大活躍中のあの人の親に聞くアメリカでの子育て。(インタビュー)

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自分たちが育った日本の環境とはあらゆることが異なる「アメリカでの子育て」。そのような中、子どもの才能を見事に開花させた3組の親に、「私たちの子育て」について聞きました。
2022年5月16日号「日系・日本人アスリートたち」に登場した東京オリンピックの銀メダリスト、サーファーの五十嵐カノア選手のご両親、英語版だけでも3,400万人以上の登録者を誇る大人気ユーチューバー、『Ryan’s World』のライアンくんのお父さん、そして東京オリンピックの水泳米代表の銀メダリスト、ジェイ・リザーランド選手のお母さんにご登場いただきます。

※このページは「ライトハウス・ロサンゼルス版2022年7月1日号」掲載の情報を基に作成しています。最新の情報と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。

「サーフィンで人々に良い影響を与えたい」そう語る息子から学ぶことが多い。
(プロサーファー 五十嵐カノア選手の両親 五十嵐ツトムさん&ミサさん)

アメリカに移住した理由について聞かせてください。

五十嵐ツトムさん&ミサさん

渡米の経緯と子どもが生まれるまで
1990年に結婚したツトムさんとミサさんは共にサーファーであり、東京を拠点に人気のフィットネスインストラクターとして活動していました。そして、95年に夫婦で渡米し、貿易会社を起こし永住権を取得した後に97年にカノアさんが誕生しました。

ミサさん(以下ミサ):英語がすごく好きで、自分自身、オーストラリアへの留学経験もあるのですが、どう頑張ってもネイティブのようには話せません。それで、子どもをアメリカで産んで、最低でも英語と日本語を話せる人に育てたいと思いました。子ども自身はどこで生まれて育つか選択できません。だから、それが親として子どもに与えられるギフトだと思って。そして、私たちがサーファーなので、生まれる前から、子どもにはできれば一流のサーファーになってほしいと願っていました。
ツトムさん(以下ツトム):アメリカではゼロからの出発でした。自分たちでフィットネスウエアを作って、日本にも送りました。妻がモデルもこなして、自分たちで何でもやりましたね。渡米当時はビバリーセンターの裏に住んでいたので、民泊も経営していました。

カノアさんが生まれて、子育てで心掛けたことはどんなことですか?

ミサ:子どもに英語を話せるようになってほしいとアメリカに来たわけですが、たとえ日本人の両親でも放っておくと子どもは日本語がダメになるので、家の中では一切英語を使いませんでした。あとは当たり前のことですが、挨拶をきちんとするように徹底的にしつけました。「おはよう」「ありがとう」、人に会ったら「こんにちは」ですね。私も態度で示さなければと、恥ずかしがらずに子どもにもちゃんと「ありがとう」と言いました。
ツトム:カノアがハイハイしていた時から本物を与えて、スケートボードもサーフボードもプロが使うものにこだわりました。その点、カリフォルニアからは世界の一流品が生まれています。本場ですよね。しかもサーファーにとって、ここの波は最高です。

カノアさんのサーファーとしての才能をどのように開花させたのでしょうか?

幼少期の五十嵐カノアさん

3歳からサーフィンを始めたカノアさんに父親のツトムさんは「本物を与えるようにしていた」と振り返る。

ツトム:カノアは3歳からサーフィンを始めましたが、彼が5歳の時、まだ下の子(同じくサーファーの五十嵐キアヌ選手)が生後4日目で、より良い環境を求めてハリウッドからハンティントンビーチに引っ越しました。それ以来、どっぷりサーフィン漬けの生活がスタート。そして、6歳でサーフィンのコンテストに初出場し、初優勝したのです。そのトロフィーを小学校に持って行ったら、他の子どもたちに「すごい!すごい!」と言われて、本人としては「自分がヒーローになったような気分だった」ようです。それで、「もっとトロフィーがほしい」とさらにサーフィンに力を入れ始めました。あの時の経験が大きなモチベーションになったのだと、今も思い出します。

サーフィン以外では、学校ではどんな様子でしたか?

