シンガーソングライター・作家 / さだまさし

ライトハウス電子版アプリ、始めました

自分のことを好きになったり嫌いになったり 何度もぐるぐる回ってみんな生きているんだよ

繊細で率直、かつ叙情的な歌詞を、高音の美声で歌うさだまさしさん。軽快な話術とユニークなキャラクターで観客を魅了するさださんだが、実は17歳でノイローゼになった過去を持つ。歌手として華々しく活躍するその裏側にも、自分の存在意義を模索し続ける17歳の自分の姿が常にあった。今、彼の背中を押すものは「日本を良い国にしたい」という思い。現代日本が抱える問題は、言葉の使い方にキーワードがあると指摘する。そんなさださんに、昨年10月のロサンゼルス公演終了直後に話を聞いた。

言葉を素直に発すると 相手も素直に反応する

最近の日本人は、言葉使いが上手じゃない。それが、日本の崩壊にもつながっていると思いますね。日本語を「話せない」「聞けない」人が多いから、互いの間に軋轢が生まれる。ちょっとの言葉に自分の思いをギュッと詰め込もうとするから、どんどん言葉数が減ってきて、挙げ句の果てに言葉が記号化しちゃう。

 

僕はね、世の中に作品を出すからには、世の中を象徴するものであるべきだと思っています。同時に、批判であれ賛同であれ、自分が何に感動し、何に苛立っているのかも素直に表現しなければなりません。だからコンサートのトークでも、僕は思っていることを率直に話します。もちろん、僕の言うことに納得する方もいれば、反発する方もいます。でもね、大切なのはまず自分から相手に何かを素直に投げ込むってこと。そうしたら相手も「おっ、投げ込まれたっ」って、素直に投げ返してくる。どうでもいい話ならしなきゃいいし、どうでもいい歌なら歌わなきゃいい。そうやって自分の思いを素直に出すと、相手の言うことも素直に聞けるんだよ。それとね、イヤホンで音楽を聴いている最近の若者を見ると、かわいそうだなって思っちゃう。あれは「音楽を聴く」のではなく、「外部とのコミュニケーションを断つ」というサインだからね。

 

昔、僕の歌は暗いと言われた時期がありました。でも音楽って、本来明るいとか暗いっていうもんじゃなくて、もっと柔軟に聴くべきもの。第一、明るい歌って心を打たないじゃない(笑)。

僕は、好きなアーティストを聴く時は、必ず落ち込んでいる時。ウェットな感じが好きなんだよね。だからと言って、いくらステキな音楽でも垂れ流しは大嫌い。例えば、雄大な太平洋に臨む犬吠埼の絶景に立った時、どこからともなく静かな環境音楽が聞こえてきたりするとどう思う? 僕は無性に腹が立つんだよね。「なぜここに音楽がいるんだ」って。人間の生活って、元々色んな音楽に満たされています。風の音、空の音、海の音に人の息づかい…。そこに人工的な音をはめようとすることに、とても耐えられないんです。

自分に振りかかる問題を 丸投げにした17歳

僕は17歳の時に、ちょっとしたノイローゼにかかって、3歳から続けていたバイオリンを止めました。その不安定な自分にどう対応したかというと、大きな紙に自分の怒りや悩み、不安を全部書き出すんです。思い付いたことをすべてね。翌日、まだ覚えていることがあったら、また書き尽くす。これを毎日続けました。すると、書くことがどんどん減ってくる。で、最終的に残るのが「何のために生きているのか」という哲学的な悩み。でもそんなこと、17歳の少年に分かるわけがない。で、思ったんです。45歳までは、自分に振りかかる問題を全部丸投げしようって。何があっても気にしないって。でも45歳になったら、きちんと自分の意見を発言できるようになるぞ、そのために頑張っていくぞって決めました。

