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アメリカン・ドリーマーズ

アメリカの各業界で活躍する日本人・日系人に、渡米のきっかけから、大きな夢を実現するまでの軌跡をインタビュー。

ライトハウス編集部
ライトハウス編集部

河辺美穂さん(右)・美佳さん(左)/シルク・ド・ソレイユ『O』出演者

辛いことを前向きに捉えれば、何でも気楽に頑張れるはず(美穂)
辛い時を越えれば、必ず良いことが待っています(美佳)


世界中の一流アスリートで構成されるサーカス集団、シルク・ド・ソレイユ。その最高峰で演技を披露する、日本人の双子、河辺姉妹が、それぞれの過去、現在、未来を語った。


【プロフィール】かわべ みほ/みか◎1974年生まれの双子姉妹。美穂が姉。共に5歳から競泳をスタートする。中学生の頃にシンクロナイズドスイミングに魅せられ転向し、それ以降2人共頭角を現す。美穂は、96年アトランタオリンピック・シンクロ団体で銅メダルを獲得。美佳は、99年ワールドカップ団体で銀メダルを獲得。姉妹では、97年日本選手権デュエット2位。2001年、ラスベガスでシルク・ド・ソレイユが行うショー『O(オー)』出演のため、美穂が渡米するが、美佳は事故により断念。その後美佳は、日本で水中パフォーマンスチーム、トゥリトネスのメンバーとして、シンクロをモチーフにしたショーの振り付けから出演まで幅広く活躍。08年、美佳は再度シルク・ド・ソレイユに挑戦。現在2人で、同ショーに出演している。

シドニー五輪の選考で
競技シンクロを断念

これまでずっと一緒だった2人が共に演じられる
幸福を噛み締め演技をする河辺姉妹

美穂(以下:姉):妹と一緒に5歳から競泳を始めました。5人姉妹で、姉が競泳をやっていたため、その影響で親が自然と習わせたんです。ある日、シンクロの大会を見て、美佳と2人で「シンクロやりたいね」って。ちょうど競泳には飽きていたし(笑)。

美佳(以下:妹):シンクロをしようと決心してから、クラブに通い始めたのが半年後。クラブは東京にあって、自宅の茨城から片道2時間。最初は親が許してくれなかったので、始められるまでに時間がかかりましたね。でもその分、やりたい気持が強まり、最初の3年くらい(中学生の間)は特に面白かった。

姉:私たちには競泳の経験がありましたから、シンクロへの転向は特に難しくなかったです。中学の時に、私たち2人のデュエットで全国大会に出場しました。競泳の経験とコーチの良い振り付けのおかげで、運良く行けたという感じ。双子だから息が合いやすいし、点数も出やすかった。足の形もよく似てるんで、それだけでも見た目がきれいなんです。その後、私は96年のアトランタオリンピックに出場しましたが、まぐれもいいとこ(笑)。10人選考されて、うち8人が出場するんですが、私は9番目の補欠。でも決勝の時、私に出番が回ってきて、ほかの選手に付いて行くので必死。すべての記憶がなくなっちゃうくらい、本当に大変でした。

妹:レギュラーの選手は皆、半年間一緒に練習していますが、姉は、横で見ながらの練習。だから、本番直前での出場は、本当に大変だったと思います。

姉:オリンピックの後は燃え尽きちゃって。シンクロから遠ざかりたいとさえ思いました。今になってようやく、オリンピックの良さとか、あの時に自分を追いつめた経験がすごく貴重だってことがわかるようになりました。アトランタが終わってからは、2人共2000年のシドニーを目指しましたが、選考から脱落。そんな頃、アメリカに留学しているシンクロ仲間から、シルク・ド・ソレイユのことを聞いたんです。その時、「ダメもとでいいから挑戦したい!」って思いましたね。オリンピック選考会からも外れてしまったので、怖いもの知らずになっていたんでしょう。「恥をかいてもいいからトライしよう!」って。

妹:私は、シルク・ド・ソレイユなんて名前すら知らなかったんです(笑)。選考に外れてから2週間後、2人でラスベガスにシルクの『O』を観に行きました。「こんなシンクロもあるんだ」って思った瞬間、「やりたいっ!」と。でも、皆スタイルが良くて、もし私たちが入団しても浮いちゃうんだろうなって(笑)。ですから、合格なんてまず無理と思いましたよ。実際、オリンピック選手もたくさんいました。

姉:そして、2人揃って00年3月にオーディションを受けたんです。

妹:結果は「採用するかもしれません」という、曖昧なお知らせでした。オーディションが終わってからは、合宿メンバーを選抜するんです。当時シルクは、次期メンバー候補向けの合宿をして、その年に何人補充するかを決めていたんです。その予備軍を集めて4カ月間特訓するんですね。要するに、アスリートからアーティストになるための訓練。それには姉が選ばれて。

