieさんとヨガとの出会いとは？</h4>
<table border="0" cellspacing="0" cellpadding="0" class="sub_img02">
<tr>
<td>
      <img decoding="async" src="/images/work/hobby-turned-professionals/Makkie_01.jpg" width="300" border="0" alt="Makkieさん" /></p>
<div class="caption">まっきー◉静岡県出身。高校時代のアメリカ留学を経て、静岡雙葉学園を卒業後に、ロサンゼルスのファッションカレッジFIDM（Fashion Instituteof Design and Merchandising）へ留学。卒業後、アシスタントデザイナー、ショップのバイヤーを経て、2007年にハリウッドにセレクトショップをオープン。2008年にはオリジナルブランドの「HOLLYWOOD MADE」をローンチ。さらにフォトTシャツの「CAPUTURE」などのブランドを立ち上げた後、ヨガの講師資格を2014年に取得。2016年にはヨガウエアの新ブランド「urbanretreat」のディレクターに就任。<a href="http://shop.urbanretreat.yoga/" target="_">Webサイト</a></div>
</td>
</tr>
</table>
<p id="answer_text">初めてヨガに出会ったのは20歳くらいの時です。以降ずっとフィットネス感覚で通っていましたが、30代前半で、岩盤浴ヨガを始めてからは、メンタルヘルスとヨガのつながりを強く感じるようになりました。もっと深くヨガに関わりたいと興味が出てきたのです。ヨガを通じて「無理せず、ありのままの自分を受け入れていいのだ」と思えるようになりました。<br />
　<br />
それで、2014年にセドナでの3週間のヨガ合宿にも参加し、全米ヨガアライアンスが認定するヨガのインストラクターのライセンスも取得しました。</p>
<h4>ー それまではどのようなお仕事をされていたのですか？</h4>
<p id="answer_text">ロサンゼルスのカレッジのファッションデザイン科を卒業してから29歳で会社を立ち上げるまでは、アパレル会社のアシスタントデザイナーを経て、人気ビンテージショップ「Popkiller」のバイヤーとして働いていました。<br />
　<br />
その間に結婚して、離婚したタイミングで独立を果たしました。ハリウッドに「LALLURE」というセレクショップを経営していたのですが、場所柄からか、スタイリストさんがよく足を運んでくれるお店になって、マーケティングに特に力を入れなくても口コミで評判が広がりました。ケイティー・ペリーやケリー・ヒルソンに衣装を提供したのをはじめ、セレブが多数来店するようになりました。<br />
　<br />
その後、2008年にはオリジナルブランドの「HOLLYWOOD MADE」、数年後にフォトTシャツの「CAPTURE」を立ち上げました。どの業界もそうだとは思いますが、特にアパレルの業界にいると、流行り廃りがすごい速さで繰り返されます。自分より後に始めたブランドの方が売れたり、自分が自信を持って作ったデザインが全く評価されなかったり、また競争が激しいだけ、人間関係のゴタゴタも多く、精神的に落ち込むこともしばしばありました。</p>
<p>　</p>
<table border="0" cellspacing="0" cellpadding="0" class="sub_img02">
<tr>
<td>
      <img decoding="async" src="/images/work/hobby-turned-professionals/Makkie_02.jpg" width="300" border="0" alt="Makkieさん" /></p>
<div class="caption">「自分のなりたい人間像はヨガの中にある」</div>
</td>
</tr>
</table>
<p id="answer_text">でも、どんなに大変な時期でも、頑張らなくちゃ、しっかりしなくちゃ、前に進まなくちゃ、ファッションのお仕事だから自分もきれいでいなくちゃという強迫観念に追われ、それがだんだん辛くなっていた時に岩盤浴ヨガと出会いました。ヨガに取り組みながら、「ありのままを受け入れましょう」という言葉を聞いて、肩の力が抜けていき、穏やかな気持ちになれたのです。<br />
　<br />
そして、ファッションで外見だけを着飾るのではなく、中身の深い部分も磨きたいと思うようになりました。自分のなりたい人間像はヨガの中にある、と感じました。</p>
<h4>ー ヨガウエアのプロデュースをお仕事にしようと思ったきっかけは？</h4>
<p id="answer_text">ヨガのインストラクターの資格を取った後の2015年、別件で日本の会社の方とミーティング中に「ヨガのインストラクターもしているんです」と話したところ、実はその会社がアスレチックウエアにも力を入れているということが分かり、ヨガウエアのブランドを手がけませんか？とお誘いを受けたました。早速企画書を作成したところ、それが通り、2016年に「urban retreat」を立ち上げました。</p>
<h4>ー 今のお仕事のやりがいやご苦労についてお聞かせください。</h4>
<table border="0" cellspacing="0" cellpadding="0" class="sub_img02">
<tr>
<td>
      <img decoding="async" src="/images/work/hobby-turned-professionals/Makkie_03.jpg" width="300" border="0" alt="Makkieさん" /></p>
<div class="caption">urbanretreatの撮影で©&#xfe0f;IBUKI</div>
</td>
</tr>
</table>
<p id="answer_text">とにかく楽しいです。苦労は特にないですが、強いて言うなら、感覚がアパレル寄りになっていて、デザインとしてはかわいいけど、ヨガウエアには向かないものを思い付いてしまった時に残念だって思うことくらいでしょうか。</p>
<h4>ー 今後のビジョンをお聞かせください。</h4>
<p id="answer_text">流れに身を任せて、流れる方向に進むだけ、という感じです。以前とは違い、今はヨガを通じて自分と向き合うことで自然と正しい方向に進めるようになったので、焦りもなくなりましたね。ヨガは私にとっての人生の方向指示器のような存在です。</p>
<div class="clearfix"></div>
<div class="mB10 content line_top clearfix"></div>
<p><a name="04"></a></p>
<h2 class="tittle">オーガニックビーガンレストラン「VegiLicious」オーナー<br />
中尾昭さん</h2>
<h3>レスリング選手としての体調管理で出会った菜食<br />
ビーガンになったことは人生最高の決断だった</h3>
<p id="answer_text">遠方からも常連客を呼び寄せるオーガニックビーガンのレストラン。オーナー兼シェフの中尾さんは、人々を幸せで健康にしたいという気持ちから店を開けた今、毎日が喜びの連続だと話してくれました。</p>
<h4>ー 中尾さんとビーガンとの出会いとは？</h4>
<table border="0" cellspacing="0" cellpadding="0" class="sub_img02">
<tr>
<td>
      <img decoding="async" src="/images/work/hobby-turned-professionals/AkiraNakao_01.jpg" width="300" border="0" alt="中尾昭さん" /></p>
<div class="caption">なかおあきら◉大阪府出身。日本で二度、社会人レスリングの全国大会優勝を経験。2006年渡米し、ロサンゼルス近郊の焼肉店のマネージャーを務めた。自身もビーガンになったことから、2013年にオレンジ・カウンティーのハンティントンビーチに「VegiLicious」を開店。自らがキッチンに立ち、妻の亜津子さんがサーバーを担当。丼、カレー、ラーメン、コンビネーションミールなどオーガニック食材を使った日本食ビーガンレストランとして人気を集めている。<a href="https://vegilicious-us.com/" target="_">Webサイト</a></div>
</td>
</tr>
</table>
<p id="answer_text">もともと日本で社会人レスリングの選手だったんですが、自分の体調を整える目的で、20代後半のある時期にまず添加物の摂取をやめたんです。そうしたら、それまで病気がちだったのが風邪も一切ひかなくなったんですね。また、牛肉よりも豚肉、豚肉より鶏肉、さらに魚よりも豆腐や納豆といった大豆食品を食生活の中心に据えることで、疲れの回復が早く、体調が良くなっていくことを実感したのです。その後、30代後半になって、自分の健康のために、食生活についてさらに真剣に考えるようになりました。詳しく調べた結果、日本人に多いがん、心筋梗塞、脳疾患は肉食に関係があるということが分かりました。それで肉を断ちました。また、私がビーガンになる決断をしたのには、健康以外にも理由がありました。まず、畜産は環境に優しくないこと、次に食物を家畜に与えているために世界の食糧事情を悪化させていること、さらに食用となる動物がかわいそうだということです。</p>
<h4>ー ビーガンのお店まで出してしまったのはなぜですか？</h4>
<p id="answer_text">実は前職もその前も焼肉店の店長をしていたんです。自分はどんどんビーガンに傾倒しているし、肉ではなく豆腐や納豆を食べているのに、お客様に肉を提供するという矛盾や、周囲のスタッフにビーガンを勧めることができないことに長い間悩みました。葛藤の中で、このままの生活を5年、10年と続けるわけにはいかないという境地に達して、自分がおいしいと思えるビーガンの店を出そうと決意したのです。もともと料理を作るのは、料理上手な母の影響で得意でした。同じビーガンでも砂糖や油で味をごまかしたジャンクなビーガンを出す店も少なくありません。やるからには、味と素材にこだわった本物のビーガンを提供したいという熱いがふつふつと湧いてきました。おかげさまでレストラン経営のノウハウは焼肉店勤務で習得していましたので、行動あるのみでした。</p>
<h4>ー ビーガンのレストランを経営する上でのご苦労は？</h4>
<table border="0" cellspacing="0" cellpadding="0" class="sub_img02">
<tr>
<td>
      <img decoding="async" src="/images/work/hobby-turned-professionals/AkiraNakao_02.jpg" width="300" border="0" alt="中尾昭さん" /></p>
<div class="caption">キッチンは中尾さん一人で担当。</div>
</td>
</tr>
</table>
<p id="answer_text">うちの店はハンティントンビーチでも、引退者が多い住宅地近くのショッピングモールの中にあるので、新規開店のロケーションとしては不利でした。年齢が上の方々は、慣れ親しんだトラディショナルな食習慣を変えることをなかなかしませんから。彼らにとってビーガンは新しいコンセプトなんですよね。軌道に乗せるまでの最初の3年は大変でした。そんな中で、果たして、こんな苦労を背負ってまで店を出す必要があったのかと自問自答したこともありました。<br />
　<br />
そんな中、徐々にyelpで高い評価をいただくようになり、それが口コミでどんどん広がっていきました。今はほとんどのレビューが5つ星です。最初は不利なロケーションだと思っていましたが、ロサンゼルスの中心部やサンディエゴから来店していただけるようになりました。やりがいとしては、お客様から「ここの料理がきっかけでビーガンになった、肉を減らすようになった」「こんなにおいしくて健康的なビーガンの店を作ってくれてありがとう」というお声をいただくことですね。少しでも多くの人に健康で幸せになってほしいという気持ちでビーガンの店を始めたので、お客様のそういった声がやりがいに直結しています。今は毎日が喜びの連続です。</p>
<h4>ー 中尾さんの今後のビジョンは？</h4>
<table border="0" cellspacing="0" cellpadding="0" class="sub_img02">
<tr>
<td>
      <img decoding="async" src="/images/work/hobby-turned-professionals/AkiraNakao_03.jpg" width="300" border="0" alt="中尾昭さん" /></p>
<div class="caption">菜食でレスリング王者時代の体を維持。</div>
</td>
</tr>
</table>
<p id="answer_text">菜食がいかに素晴らしいかということを、より多くの人に伝え続けたいという気持ちです。菜食は味気ないものというイメージがあるかもしれません。でも、そうではなく、おいしいビーガンを味わっていただきたいと思います。菜食は自分も健康になるし、環境も良くするし、動物も助けます。そのことを人々に広めたいというのが私の目標です。ビーガンになったことは、人生において最高で最大の素晴らしい決断だったと思います。</p>
<div class="clearfix"></div>
<div class="writer">※このページは「ライトハウス・カリフォルニア版2019年9月16日号掲載」掲載の情報を基に作成しています。最新の情報と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。</div><p>The post <a href="https://www.us-lighthouse.com/work/hobby-turned-professionals.html">好きを仕事に★趣味を極めたプロフェッショナルたち</a> first appeared on <a href="https://www.us-lighthouse.com">現地情報誌ライトハウス</a>.</p>]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>アメリカで働くお母さんたち</title>
		<link>https://www.us-lighthouse.com/work/working-mothers.html</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[Lighthouse1260]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 01 Mar 2019 08:00:48 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[アメリカで働く（多様な職業のインタビュー集）]]></category>
		<category><![CDATA[働く]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://www.us-lighthouse.com/?p=55458</guid>