ミサ:とにかくやんちゃだったんですよ(笑)。学校の勉強も結構すぐにできちゃう方だったんですが、終わった後にじっとしていない。その後、先生から飛び級を提案されて、最初は断ったのですが、結局、小学校2年から3年をスキップして4年生になりました。でも、カノアは小学校の頃からサーフィンでインドネシア、オーストラリア、日本と世界中を飛び回ることになり、高校の途中から学校はオンラインに切り替えました。本人もサーフィンが自分の仕事になるんだから学校に行く必要はないと、すぐに決断しました。
ツトム:6歳からスポンサーが付いていたので、もうほとんどプロのような生活になっていたんです。
ミサ:学校に通っていた時は朝が大変でした。学校前に海に行っていたんですが、とにかくギリギリまで海から出てこないんです。それでビーチにいる私は毎朝、「上がってこーい!」と叫んでましたね(笑)。遅刻は許さない、時間を守らなければいけないということを教えたかったのです。

それでも、「サーフィンを続けるのがつらい」とカノアさんが弱音を吐いたことはなかったのですか?

ミサ:自分で選んだ道なので「疲れた」とか「きつい」は一切言わなかったです。子どもの頃は大会に出ると95%は優勝していました。でも、今は大人になって世界レベルで戦っているので、さすがにちょっとつらそうにしていることはあります。そんな時は「とりあえずしばらく休みなさい」と声を掛けます。でも、翌朝になると前と変わらずトレーニングを始めていますね。私たちは絶対に「頑張れ」とはカノアに言いません。だって、頑張っていることは分かっていますから。それ以上、「頑張れ」と言う必要はないです。

そして、東京オリンピックで銀メダルを獲得されて結果を出したカノアさんを、親としてどのように見られていますか?

五十嵐ファミリー

全員がサーファーの五十嵐ファミリー。

ミサ:自分の息子なんですが、一人の人間として尊敬しています。彼のことをすごく誇りに思っています。カノアは自分が選手として活躍するだけでなく、自分の任務はサーフィンの存在を世界に広げて、野球やサッカーと肩を並べるようなスポーツにすることだと受け止めています。そうしてサーフィンの人口を増やして、メジャーなスポーツにしたいと思っているのです。そのような考えを持ち取り組んでいる息子を見て、今は逆に学ばせてもらっています。サーフィン界だけでなくアスリート界を代表するような、人々に良い影響を与える人になりたいというのが今のカノアの目標なのです。
ツトム:アメリカに移住してきて、カノアがこのような結果を出すことができて本当に良かったと思います。子どもたちが大きくなるまでは夫婦二人でいろんなアイデアを出し合って子どもたちをどうやって育てるか話し合っていたんですが、今はカノアもキアヌも加わり、「今後どうやっていくか」と4人で家族ミーティングをしています。東京オリンピックでカノアは銀メダルでした。惜しかったと言われればそうだけど、僕は(銀でも)悪くないと思っています。「So far so good」です。次(のオリンピック)はパリで、その次の2028年はロサンゼルス。しかもサーフィンの会場はハンティントンビーチでほぼ決定と言われています。カノアが6歳で初優勝した時と同じ会場です。

最後にアメリカで子育てをしている方々に、お二人からアドバイスやメッセージをいただけますか?

ミサ:子どもの好きなことをいち早く見つけてあげてください。親がこれをさせたいと思っても、子ども自身が好きでなければ最後までたどり着くことはできません。オリンピックに出場した選手でも「今までつらい人生だった」と言う人もいます。私は子どもたちにあのようになってほしくはなかったです。そして、子どもが好きなことを見つけたら、親として全力投球でサポートしてあげてください。子育てに正解はないですが、私たちの場合はその方法で合っていたのだと思います。
ツトム:先ほども言いましたが、子どもが小さい時から本物に触れさせてあげてほしいということ、それから日本ってやっぱりいい物を作れるし、優れた国なので、日本に対する誇りを持てる子どもに育ててほしいですね。アメリカにもいい物があり、日本のいい物も取り入れ、それらをミックスさせつつ、柔軟な姿勢で子育てをするといいんじゃないかなと思います。

五十嵐ツトムさんの動画とエッセー
YouTube:https://www.youtube.com/channel/UCkyLSGFTbkvYfV6xed4xyDQ

ライアンが自分の道を決めたらサポートは惜しまないが介入はしない。
(「YouTube」チャンネル 『Ryan’s World』のライアンくんの父親 シオン・カジさん)