姉:オーディションの出来は、妹の方が良かったので、どちらかが選ばれるなら…。

妹:私かなって。

姉:でも私が選ばれた。この時は、2人共ショックで悲しくて。「何だ、結局はオリンピック出場っていう名前なんだ…」って、現実を突き付けられた感じでした。

妹:私は、その時初めて、オリンピックに出れなかったことを悔やみましたね。


姉はシルク入団
妹は大ケガで断念

姉:シルクでの合宿経験は、衝撃的で、観るもの聞くものすべてが新しい世界。学ぶことが楽しくて仕方ありませんでした。最初私は、アーティスト的なものは何も持っていませんでしたが、それを引き出せるんだという思いにさせてくれました。そんな機会を与えられたのだから頑張りました。しかし、合宿が終わったからといって、役が来るわけではありません。役の空きがないと、何年も待つことになります。「もしかすると、呼ばれないかも」と不安でしたよ。その間日本で、『水の道化師』というシンクロのコメディーショーに出演していました。10カ月ほど待ち、ようやくシルクから声がかかったんです。

妹:私は、姉の合宿の翌年に合宿メンバーに選ばれました。でも、参加の2週間前にプールで滑って、膝を脱臼骨折。全治6カ月で、生まれて初めて人生、目の前が狄燭断〞になりました。ほんとに真っ白になるんですよ。

姉:ショックと痛みでね。

妹:ショックの方が、断然大きかった。目標が、全部台無しですから。オリンピック、シルクの合宿、そして今回と、3度にわたって私だけ行けなかったという思いもありました。それからの6年間、姉はアメリカ、私は日本と、ずっと一緒だった2人が、別の世界で歩み始めました。私は姉から紹介されたシンクロのコメディーショーに参加・出演し、全国を回りました。そこでは出演はもちろん、振り付けや企画、演技指導などもこなし、自ら進んで色々と創り上げていきました。それまで私は、何かと姉に頼りっきりの性格だったんですが、姉と離れたことで、精神的にかなり自立できたと思います。しかしやはり夢が諦めきれず、最後のチャンスとばかりに、07年にシルクのオーディションを受け合格したんです。ありがたいことに、その頃の日本の仲間たちからは引き止められましたが、諦められなかったんです。


辛い時を越えれば
先には良い時がある

姉:シルクのメンバーは皆、自分たちが楽しんで演技をやっています。私たちの場合は特に、2人がこの場で再会して一緒にやれていることが、とてもラッキーなこと。こんなチャンスをいただいて、こうして一緒に泳げることが、とても幸せです。

妹:私たちが出ている『O』のキャストは、全員で75人ほど。世界20カ国ほどから精鋭が集まっています。そんな中で一番大変なのは、常にモチベーションを高くキープすること。私たちは、週5日、1日2回の同じステージを繰り返します。でも人間だから、気分に波があるじゃないですか。でも、ショーの前には高めなければならない。それはすごく大変ですね。

姉:どんなスポーツでも仕事でも、それは同じことだと思いますが、私たちの場合、お客様はその時のショーしか観られない。だから、すべての瞬間をきちんと演技しなければならない。その分、余計にプレッシャーを感じるのかもしれません。

妹:次の目標としては、将来的には、日本に戻って一般の人に楽しいシンクロを教えたいと思っています。そのためにも、シルクで色々吸収して、日本にいた頃には学べなかったことを勉強し、それを教える面で活かしたいと思っています。

姉:私の人生は、ずっと水泳やシンクロ一色だったから、将来は別の世界に行きたいと思っています。その時のために現在大学に通い、次のステップに向けての準備をしています。実は、9月に子供を出産しました。『O』には子持ちのメンバーも多くいますから、シンクロも勉強も子育ても、一生懸命やらなきゃ(笑)。大変だけどすごく恵まれていると実感しています。これまでの人生を振り返ると、一番挫折しそうな時期が、勉強できた時だったと思いますね。辛い時期こそがとても良い経験だって気付けば、何でも気楽に頑張れるはず。不可能ってことはありませんから、ダメもとで挑戦することは、きっと良い経験になります。特に若い方は、どんどん挑戦してほしいですね。

妹:私も姉とよく似ていて、辛い時を越えれば必ず良いことが待っていると思って頑張っています。自分の人生を振り返っても、辛い時の後には必ず良い時が来ていますから。

姉:アメリカって色々大変だけど、自由に挑戦できる国。だから、頑張るというより、楽しんじゃうつもりで時間を過ごした方が良いかもしれませんね。


(2010年1月1日号掲載)