					<description><![CDATA[<p>仕事を持つ、家庭を持つ、子どもを持つ…人生の選択は十人十色です。本ページではアメリカで働きながら子どもを育て、生き生きと輝いている4人のお母さんに注目。ワーキングママという選択をした理由から、忙しい時間のタイムマネジメント法、家族での役割分担などまでお話を伺い、自分らしく仕事と子育てを両立させるコツを探ります。 （ライトハウス・ロサンゼルス版2019年3月1日号掲載） 01. セルバンテス結子さん 「周囲を巻き込んで子育てをする、そういう環境を自ら作るようにしています」 02. 相馬睦子さん 「 &#8230; <a href="https://www.us-lighthouse.com/work/working-mothers.html">Continue reading <span class="meta-nav">&#8594;</span></a></p>
<p>The post <a href="https://www.us-lighthouse.com/work/working-mothers.html">アメリカで働くお母さんたち</a> first appeared on <a href="https://www.us-lighthouse.com">現地情報誌ライトハウス</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p id="answer_text">仕事を持つ、家庭を持つ、子どもを持つ…人生の選択は十人十色です。本ページではアメリカで働きながら子どもを育て、生き生きと輝いている4人のお母さんに注目。ワーキングママという選択をした理由から、忙しい時間のタイムマネジメント法、家族での役割分担などまでお話を伺い、自分らしく仕事と子育てを両立させるコツを探ります。</p>
<div class="writer">（ライトハウス・ロサンゼルス版2019年3月1日号掲載）</div>
<ul class="backnumber_list">
<li class="entry_list"><a href="#01">01. セルバンテス結子さん<br />
「周囲を巻き込んで子育てをする、そういう環境を自ら作るようにしています」</a></li>
<li class="entry_list"><a href="#02">02. 相馬睦子さん<br />
「娘にも夢を持ってほしいし、結婚や出産で諦めてほしくない」</a></li>
<li class="entry_list"><a href="#03">03. 滝口詠美さん<br />
「一番助けられているのは、学校やスケートのママ友の存在」</a></li>
<li class="entry_list"><a href="#04">04. ベノワ・マミコさん<br />
「シングルマザーだからと一人で抱え込まず、ご近所さんに甘えました」</a></li>
<li class="entry_list"><a href="#05">働くお母さんをちょっと楽にするアイデア5選</a></li>
</ul>
<div class="clearfix"></div>
<p><a name="01"></a></p>
<h2 class="tittle">01. セルバンテス結子さん<br />
「周囲を巻き込んで子育てをする、そういう環境を自ら作るようにしています」</h2>
<table border="0" cellspacing="0" cellpadding="0" class="sub_img02">
<tr>
<td>
      <img decoding="async" src="/images/work/working-mothers/YuikoCervantes-01.jpg" width="300" border="0" alt="セルバンテス結子さん" /></p>
<div class="caption">せるばんてす・ゆいこ◎LA在住。日本にてサウジアラビア大使館大使秘書をしていた時に出会ったアメリカ人男性と結婚し、渡米。現在、MUFG Union BankのCorporate Brand and CommunicationのAssistant Vice President。<br />
<b>家族構成：アメリカ人夫、長女（3歳）、双子の長男次男（生後4週間）</b></div>
</td>
</tr>
</table>
<p id="answer_text">双子の赤ちゃんを生んだ直後、まだ仕事復帰前の産休中にインタビューに応じてくれたセルバンテス結子さん。キャリアと子育てをバランス良く両立しているように見えるその秘訣を探るべく、子育てや仕事についての考え方、具体的なやりくりの方法などを伺いました。</p>
<h4>ー まず現在のお仕事について教えてください。</h4>
<p id="answer_text">米州で東京本社とのリエゾンとしてブランド、広報業務に携わっています。その一方で、ロサンゼルスを拠点に日米関連の非営利団体パートナーの窓口を担当しています。ブランド業務では、三菱UFJフィナンシャル・グループのブランドを守る役割を果たしています。</p>
<h4>ー 出産当初から仕事は続けるつもりでしたか？</h4>
<p id="answer_text">仕事を続けることには迷いはありませんでした。戻ってから職場に自分の居場所があるか、またキャリアと子育てを両立できるか、という不安はありましたが、実際には、理解のある上司や同僚に恵まれて、すぐに不安はなくなりました。初めの数週間は幼い子を置いて家を出ることに抵抗がありましたが、慣れてくると、子どもといられる限られた時間を有意義に使おうと考えるようになって、むしろ復帰して良かったと思えるようになりました。</p>
<h4>ー 子育てと仕事を両立する上で大変なことは？</h4>
<table border="0" cellspacing="0" cellpadding="0" class="sub_img02">
<tr>
<td>
      <img decoding="async" src="/images/work/working-mothers/YuikoCervantes-03.png" width="300" border="0" alt="セルバンテス結子さん" /></p>
<div class="caption"><b>セルバンテス結子さんの働く1日のスケジュール</b></div>
</td>
</tr>
</table>
<p id="answer_text">子どもがいなかった時のように自分を100％仕事に注げないことでしょうか。私の仕事は日本とのやり取りがあるので、家でも仕事をすることがあるのですが、今すぐにメールの返信をしなければという時に娘がぐずったりして、返事が遅れてしまったりするんですね。他の同僚はできていることが私にはできない時に、たまにフラストレーションを感じてしまうのは正直、あります。でも、そもそも子育ては思い通りにいかないものなので、おかげで優先順位のつけ方が上手くなったとか、想定外のことが起こった時のプランBへの切り替えが早くなったとか、子どもがいることでこれまでとは違うスキルがアップしたとポジティブに考えるようにしています。</p>
<h4>ー ご主人とは家事や育児をどう分担していますか？</h4>
<p id="answer_text">夫の仕事は日々スケジュールが変わるため、毎日の予定を互いに共有しあいながら、できる方ができることをしています。彼の趣味が料理なので、彼がいる時は夕食はほとんど彼が作ってくれます。掃除に関してはどちらも苦手で、話し合った結果、週に1回プロのクリーニングをお願いすることにしました。最初は自分でやらないことへの罪悪感や抵抗感がありましたが、実際頼んでみたら掃除に使っていた時間を子どもと過ごせるし、ストレスも溜まらなくなりました。自分でなくてもできることは、人に頼っていいのだと思えるようになりました。</p>
<h4>ー キャリアと子育てを両立する秘訣は何だと思いますか？</h4>
<table border="0" cellspacing="0" cellpadding="0" class="sub_img02">
<tr>
<td>
      <img decoding="async" src="/images/work/working-mothers/YuikoCervantes-02.jpg" width="200" border="0" alt="セルバンテス結子さん" /></p>
<div class="caption">春に仕事復帰予定のセルバンテスさん。</div>
</td>
</tr>
</table>
<p id="answer_text">アフリカの言葉に〝It takes a village to raise a child〞というのがあるのですが、その通り、育児というのは自分だけでなく、家族、ご近所さん、友だち、コミュニティー、みんなからの支えをいただかないと難しいと思います。私の場合は、育児を助けてもらうことを見越して、出産前に、夫のご両親の自宅の数ブロック先に引っ越しました。会社からは遠くなりましたが、おかげで気軽に娘を預けられて助かっています。ご近所さんとも妊娠中から積極的に交流していたので、今ではちょっと買い物に出る時に娘を見ておいてとお願いして、お礼にお菓子を買って帰るというような関係を築けています。子育て、ましてや働きながら子どもを育てるのは大変なので、私はそういう風に、周囲を巻き込んでいく環境を自ら作っていくことを心掛けています。</p>
<div class="clearfix"></div>
<div class="mB10 content line_top clearfix"></div>
<p><a name="02"></a></p>
<h2 class="tittle">02. 相馬睦子さん<br />
「娘にも夢を持ってほしいし、結婚や出産で諦めてほしくない」</h2>
<table border="0" cellspacing="0" cellpadding="0" class="sub_img02">
<tr>
<td>
      <img decoding="async" src="/images/work/working-mothers/MutsukoSoma-01.jpg" width="300" border="0" alt="相馬睦子さん" /></p>
<div class="caption">そうま・むつこ◎シアトル在住。高校生の時に料理を学ぶためにアメリカに留学。その後、アメリカ人の夫と結婚。生後6カ月の娘を抱えながら立ち上げた手打ち蕎麦と天ぷらの店、Kamonegiが大人気となり、その活躍ぶりはさまざまなシアトルのローカルメディアでも取り上げられている。<br />
<b>家族構成：アメリカ人夫、長女（3歳）</b></div>
</td>
</tr>
</table>
<p id="answer_text">シアトルで知らない人はいない話題の蕎麦＆天ぷらの店、Kamonegiのオーナーシェフ、相馬睦子さん。店の立ち上げに動き始めたのはなんと娘さんが生まれてから6カ月後のこと。地元の飲食店の賞を受賞するなど大活躍の彼女から、仕事観、子育て観を伺いました。</p>
<h4>ー 妊娠中から、出産後は仕事をするつもりだったのですか？</h4>
<p id="answer_text">以前は共同経営で違う料理店のオーナーをしていましたが、妊娠が分かって、その店を売り、いったん仕事を離れました。その時は「この先はしばらく家にいるかも」と考えていて、店を出す計画はなかったのですが、出産の約半年後に、たまたま、住んでいる家の近くに物件が見つかって。今までの店より少し小さめで、自分がこれまでやってきたことを続けるにはちょうどいいスペースだと思って、やることにしました。</p>
<h4>ー 生後6カ月の子どもを抱えて開業をしたのですか？</h4>
<p id="answer_text">そうです。開業資金もあまりなく、しかもシアトルは建設ラッシュで、なかなか工事の業者さんが来てくれなくて。子どもを背負いながら、一から全部手作りで店を作りました。幸い、しばらくしたら、応募しておいたデイケアに子どもが1歳になったら入れることが決まって、それなら、頑張れるなと。</p>
<h4>ー 現在、お子さんは3歳。今、一番大変なことは？</h4>
<table border="0" cellspacing="0" cellpadding="0" class="sub_img02">
<tr>
<td>
      <img decoding="async" src="/images/work/working-mothers/MutsukoSoma-03.png" width="300" border="0" alt="相馬睦子さん" /></p>
<div class="caption"><b>相馬睦子さんの働く1日のスケジュール</b></div>
</td>
</tr>
</table>
<p id="answer_text">やはり時間がないこと。自分の時間はもちろん、子どもと一緒にいる時間もほとんどありません。店は週5日、夜のみですが、午前中から仕込みで、終わると夜の12時過ぎなので、平日に娘と会えるのは朝のほんのちょっとの時間だけというのが現状です。</p>
<h4>ー それでも働き続けていることの、良い点は何だと思いますか？</h4>
<p id="answer_text">子ども中心の生活ではなく、自分に対してのモチベーションを保てることですね。修行中からずっと自分の店を持つことが目標だったので。また、子どもが女の子なので、彼女に対しても、ぜひ夢を持って頑張ってほしいし、結婚や出産でその夢を諦めてほしくないという思いがあります。そんなお手本というか、道を示すみたいな気持ちもあります。</p>
<h4>ー ご主人とは育児や家事の役割分担を話し合ったりしますか？</h4>
<p id="answer_text">デイケアは夫の会社に近いので送り迎えは彼がしてくれています。夜ご飯は私が作り置きしておいたものを温めて食べてもらったり、週に1、2日は店に食べに来てくれたり。今は、夫の方に娘を見てもらうことが多いので、その分、休日は私が見るなど、なんとなく互いにバランスを見て、助け合っている感じですね。</p>
<h4>ー 息抜きのためにしていることがあったら教えてください。</h4>
<table border="0" cellspacing="0" cellpadding="0" class="sub_img02">
<tr>
<td>
      <img decoding="async" src="/images/work/working-mothers/MutsukoSoma-02.jpg" width="300" border="0" alt="相馬睦子さん" /></p>
<div class="caption">ご主人と娘さんと。早めの七五三の撮影。</div>
</td>
</tr>
</table>
<p id="answer_text">これまでは蕎麦を打つことが息抜きでしたが、あまりに量が多くて最近はリラックスできなくなって。それで、昨年から、壊れた器を金でつないで直す「金継ぎ」を始めました。店で壊れた器を少しずつ持ち帰って家でやるのですが、没頭できて、いいセラピーになります。直した器は唯一無二のものになるのもまたいいんですね。おかげで店の器が壊れてもスタッフに対してイライラしなくなりましたし、娘が何かを壊しても「しょうがない」と寛大になれるようになりました。</p>
<h4>ー 子育て、仕事、人生において大切にしていることは？</h4>
<p id="answer_text">自分の中で決めているのは「言い訳をしない」ということ。時間がないとか、英語ができないとか、言い訳してしまうと自分の可能性はどんどん狭まって、その先のステップに進めません。同時に、子どもがいることを言い訳にしないことも心掛けています。「子どもがいるから」と誘いを断ると次から誘われなくなって、世界が狭まってしまうと思うんです。実践するのは大変ですが、まさに大変だということを言い訳にしないようにしています。</p>
<div class="clearfix"></div>
<div class="mB10 content line_top clearfix"></div>
<p><a name="03"></a></p>
<h2 class="tittle">03. 滝口詠美さん<br />
「一番助けられているのは、学校やスケートのママ友の存在」</h2>
<table border="0" cellspacing="0" cellpadding="0" class="sub_img02">
<tr>
<td>
      <img decoding="async" src="/images/work/working-mothers/EmiTakiguchi-01.jpg" width="300" border="0" alt="滝口詠美さん" /></p>
<div class="caption">たきぐち・えみ◎サンディエゴ在住。右脳を活性化すると同時に数学への苦手意識を取り除くそろばん教室、Wizard of Mathを開校。月～金曜まで、娘のフィギュアスケートの練習をサポートしながら、月水木土の週4日間そろばん教室で教えている。<br />
<b>家族構成：日本人夫、長女（26歳）、次女（14歳）</b></div>
</td>
</tr>
</table>
<p id="answer_text">2人の娘さんは共に幼い頃からフィギュアスケートに没頭。現在も次女の練習への送り迎えのため滝口さんの朝は4時からスタートします。週3日はサンディエゴからLAのスケートリンクまで通って、戻ってから、Wizard of Mathでそろばんを教えている、パワフルな滝口さんに子育てについて伺いました</p>
<h4>ー Wizard of Mathを始めたのはいつですか？</h4>
<p id="answer_text">今から10年前、上の子が16歳、下の子が4歳の時です。そろばん教室をなさっていた方が日本に帰国することになって、後任の先生を募集していることを知り、応募したことが始まりでした。だいぶ前の話ですが、高校は商業高校に通ってそろばんを習いましたし、卓球をやっていて社会人卓球選手として銀行に就職したので、仕事でもそろばんを使った経験がありました。子どもと触れ合うのも好きだったので、自分に合っていると思ったんです。</p>
<h4>ー なぜ働くことにしたのですか？</h4>
<p id="answer_text">上の子が幼い時は、私はサンディエゴで大学に通っていました。2001年に卒業しましたが、ビザの関係もあって仕事はせず、日本からの駐在家庭の子どもの学校通訳などのボランティアをしていました。そうこうしているうちに下の子ができて、しばらく専業主婦。でも、忙しいことに慣れていたから、落ち着かなくて。合法的に働ける状態になり、娘が幼稚園に入れたこともあって、外に出たかったんです。</p>
<h4>ー 今、一番大変なことは何ですか？</h4>
<table border="0" cellspacing="0" cellpadding="0" class="sub_img02">
<tr>
<td>
      <img decoding="async" src="/images/work/working-mothers/EmiTakiguchi-03.png" width="300" border="0" alt="滝口詠美さん" /></p>
<div class="caption"><b>滝口詠美さんの働く1日のスケジュール</b></div>
</td>
</tr>
</table>
<p id="answer_text">仕事は週4日、基本、子どもの学校が終わった後の時間で、他の働くお母さんに比べたら仕事の時間的な拘束はそこまでないんです。ただ、下の子のフィギュアスケートの練習で平日は朝4時起きですし、週3日はLAまで送って彼女の練習に付き合ってからサンディエゴに戻って来る、その送り迎えが大変ですね。でも、私自身が昔、卓球選手で、周囲の理解と支援のおかげで競技生活を続けられた経験があるので、子どもがやりたいならできる限りサポートしたいと思っています。</p>
<h4>ー お子さんの思春期はどうでした？</h4>
<p id="answer_text">ボーイフレンドができたとか、そのために成績が悪くなったとか、上の子の時はいろいろあってスクールカウンセラーに相談に行ったこともあります。下の子はスケートに通うために、普通の学校ではなくチャーター・スクールに行っています。スポーツに打ち込んでいるなど境遇が似ている子たちが通っていることもあって、学校絡みの心配は、上の子ほどではないかもしれませんね。</p>
<h4>ー 日本語教育はどうしていますか？</h4>
<p id="answer_text">上の子は補習校6年生まで、下の子は日本語幼稚園から補習校5年生まで通いました。せっかくバイリンガルになれる環境なのだから、親が面倒くさいという理由でチャンスを潰すことはしたくなくて、頑張りましたね。今は親が日本語で話しかけても英語で返ってくることが多いですが、分かってはいるという状態ですね。</p>
<h4>ー 子育てと仕事の両立のコツは？</h4>
<table border="0" cellspacing="0" cellpadding="0" class="sub_img02">
<tr>
<td>
      <img decoding="async" src="/images/work/working-mothers/EmiTakiguchi-02.jpg" width="300" border="0" alt="滝口詠美さん" /></p>
<div class="caption">手前から次女Miaさん、長女Maiさん、滝口さん。</b></div>
</td>
</tr>
</table>
<p id="answer_text">やはり一番助けられたのはママ友の存在です。何かあった時、分からないことがあった時は、同年代のママ友や先輩ママに相談して教えてもらいました。子どもを夫が見てくれている間にママ友と遊びに行くのが日々の息抜きの一つにもなっています。</p>
<h4>ー ご主人とは育児、家事をどう分担していますか？</h4>
<p id="answer_text">私の仕事がある土曜は、夫が送り迎えや学校のボランティアをやってくれます。料理は私がしますが、夕飯後は気付くと寝落ちしている毎日で、お皿洗いなどは夫がやってくれています。私が遊びに行く時も嫌な顔せず、娘の面倒を見てくれます。娘はきっとおねだりしたいだけだと思うのですが、私が留守の間も父娘で買い物に行くなど仲良くやってくれてありがたいです。</p>
<div class="clearfix"></div>
<div class="mB10 content line_top clearfix"></div>
<p><a name="04"></a></p>
<h2 class="tittle">04. ベノワ・マミコさん<br />
「シングルマザーだからと一人で抱え込まず、ご近所さんに甘えました」</h2>
<table border="0" cellspacing="0" cellpadding="0" class="sub_img02">
<tr>
<td>
      <img decoding="async" src="/images/work/working-mothers/MamikoBenowa-01.jpg" width="300" border="0" alt="ベノワ・マミコさん" /></p>
<div class="caption">べのわ・まみこ◎LA在住。夫と離婚後、ネイリスト、歯科受付などを経て、2004年にプロフェッショナル用の日本製スキンケア用品を販売するビューティーショップ、<a href="https://tokyobeautyproducts.com/" target="_">Tokyo Beauty</a>を設立。現在は、同ショップの経営運営の他に、三味線の先生としても活躍。<br />
<b>家族構成：長男（25歳）、長女（23歳）</b></div>
</td>
</tr>
</table>
<p id="answer_text">ビューティーショップ、Tokyo Beautyを経営しながらシングルマザーとして育てた2人のお子さんが無事就職し、子育ては一段落したというベノワ・マミコさん。その経験談には、育児まっただ中のお母さんに役立つヒントがありそうです。</p>
<h4>ー 離婚された時はお仕事をなさっていたのですか？</h4>
<p id="answer_text">いいえ。前夫とは日本で知り合って結婚し、彼の転勤でアメリカに来ました。渡米時は既に上の子を妊娠していて、着いたらすぐに出産で、仕事をする機会はないままでした。離婚後、日本に帰るという選択もありましたが、アメリカに残る前夫と子どもを引き離すことは頭になく、こちらで仕事をすることに決めました。アメリカで働くために手に職があった方がいいと考え、離婚前にいくつかの美容系の資格を取得していましたので、まずはネイルサロン勤務からスタートし、上の子が10歳になった時にTokyo Beautyを立ち上げました。</p>
<h4>ー ービジネスと子育ての両立で大変だったことは？</h4>
<p id="answer_text">とにかく時間がないことですね。特に離婚当初はシングルのワーキングマザーになったためにこれまでできていた家事ができなくなるのは子どもに悪いと思って、絶対に手を抜かないよう一所懸命でした。さすがに疲れて、ある時から「今日1日ぐらいご飯がピザでも子どもは死なない」と自分に言い聞かせるようにしました。まずは料理の面から、手抜きするところはしてもいいと自分の考えを変えていったら、だんだんと力が抜けて楽になりました。</p>
<h4>ー 仕事と子育て、両立の秘訣は何だったのでしょう？</h4>
<p id="answer_text">一番助けられたのはアメリカ人のご近所さんたちです。学校などのお迎えは、同じようにお子さんのいるご近所さんにお願いして、私が帰ってくるまでそのご家庭で遊ばせてもらったり。宿題など私では助けられない時もご近所さんに甘えました。その代わりといっては何ですが、子どもに礼儀作法はしっかりと教えました。おかげで「あなたの子は礼儀正しいからいつでも歓迎よ」と言ってもらえました。そんな環境だったからか、子どもたちは、親の私が驚くほどすごく社交的に育ちました。</p>
<h4>ー 子育てを振り返って、「やっておいて良かった」と思うことはありますか？</h4>
<table border="0" cellspacing="0" cellpadding="0" class="sub_img02">
<tr>
<td>
      <img decoding="async" src="/images/work/working-mothers/MamikoBenowa-02.png" width="300" border="0" alt="ベノワ・マミコさん" /></p>
<div class="caption">長男は野球、長女はチアリーディングなど、お子さんはスポーツ活動をずっと続けたそうですが、その送り迎えもご近所さんに助けてもらったというベノワさん。「スポーツを通して思いやりや絆、集中力などが備わった」と振り返ってくれました。</div>
</td>
</tr>
</table>
<p id="answer_text">子どもが高校生になった段階でアルバイトを勧めたことです。比較的お金持ちが住む学区で、周りにはアルバイトしている子はまずいなかったのですが、息子がどうしても参加したいプログラムがあるからお金を出してほしいと言ってきた時に、いい機会と思い、「まずは自分で働いてお金を作ってごらん。その上で足りなかった分は出してあげる」と言ったんです。その頃、日系のレストランが近所にオープンしたので、そこがいいのではと提案しました。日本語も英語も両方活用でき、日本式の接客マナーなども徹底して教えてもらえて、とてもいい勉強をさせていただいたと思います。自ら稼いだことでお金のありがたみが分かったのか、その後、子どもたちは自分たちの車のガソリン代を自分で出すようになりました。大学卒業時、自分に合う仕事をすぐに見つけて就職できたのも、学生時代に社会経験を積んだおかげではないかと思っています。</p>
<h4>ー 今、子育て真っ最中の働くお母さんにメッセージをください。</h4>
<p id="answer_text">アメリカでの子育ては言葉の問題や親の助けを望めないなどストレスも多いと思います。夜泣きや反抗期など、理想とは違うことも起こります。そこに夫婦の問題などが重なるとキレてしまうかもしれません。でも、心に留めていただきたいのは「一呼吸」。子どもに当たったり、目の前で夫婦喧嘩をしたりしないこと。私自身、全然立派な母ではありませんでしたが、子どもは敬ってくれています。それは長年、母の姿を見てきた結果です。完璧でなくても子どもと信頼関係が築ければ、結果うまくいくと思います。</p>
<div class="clearfix"></div>
<div class="mB10 content line_top clearfix"></div>
<p><a name="05"></a></p>
<h2 class="tittle">働くお母さんをちょっと楽にするアイデア5選</h2>
<p id="answer_text">息抜きになったり、気持ちが軽くなったり、 時短になったり、働くお母さんの毎日をちょっと楽にするアイデアをご紹介します。</p>
<div id="detail_data_block">
<h3>[セルバンテス結子さんのアイデア]<br />
ほしい情報のあるウェブサイトを知っておく</h3>
<p id="answer_text">例えばアメリカでの子育てに関する法律や学校制度などについて日本語で情報を得たいときは、ライトハウスのウェブサイトの「<a href="https://www.us-lighthouse.com/life/daijiten" target="_">アメリカ生活大事典</a>」を見ると基本的な情報がまとまっています。また、働く女性のキャリアについては、働く女性の声を発信している「<a href="https://ewoman.jp/" target="_">イー・ウーマン</a>」といったサイトもあります。「イー・ウーマンは基本は日本向けのサイトですが、世界で活躍する女性を対象にしているので、自分にとってためになる情報も多く、定期的にチェックしています」（セルバンテスさん）。</p>
</div>
<div id="detail_data_block">
<h3>[相馬睦子さんのアイデア]<br />
共感できるワーキングママのSNS をフォローする</h3>
<p id="answer_text">「Instagram」には、実は育児絵日記や育児漫画を専門にしているアカウントもたくさん。 英語、日本語問わず、実際に子育て中のお母さんたちが描いているので、共感できるポイントがたくさんあり、勇気や元気をもらうことも多々。「自分の感性に合うアカウントを一つ見つけたら、その後は、似たような人がどんどんオススメとしてで出てきますので、まず自分が共感できる人を一人でも見つけられるといいですね」（相馬さん）。日本語の場合、#育児、#育児日記、#育児絵日記、#育児漫画などのハッシュタグで検索してみるのがおすすめです。 </p>
</div>
<div id="detail_data_block">
<h3>[滝口詠美さんのアイデア]<br />
学校や習い事のボランティアでママ友だちを増やす</h3>
<p id="answer_text">家族や親戚、ご近所さん、そして友だち。相談したり、助けてもらったりできる相手が多いほど心理的には楽になります。特に子どもの学校や習い事を通して出会うママ友は共通点が多い分、互いに共感を持って話ができるのが良い点です。「学校や習い事のボランティアは嫌だという人もいるのですが、私は現地校も、補習校も、習い事もボランティアをしたおかげでいろんなお母さんたちと知り合え、相談したり、情報をもらったりして、助けられています」（滝口さん）。</p>
</div>
<div id="detail_data_block">
<h3>[ベノワ・マミコさんのアイデア]<br />
カットした野菜や茹でた野菜を冷凍して置いておく</h3>
<p id="answer_text">休日に料理をたくさん作り置きしておくのは結構な負担。そこまで気張らずに、切った野菜と、切った野菜を茹でたものを冷凍しておくのも一案です。「温野菜は、解凍して野菜炒めにしたり、カレーやシチューの具にしたり、いろいろな料理に使えます。仕事で疲れて帰ってきた時に、一から料理をするのは億劫ですが、既に野菜が切ってあったり、茹でてあったりすれば、かなり楽。そこまで手間なく料理を作れます」（ベノワさん）。</p>
</div>
<div id="detail_data_block">
<h3>[ライトハウス編集部のアイデア]<br />
家電を見直して、家事の時間短縮を</h3>
<p id="answer_text">ちょっと出費にはなりますが、家事や日常ルーティンの効率化を図るために家電を見直すのもおすすめ。近年すっかり人気が定着した調理家電、スロークッカーは、材料を入れてスイッチを入れるだけで煮込み料理ができる、 忙しいお母さんの味方。タイマーを設定していけば、帰ってくる頃には料理ができています。また、時間がかかるヘアドライヤーを大風量の速乾のものに買い替えるなんていうかなり小さなことでも、これまでかけていた時間を他のことに使えるようになったとの経験談もあり。見落としているようなところもまだまだ見直せるかもしれません。</p>
</div>
<div class="writer">※このページは「ライトハウス・ロサンゼルス版2019年3月1日号」掲載の情報を基に作成しています。最新の情報と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。</div><p>The post <a href="https://www.us-lighthouse.com/work/working-mothers.html">アメリカで働くお母さんたち</a> first appeared on <a href="https://www.us-lighthouse.com">現地情報誌ライトハウス</a>.</p>]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>デニム・ヘッドデザイナー（クリエイティブ系）：松原正明さん</title>
		<link>https://www.us-lighthouse.com/work/career-interview/pro-13167.html</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[Lighthouse1260]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 01 Nov 2018 07:02:04 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[アメリカで働く（多様な職業のインタビュー集）]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://www.us-lighthouse.com/?p=35999</guid>