ライアンくんが主人公の「YouTube」チャンネル『Ryan’s World』を始めたきっかけについて教えてください。

シオン・カジさん

渡米の経緯と子どもが生まれるまで
シオンさんは福島県会津若松市生まれ。15歳の時に父親の仕事の関係で米テキサス州オースティンに移住し、コーネル大学の修士課程を修了後に建築構造設計士として働き始めました。ベトナム系アメリカ人の妻との間に生まれたライアンくんが出演する「YouTube」チャンネル『Ryan’s World』を2015年に開設、現在は映像制作会社を経営しています。

ライアンが3歳の時に、彼が子どものおもちゃレビューの動画を見て、「自分も『YouTube』で(おもちゃレビューを)やってみたい」と言い出したことがきっかけでした。それで本当に気軽な気持ちで始めたんですが、始めて1年経つころには(子ども向け動画で)視聴回数がトップになるほどのチャンネルに成長しました。ライアンはその時点でまだ4歳でした。
 
最初は遊び的な感覚で始めましたが、そこまで世界中の人に視聴される人気のチャンネルになると親としても責任を感じてしまって、本人に「続けたいの?」と確認したところ「やり続けたい」と言ったので、本腰を入れ始めました。さらに制作会社を立ち上げて、声優などのタレントさんも雇用して、アニメも制作し、ライアンの出演時間を最低限に抑えられるようにしました。今は「Nickelodeon」でライアン主演のテレビ番組『Ryan’s Mystery Playdate』も放送されていますし、彼をブランド化したおもちゃや絵本、TVゲームも販売されています。
 
現在、ライアンは10歳です。テレビ番組の撮影は夏休みに集中していますし、学校には普通に通っていますよ。

大人気ユーチューバーになって、ライアンくんにとって良かったことと、逆にあまり良くなかったことはどんなことでしょうか?

ライアンくんとファミリー

「違いを認識した上でそれぞれの子どもたちに対応している」とシオンさん。

始めてから7年が経ちます。この間にライアンにとってのオポチュニティーが広がったことが何と言っても良かったことだと思います。また、TVと違って「YouTube」は週に1時間から3時間程度の撮影で済むし、私たちの好きなタイミングで撮影したりアップしたりすることができます。だからプレッシャーも少ないし、子どもにはとても合っていると感じます。ライアンにとっては「YouTube」の活動も習い事の一環なのです。何よりも本人が楽しんでいることが良かったと思える点です。彼が「YouTube」の中で自然に楽しんでいることが見ている側にも伝わり、それが多くの方の心に刺さったのではないかと思います。
 
また、先日、ライアンと地元の子ども病院をサプライズで訪問しました。子どもの患者さんたちはすごく喜んでくれて、つらい入院生活の中でライアンの動画を見て楽しんでくれていると話してくれました。この経験は作る側の私たちのモチベーションになりましたね。もっと頑張ろうという気持ちになれました。特に「YouTube」は誰に向かって発信しているのかが分かりにくい媒体なので、ライアンが実際にファンと交流して、(動画を)楽しんでもらっていることを実感するのは大切です。
 
マイナス面は、そうですね、気軽にディズニーランドなどに遊びに行けなくなったことですね。事前に連絡してコーディネートしてもらわないと、ライアンの登場で大混乱になってしまいます(笑)。

ライアンくん自身が今夢中になっていることは何ですか?

『マインクラフト』などのオンラインゲームです。学校が終わったらログインして、画面越しに学校の友達と一緒に遊んでいます。あと、日本のアニメにもはまっています。学校でアニメ制作の授業もあるので、自分が制作したアニメも見せてくれました。
 
将来はコメディアンかゲームプログラマーになりたいと言っています。彼はとにかく人を笑わせることが好きなんです。誰かの遺伝か? 分かりませんね。僕も妻も人前に出ることはあまり好きではないんです。でもライアンは何万人もの観客の前に出ても緊張することはありません。それからテレビの撮影でも、直前までゲームをしていたりして、脚本もそんなに見ないですぐに演じることができます。記憶力がいいですね。だから、スペリングなど、教える私の方が大変です。「これで合ってる?」ってライアンに聞かれても、私には分からないスペリングだったりするので(笑)。
 