今思えば、若い頃に作った曲は、45歳の自分に宛てた手紙みたいなもの。だから20代前半で作った『秋桜』や『雨やどり』は、56歳で歌っても照れくさくないし、恥ずかしくもない。逆に、今作る楽曲の方が若々しいかも知れない。だって、今度は僕が、17歳の自分に返事を書く番だからね。ほら、17歳って切実に高い次元の自分を求めちゃうじゃない。いつもダメな自分に苛立っているというか。もちろん、当時の自分に「これで良いんだよ」って言うにはまだ早いけど、同じことをひと筋にやって来たことに関しては「よくやった」と言ってあげたい。そして、その頃の自分をもう許してあげてもいいかなって思いますね。

僕の歌や小説の基盤になっているのは、17歳の頃に抱いた「何のために生きているのか」という問い。僕は、苦しむことを前提に生きているから、人生から悩みや苦しみがなくならないと思っています。でもやっぱり、苦しみながら苦しむのはつらいから、楽しみながら苦しもうって思います。僕は煮詰まった時、心の中では冷や汗をかいていても、「どうにかしちゃおうっ!」て、どうにかしちゃう。すると壁が1つ破れるから、また困難にぶち当たっても、「大丈夫」って思う。世の中には、生き生きしている人がいっぱいいるけど、それはみんな、楽しみながら苦しんでいるから。本当は楽しめないんだけど、苦しみに立ち向かってエネルギーを発散させている。そういう姿を歌っていきたいね。

僕にはまだ、完成したっていう実感がありません。何でもやればやるほど難しくなるし、書けば書くほど書けなくなる。進歩っていつも螺旋状に進むから、周りから見ると同じ所をぐるぐる回っているようにしか見えないかもしれません。でも、テーゼとアンチテーゼをぐるぐる回って、ちょっとでも前より良くなっていればいいじゃない。自分のことを好きになったり嫌いになったり、何度も何度もぐるぐる回ってみんな生きているんですよ。

日本を良い国にしたい そのために僕は頑張る

海外で暮らす日本人の方には、頭が下がりますね。ロサンゼルスは、僕が24歳の頃にレコーディングで1カ月ほど暮らした青春の街。でも、その街で暮らせるかって聞かれたら、答えは「無理」ですね。自分の拠り所を見つけるのがとっても難しいから。プライドを持ち続けなきゃいけないし、差別とも戦わなければいけない。言葉の壁も文化の壁も、日本ではぶち当たらない障壁を乗り越えなきゃいけない。

以前、サンタモニカ辺りだったかな、海辺にある日系人墓地にお参りしたことがあるんです。そこではね、みんな海の方を向いて墓石が建っている。それを見た時、僕は胸が詰まりました。「死んでまで日本を見つめてくれている人たちがいるんだ」って。でもそれと同時に、「オレたち日本に住む日本人はどこを見てるんだ!」とも思いましたね。今でこそ日本人の印象は良いけど、それは海外で暮らした日本人の先人が、誠実に、プライドを持って、歯を食いしばって、耐えてきた血と汗の賜物。ハワイもロサンゼルスも、そういった方の礎があるから、日本人はアメリカで居場所を獲得できた。でも、日本人がもっと愛され、もっと尊敬されるためには、これからは本国がしっかりしなきゃダメ。だから僕は日本を、海外で暮らす日本人の方に恥じない国にしたい。そして世界の人が、「日本人だから信用できる」って思ってくれるような国にしたいんだよ。その思いを大切にしながら、僕は生きています。日本が良い国になるように、一生懸命僕頑張りますから、皆さんも、辛いこともあるでしょうが頑張ってください。

さだ・まさし●1952年、長崎県生まれ。72年に吉田昌美と2人組のフォークデュオ「グレープ」を結成。74年のセカンドシングル『精霊流し』が大ヒットし、全国区で有名になる。76年のグレープ解散後にソロ活動を開始。『雨やどり』『関白宣言』『北の国から』など、続々とヒットを飛ばす。叙情的かつ文学的な歌詞の世界は、彼独自のものとして定評がある。また2008年3月現在、日本で最も多くのソロ・コンサートを行った歌手で、その回数は3500回を越えた。近年は作家としても活動しており、児童文学書、長・短編小説、エッセイなどを精力的に執筆。08年5月には4作目の小説『茨の木』を出版した。www.sada.co.jp

 
(2009年1月1日号掲載)

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