					<description><![CDATA[<p>「プロダクトに対して純粋」であるべき。デザイナーのエゴは、現場に伝わります。 日本で大手ジーンズメーカーに勤務し、ジーンズ制作のいろはを学んだデザイナーの松原正明さん。デニムジーンズの本場でデザインをしてみたいと渡米し、プレミアムジーンズを製造するAG Adriano Goldschmied, Inc.社に入社。「エゴを出さないのが僕のスタイル」と謙虚に語る松原さんに話を聞いた。 【プロフィール】まつばらまさあき&#9673;東京都出身。日本の大学で経済学を専攻した後、大手ジーンズメーカーに入社 &#8230; <a href="https://www.us-lighthouse.com/work/career-interview/pro-13167.html">Continue reading <span class="meta-nav">&#8594;</span></a></p>
<p>The post <a href="https://www.us-lighthouse.com/work/career-interview/pro-13167.html">デニム・ヘッドデザイナー（クリエイティブ系）：松原正明さん</a> first appeared on <a href="https://www.us-lighthouse.com">現地情報誌ライトハウス</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<table border="0" cellspacing="0" cellpadding="0" class="sub_img02">
<tr>
<td> <img decoding="async" src="/profession/13167/1.jpg" border="0" /></td>
</tr>
</table>
<h3 id="answer_text">「プロダクトに対して純粋」であるべき。<br />デザイナーのエゴは、現場に伝わります。</h3>
<p></p>
<p id="answer_text">日本で大手ジーンズメーカーに勤務し、ジーンズ制作のいろはを学んだデザイナーの松原正明さん。デニムジーンズの本場でデザインをしてみたいと渡米し、プレミアムジーンズを製造するAG Adriano Goldschmied, Inc.社に入社。「エゴを出さないのが僕のスタイル」と謙虚に語る松原さんに話を聞いた。</p>
<p></p>
<table border="0" cellspacing="0" cellpadding="0" id="column">
<tr>
<td class="rate02">
<div class="caption">【プロフィール】まつばらまさあき&#9673;東京都出身。日本の大学で経済学を専攻した後、大手ジーンズメーカーに入社。企画生産部に配属される。2007年にプレミアムジーンズ「AGジーンズ」を製造／販売するAG Adriano Goldschmied, Inc.転職のため渡米。以来ヘッドデザイナーとして、同社で活躍中<!--<br /><a href="">キャリアインフォメーションはこちら</a></div>

--></td>
</tr>
</table>
<div id="detail_data_block">
<h3>そもそもアメリカで働くには？</h3>
<ul class="backnumber_list">
<li class="entry_list">アメリカで働くためには、原則として合法的に就労可能な「ビザ」が必要になります。<br /><a href="https://www.us-lighthouse.com/life/daijiten/visa.html" target="_blank">アメリカ・ビザの種類と基礎知識</a></li>
<li class="entry_list">日本から渡米してアメリカで働く方法として、18ヶ月の長期インターンシップも選択肢の1つ。<br /><a href="https://www.us-lighthouse.com/work/workingholiday-internship/j1-visa-internship.html" target="_blank">アメリカでワーキングホリデーのように働く！「J-1ビザインターンシップ」徹底解説</a></li>
</ul>
</div>
<p></p>
<h3 id="answer_text">ジーンズ発祥の地で一度は働いてみたい</h3>
<p id="answer_text">大学は経済学部を出ていて、卒業後は大手ジーンズメーカーに入社しました。ですから、ジーンズに関するノウハウは、すべて社会人になってから覚えたんです。元々洋服が好きで、特にジーンズが好きだったのが、入社のきっかけでした。企画生産という部署に配属され、デザインだけでなく、初めは生産やアシスタントなど、色んなことを経験しました。<br />　<br />デニムジーンズ発祥の地である西海岸には、出張や個人的趣味もあって何度も来ていました。それで業界の色々な方たちとお話しする機会にも恵まれて、ひょんなことから今の会社（AGAdriano Goldschmied, Inc.）で働くことになりました。<br />　<br />AG Jeansは、ロサンゼルス初のプレミアムジーンズ・ブランドで、社名になっている有名なデニムデザイナー、アドリアーノ・ゴールドシュミットと、アメリカ有数のデニム工場、Koos Manufacturing Inc.が合併して誕生しました。そういう経緯で生まれたブランドですから、縫製、ウォッシュ加工の工場が、デザインオフィスと一緒になっているという、稀で、恵まれた環境にあるんです。「ここなら思いっ切り、力を発揮できるかも」という感覚になりましたね。<br />　<br />西海岸はジーンズ発祥の地で、歴史もあります。ジーンズに関わっている者なら、誰もが一度は働いてみたいと思いますよね。それまで日本のブランド一筋で11年間ずっとやってきましたから、今度は異なるグラウンドで、チャレンジしてみたいと思い、渡米を決意しました。2007年のことです。<br />　</p>
<p></p>
<h3 id="answer_text">ファーストサンプルでも 即商品化される</h3>
<table border="0" cellspacing="0" cellpadding="0" class="sub_img">
<tr>
<td> <img decoding="async" src="/profession/13167/3.jpg" border="0" /> </p>
<div class="caption">松原さんデザインの今年のコレクション</div>
</td>
</tr>
</table>
<p id="answer_text">こちらで働き始めたら、渡米前とはずいぶんイメージが変わりましたね。もちろんアメリカはやっぱりスゴイのですが、本場に来て初めて、日本のジーンズの水準の高さに驚きました（苦笑）。どちらが良い、悪いということではなく、「違い」はやっぱりあります。例えば、アメリカは決定から商品化のスピードがとても速い。日本では散々考え抜いて決定を下すわけですが、ここでは「イイと感じたら、考え抜く前にやってみよう」っていう感じで、決定が単純明快です。<br />　<br />僕がサンプルを作って、「こういうデザインでやりたい」と言った時に、日本だったら「こんな物もある」「こういうサンプルの作り方がある」とか色々意見が出てくるんですね。でも、ここでは、「作ったんだから、さあ売りましょう」と、ドンドン先のステップに進んでいきます。うちの会社は、工場とオフィスが一緒になっている環境が恵まれていると言いましたが、デザインしたサンプルは、急げば２日以内に上がってきます。通常は外部の工場に送って、最速でも１週間はかかります。ただし、その分、すぐに決めていかなくちゃいけないのですが…。<br />　<br />また、日本で働いていた時は、自分がファーストサンプルを作っても、それがすぐに商品化されることはなかったです。最初のサンプルからもっと練り直して、またサンプルを作って、やっと皆にプレゼンして、そこで会議にかかって、ようやく商品化でした。今は、最初のサンプルの出来が良ければ、いきなりマーケットに出されることもあります。だから、ファーストサンプルを作る時に、時間がない中で、自分の持てる物を全部注ぎ込まないといけない。のんびり考えている暇がないほどスピードが速いです。「もっとじっくり作り込ませてほしい」と思ったこともありましたが、このペースで全体が動いていますから、僕だけが時間をかけて、歩調を乱すわけにはいきません。<br />　<br />嗜好の部分での違いもありました。日本で人気のあるフィットや素材と、アメリカで人気のあるものは全然違いました。日本と同じようにいけるだろうと思って来ましたから、戸惑いましたね。感覚の違いでしょうか、売れる物がやはり違うんですね。日本で、「これなら絶対売れる」という鉄板的なアイデアがあっても、アメリカでは全然売れないこともありました。そういう違いを理解するのに苦労しました。<br />　<br />最初の１年くらいは、それでミスをしました。知識があってもミスしちゃうんで、悩みましたね。ですが、大きなミスにならずに済みましたし、今もそうですけど、当時から会社の売上が伸びていて、前向きな失敗はある程度許容する流れにあったのは幸いでした。<br />　<br />現在、ヘッドデザイナーとして、デニムに関することは、全部僕が最終決定をしています。アシスタントデザイナーが数人いますので、彼女たちと一緒に生地を選んで、デザインを起こして、パタンナーと打ち合わせして、フィッティングして…。その生地が上がったら、ウォッシュの開発をします。そうして季節ごとに年４回のコレクションを作り上げるのが大きな仕事です。リサーチやコレクションを出品している展示会に出るために、ヨーロッパやニューヨーク、日本にも出張します。</p>
<p></p>
<h3 id="answer_text">ムダを省くのが僕のスタイル</h3>
<p id="answer_text">ジーンズのデザインは、基本的にLevi&#8217;sの５ポケットがベースとして存在します。素材にしてもデニムに決まっていますから、その中でどうするかです。あとはウォッシュという色の洗い落としで差別化を図るしかありません。素材のデニムを擦ったり、石と一緒に洗ったり、ブリーチをかけたりして色を落とすという作業をどういう風にするか、そこに個性が出ます。染め方によって落とし方も違いますし、糸の作り方によって擦り方が違ってきたり。他の洋服のデザインとは、かなり異質なものですね。<br />　<br />基本的に僕は、デザインに我を出さないようにしています。デザインに我を出すと、それは値段に跳ね返ってきます。なぜなら我を出すということは、何かを付け加えることになり、それはコスト増を意味します。できる限りムダを省くというのが、僕のスタイルです。それが個性と言ったら個性かもしれないですね。プレミアムマーケットでは、珍しいデザイナーなのかもしれません。<br />　<br />例えば個性を出したいのであれば、クオリティーの高いボタンを使うとか、良い素材を使ったり、そういうところでプレミアム感、圧倒的な違いを出したいと、僕は思います。うちのジーンズは１本200ドル以上、300ドル台の商品が多いですが、実際使っているボタンはイタリア製、素材も７～８割は日本の物を使って品質にこだわっています。<br />　<br />この仕事をしていてやりがいを感じることは、日本で初めてデニムを自分で企画して作った時から変わらないです。それが売れて、誰かに履いていただけることです。今は、それに加えてＡＧジーンズというブランドがうまくいくことが、うれしいですね。</p>
<p></p>
<h3 id="answer_text">経験を積むエゴを出さない</h3>
<p id="answer_text">デザイナー志望の人にアドバイスですか？僕が言うのもなんですけど、「経験を積む」ことが大切かもしれません。うちのインターンの子たちを見ていても、経験を積んでのし上がってやるという強い想いをすごく感じますね。チャンスはいっぱいあると思いますよ。特に日本人でしたら、それくらいの積極性がないと、ただでさえ言葉や文化でハンデがあるわけですから。遠慮していては、やっていけないでしょうね。<br />　<br />あとは、先にも言いましたが、デザインで「エゴを出さないこと」でしょうか。「ここをこうすれば、自分をアピールができるんじゃないか」。そういうものは、実は余計であることが多い。デザイナーのエゴが入ると、製造現場の人たちって気付くんです。そうすると、現場から信用されなくなります。だから、「プロダクトに対して純粋」であるべきなんです。現場から信頼されれば、必ず良い物が上がってきます。難しいことかもしれませんけど、そういう純粋さが大切です。<br />　<br />（2012年7月1日号掲載）</p><p>The post <a href="https://www.us-lighthouse.com/work/career-interview/pro-13167.html">デニム・ヘッドデザイナー（クリエイティブ系）：松原正明さん</a> first appeared on <a href="https://www.us-lighthouse.com">現地情報誌ライトハウス</a>.</p>]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>エンターテインメント（クリエイティブ系）：緒方 篤さん</title>
		<link>https://www.us-lighthouse.com/work/career-interview/pro-12826.html</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[Lighthouse1260]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 01 Nov 2018 07:02:03 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[アメリカで働く（多様な職業のインタビュー集）]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://www.us-lighthouse.com/?p=35998</guid>