学年は今4年生ですが、塾では7年生レベルの学習内容を学んでいます。学校で飛び級をしないのは、勉強のレベルと精神のレベルは必ずしも同じではないので、飛び級しても友達と仲良くなれないかもしれないという心配があるからです。
 
昨年(2021年)から私たちはホノルルに住んでいます。ライアンが今の学校に転校してくるというのは前から噂になっていたようです。でも本人はいたって前向きで「(新しい学校で)新しい友達を作るんだ」と楽しみにしていました。学校に行き始めると低学年の子どもたちから「ライアンは忙しいのにちゃんと学校に来ている。ライアンは何人もいるに違いない」という噂が立ったんですよ。それに対してライアンは「そうだよ。木曜だけ本物の僕が来ているんだよ」と答えたのです。機転が効いた返しで面白いですよね。彼はやはりエンターテインメントに向いているのかもしれないと思ったし、そういう噂を逆に楽しめる性格で、親としても安心しました。

ライアンくんはゲームやアニメに興味があるということですが、親として子どもの才能を伸ばすにはどうしたらいいでしょう? シオンさんはどうしていますか?

常に新しいことにチャレンジさせるようにしています。水泳、体操、ピアノとライアンはいろいろなことに挑戦しています。でも、本人がやりたくなくなったら無理やり続けさせる必要はないと思います。やめても構わないから、好きなことを見つけるまでいろいろなことをやってみようと、子どもの背中を押してあげることが大切ではないでしょうか。

『Ryan’s World』にはライアンくんの双子の妹のエマちゃんとケイトちゃんも出演していますね。ライアンくんとの違いを感じますか?

違いには本当にびっくりしました。自分の子どもたちを同じように育てても、一人一人違うんだということを実感しています。だから対応を個性に合わせて変えていかないとダメですね。比べないようにしています。
 
例えば、ライアンは失敗しても全く気にしない性格なのですが、娘たちはすごく感情的なので、失敗したり間違えてしまったりすると泣き出してしまいます。だから彼女たちのモチベーションを損なわないように「違う存在」として考えています。ライアンはとにかくポジティブな性格ですね。それは生まれ持ったものだと思います。

他に、シオンさんが子育てする上で気を付けていることや心掛けていることを教えてください。

まず、自分は日本で育ったけれど、妻はベトナム生まれのアメリカ育ち、さらに子どもたちはアメリカ生まれ、そして私たち親と子どもとは時代も環境も違うということで、自分の価値観や固定観念にとらわれずに、違う考え方を拒むことなく、自由に柔軟に子育てするようにしています。インターネットはダメだと言ったとしても、今の子どもたちにインターネットは必須です。まさにツールの一つなのです。特にロックダウンの間は、インターネットこそが他の子どもたちとつながる大切なツールでした。ですから、一方的にダメとは言わずに、子どもが興味を示したものはとりあえずやらせるようにしています。

ライアンくんの日本語教育についてはどのようなお考えですか?

ライアンくんとシオンさん

現在、カジ一家が暮らすハワイは日本語教育にも理想的な環境。

妻の言語は英語とベトナム語、私が英語と日本語ということで、家庭の中は英語です。それでも、少しでも日本語を理解できるようになればという気持ちで、妻と子どもたちは週に一度、日本語のレッスンを受けています。まだ基礎的な段階ですが。ライアンは日本のアニメが好きで、今は英語吹き替えで見ていますけど、私に「将来的には日本語で見られたらいいね」と話しています。それが日本語へのモチベーションになったらうれしいですね。さらに、今住んでいるハワイは、日本語を学ぶオプションが豊富にあるので、その点もライアンたちにとっては素晴らしい環境だと思います。

ライアンくんにこんな大人になってほしいなど望むことはありますか?