					<description><![CDATA[<p>ふとしたところに発見がある刺激のある作品を創っていきたい ハーバード大学卒業後、大手コンピューターメーカーにてソフトウェアの研究者として勤務。その後、芸術を学びたいと大学院入り、映像作家、監督としてヨーロッパ、日本、アメリカを舞台に活躍した緒方 篤さん。「世界的にインパクトのあることをしたい」と話す緒方さんに話を聞いた。 【プロフィール】おがた・あつし&#9673;13歳の時に父親の仕事の関係で、家族でアメリカに移住。ハーバード大学卒業後、富士通に入社。休職し、 マサチューセッツ工科大学（MIT &#8230; <a href="https://www.us-lighthouse.com/work/career-interview/pro-12826.html">Continue reading <span class="meta-nav">&#8594;</span></a></p>
<p>The post <a href="https://www.us-lighthouse.com/work/career-interview/pro-12826.html">エンターテインメント（クリエイティブ系）：緒方 篤さん</a> first appeared on <a href="https://www.us-lighthouse.com">現地情報誌ライトハウス</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<table border="0" cellspacing="0" cellpadding="0" class="sub_img02">
<tr>
<td> <img decoding="async" src="/profession/12826/1.jpg" border="0" /></td>
</tr>
</table>
<h3 id="answer_text">ふとしたところに発見がある<br />刺激のある作品を創っていきたい</h3>
<p></p>
<p id="answer_text">ハーバード大学卒業後、大手コンピューターメーカーにてソフトウェアの研究者として勤務。その後、芸術を学びたいと大学院入り、映像作家、監督としてヨーロッパ、日本、アメリカを舞台に活躍した緒方 篤さん。「世界的にインパクトのあることをしたい」と話す緒方さんに話を聞いた。</p>
<p></p>
<table border="0" cellspacing="0" cellpadding="0" id="column">
<tr>
<td class="rate02">
<div class="caption">【プロフィール】<b>おがた・あつし&#9673;</b>13歳の時に父親の仕事の関係で、家族でアメリカに移住。ハーバード大学卒業後、富士通に入社。休職し、 マサチューセッツ工科大学（MIT）修士課程でビデオアートを学ぶ。富士通復職後、フリーランスの映像作家、監督としてドイツ、オランダを中心に活動。ショートフィルム『不老長寿（Eternally Yours）』が世界各地の映画祭で高い評価を得る。初の長編映画『脇役物語（Cast me if you can）』は数々の海外映画祭に入選。北米でもDVDが配給開始。DVD情報<a href="http://amazon.com" target="_blank">www.amazon.com</a>にて「Cast me if you can」を入力<!--<br /><a href="">キャリアインフォメーションはこちら</a></div>

--></td>
</tr>
</table>
<div id="detail_data_block">
<h3>そもそもアメリカで働くには？</h3>
<ul class="backnumber_list">
<li class="entry_list">アメリカで働くためには、原則として合法的に就労可能な「ビザ」が必要になります。<br /><a href="https://www.us-lighthouse.com/life/daijiten/visa.html" target="_blank">アメリカ・ビザの種類と基礎知識</a></li>
<li class="entry_list">日本から渡米してアメリカで働く方法として、18ヶ月の長期インターンシップも選択肢の1つ。<br /><a href="https://www.us-lighthouse.com/work/workingholiday-internship/j1-visa-internship.html" target="_blank">アメリカでワーキングホリデーのように働く！「J-1ビザインターンシップ」徹底解説</a></li>
</ul>
</div>
<p></p>
<h3 id="answer_text">不器用でアートは苦手 カメラでは感性を表現できた</h3>
<p id="answer_text">13歳の時、父の仕事の関係でニューヨークに引っ越してきました。子供の頃は芸術の世界に入るとは思ってもいませんでした。学校の工作の時間でも、彫刻刀で何かを彫っても上手くできない、どちらかというと不器用なタイプでした。ところが、高校生の時に父が買ってくれたスチルカメラで写真を撮ったり、現像したり、焼き付けたり、それから8ミリフィルムを使って、自分で撮影したものを編集して遊んでいました。カメラを使っていると、まるで筆で何かを描くみたいに、自然に感性を表現することができたんですね。そういうことが非常に面白くてたまりませんでした。<br />　<br />大学ではいくつかアートやデザインのクラスは取りましたが、プロになるとは、まだ思っていませんでした。家族にも周りにもアートの分野で活躍している人はいなかったですし、そういう学部で学んでいたわけでもなかったですし。<br />　<br />大学を出て日本に戻り、富士通の研究所に就職してソフトウェアの開発をしていました。その頃、アメリカ人の友人が僕が撮った写真を見て、「才能があるよ」って言ってくれて。そこで初めて、やっぱり自分の感性を使って仕事がしたい、試してみたいという気持ちになったんです。それで、少し芸術的なことを学ぼうと大学院に行きました。大学院では、ビデオカメラや編集機材が使い放題でした。それで、写真やビデオを、思う存分やったんです。基本的にこれが、私の人生の大きな分かれ道だったと思います。</p>
<p></p>
<h3 id="answer_text">漠然とした監督業への憧れ やれることからやってみた</h3>
<table border="0" cellspacing="0" cellpadding="0" class="sub_img">
<tr>
<td> <img decoding="async" src="/profession/12826/3.jpg" border="0" /> </p>
<div class="caption">『脇役物語』の撮影現場より。主演の益岡徹さんと緒方監督 &#169; 2010 Dream On Productions</div>
</td>
</tr>
</table>
<p id="answer_text">大学院を卒業後、いったん富士通に戻ったのですが、ドイツにあるメディア・アート・アカデミーに客員作家として呼ばれ、半年くらいの予定でドイツに行きました。結局そのままフリーランスとしてヨーロッパに残って、ドイツ、オランダなどを中心に脚本を書く助成金もらったり、テレビに俳優として出演したりという機会に恵まれました。<br />　<br />もともと映像作家だったのが、脚本を学び、演技を学び、演出を学びという形で広がり映画監督に行き着いたので、監督という仕事は、今まで自分のしてきたことの集大成という感じ。それらを全部経験していなかったら、できなかったと思っています。スチル写真が動画になり、ストーリーを書き、それを全部まとめて監督すると、自分の作品になって、発表できることになります。そういった形で監督になりました。</p>
<p></p>
<h3 id="answer_text">映画は色んな人の知識が コラボされて作られる</h3>
<p id="answer_text">2005年に、オランダで短編作品を初めて監督。その後、冬休みで日本に帰国しました。その時に父の具合が悪くなり、少し長く日本に滞在することになりました。そこで、せっかく日本にいるのだから、日本でも何か作品を作れないかなと思ったんです。<br />　<br />新潟の十日町で、屋外彫刻を主にやる芸術祭があるんですが、映画をやりたいと思って、その十日町を舞台にした作品を提案してみました。すると企画が通って、製作費を出していただいて、製作できることになったんです。それが、短編映画『不老長寿』を作るきっかけでした。<br />　<br />『不老長寿』がうまくいったので、今度は長編作品の監督としてデビューしたいと考えました。実は、ヨーロッパで長編デビューをしようと何回も試みたことがありました。一部製作費が出るようなところまで話がいったこともあったんですが、デビューにまでは至りませんでした。<br />　<br />アメリカで長編デビューをするのはとても難しいことなので、それだったら日本の方がデビューしやすいのではないかと。『不老長寿』でとてもレベルの高いスタッフと、プロの役者さんに出ていただけたので、同じ方たちなどに協力していただいて、長編作品の『脇役物語』を作ることになったんです。<br />　<br />撮影の現場では、コメディーを撮ってますし、基本的にユーモアを持った形でやるようにはしています。小学校の頃、先生の後ろに立って変な格好をしたりして皆を笑わせるタイプの子っているでしょ？僕がそんなタイプ。そういう感じでチームをリードしていった部分がありました。日本の撮影現場は、監督だけでなく目上のスタッフがやたら怒鳴ったりするらしいんですけど、私にしてみたら、スタッフの皆さんに自分の作品を作るのを手伝ってもらっているという気持ちもあるし、怒ったってみんな萎縮しちゃうだけ。もちろん、「こうしてください」と監督の立場として強く主張する部分もありますが、もっと論理的に「こうだから、こうした方がいいんじゃない」と、励ますような形で皆の気持ちを動かすようにしていますね。<br />　<br />映画は色んな人の色んな意見を取り入れて、その人たちの経験や才能をうまく組み合わせていくことによって作られていくものなんです。さまざまな意見をうまく取り入れることによって、１＋１＋１が１万になるような、良いコラボレーションをしていかなくてはならないと常に思っています。<br />　<br />脚本を書き、役者さんと一緒に考え、スタッフと撮影をして、作品を作るというプロセスすべてが楽しいですね。それを観てもらって、「感動した」とか、「面白かった」とか、「泣けた」とか、そういうフィードバックをもらえるのは、やっぱりすごくうれしいですし、とても励まされます。商業的には、ターゲット層を絞って作った方が良いのかもしれないですが、そうなると特定の人にだけ向けた物しか作れなくなってしまいます。いつもは別々の世界、別々の社会にいる人たちが、映画を観る時は一緒の空間で一緒に笑ってほしい。僕の場合は「色んな人が一緒に観る」ことが大事だと思っているんです。『脇役物語』が北米でも配給されることになったので、できるだけ多くの人たちに観ていただきたいですね。</p>
<p></p>
<h3 id="answer_text">社会のためになる刺激を 作品に入れていきたい</h3>
<p id="answer_text">今は次の映画の脚本を書いています。今度の映画は英語でやろうと思っていて、これもコメディーです。これから、どんどん世界的にインパクトのある仕事をしたいという思いがあります。もちろん簡単にできることではないですし、どういう世界を描きたいかということが明確にあることが大切だと思います。<br />　<br />先日、大学の同窓会のイベントに参加してきたんですが、そこでアメリカのＴＶ番組に携わる先輩が話していました。ハリウッドはエンターテインメント性を狙っていますから、そういう観点しかない人たちと一緒に仕事をしながらも、社会を少しでも前に動かすような努力をしているんだそうです。<br />　<br />例えば『ＥＲ』というＴＶ番組では、初めてアフリカ系アメリカ人のエイズに感染している女性を主人公の一人として登場させることを実現させました。普通のエンターテインメントなんだけれど、メッセージを作中に埋め込んだんです。もちろん、それを前面に押し出して企画を進めたわけではなかったらしいんですが、社会のためになるようなメッセージ性のあるものをこっそり混ぜる。そういうふとしたところに発見があるような、人を刺激できる作品を作っていけたらと思っています。<br />　<br />映画監督を志す前に、自分が何になりたいか、何に一番向いているか、自分がどういうことを表現したいかをよく考えてみるべきだと思います。技術的なことはいくらでも後で習えますから、たくさんの映画を観たり、たくさんの本を読んだり、実際に色々な体験をしてみることが大切だと思います。そうしないと、他の人が作った作品を真似るだけになってしまいます。それでは監督である意味がないと思います。脚本を書いてみたり、演技をしてみたり、そういうことは、私の現在の監督という仕事に対し、全部プラスになっています。色んなことを経験して、自分が何を求めているのかを知ることが大事だと思います。<br />　<br />（2012年2月1日号掲載）</p><p>The post <a href="https://www.us-lighthouse.com/work/career-interview/pro-12826.html">エンターテインメント（クリエイティブ系）：緒方 篤さん</a> first appeared on <a href="https://www.us-lighthouse.com">現地情報誌ライトハウス</a>.</p>]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>Royal/T チーフウェイトレス／女優・ダンサー（クリエイティブ系）：朝倉 優さん</title>
		<link>https://www.us-lighthouse.com/work/career-interview/pro-12281.html</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[Lighthouse1260]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 01 Nov 2018 07:02:02 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[アメリカで働く（多様な職業のインタビュー集）]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://www.us-lighthouse.com/?p=35997</guid>

					<description><![CDATA[<p>人を楽しませるウェイトレスは女優と同じ日本の文化や言葉を自分流に伝えたい アメリカ初の〝メイドカフェ&#12318;として話題の「Royal/T」に、立ち上げから携わってきた朝倉優さん。女優として活躍するかたわら、メイド姿のウェイトレスやバリスタとして店のサービスを仕切っている。アメリカの若い世代に今の日本文化、日本語を伝えていきたいと意欲を燃やす朝倉さんに聞いた。 【プロフィール】あさくら・ゆう&#9673;横浜市で生まれ、兵庫県川西市で育つ。東京外国語大学英語学科卒業。2000年に渡米。Th &#8230; <a href="https://www.us-lighthouse.com/work/career-interview/pro-12281.html">Continue reading <span class="meta-nav">&#8594;</span></a></p>
<p>The post <a href="https://www.us-lighthouse.com/work/career-interview/pro-12281.html">Royal/T チーフウェイトレス／女優・ダンサー（クリエイティブ系）：朝倉 優さん</a> first appeared on <a href="https://www.us-lighthouse.com">現地情報誌ライトハウス</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<table border="0" cellspacing="0" cellpadding="0" class="sub_img02">
<tr>
<td> <img decoding="async" src="/profession/12281/1.jpg" border="0" /></td>
</tr>
</table>
<h3 id="answer_text">人を楽しませるウェイトレスは女優と同じ<br />日本の文化や言葉を自分流に伝えたい</h3>
<p></p>
<p id="answer_text">アメリカ初の〝メイドカフェ&#12318;として話題の「Royal/T」に、立ち上げから携わってきた朝倉優さん。女優として活躍するかたわら、メイド姿のウェイトレスやバリスタとして店のサービスを仕切っている。アメリカの若い世代に今の日本文化、日本語を伝えていきたいと意欲を燃やす朝倉さんに聞いた。</p>
<p></p>
<table border="0" cellspacing="0" cellpadding="0" id="column">
<tr>
<td class="rate02">
<div class="caption">【プロフィール】あさくら・ゆう&#9673;横浜市で生まれ、兵庫県川西市で育つ。東京外国語大学英語学科卒業。2000年に渡米。Theater of Artsの演劇科で４年間学ぶ。ハリウッドの映画制作会社で通訳として勤務した経験を持つ。2008年より、カルバーシティーのギャラリー・カフェ「Royal/T」にウェイトレス、バリスタとして勤務。UNION SAG、AFTRAメンバー。Infi nite Talent Agency所属。出演作品に『Love Talk』（2005）、『現－Utsutsu』（2010）など。ハリウッド在住。公式サイト：<a href="http://www.yuuasakura.com">www.yuuasakura.com</a>　<!--<br /><a href="">キャリアインフォメーションはこちら</a></div>

--></td>
</tr>
</table>
<div id="detail_data_block">
<h3>そもそもアメリカで働くには？</h3>
<ul class="backnumber_list">
<li class="entry_list">アメリカで働くためには、原則として合法的に就労可能な「ビザ」が必要になります。<br /><a href="https://www.us-lighthouse.com/life/daijiten/visa.html" target="_blank">アメリカ・ビザの種類と基礎知識</a></li>
<li class="entry_list">日本から渡米してアメリカで働く方法として、18ヶ月の長期インターンシップも選択肢の1つ。<br /><a href="https://www.us-lighthouse.com/work/workingholiday-internship/j1-visa-internship.html" target="_blank">アメリカでワーキングホリデーのように働く！「J-1ビザインターンシップ」徹底解説</a></li>
</ul>
</div>
<p></p>
<h3 id="answer_text">日本文化を伝える 身近な女の子という役割</h3>
<table border="0" cellspacing="0" cellpadding="0" class="sub_img02">
<tr>
<td> <img decoding="async" src="/profession/12281/2.jpg" border="0" /> </p>
<div class="caption">カフェも演技を磨くための〝舞台&#12318;。スタッフと</div>
</td>
</tr>
</table>
<p id="answer_text">Royal/Tは、２００８年初めにオープンした店で、アートギャラリーとカフェ、ショップの３つから構成されています。日本のポップアートのコレクターであるアメリカ人女性、スーザン・ハンコックがオーナーです。彼女のプライベートコレクションを中心としたポップアートを展示するギャラリーを開くことが店の当初の目的でしたが、それに秋葉原のメイドカフェの要素を加えたカフェと、ポップアート系の商品を扱うショップを併設した複合施設としてオープンしました。<br />　<br />ギャラリーでは、モダンアートを中心に、毎回違うキュレーターによる企画展を６カ月ごとに開催し、多目的スペースでは、世界のお茶のフェスティバルや、ジャズコンサートなど、多彩なイベントも行っています。私は、オープン当初からウェイトレスとして入り、現在はチーフウェイトレスとして、またバリスタとしてフロア全体をまとめています。<br />　<br />「メイドカフェ、アメリカ初上陸」といった触れ込みで、さまざまなメディアにずいぶん取り上げられてきましたが、秋葉原のメイドカフェのようなサービスはしていないんですよ。コスプレーヤーやアニメファンをターゲットにしたカフェと言うよりも、コンセプトはあくまでも〝アート志向&#12318;と言ったらわかりやすいでしょうか。<br />　<br />カフェのメニューもハンバーガーやサンドイッチのほか、カツカレーや丼物、ヤキソバなど、日本の料理も出しています。ソニースタジオなどが近いので、エンタメ業界の方々のビジネスランチや家族連れ、デートなどで来られる方も多いですね。特に当店が日本のメイドカフェということを知らずに入って来られる方も多いようです。<br />　<br />ここの求人を知った時、私も最初「メイドカフェなんて、自分には無理！」と思いましたが、実際にこの制服を着てみると、意外と普通だったのにびっくり（笑）。最初は週１日のお手伝いだったのが、２年ほど前から頻繁に入るようになり、現在ではフロアの取りまとめ役を務めるチーフウェイトレスとして、またバリスタとして働くように。ギャラリー、ショップ含めてスタッフは総勢20名ほど、そのうちカフェは14人、なかでもウェイトレス、バリスタは約10人ですが、日本人は、私を含めて３人ほど。皆若く、人の入れ替わりが頻繁ですので、マネージメントはなかなか大変です。<br />　<br />日本文化を紹介する「Japan-ology」というイベントを開催していて、日本映画の上映と映画に登場する日本食の試食、お酒のテイスティングなどを行っています。こういったイベントで来店されるお客様は、特に日本文化に興味を持っておられるので、話していて楽しいですね。日本語や日本文化、ファッションなど、色々なことを聞かれます。<br />　<br />私たちウェイトレスは、彼らにとって一番身近な所にいる〝普通の日本人の女の子&#12318;代表としての役割を、果たしているのではないかと思います。ランチタイムには行列もできるほど忙しい店なので、サービスはスピード優先の面もありますが、テキパキと仕事をしつつ、せっかく楽しみにして来てくれているお客様との会話も楽しみながら、この店のイメージや品位を守っていきたいと思いますね。お客様の気分を、明るく楽しくすることがカフェのモットーです。</p>
<p></p>
<h3 id="answer_text">女優としては 日本人にこだわらない</h3>
<p id="answer_text">アメリカには、女優を目指してやって来ました。日本で大学を卒業後、１年間バイトをして資金を作り、ロサンゼルスに来たのは00年のクリスマスのことでした。<br />　<br />兵庫県川西市出身で、宝塚市が隣にあり、中学・高校の頃はずっと宝塚歌劇団に憧れ、宝塚に入りたいと思っていました。宝塚音楽学校に入るため、踊りやお芝居の勉強もしてきました。でも、高校卒業後に入試を受けたところ、見事落ちてしまって。ちょうど阪神・淡路大震災の後で、これから自分はどうしようか、途方に暮れてしまいました。関西で生まれ育ってきたので、一度、東京に出てみようと思い、東京外国語大学を受験、英語学科に入学しました。<br />　<br />そして、英語学科の講義で出会ったのが、ハリウッド映画の世界でした。宝塚がダメなら、ハリウッド女優を目指すしかないと思いました。英語は得意でしたし、アメリカに行ってみたいという気持ちが膨らんで、卒業後、ロサンゼルスに渡り、アクティングの学校に入って４年間学びました。<br />　<br />ＣＭや映画出演などのほか、年に１、２回は舞台に立つようにしています。ハリウッドの劇団のほか、昨年は日本人の役者で構成された劇団「ＩＫＩ・粋」で、時代劇に出ました。演技力を磨き、自己表現力を付けるために舞台は大切。ロサンゼルスでは舞台役者だけでは生活していけませんが、いい演技ができるよう、楽しんでやっています。<br />　<br />映画で仕事を得るのは、大変なこと。これは日本人のみならず、アメリカ人でも難しいことです。最近は、オーディションで人種が問われないことが増えていますが、日本人だからといってチャンスが増えるわけではありませんし、自分自身、日本人であることに、こだわらないようにしています。以前、Lizard Theaterでもらったのが、50代のおしゃべり女教師の役。「面白いからやってみろ」と言われて。また、渡米間もない頃に口汚い女の子の役をもらい、辞書にも載っていないようなスラングを連発するという経験もしました。気合でやり遂げましたよ。こうした経験から、「そうか、日本人ということにこだわらなくてもいいんだ」と実感したわけです。<br />　<br />どんな役にも挑戦してみたいですが、やはり「この役は優ちゃんにしかできない」と言われるような仕事がしたい。俳優仲間からは、〝極妻系&#12318;が合っているなどと言われますが、それもいいかなと（笑）。自分自身、年を重ねてから売れるタイプだと思っていますので、これからもどんどん自分を磨いていきたいです。演技のセミナーやクラスに参加し、ヒップホップやジャズ、フラなどダンスにも力を入れています。最近は少林寺拳法も始めました。</p>
<p></p>
<h3 id="answer_text">楽しい日本語クラスを 提供したい</h3>
<p id="answer_text">店の仕事とはうまく両立できていると思います。やはり女優業がメインですので、オーディションがある時、舞台のある時などは、そちら優先させますが、理解してもらっています。また、店に出ることで、世の中の動きにアンテナを張っていられます。アメリカ人にどう接したら喜んでもらえるかという勉強にもなりますし、人に見られているという意味では女優と同じ。メイドカフェのウェイトレスは女優のような部分もあるように思います。<br />　<br />また、Royal/Tはユニークな店ですので、店のブランドを確立するための手助けが何かできたらという思いもあります。日本に帰るたび、ショップで扱うポップアートっぽい商品を買い付けたり、東日本大震災の被災地に向けたチャリティーイベントの企画に参加したりしてきましたが、これからもできる範囲で店に貢献していきたいです。<br />　<br />それから、店でお客様と接していて気付いたのですが、日本語会話の練習相手を探しているアメリカ人が随分といるようです。文法も習得し、ある程度話せるのに、ブラッシュアップする場が少ないようなのです。また、以前ハウツーもののビデオクリップに日本語講座の講師として出演していたのですが、インターネットで見た人たちは、私が日本語教師だと思ってコメントをたくさんくださりました。反響がとてもうれしかったですね。自分が語学を専攻していたこともあり、とても興味のある分野ですので、店内にクラスを設けて直接教えてもいいですし、世界どこからでもアクセスして学べるオンライン講座を立ち上げるのもいいですね。何か実現させたいと構想しているところです。<br />　</p>
<p>（2011年７月1日号掲載）</p>
<p></p><p>The post <a href="https://www.us-lighthouse.com/work/career-interview/pro-12281.html">Royal/T チーフウェイトレス／女優・ダンサー（クリエイティブ系）：朝倉 優さん</a> first appeared on <a href="https://www.us-lighthouse.com">現地情報誌ライトハウス</a>.</p>]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>エンターテインメント プロデューサー／プロダクション・スーパーバイザー（クリエイティブ系）：蔭山京子さん</title>
		<link>https://www.us-lighthouse.com/work/career-interview/pro-12053.html</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[Lighthouse1260]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 01 Nov 2018 07:02:01 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[アメリカで働く（多様な職業のインタビュー集）]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://www.us-lighthouse.com/?p=35996</guid>

					<description><![CDATA[<p>高いレベルで、本当に尊敬できる人たちと一緒に仕事ができることを、すごく誇りに思います。 生き馬の目を抜くハリウッド映画業界で、フリーでプロデューサー／プロダクション・スーパーバイザーとして活躍する、数少ない日本人の一人が蔭山京子さん。映画『The Last Samurai』でProduction Supervisor-Japanとして、日米撮影チームのキーパーソンとなった。常に前向きに、チャレンジを恐れない蔭山さんに聞いた。 【プロフィール】かげやま・きょうこ●大阪府生まれ。サンディエゴ州立大学 &#8230; <a href="https://www.us-lighthouse.com/work/career-interview/pro-12053.html">Continue reading <span class="meta-nav">&#8594;</span></a></p>
<p>The post <a href="https://www.us-lighthouse.com/work/career-interview/pro-12053.html">エンターテインメント プロデューサー／プロダクション・スーパーバイザー（クリエイティブ系）：蔭山京子さん</a> first appeared on <a href="https://www.us-lighthouse.com">現地情報誌ライトハウス</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<table border="0" cellspacing="0" cellpadding="0" class="sub_img02">
<tr>
<td> <img decoding="async" src="/profession/12053/1.jpg" border="0" /></td>
</tr>
</table>
<h3 id="answer_text">高いレベルで、本当に尊敬できる人たちと<br />一緒に仕事ができることを、すごく誇りに思います。</h3>
<p></p>
<p id="answer_text">生き馬の目を抜くハリウッド映画業界で、フリーでプロデューサー／プロダクション・スーパーバイザーとして活躍する、数少ない日本人の一人が蔭山京子さん。映画『The Last Samurai』でProduction Supervisor-Japanとして、日米撮影チームのキーパーソンとなった。常に前向きに、チャレンジを恐れない蔭山さんに聞いた。</p>
<p></p>
<table border="0" cellspacing="0" cellpadding="0" id="column">
<tr>
<td class="rate02">
<div class="caption">【プロフィール】かげやま・きょうこ●大阪府生まれ。サンディエゴ州立大学に編入し、広告を専攻。卒業後、パサデナのアートセンター・カレッジに入学し、フィルムを専攻。1986年東京のＣＭ制作会社・東北新社に入社。90年同社ロサンゼルス支社に転勤。２年間同支社に勤務後に独立し、NBCミニシリーズ『Gai-jin』を担当。その後、映画『Jingle All The Way』『Road to Perdition』『Beowulf』『A Christmas Carol』などを手がけ、『Brother』『Driven』『Silk』『The Last Samurai』でProduction Supervisorを務める。<a href="http://dancingsparrow.blogspot.com">http://dancingsparrow.blogspot.com</a>（ブログ）　<!--<br /><a href="">キャリアインフォメーションはこちら</a></div>

--></td>
</tr>
</table>
<div id="detail_data_block">
<h3>そもそもアメリカで働くには？</h3>
<ul class="backnumber_list">
<li class="entry_list">アメリカで働くためには、原則として合法的に就労可能な「ビザ」が必要になります。<br /><a href="https://www.us-lighthouse.com/life/daijiten/visa.html" target="_blank">アメリカ・ビザの種類と基礎知識</a></li>
<li class="entry_list">日本から渡米してアメリカで働く方法として、18ヶ月の長期インターンシップも選択肢の1つ。<br /><a href="https://www.us-lighthouse.com/work/workingholiday-internship/j1-visa-internship.html" target="_blank">アメリカでワーキングホリデーのように働く！「J-1ビザインターンシップ」徹底解説</a></li>
</ul>
</div>
<p></p>
<h3 id="answer_text">ＴＶＣＭ絶頂のバブル期に 大手クライアントの仕事を経験</h3>
<table border="0" cellspacing="0" cellpadding="0" class="sub_img02">
<tr>
<td> <img decoding="async" src="/profession/12053/2.jpg" border="0" /> </p>
<div class="caption">１９３１年のシカゴの街を再現した『Road to Perdition』の撮影現場にて</div>
</td>
</tr>
</table>
<p id="answer_text">日本の大学に通っていた夏休みに、サンディエゴにホームステイしました。その時にステイ先のファミリーが、「アメリカの大学で学んでみたらどうか」とすすめてくれ、私の親に手紙を書いてくれました。それがきっかけとなって、サンディエゴ州立大学（ＳＤＳＵ）に編入しました。ＴＶコマーシャルに興味があったので、メジャーを広告、マイナーでテレビと映画を専攻しました。<br />　<br />卒業後は、専門誌でメジャーなＣＭを手がけている広告代理店やアートディレクターの名前を調べて、直接就職希望の手紙を送り、面接してもらいました。大学時代に作ったポートフォリオ（作品集）を持参したのですが、実習に力を入れた大学ではなかったので十分ではなく、パサデナにあるアートセンター・カレッジに通ったらいいと言われ、進学しました。<br />　<br />アートセンター終了時の80年代後半、日本はバブル期。東京で就職しようと帰国し、ＣＭ制作会社の入社試験を５社ほど受けました。激しい競争の中、東北新社に制作として入社することができました。<br />　<br />当時は今では考えられないくらいＣＭの仕事はあり、新人の私もしょっちゅう海外ロケ。世界各国を休む間もなく回り、疲労困憊しました。ある時、ロサンゼルスでの仕事があり、久しぶりにすごく気持ち良いと感じたんですね。ロサンゼルスが恋しい気持ちになっていると、ロサンゼルス支社の社長から声が掛かったんです。ソニーやサントリー、富士フイルムなど、大手クライアントのＣＭ制作を手がけました。マイケル・ジャクソン、エリック・クラプトン、レイ・チャールズ、アーノルド・シュワルツェネッガーといった大物と数多く仕事ができて、今振り返ると本当にラッキーでしたね。<br />　<br />具体的な私の仕事は、日本から送られてきた絵コンテに基づき、アメリカでの予算を作ること。それから、クルーを何人雇い、どこで撮影するのか、衣装やメイクなどのスタッフは現地で雇うのか、日本から連れて来るのかなどを決めます。そして、これらをすべて予算内に収めるよう調整します。その全行程を私が指揮していました。<br />　<br />２年間そこで働いたのですが、アメリカ社会の中で働きたいという新たな目標が生まれてきて、１９９２年に東北新社を退職、フリーランスとして仕事を開始しました。それまでは自動的に仕事が入って来たのですが、独立すると当然すべて独力です。ただ、それまでの仕事でコネクションができていたので、声をかけてもらえることがありました。ある時知人を通じて、ＮＢＣのミニシリーズ『Gai-jin』の仕事の話が飛び込んできました。ロケは日本でも行われ、私はアメリカ側のプロダクション・コーディネーターとして携わりました。これが転機となり、映画の仕事を始めるようになりました。<br />　<br />『Gai-jin』でのアメリカ側のプロデューサーから声をかけられて受けた仕事が、アーノルド・シュワルツェネッガー主演の『Jingle All The Way』。ＦＯＸのセンチュリーシティーのスタジオの中にいると、やはり緊張したし、自信もなくて、ちゃんと仕事ができるか不安でした。が、ハリウッドの映画業界で働けることが同時にうれしかったですね。<br />　<br />現場のことがわからない私に、失敗の責任を転嫁されることが何度かありました。そういう時アメリカ人だったら、言われた100倍言い返すところですが、日本人って「そんなくだらないことで言い争ってもしょうがない」という気持ちになりますよね。ですが、直属の上司は私が一生懸命仕事をしているのを見ていて、理解してくれていました。失敗を転嫁しようとするアメリカ人と英語が完璧に話せなくとも、仕事をちゃんとする私を、冷静な目で見てくれた上司を素晴らしいと思いました。<br />　<br />そういった経験を何度もしているうちに、「日本人でいてはいけない」と思いました。もちろん日本人であることは誇るべきだと思いますが、ハリウッドでやっていこうと思ったら、自分を主張し、前に出ていくことが、一番大切なのです。</p>
<p></p>
<h3 id="answer_text">『The Last Samurai』で試された 問題解決の腕</h3>
<p id="answer_text">今までの仕事で１番印象に残っているのが、プロダクション・スーパーバイザーとして関わった『The Last Samurai』。日本に半年、その後ニュージーランドにも半年、計１年以上携わったこと、任された責任が大きかったこと、そして予算も大きかったことが理由です。<br />　<br />京都と姫路で撮影したのですが、撮影の許認可など多くの問題があり、日本での撮影は大変だということがしみじみわかりました。例えば、主演のトム・クルーズがいつも楽屋として使う大型トレーラーをハリウッドから京都に輸送する予定だったのですが、京都の狭い道路では角を曲がれないことがわかりました。仕方がなくお寺の一室を控え室にしたりしましたが、彼は文句一つ言いませんでした。<br />　<br />ニュージーランドでは、監督の意向で300人のエキストラすべてを日本 人で実施。日本と現地からそれだけの日本人を集める手配や許認可申請をスタッフに指示し、すべて私が最終チェックをしました。そうやって集まったエキストラがハッピーなのを見ていると、この仕事をやっていて良かったなと思いますね。<br />　<br />プロダクション・スーパーバイザーの仕事は、〝プロブレム・ソルビング（ 問題解決）&#12318;です。『The Last Samurai』では、監督やカメラマンの望むロケ地、機材の手配、撮影時のシミュレーションなどを、松竹京都映画を通して円滑に進めるのが大変でした。日米の撮影習慣や文化の違いで色んな問題が起きましたが、そんな時こそ、どれだけ双方の要求を叶えられるか。そこに腕が求められました。</p>
<p></p>
<h3 id="answer_text">ハリウッド＝コネクション コミュニケーションがすべて</h3>
<p id="answer_text">この仕事はコミュニケーションがすべてなので、最初の頃は苦労しました。日本人なら以心伝心で伝わることもありますが、アメリカ人にはそれはないですから。<br />　<br />それから、広くコネクションを築くことが重要です。基本的にハリウッドは、人とのつながりです。色んな場所へ出かけ、色んな人たちと会って、色んな仕事をこなしていく。あと、どこにどんな人がいるかわからないから、お手伝いの現場からパーティーまで、あらゆる場で自分が何をやりたいか、恥ずかしがらずに人に話すことが大切ですね。やはり自分を売り込むことは重要。そうしているうちに、つながりが生まれます。そこからは個人の努力ですね。<br />　<br />日本が関わっている映画では、現在、スーパーバイザーを担っています。ディレクターから直接台本の構想、撮影の要望を聞き、日本側に伝え、監督の希望通り撮影が成立するよう、全工程を確認していきます。同時に、日本と関係のない仕事では、今までの経験を活かし、撮影がすべて上手くいくようにコーディネートする制作関係の役割を果たしています。日本での仕事と比べれば、細かく分業されているので、アメリカの方が仕事はしやすいですね。直近の作品では、『Mars Needs Moms』で俳優をコーディネートする仕事をしました。<br />　<br />私自身の今後の目標は、現在進行中の脚本を、何とか私の企画で、進展、実現できればと思っています。監督に近い立場で内容の話ができるプロデューサーとして、ハリウッドで映画化できればいいなぁと。<br />　<br />あとは、「自分を発見する本」を企画しています。優秀なキャリアウーマンを含め、自分に自信を持てない日本人女性が多くいると思います。自分がどんなに素晴らしいか発見し、自信を持てば、どれだけ人生が明るくなるか、私自身のアメリカ、特にハリウッドでの仕事の教訓を通して伝えていきたいですね。<br />　<br />(2011年4月1日掲載）</p>
<p></p><p>The post <a href="https://www.us-lighthouse.com/work/career-interview/pro-12053.html">エンターテインメント プロデューサー／プロダクション・スーパーバイザー（クリエイティブ系）：蔭山京子さん</a> first appeared on <a href="https://www.us-lighthouse.com">現地情報誌ライトハウス</a>.</p>]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>芸術陶芸家（クリエイティブ系）：国崎ロイ雄一郎さん</title>
		<link>https://www.us-lighthouse.com/work/career-interview/pro-11981.html</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[Lighthouse1260]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 01 Nov 2018 07:02:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[アメリカで働く（多様な職業のインタビュー集）]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://www.us-lighthouse.com/?p=35995</guid>