まずは自分が何をやりたいかを明確に見つけてほしいです。何よりも本人が「自分が進みたい道」を明らかにすることが重要です。そして、ライアンが自分の道を決めたら、それに対してサポートはするけれど介入はしないようにします。

最後にアメリカで子育てをしている方々へのアドバイスをお願いします。

私たちが知っている日本のいいところを残しつつ、アメリカのいいところもミックスした形で子育てをするといいのではないでしょうか。日本のいいところとは、和を大事にするところです。アメリカは個人を大切にしますが、日本的な和、協調性も重要視することで、より世界をつなげていける人に成長できると思いますね。

子育ては振り返れば愛おしい思い出。家族の絆とスポーツで成長してくれた。
(東京オリンピック米代表・水泳銀メダリスト ジェイ・リザーランド選手の母親 秩寿子リザーランドさん)

ジェイさんをはじめ、3人のお子さんたちが水泳を始めた経緯を教えてください。

秩寿子リザーランドさん

夫のアンドリューさん(左)と秩寿子さん。
渡米の経緯と子どもが生まれるまで
新潟県のスキー場で保育士として働いていた秩寿子さんは、同じスキー場にシェフとして勤務していたニュージーランド人の夫と出会い、結婚。日本で三つ子のケビンさん、ミックさん、ジェイさんを出産した後、夫の仕事の関係でドバイへ。その後、アメリカのカリフォルニア州、さらにフロリダ州、ジョージア州と引っ越しを重ねて現在はカリフォルニア州オレンジ・カウンティーに在住しています。

水泳を本格的に始めたのは、子どもたちが6歳の時にマイアミに移ってからです。引っ越したばかりで友達がいなくていつも兄弟同士で遊んでいました。それで習い事を始めて友達を作るため、そして子どもたちの気管支が弱かったので体を鍛えるためにも水泳がいいんじゃないかと、主人と私で話し合って、彼らをスイミングクラブに通わせることにしたのです。子どもたちは幼い頃から動き回るのが大好きでした。特に手と脚の力が強くて、ジャングルジムの一番上にもどんどん登ってしまうほどでした。でも、そういう動き回る子どもたちの世話をする親としても体力的に大変だったので、全身運動の水泳をさせることで、疲れさせようという気持ちもありました(笑)。

お子さんたちはすぐに熱中しましたか?

7歳の時に、真ん中のミックがジュニアオリンピックに出場したんです。ケビンとジェイはその試合に出られなかったので、とても大きな試合の雰囲気に刺激を受けたようで、「この試合に絶対に出る」と言い始めて、そこから、3人の競争が始まりました。
 
以降、生活の全てが水泳になりました。学校から帰ってきたら、まず宿題を終わらせてから水泳に行かせていたんですが、水泳に行きたいがために急いで宿題をするという感じでしたね。それから、彼らはあまり本を読むことが好きではなかったんですが、水泳の雑誌だったら奪い合って読んでいました(笑)。
 
水泳に関しては、私たち夫婦は、全てをコーチにお任せしていました。ですので、私たちのサポートはもっぱら生活面と健康面でした。最初は知識がなかったのですが、どんどん大きな試合に出場するようになると、私にも知識が付いてきて、2週間前にはタンパク質中心の食事にして、3日前は炭水化物中心にしたりと栄養面も考えました。
 
言葉掛けに関しては、子どもたちが頑張っていることは見ていましたので、「頑張れ」とは言わず、試合で勝っても負けても「すごいね」「よくやったね」という労いの言葉を掛けるようにしていましたね。

水泳以外でしつけとして心掛けていたことは?

朝の挨拶など基本の生活習慣を重視しました。それから、幼い頃から言い聞かせていたのが「自分が人にされて嫌なことは、人にしないようにしようね」ということです。また、これはしつけというよりも私自身が気を付けていたことですが、子どもがやることに対して「ダメ」ということを言いたくなかったので、危ない物や子どもが手を出さない方がいい物を子どもたちの近くに置かないようにしていました。自由にのびのびと育つために、そうしていましたね。日本語に関しては、実は日本語学校や補習校に通わせたことがないのです。7歳くらいから週末は試合の予定が入ったりしていたので通わせることが難しかったこと、また私たちが住んでいた場所には、そういった学校があっても遠かったというのが理由でした。
 
ただ、私が家でひらがなやカタカナを教えたり、本の読み聞かせをしたりしました。日本には子どもたちが3歳になるまで住んでいましたが、その頃は私も子どもに英語で話し掛けていましたが、海外に出てからは外では英語の生活なので、私は日本語で話すように切り替えました。主人も日本語を話すので家の中では日本語の会話が多かったです。今でも私と子どもたちは日本語で話しています。