					<description><![CDATA[<p>陶芸は、一筋縄ではいかない、上手くいかないところに、かえって魅力を感じます 「一筋縄ではいかない。同じ物は２つとしてできあがらない難しさに挑戦し、乗り越えるのが楽しい」と、陶芸の魅力を語る国崎ロイ雄一郎さん。高校時代に触れた陶芸に大学時代も没頭し、４年制大学在籍時にアトリエを構え、陶芸家として生きていくことを決意した。「今も毎日が学びの連続」と話す国崎さんに話を聞いた。 【プロフィール】くにさき・ろい・ゆういちろう&#9673;1971年、福岡県生まれ。85年に一家で渡米し、ハンティントンビーチ &#8230; <a href="https://www.us-lighthouse.com/work/career-interview/pro-11981.html">Continue reading <span class="meta-nav">&#8594;</span></a></p>
<p>The post <a href="https://www.us-lighthouse.com/work/career-interview/pro-11981.html">芸術陶芸家（クリエイティブ系）：国崎ロイ雄一郎さん</a> first appeared on <a href="https://www.us-lighthouse.com">現地情報誌ライトハウス</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<table border="0" cellspacing="0" cellpadding="0" class="sub_img02">
<tr>
<td> <img decoding="async" src="/profession/11981/1.jpg" border="0" /></td>
</tr>
</table>
<h3 id="answer_text">陶芸は、一筋縄ではいかない、上手くいかないところに、かえって魅力を感じます</h3>
<p></p>
<p id="answer_text">「一筋縄ではいかない。同じ物は２つとしてできあがらない難しさに挑戦し、乗り越えるのが楽しい」と、陶芸の魅力を語る国崎ロイ雄一郎さん。高校時代に触れた陶芸に大学時代も没頭し、４年制大学在籍時にアトリエを構え、陶芸家として生きていくことを決意した。「今も毎日が学びの連続」と話す国崎さんに話を聞いた。</p>
<p></p>
<table border="0" cellspacing="0" cellpadding="0" id="column">
<tr>
<td class="rate02">
<div class="caption">【プロフィール】くにさき・ろい・ゆういちろう&#9673;1971年、福岡県生まれ。85年に一家で渡米し、ハンティントンビーチに移り住む。ゴールデンウエスト・カレッジで陶芸を専攻。その後、カリフォルニア州立大学ロングビーチ校に編入し、陶芸で学士号取得。98年に、サンペドロにあるAngels Gate Cultural Centerにアトリエを構える。Santa Barbara Art Festivalにて1st place、Aff aire in the Gardenにて<br />Honorable Mention（共に2001年10月）。現在、週４回陶芸教室を開催。問い合わせは、<br />&#9742;310-984-9923、E-mail: kunisakiart@hotmail.com。<br />公式サイト：<a href ="http://artawakening.com/roy/" target="_blank">www.artawakening.com/roy </a> <!--<br /><a href="">キャリアインフォメーションはこちら</a></div>

--></td>
</tr>
</table>
<div id="detail_data_block">
<h3>そもそもアメリカで働くには？</h3>
<ul class="backnumber_list">
<li class="entry_list">アメリカで働くためには、原則として合法的に就労可能な「ビザ」が必要になります。<br /><a href="https://www.us-lighthouse.com/life/daijiten/visa.html" target="_blank">アメリカ・ビザの種類と基礎知識</a></li>
<li class="entry_list">日本から渡米してアメリカで働く方法として、18ヶ月の長期インターンシップも選択肢の1つ。<br /><a href="https://www.us-lighthouse.com/work/workingholiday-internship/j1-visa-internship.html" target="_blank">アメリカでワーキングホリデーのように働く！「J-1ビザインターンシップ」徹底解説</a></li>
</ul>
</div>
<p></p>
<h3 id="answer_text">最初の頃は１日 18 時間 土を触っていた</h3>
<table border="0" cellspacing="0" cellpadding="0" class="sub_img02">
<tr>
<td> <img decoding="async" src="/profession/11981/2.jpg" border="0" /> </p>
<div class="caption">「土に触れ、自分の世界に没頭すると安らぎます」と、作品作りに励む</div>
</td>
</tr>
</table>
<p id="answer_text">僕が中学の途中で、一家でハンティントンビーチに引っ越しました。それで、中学、高校、大学はアメリカの学校に通いました。陶芸との出会いは高校の時。最後の学期でたまたま陶芸のクラスを取りました。その時は、単に「楽しいなぁ」と思ったくらいなんですが、コミュニティーカレッジでもずっと取り続けていたら、「面白いぞ！」となって、ドンドンはまっていきました。<br />　<br />コミュニティーカレッジの陶芸クラスの先生が、僕があまりにも陶芸に熱心だったので、「ＣＡＬステート・ロングビーチ（カリフォルニア州立大学ロングビーチ校）は陶芸のコースが充実しているから編入してみてはどうか」と、すすめてくださいました。「先生がそうおっしゃるなら行ってみようか」という軽い気持ちで進学したら、止められなくなってしまいました（笑）。<br />　<br />思えば、それまでは自分が何がしたいのか、わかっていなかったんですね。確かに小さい頃から美術全般は好きで、絵を描いたりしていました。ですが、周りを見ると自分より上手な人は既にたくさんいましたから、絵描きの才能はないということは、自覚していました。そこで出会った陶芸に、一気に恋に落ちてしまったわけなんですよね。土に触れるというのが、自分の性格に合ってたんじゃないかな。<br />　<br />大学という大らかで安全な場所があるのは、すごく心地が良かったし、仲間もいっぱいできました。毎日自分なりの新しい陶芸の試みを繰り返していました。その実験で色々な知識を得ましたね。<br />　<br />そんな時、大学の仲間が、Angels Gate Cultural Centerにあるアトリ エを紹介してくれました。ここには 50 くらいアーティストのアトリエが集まっていて、制作に没頭するには最高の環境です。「スペースが空くけどどうする？」と聞かれたので、「じゃあちょっと見に行ってみようかな」と見学に行ったら、何となく借りることになっちゃって。大学卒業前でしたが、先にもうアトリエを構えてしまった（笑）。<br />　<br />陶芸の単位は全部取り終えてしまっていて、機械系の仕事をフルタイムでやっていましたが、あまり好きになれませんでした。それに、ろくろが本当に面白かったので、今思えば無謀だったのですが、将来のことはあまり深く考えず、陶芸家の道を選んでしまいました。僕は元々九州男児でしたから、ちょっと頑固なところもあるんです。自分がやりたいと思ったことは、意地でもやります。でも、それだけ人一倍頑張ったと思います。最初の３～４年は、アトリエに寝泊まりで１日18時間くらい土を触っていました。陶芸は、土に触れば触るだけ腕が上がっていくものですからね。<br />　<br />正直最初の頃は、腕は未熟で自信がなかったし、不安でした。ですから、そういう気持ちを吹っ飛ばすために、自分の世界に入り込むようにアトリエにこもっていました。今もまだまだという気持ちはありますが、初めの頃は全然でしたからね。</p>
<p></p>
<h3 id="answer_text">同じ作品を作りたくても まったく同じ物はできない</h3>
<p id="answer_text">陶芸で収入を得るには、制作して自分の作品を売ることになります。ギャラリーや陶芸店に卸したり、週末に行われるアートショーにブースを構えて、直接お客さんに売ったりします。でも、やっぱり最初は売れなかったですね。同時にバイトもしていました。やっぱり収入が陶芸だけでは食べていけないので。<br />　<br />アーティストと言えど、作品を売るにはある程度は、〝セールストーク&#12318;が必要です。自分の作品をお客様に説明し、価値を理解していただく。一般企業の営業の仕事と同じですよね。作品制作以外にそういう分野も勉強しないといけなかったですし、自営ですから経理とか経営なども大切です。自分はアトリエに一人こもって自分の世界に生きる、というスタイルが好きなので、お客様に営業するのに苦手意識がありました。ですが、それでは作品は売れませんからね。プロダクト、コンシューマーデザインなども勉強し、さらにアートの世界での作品の取引の仕組みなどがわかってきた頃に、作品はようやく少しずつ売れていきました。<br />　<br />作品がまったく売れないと、やはり辛いですね。ショーを開いてもお客様がほとんど入らず大失敗したりもしました。それはやはり悔しいですし、猛省します。また、招待アーティストのみのショーもあるので、応募したけれども、落選の通知が来た時なんかは悲しいです。特に自分のスケジュールが空いてしまうと、「何かやらないといけない」と焦りが出てきます。<br />　<br />それとは別の次元で辛いこともあります。陶芸は、焼く時にどうしてもある程度の確率で割れてしまうことは避けられません。ですが、数週間かけて作った力作が割れてしまうと、もう言いようのない気持ちになります。陶芸はそういうことがあるとわかっていても厳しい。画家でしたら、描いたキャンバスが、ある日突然破れてしまうなんてことは、ほとんどないですからね。<br />　<br />そういう神様の気まぐれみたいなことがありますから、やはり自分がイメージしていた通りの壺ができた時は、本当にうれしいです。焼き方にも色々ありますし、気候などによって焼き時間も違います。例え同じ焼き方をしても、違う感じにでき上がることも珍しくありません。ですから、同じ作品を再度作りたくても、まったく同じ物はできません。<br />　<br />そんなに苦労して、酷い目に遭っても、一筋縄ではいかない、上手くいかないところに、かえって魅力を感じます。上手くいかなければ悔しいですが、「それを乗り越えてやる！」という根性が必要です。そういう気持ちがないと、陶芸家としてはやっていけない。失敗は多いし、時間もかかります。作業は大変ですし、セールスもしないといけない。本当に好きではなければ、続けられません。</p>
<p></p>
<h3 id="answer_text">陶芸は本当に奥が深い まだまだ学びの毎日</h3>
<p id="answer_text">自分はやはり日本人ですから、日本の焼き物の影響も受けています。僕が一番好きな日本の焼き物は、山口県の萩焼です。そこで今、萩の土を使って、モダンで新しい作品を焼いている陶芸家がいらっしゃるのですが、そういった方たちの作品が特に好きです。そういう作品を見ると、僕もどうしても真似して作ってみたくなります。これは多分人間の本性でしょうね。カッコいい物を見ると憧れて、自分でもやってみたくなるのは。<br />　<br />僕は、好きで好きでたまらない陶芸を職業にできているという点で、幸せです。陶芸を仕事にしたいと思っている人に僕からできるアドバイスがあるとすれば、陶芸に懸ける「執念」ですね。あとは、色々チャレンジしてみること。その方が知識が得られると思います。それから陶芸の中で、自分の道を築いていっても遅くないです。<br />　<br />最近は、口コミや媒体に広告を載せているおかげで、陶芸を教える仕事が増えてきました。生徒さんが上手になると、私も満足感、喜びを感じるようになりました。これは制作の楽しさとはまた別物で、面白いですね。自分が苦労して得てきた知識も、惜しみなく伝えています。そうやって上達すると、生徒さん独自の味や個性が出てきます。そこから学ぶこともしょっちゅうあります。<br />　<br />陶芸は、本当にすごく奥が深い。未知の世界がまだいっぱいあるから、学びの毎日ですね。然にある物の形は、やはり美しいと思っているので、造形は自然に目を向けています。釉薬も一つ一つの成分を勉強して、新しい釉ゆうやく薬を作ってみたりしています。ある程度で満足してしまうと成長しませんので、自分に厳しく、目標を高くして、もっと、もっと素晴らしい作品を作っていきたいと思います。<br />　<br />(2011年2月1日掲載）</p>
<p></p><p>The post <a href="https://www.us-lighthouse.com/work/career-interview/pro-11981.html">芸術陶芸家（クリエイティブ系）：国崎ロイ雄一郎さん</a> first appeared on <a href="https://www.us-lighthouse.com">現地情報誌ライトハウス</a>.</p>]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>服飾デザイン・販売 「2WJD」代表取締役・デザイナー（クリエイティブ系）：織部しほさん</title>
		<link>https://www.us-lighthouse.com/work/career-interview/pro-11690.html</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[Lighthouse1260]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 01 Nov 2018 07:01:59 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[アメリカで働く（多様な職業のインタビュー集）]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://www.us-lighthouse.com/?p=35994</guid>

					<description><![CDATA[<p>「２ＷＪＤ」が、ポジティブに頑張れるアイコンのような存在になったらいいなと思っています 将来について悩む中、新たな可能性を求め、渡米 した織部しほさん。「本当にやりたいこと」に気付 き、服飾デザインの道を志し、大学在学中、「もっ とコンシャスなデザインを広めたい」と自社ブ ランド「２ＷＪＤ」を立ち上げた。今年、新たにハ イエンドのラインを準備中の織部さんに、服飾デ ザイナー、経営者としての心構えなどを聞いた。 【プロフィール】おりべ・しほ&#9673;福岡県出身。海外で世界の人との交流を深めたい &#8230; <a href="https://www.us-lighthouse.com/work/career-interview/pro-11690.html">Continue reading <span class="meta-nav">&#8594;</span></a></p>
<p>The post <a href="https://www.us-lighthouse.com/work/career-interview/pro-11690.html">服飾デザイン・販売 「2WJD」代表取締役・デザイナー（クリエイティブ系）：織部しほさん</a> first appeared on <a href="https://www.us-lighthouse.com">現地情報誌ライトハウス</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<table border="0" cellspacing="0" cellpadding="0" class="sub_img02">
<tr>
<td> <img decoding="async" src="/profession/11690/1.jpg" border="0" /></td>
</tr>
</table>
<h3 id="answer_text">「２ＷＪＤ」が、ポジティブに頑張れる<br />アイコンのような存在になったらいいなと思っています</h3>
<p></p>
<p id="answer_text">将来について悩む中、新たな可能性を求め、渡米 した織部しほさん。「本当にやりたいこと」に気付 き、服飾デザインの道を志し、大学在学中、「もっ とコンシャスなデザインを広めたい」と自社ブ ランド「２ＷＪＤ」を立ち上げた。今年、新たにハ イエンドのラインを準備中の織部さんに、服飾デ ザイナー、経営者としての心構えなどを聞いた。</p>
<p></p>
<table border="0" cellspacing="0" cellpadding="0" id="column">
<tr>
<td class="rate02">
<div class="caption">【プロフィール】おりべ・しほ&#9673;福岡県出身。海外で世界の人との交流を深めたいと思い、20歳でオレゴン州に 渡米。語学を学び、同地の大学に進学するが、ファッション分野を追究するため、ハリウッドの あるロサンゼルスに移住。American Intercontinental Universityでデザインの学士号、名誉マグ ナクンローを取得。大学在学中にデザイン事務所でインターンを始め、欧米の大手ブランドの デザインを手掛ける。2006年、オリジナルブランド「２WJD」を設立。09年８月、ソーテルに販売 店舗をオープン。今年から日本の店舗でも、同ブランドの取り扱いが始まる<!--<br /><a href="">キャリアインフォメーションはこちら</a></div>

--></td>
</tr>
</table>
<div id="detail_data_block">
<h3>そもそもアメリカで働くには？</h3>
<ul class="backnumber_list">
<li class="entry_list">アメリカで働くためには、原則として合法的に就労可能な「ビザ」が必要になります。<br /><a href="https://www.us-lighthouse.com/life/daijiten/visa.html" target="_blank">アメリカ・ビザの種類と基礎知識</a></li>
<li class="entry_list">日本から渡米してアメリカで働く方法として、18ヶ月の長期インターンシップも選択肢の1つ。<br /><a href="https://www.us-lighthouse.com/work/workingholiday-internship/j1-visa-internship.html" target="_blank">アメリカでワーキングホリデーのように働く！「J-1ビザインターンシップ」徹底解説</a></li>
</ul>
</div>
<p></p>
<h3 id="answer_text">紆余曲折を経て見つけた 自分が本当にやりたかったこと</h3>
<table border="0" cellspacing="0" cellpadding="0" class="sub_img02">
<tr>
<td> <img decoding="async" src="/profession/11690/2.jpg" border="0" /> </p>
<div class="caption">ソーテルにある２ＷＪＤ店舗。単にショップというだけ<br />でなく、夢に向かって頑張る人を応援する場でもある</div>
</td>
</tr>
</table>
<p id="answer_text">幼少の頃から医者を目指して いました。高校時代に映画『Patch Adams』を観て、彼のように親身で 患者に接し、笑いで人を癒し、信頼 を得られるドクターになりたいと 思っていました。チャリティーワーク にも大変興味があり、それには世界 の共通言語である英語が話せなけ ればダメ。当時、英語が一番苦手だっ たこともあり、１日 13 時間勉強す る缶詰状態の日々が続きましたが、 思ったような結果が出ず、悩む日々 も多かったです。それを見かねた両 親が、アメリカ留学をすすめてくれ て、英語を学ぶのを第１の目標に、新たな可能性を求め、 20 歳の時に渡 米しました。<br />　<br />アメリカ留学で、苦手だった英語 を克服し、会話だけでなく、色々な 文化に触れ、その違いを学ぶだけで なく、個々の文化に接することもで きるようになりました。異文化の人 たちへの対応は、その中で実際に生 活し、経験してみないとわからない ことも多いので、そういったことを肌 で実感してみたかったというのも、 留学の動機にありました。<br />　<br />最初はオレゴン州のアッシュラ ンドという、アートにあふれる小さ な田舎町の語学学校に通いました。 アッシュランドは、自然の中にある ので、車で３時間くらい運転しない と、お洒落な買い物はできません。ですから、天候が厳しい冬などは、部 屋にこもって将来について考える時 間がたっぷりありました。「自分はど ういう人間なのか？」「何ができるの か？」。それらに対する答えが自分 の中で出た時、「自分が居るべき場 所は、ここじゃないかもしれない」と 思いました。<br />　<br />そうして自分の得意分野はファッ ション分野だと自覚し、ファッション と言えば西海岸ではハリウッドです から、ロサンゼルスに旅行に出かけ ました。そして、業界の幅広さ、レッ ドカーペットでのドレスのクオリ ティーの高さに感動し、この地で学 びたいと思いました。常に何らかの 形で自然に触れていたかったことも あり、海のあるウエストロサンゼル スに移住しました。<br />　<br />一般教養のクラスを取っている間 に、ファッションのどの分野を勉強 するか考える中で、ファインアート を含むデザインに興味を持ちまし た。デザインは本当に多くの経験を し、技術を磨かなくてはいけないの で、ロサンゼルスにある４年制の芸 術大学、American Intercontinental Universityに編入しました。視野を 広げるために、モデルやスタイリストも経験するうち、デザイナーは 「デザインやアートを通して、世界に 意思表現ができる」という点に感動 し、服飾デザイナーの道を志すこと にしました。<br />　<br />在学中にデザイン事務所でイン ターンを始め、大手ブランドの靴の デザインをさせていただきました。 過去の顧客層を保ちつつ、ブランド ネームを崩さないよう、いかに新し いラインを導入するかという、大手 会社ならではのチャレンジにも取り 組ませていただきました。<br />　<br />私は、絵画や建築、そしてファッ ションの本だけでなく、ゴシップ紙 や興味があまりないような本も普 段からよく見るように心がけてい ます。各企業の視点や顧客層などの 違い、商品の特徴などをすぐにつか めるようになるには、「目」を肥やす ことが本当に重要です。プロトタイ プのデザイン修正に携わることが多 かったので、改善方法をすぐに提案 できるよう、視野を広げ続ける努力 をしてきました。<br />　<br />ファッションを通して色々な人を 応援したい、頑張っている人たちが 出会うきっかけになるような商品を 作りたいと思い、ポジティブやエコの メッセージを込めたＴシャツブラン ドを立ち上げました。そのブランド の社名が「２ＷＪＤ」。ポジティブに 人生の選択をしてほしいと、〝What Would Jesus Do?&#12318;というフレーズ の頭文字から来ています。人生において数々の選択をする際、人の意見 に流されず、夢に向かって頑張って いってほしいという願いが込められ ています。</p>
<p></p>
<h3 id="answer_text">アーバン系で コンセプトは「ポジティブ」</h3>
<p id="answer_text">アーバン系のブランドは、ネガ ティブなデザインやコンセプトが 多い中、２ＷＪＤのデザインは、すべ てポジティブでオリジナル。チーフ デザイナーとして、他の２人のグラ フィックデザイナーと一緒に、いかに メッセージをデザインとして、グラ フィックに組み込んでいけるかをい つも研究中です。若い子たちにとっ て、２ＷＪＤがポジティブに頑張れ るアイコンのような存在になったら いいなと思っています。<br />　<br />ポップカラーの 80 年代系デザイ ンからシンプルなロゴやロックのモ ノクロなデザインまで、幅広くお客 様に気に入っていただけるよう努力 しています。素材は、肌にやさしいソ フトコットン 100％ 。 今 年 か ら 東 京 近 辺の店舗でも、取り扱いいただいて います。<br />　<br />最初は地元のコンサートなどに ブースを出展し、商品の販売・促進 をしていました。おかげさまで徐々 にリピーターが増え、お客様が好き な時に立ち寄れるようにと、昨年 ソーテルに店舗を構えました。店の コンセプトは、ブランド同様「ポジ ティブ」。目指しているのは、買い物 だけでなく、頑張っている人たちが ネットワーキングでき、色んなアー トやプロジェクトが生み出される空 間です。<br />　<br />経営者となるのは初めてでした が、やりたいことが本当に実現でき るのか、その可能性を試したいと思 いました。最初は当たって砕けても、 その経験が肥やしになるという思い で、色々学んでいきました。自分なり に目標を立てて、ただひたすらその 目標を達成していくことに集中しま したので、不安を感じたことはあま りありません。今は経営から接客、 デザインと、まだまだ学ぶことも多 く、多忙な毎日を送っています。</p>
<p></p>
<h3 id="answer_text">最初の勝算 60 ％でも、経験を積み 90 ％の結果が出せるようになる</h3>
<p id="answer_text">若い時は、何がうまくいくのかわ からず、色々な選択に悩むことが多 いかもしれません。やろうと思って から実行に移るまでのクヨクヨ期間 が長い人もいると思います。でも、そ の期間を短くすれば、できることも 増えてきますよね。私が一番落ち込 むのは、期間設定をしたにも関わら ず、その目標を期間内に達成できな かった時です。クヨクヨ不安に感じ ている間に、ドンドン時間が経って しまって、振り返ると達成できてい なくて、ショックを受けましたね。<br />　<br />トライして 60 ％の結果より、ト ライせず０％だった方が、すごく後 悔することに気付きました。最初は60 ％でも、経験を積むことで 90 ％の 結果を生み出せる可能性もあるの で、思ったら即行動の方が、１歩でも 前に進み続けられると思ったので す。日本では 100点 満 点 が 取 れ な い な ら、最初からテストを受けない、とい う感覚もありますが、少しでも夢に 近付くこと自体にすごく意味があ ると、私は感じます。やってみないと わからないですから。「オッケー、ま ずやってみよう」というトライ精神 を持つことが、私は大好きです。弊 社で迎え入れたインターンの子たち とも、このトライ精神をシェアしま す。自分の中にある可能性にチャレ ンジしてほしいからです。<br />　<br />私が日本にいた時、決められた一 視点からの価値観のみを持っていた 気がします。アメリカで生活をする 中で、自分の持っていた価値観だけ が正しい訳ではないと気付きまし た。そのおかげで新しいことを学び、 チャレンジでき、その可能性を探索 することもできました。結果がどう であれ、経験はその人自体を磨いて くれます。失敗を恐れず、自分の信 じたことを実行してほしいと願って います。悩んだ時には、いつでも２Ｗ ＪＤにおいでください。色々な先輩 が、過去に私を励ましてくれたよう に、何かポジティブなお手伝いがで きるとうれしいです。<br />　</p>
<p>(2010年9月1日号掲載）</p>
<p></p><p>The post <a href="https://www.us-lighthouse.com/work/career-interview/pro-11690.html">服飾デザイン・販売 「2WJD」代表取締役・デザイナー（クリエイティブ系）：織部しほさん</a> first appeared on <a href="https://www.us-lighthouse.com">現地情報誌ライトハウス</a>.</p>]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>製造／販売  ギター職人／Performance Guitarオーナー（クリエイティブ系）：須貝邦夫さん</title>
		<link>https://www.us-lighthouse.com/work/career-interview/pro-11541.html</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[Lighthouse1260]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 01 Nov 2018 07:01:58 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[アメリカで働く（多様な職業のインタビュー集）]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://www.us-lighthouse.com/?p=35993</guid>

					<description><![CDATA[<p>アメリカの音楽の歴史に残るようなギターが作れたらいいなと思います 15歳の頃にギターが欲しくて始めたギター製作。持ち前の器用さと探求心で瞬く間に技術は上達し、プロ級の品質のギターを作れるようになった須貝さん。本場アメリカで自分を試してみようと渡米し、自らのショップをオープン。以来30年以上にわたりトップミュージシャン御用達となった須貝さんのギターの秘密を聞いた。 【プロフィール】すがい・くにお&#9673;1947年東京生まれ。15歳の頃からギターを作り始める。ギター製造会社に就職後、70年に一 &#8230; <a href="https://www.us-lighthouse.com/work/career-interview/pro-11541.html">Continue reading <span class="meta-nav">&#8594;</span></a></p>
<p>The post <a href="https://www.us-lighthouse.com/work/career-interview/pro-11541.html">製造／販売  ギター職人／Performance Guitarオーナー（クリエイティブ系）：須貝邦夫さん</a> first appeared on <a href="https://www.us-lighthouse.com">現地情報誌ライトハウス</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<table border="0" cellspacing="0" cellpadding="0" class="sub_img02">
<tr>
<td> <img decoding="async" src="/profession/11541/1.jpg" border="0" /></td>
</tr>
</table>
<h3 id="answer_text">アメリカの音楽の歴史に残るような<br />ギターが作れたらいいなと思います</h3>
<p></p>
<p id="answer_text">15歳の頃にギターが欲しくて始めたギター製作。持ち前の器用さと探求心で瞬く間に技術は上達し、プロ級の品質のギターを作れるようになった須貝さん。本場アメリカで自分を試してみようと渡米し、自らのショップをオープン。以来30年以上にわたりトップミュージシャン御用達となった須貝さんのギターの秘密を聞いた。</p>
<p></p>
<table border="0" cellspacing="0" cellpadding="0" id="column">
<tr>
<td class="rate02">
<div class="caption">【プロフィール】すがい・くにお<br />&#9673;1947年東京生まれ。15歳の頃からギターを作り始める。ギター製造会社に就職後、70年に一念発起して渡米。２年後に一旦帰国し、日本で再渡米の下準備を進める。75年に再渡米し、技術アドバイザーとしてFender社と日本の会社をつなぐ仕事を担う。79年１月、ハリウッドに自身の工房兼ショップ「Performance Guitar」を創設。フランク・ザッパ、ウォーレン・デ・マルティーニ、ジョー・ウォルシュ、スティーヴ・ヴァイ、マイケル・シェンカー等、多くの著名ミュージシャンからの信頼を得、数多くのカスタムモデルを製作。<br /><a href="http://www.performanceguitar.com" target="_blank">www.performanceguitar.com</a><!--<br /><a href="">キャリアインフォメーションはこちら</a></div>