オリンピック出場までの過程を教えてください。

子どもたちは幼い頃からオリンピックを目指していました。3人とも「オリンピックに行く」と言葉にしていたので、近所の人たちもそれを知っていて応援してくれていました。
 
オリンピックを強烈に意識するようになったのは、一番下のジェイが韓国で開催されたユニバーシアードで、400メートル個人メドレーで優勝した時で、ジェイは当時19歳でした。その後に開催されるリオのオリンピックには3人とも出たいと希望していました。子どもたちは日本、主人の国のニュージーランド、そして主人が帰化して取得したアメリカ国籍と3つの国籍があり、3カ国での出場権があったのです。でも、ジェイはすでにアメリカのナショナルチームに所属していたので、アメリカ代表としてしか選択権はありませんでした。ミックとケビンはニュージーランドのオリンピック予選に出ましたが、残念なことにリオに行くことはできませんでした。
 
リオのオリンピックに出たジェイは5位という成績でした。でも、「リオに出られるの?」と出場できること自体が驚きだったので、ジェイはまだ準備不足だったように思いますね。そして、ケビンとミックは大学卒業のタイミングで水泳選手としての生活にピリオドを打ちました。

ジェイさんは東京オリンピックでは見事に銀メダルを獲得しました。母親としての感想をお聞かせください。

銀メダルを手にするジェイさん

念願の銀メダルを手にするジェイさん。現在はパリ・オリンピックに向けて訓練の日々を送る。

リオでは3人が出場を狙っていたのにそれが叶わず、ジェイだけになってしまいました。だからジェイもリオに出られたことに対して、うれしい気持ちを抑えているところがあったんですね。ケビンとミックもジェイのために喜んであげたいのに、自分たちが出られなかったからそれもできず、親として彼らのそういう姿を見てつらく感じていました。
 
ですから、東京オリンピックの時は(ケビンさんとミックさんも辛い時期を乗り越えて)、一緒にジェイのことを応援できたことが私は何よりもうれしかったです。東京には行けなかったのですが、オーランドで開催されたビューイングで他のオリンピック選手の家族と一緒になって観戦できました。
 
ジェイがメダルを獲ったことももちろんうれしかったです。そして、それまでにいろんなことがあった中で、ついに彼がオリンピックでメダルを獲ったわけですから感無量でした。本人からは「両親のサポートと、家族の愛情のおかげで、このメダルが獲れたんだと思う。本当にありがとう」と言われました。これは私たち親だけでなく、彼は家族皆にそう言ってくれました。
 
ジェイはどういう息子か?そうですね、一言で言うと「天真爛漫」です。おっとりしていてマイペースなんです。でも一度エンジンがかかるとガッと入るタイプです。それまではのんびり構えているので、側から見ていて「大丈夫かな?」って心配になるほどです。パリ・オリンピックも目指しています。その時はもう29歳になってしまいます。400メートルの個人メドレーはすごくきつい種目なのでどうなのかな、とは思いますけど、本人が目指してトレーニングをしているので、私としては見守りたいです。

最後にアメリカで子育てをしている人にアドバイスをお願いします。

ジェイさんとファミリー

「家族の絆とスポーツで子どもたちは強く成長できた」と秩寿子さんは話す。

三つ子を育てることは、私にとっては体力も気力も限界を試されているような感じで、常に忙しかったですけど、今振り返ってみるとつらかったことは一切思い出せません。三つ子だし、男の子だし、アスリートだしということで、高校生の時は彼らのために1日6食作ってずっと台所に立っていました(笑)。でも、それも全て懐かしい思い出です。もう1回やってみたいくらいです。
 
だから何と言うんでしょう、子育ては振り返れば愛おしい思い出になります。何でもいいから子どもたちが楽しいと感じることを見つけてあげて、そのことに子どもたちが向かえるように親御さんもサポートしながら一緒に楽しんでいただけたらと思います。
 
私の子どもたちの場合、3人が切磋琢磨して競争していたから、それがプラスに作用して彼らは続けることができました。競争すると同時に支え合っていました。そして、家族の絆とスポーツを通じて、強く成長してくれたのだと思います。

(ライトハウス・ロサンゼルス版2022年7月1日号)
海外に暮らす学生のための「日本の大学への進学&留学ガイド」サイト

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