--></td>
</tr>
</table>
<div id="detail_data_block">
<h3>そもそもアメリカで働くには？</h3>
<ul class="backnumber_list">
<li class="entry_list">アメリカで働くためには、原則として合法的に就労可能な「ビザ」が必要になります。<br /><a href="https://www.us-lighthouse.com/life/daijiten/visa.html" target="_blank">アメリカ・ビザの種類と基礎知識</a></li>
<li class="entry_list">日本から渡米してアメリカで働く方法として、18ヶ月の長期インターンシップも選択肢の1つ。<br /><a href="https://www.us-lighthouse.com/work/workingholiday-internship/j1-visa-internship.html" target="_blank">アメリカでワーキングホリデーのように働く！「J-1ビザインターンシップ」徹底解説</a></li>
</ul>
</div>
<p></p>
<h3 id="answer_text">「やってみよう」の精神で 挑んだアメリカでの人生</h3>
<table border="0" cellspacing="0" cellpadding="0" class="sub_img02">
<tr>
<td> <img decoding="async" src="/profession/11541/2.jpg" border="0" /> </p>
<div class="caption">自慢の手製ギターで演奏する須貝さん（77年当時）。<br />後ろには、お気に入りのEaglesのレコードジャケットが</div>
</td>
</tr>
</table>
<p id="answer_text">父親が社交ダンスの先生、叔父が喫茶店を営んでいたこともあり、子供の頃から家には色んなレコードがありました。特に影響を受けたのは、ポール・アンカ、エルビス・プレスリー、グレン・ミラー、ビートルズなどです。彼らの影響でギターを弾きたいと思い始めました。けれど、ギターを買うお金がない。だから自分で作ろうと思ったのが15歳の頃でした。当時はギター作りの知識なんてありませんでしたが、材木屋だった隣の家から材料を入手して、趣味感覚で始めました。しばらくして、バンド仲間たちからも頼まれるようになりました。皆は練習して上手に弾けるようになっていくのですが、自分はひたすらギターを作っていましたから練習する暇がなくて、全然うまくならない（苦笑）。<br />　<br />ギター作りを始めてから技術面で困ったことがなかったのは、小さい頃から父親のオートバイや自動車修理、大工仕事を手伝って、技術を教わったからだと思います。それに、ラジオやステレオなども自作していて、そこからエレキギターに必要な電気技術の知識を身に付けられました。<br />　<br />ギター製作などモノ作りをする能力は、当人が持っているセンスやアイデア、応用力で決まると思います。それから、「やってみよう」という心構え。あと、技術を習得するには、色んな発想が大事だと思います。ある時は、どうしてもギターの中の構造を知りたくて、知り合いの歯科医院にギターを持ち込んで、レントゲンを撮ってもらって調べたこともありました。普通はこういうことはしないでしょうが、こういう背景があって、応用力が磨かれたのだと思います。<br />　<br />初渡米は1970年、20代前半の時でした。ギター以外に飛行機や自動車も好きだったので、飛行場でメカニックとして仕事を得られ、操縦免許も取得できてうれしかったですね。そのままアメリカで人生を懸けてみようと思ったのですが、２年後に一旦帰国。それから３年間、再渡米の準備をしていました。　<br />　<br />75年に準備が整い再渡米。アメリカのギター会社、Fender社と日本のモーリスギター・グループを結ぶ仕事を始めました。　ハリウッドでは、色んなアーティストがレコーディングをします。そういった人たちの手伝いができたらと思ったんです。初めは片手間で手伝っていたのですが、そのうちそちらの方が忙しくなり、79年１月に今のショップを始めました。<br />　</p>
<p></p>
<h3 id="answer_text">１本１本のギターから甦る その時々の思い出</h3>
<p id="answer_text">ショップを創立以来、アメリカの第一線で活躍するアーティストたちへのギター提供、メンテナンスや音作りを手掛けてきました。<br />　<br />Ratt というＬＡメタルロックバンドのリードギタリスト、ウォーレン・デ・マルティーニに、自身のヘビ柄のコスチュームに合わせたギター作りを依頼されたことがありました。クリスマス前のショーに間に合わせたいと言われて、生後４カ月の娘をおんぶしながら作りました。そんな感じでギリギリで仕上がって、本人が取りに来たのですが、すごく喜んでくれました。今でも忘れられないギターのうちの１本です。<br />　<br />アーティストの中で個人的に特に好きなのは、Eaglesのジョー・ウォルシュです。彼のギター作りとメンテナンスも、ずっと手掛けてきました。また、彼らの日本ツアーには、私たちが帯同して、テクニカルな仕事の手伝いなどもしました。近くでコンサートがある時には、いつも招待してくれます。ビッグプレーヤーの素晴らしいショーに招待されるのはうれしいですね。<br />　<br />ちょっと個性的な方だと、フランク・ザッパという人がいます。10年くらい前に亡くなりましたが、この方の伝説はいまだに広まっていて、ザッパのギター、そのサウンドをどのように作ったのかと、今でも随分聞かれます。それぞれのギターにそういったエピソードがあります。<br />　<br />もちろん一般のお客様のギターも手掛けます。「こういうことはできないか」「こんな音のギターは作れないか」という要望を度々受けては、風変わりなギターを作ったりします。例えば、琵琶のエレキ版を作ったり、エレキ琴を作るために琴にマイクを付けたり、特製エフェクターを作ったり…。今まで色々な音作りをしてきましたし、これからもやっていくつもりです。<br />　</p>
<p></p>
<h3 id="answer_text">オリジナリティーの国で 認められた技術</h3>
<p id="answer_text">ギターを作る上で、まず大事なのが素材。良い木を選択し、それから高い精度で作り上げていきます。<br />　<br />しかし、もう１つの大事な要素は、お客様の要望です。お客様の好みの音に合わせてアレンジするのはもちろんですが、ステージで弾きますから、色や形など、見た目にもこだわります。例えばスティーブ・ヴァイからは、有名になるために「Something special, something diff erent」なギターをと、頼まれました。それでホットロッド・カーのような炎のギターを仕上げました。<br />　<br />お客様からの要望、例えばどういうジャンル、どういうスタイルでそのギターを使うかを考えなければなりません。既に何十本、何百本もギターを持っているプロの人たちは、音楽やショーに合わせてギターを作りますから、次のツアーのテーマをうかがってアイデアを得たり、動画を一緒にインターネットで見て「こういうスタイルで弾きたい」と言われたら、それを基にアイデアを出します。もちろん私からも「こういうこともできるよ」と、提案することもあります。<br />　<br />そうして完成したギターを、ステージやレコーディングで使ってみて気に入ってくれれば、私たちの仕事を全面的に受け入れてくれます。そして、ギターの持ち味を100％活かすよう使ってくれるところが、やはり素晴らしいですね。さすがオリジナリティーの国だと思います。<br />　<br />日本のミュージシャンは非常にレベルが高いですが、やはりアメリカでは個性、スタイルを持っていないと、この業界では食い込んでいけません。アメリカでは自分たちのスタイルを生み出さないと、プレイヤーとしての地位を確立できないのです。そういうこともあって、カスタムメイドでオリジナルを作る、私たちの仕事がアメリカで受け入れられたのでしょう。<br />　<br />アメリカのプレイヤーたちは、新しいアイデアや音を目指しています。そういう人たちを手伝い、一緒に仕事ができて、すごくうれしい。日本では決してできないことを、アメリカで達成して、それがミュージックビデオやＣＤに残り、さらにジャケットの後ろにスペシャルサンクスで私たちの名前が入ったりします。そういうのを見ると、自分の仕事を思い出して、満足感が得られます。<br />　<br />アメリカ人は、物を粗末に扱うと思われがちですが、私たちが手掛けたギターを、皆さんすごく大事に使ってくれます。長年使ってくれて、「ほかのギターはボロボロになっちゃうけど、君が作ったギターは何でこんなに丈夫なんだ」と言われたこともあります。<br />　<br />また、開店当時のお客様から問い合わせがあって、「君の店、まだあったのか！」って言われることも（笑）。「いまだに気に入っているので、もう１本作って」という依頼も度々あります。<br />　<br />「ずっと前に作ったギターを送るから、メンテナンスしてもらえませんか」という問い合わせもあります。それで30年近く経ったギターの中を開けて見てみると、しっかりしていて、「あの時ベストを尽くして仕上げておいて良かったな」と思ったりします。<br />　<br />これからもお客様の要望に応え、アメリカの音楽の歴史に残っていくようなギターを作れたらいいなぁと思います。<br />　</p>
<p>　<br />(2010年6月1日号掲載）</p>
<p></p><p>The post <a href="https://www.us-lighthouse.com/work/career-interview/pro-11541.html">製造／販売  ギター職人／Performance Guitarオーナー（クリエイティブ系）：須貝邦夫さん</a> first appeared on <a href="https://www.us-lighthouse.com">現地情報誌ライトハウス</a>.</p>]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>建築デザインコーディネーター、LEED認定プロフェッショナル（クリエイティブ系）：濱田香織さん</title>
		<link>https://www.us-lighthouse.com/work/career-interview/pro-11326.html</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[Lighthouse1260]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 01 Nov 2018 07:01:57 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[アメリカで働く（多様な職業のインタビュー集）]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://www.us-lighthouse.com/?p=35992</guid>

					<description><![CDATA[<p>既存の建物をリノベーションによってLEED基準に適合させるプロジェクトを手がけてみたい 日本で銀行に就職したが、語学留学で訪れたロサンゼルスで働く夢を捨て切れず再渡米した濱田さん。専門短大でインテリアデザインを専攻し、建築事務所に入社。先輩建築士の仕事を見ながら学び、注目を浴びるＬＥＥＤ（環境性能評価システム）の資格を取得。現在、建築士の資格取得も目指す濱田さんに聞いた。 【プロフィール】はまだ・かおり&#9673;愛媛県松山市出身。地元の短期大学を卒業後、１年間ロサンゼルスに語学留学する。日本 &#8230; <a href="https://www.us-lighthouse.com/work/career-interview/pro-11326.html">Continue reading <span class="meta-nav">&#8594;</span></a></p>
<p>The post <a href="https://www.us-lighthouse.com/work/career-interview/pro-11326.html">建築デザインコーディネーター、LEED認定プロフェッショナル（クリエイティブ系）：濱田香織さん</a> first appeared on <a href="https://www.us-lighthouse.com">現地情報誌ライトハウス</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<table border="0" cellspacing="0" cellpadding="0" class="sub_img02">
<tr>
<td> <img decoding="async" src="/profession/11326/1.jpg" border="0" /></td>
</tr>
</table>
<h3 id="answer_text">既存の建物をリノベーションによって<br />LEED基準に適合させるプロジェクトを手がけてみたい</h3>
<p></p>
<p id="answer_text">日本で銀行に就職したが、語学留学で訪れたロサンゼルスで働く夢を捨て切れず再渡米した濱田さん。専門短大でインテリアデザインを専攻し、建築事務所に入社。先輩建築士の仕事を見ながら学び、注目を浴びるＬＥＥＤ（環境性能評価システム）の資格を取得。現在、建築士の資格取得も目指す濱田さんに聞いた。</p>
<p></p>
<table border="0" cellspacing="0" cellpadding="0" id="column">
<tr>
<td class="rate02">
<div class="caption">【プロフィール】はまだ・かおり&#9673;愛媛県松山市出身。地元の短期大学を卒業後、１年間ロサンゼルスに語学留学する。日本帰国後、地元の銀行に就職した後、2003年、ダウンタウン・ロサンゼルスにある専門短大、FIDM（Fashion Institute of Design and Merchandising）に入学。インテリアデザインを専攻する。05年の卒業と共に、日系建築事務所、M. Okamoto &#038; Associates, Inc.に入社。デザインコーディネーター、インテリアデザイナーとして勤務。08年７月に、LEED（環境性能評価システム）の資格を取得。LEED認定プロフェッショナルとしても活躍。<a href="http://www.moainc.net"target="_blank">www.moainc.net</a><!--<br /><a href="">キャリアインフォメーションはこちら</a></div>

--></td>
</tr>
</table>
<div id="detail_data_block">
<h3>そもそもアメリカで働くには？</h3>
<ul class="backnumber_list">
<li class="entry_list">アメリカで働くためには、原則として合法的に就労可能な「ビザ」が必要になります。<br /><a href="https://www.us-lighthouse.com/life/daijiten/visa.html" target="_blank">アメリカ・ビザの種類と基礎知識</a></li>
<li class="entry_list">日本から渡米してアメリカで働く方法として、18ヶ月の長期インターンシップも選択肢の1つ。<br /><a href="https://www.us-lighthouse.com/work/workingholiday-internship/j1-visa-internship.html" target="_blank">アメリカでワーキングホリデーのように働く！「J-1ビザインターンシップ」徹底解説</a></li>
</ul>
</div>
<p></p>
<h3 id="answer_text">建築のイロハをすべて学べる</h3>
<table border="0" cellspacing="0" cellpadding="0" class="sub_img02">
<tr>
<td> <img decoding="async" src="/profession/11326/2.gif" border="0" /> </p>
<div class="caption">現在進行中のプロジェクトサイトにて。現場を訪<br />れる度に、自分が手がけた建物ができあがって<br />いく様を見ると感動</div>
</td>
</tr>
</table>
<p id="answer_text">地元の短大を卒業して、１年くらいロサンゼルスに語学留学しました。その後、日本に戻って地元の銀行に就職し、５～６年くらいで働きましたが、ロサンゼルスのことが忘れられなくて。２００３年にダウンタウン・ロサンゼルスにある専門短大、Ｆ Ｉ Ｄ Ｍ（Fashion Institute of Design and Merchandising）に入学、インテリアデザインを専攻しました。映画のセットデザインがしたかったのですが、建築やインテリアにも興味がありました。<br />　<br />在学中にインターンシップをして、05年の卒業後、何社か就職活動した中から、建築事務所のＭＯＡ（M.Okamoto &#038; Associates, Inc.）で働くことが決まりました。ＦＩＤＭの先輩の縁で、たまたま募集があると聞いたのでラッキーでした。面接では、「私、インテリアデザインの勉強したんですけど、銀行で働いていたので、アカウントもやろうと思えばできます！」とか、「とにかく何でもやります！」って猛烈にアピールしました（笑）。<br />　<br />働き始めて、最初は何もわかりませんでした。でも、学校で色々習っても、事務所によってやり方も違いますし。建築のすごい学校を出ていたとしても、やっぱり働き始めは「？？？」じゃないかなと思うんです。私は入ってからの３年間、「えっ？」って感じの連続。先輩の建築士の仕事を見て学ぶという毎日でした。図面も今は１セット作れるようになりましたが、やはり最初は図面を描いているというよりも、アシスタントという感じ。とにかく習うより慣れろだと思います。<br />　<br />大きな事務所だと、仕事が細かく分業・専門化されています。その点、小さな事務所では、図面を描くところから、市とか郡に許可を取りに行ったり、市の担当者の人たちやクライアントとのやりとり、お金のこととかも手がけさせてもらえます。建築に関する仕事を全部まとめてやらせてもらえて、すごくありがたいと思っています。<br />　<br />今もなんですが、やはり苦労させられるのが英語。難解な専門用語もありますが、アメリカ人クライアントや仕事相手に、きちんと説明し、自分の思っていることを100％伝えるのは難しいですね。性格的にもそんなに強く言える方ではないので、市や郡の担当者との交渉も、最初の頃は黙って帰ってきて、先輩から「もっと押さないと！」と言われたり（笑）。コミュニケーションは、まだまだ勉強中です。<br />　<br />それから、一番悔しかった経験は、働き始めて半年くらいの時。あるクライアントに仕事を頼まれました。簡単な図面の修正だけだし、私のほかに誰も事務所に居なかったので、私がやってクライアントに返しました。図面を返しに行った時、そのクライントと話していたら「君は、どこの学校出てんの？」という話になりました。私が「ＦＩＤＭのインテリアデザインです」と正直に話したら、「えっ、君、建築士じゃないの？」って言われたんです。「でも、全然仕事はできます」と答えて帰って来ましたが、その後、ボスに電話があって、「直した子、建築士じゃないから、お金は払わない」って言われたんです。「私は何も間違ったことをしていないのに…」と、ものすごく悔しかった。<br />　</p>
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<h3 id="answer_text">ＬＥＥＤ資格試験に一発で合格</h3>
<p id="answer_text">ＬＥＥＤ（環境性能評価システム）の資格を取ったのは、08年7月。事務所での仕事に徐々に慣れてきて、インテリア以外の何かがやりたいと思ったのがきっかけです。ちょうどＬＥＥＤが注目され始めた時期で、「環境のことを勉強するのもいいな」と思いました。何回も試験勉強はしたくなかったので、必ず一発で合格しようと決めて取り掛かりました。事務所での仕事に加え、資格の勉強もしました。とにかく、グッと集中した甲斐があって１回で受かりました。<br />　<br />そして、取得した直後にＬＥＥＤを使ったホテル建設プロジェクトの仕事を手がけることになり、実際の仕事でも知識を使う機会に恵まれました。ミーティングに出ても、ＬＥＥＤの知識がなかったら、まったく何の話をしているか、わからなかったと思うんですね。それが理解できるようになって、自分に自信が付きました。また、そのプロジェクトを通して、試験だけではわからないＬＥＥＤのプロセスが理解できたのも幸運でした。<br />　<br />ＬＥＥＤはアメリカの基準ですが、最近、日本の企業や政府機関でも興味を示しているところが多いのです。日本人で有資格者がまだあまりいないですから、日本人の皆さんにコンサルティングできるよう、内容を日本語で理解していこうと、最近少しずつ勉強しています。<br />　<br />昔の自分と違うと思うところですか？　自分一人で現場に行って、コントラクターやマネージャーと話し合えるようになったところでしょうか。最初はボスの後ろに付いていて、「何を話しているんだろう？」と、ずっと考えていましたから。それこそ壁がどうやって立つのか、天井がどうやって下りてきているのかすら知りませんでした。それが現場でちゃんと意見できるようになったので、随分進歩したと思います。<br />　<br />今の仕事は、もちろん嫌になる時もありますけど、本当に楽しんでやっています。インテリアの仕事をしている時やＬＥＥＤの勉強の時などは、自分でも「頑張ってるな」と思えて、やりがいを感じます。<br />　<br />また、現在進行中のプロジェクトが完成したら、すごく感動すると思います。毎回、現場に出かける度に建設が進んでいるのを見て、「すごい進んでる！ちゃんと自分が設計した物が形になっている」っていう感動があります。そういうプロセスが見られるのは、色んな仕事をさせてもらっているからです。<br />　<br />あと、自分が提案したデザインをクライアントに理解してもらえると、やる気が出ますよね。デザインには、人それぞれの感性がありますから、理解してもらえない時は、「感性が違うからしょうがない」と思うようにしています。「自分のセンスが悪いからだ」と思うと落ち込んでしまうので。<br />　</p>
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<h3 id="answer_text">仕事を理解できない自分に無性に腹が立つ</h3>
<p id="answer_text">仕事を理解できない自分には、無性に腹が立ちます。自分にイライラする時が、一番辛いですね。例えば、設計図面のディテール部分で、理解していないと修正できない部分があるのですが、ひたすら調べても結局わからなくて、「何でできないの、私」っていう時がありますね。小さな失敗は日々ありますし、失敗した時は自己嫌悪に陥って落ち込むことも多いんですが、あまり気にしないで忘れちゃうようにしています。<br />　<br />今後の目標は、ＬＥＥＤの理解と建築の勉強を深掘りすることです。自分の力不足をもっと勉強して補って、一から全部自分でデザインした物を建てたい。レストランとか環境に調和した店舗デザインをやってみたいですね。あと、ＬＥＥＤ基準の新ビルを建てるというのは、今の景気だと難しいですが、既存の建物をリノベーションによってＬＥＥＤ基準に適合させるプロジェクトなら需要があります。ＬＥＥＤのリノベーションを勉強してやっていきたいです。<br />　<br />プライベートでは、家族を持つことが目下の目標。フィアンセはドイツ人で、ドイツも日本も環境先進国。それでよく環境の話をしたりしています。アメリカで生活していくのは大変だけど、アメリカほど万人にチャンスを与えてくれる国はないと思います。なので、２人で「頑張って生きていこう」と言っているんです。<br />　<br />こんな景気ですから、本当に自分がやりたい仕事を、最初からやらせてもらえるような企業に就職するのは無理かもしれません。でも、とにかく落ち込まず、ひがまないで、失敗して怒られたとしても、それも将来への勉強だと思って、強く生きることが大切ですね。<br />　</p>
<p>(2010年3月1日号掲載）</p>
<p></p><p>The post <a href="https://www.us-lighthouse.com/work/career-interview/pro-11326.html">建築デザインコーディネーター、LEED認定プロフェッショナル（クリエイティブ系）：濱田香織さん</a> first appeared on <a href="https://www.us-lighthouse.com">現地情報誌ライトハウス</a>.</p>]]></content:encoded>
					
		
		
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