薫・メッツラー(専業主婦 ▶︎▶︎ フィットネス インストラクター)

LCUS

「熱中できることに出会えた幸運
鬱や家族の悲劇からも立ち直れた」

渡米後のプチ鬱

薫・メッツラー

薫・メッツラーさん
福岡県出身。二十歳でアメリカ人と結婚後に4人の子どもを出産。1999年に夫の鶴の一声でオレゴン州ビーバートンに家族で移住。その後、ヒップホップダンスを習い始めたことでアメリカ生活にも適応し、後にフィットネス講師として地域のレクリエーションセンター、民間フィットネスクラブ、プライベートレッスンを受け持ち、人気を博す。
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私はこの仕事以前にフルタイムの仕事に就いたことがありません。二十歳でアメリカ人と結婚して出産、3年おきに4人の子どもを産んだので、ずっと子育て中心の生活でした。夫は日本で英会話を教えていました。
 
アメリカに移住したのは1999年9月でした。夏休みの間に英会話の生徒をアメリカに短期留学に連れて行っていた夫が、8月に戻ってくるなり「オレゴンのビーバートンに家を見つけてきたから家族で移住する」と宣言したのです。夫婦喧嘩になりました。でも夫はこうと決めたら動かない人で、自分で(アメリカの)家を決めて手付金も払ってから私に報告したというわけです。私のストレスは、今思い出しても限界でしたね。
 
当時、私のグリーンカードの期限が切れていたので、夫が決めた9月15日というアメリカへの出発までに今から更新しても絶対に間に合わないと思ったし、領事館の方からも「奥さんは更新が完了してから後でアメリカに出発してください」と言われました。ところが夫は領事館のスタッフの言葉に耳を貸さず「今から何ができるかだけ言ってほしい。それをやるだけだ」と言ったのです。頑固ですよね(笑)。ところがなんと、更新が間に合ったんです。通常だったら1カ月くらいかかるのが、2週間ちょっとで。ということで、ストレスを抱えたまま、一家6人でオレゴン州にやって来ました。
 
ダンスやフィットネスには以前から興味がありました。日本でも一時期、エアロビクスを始めたことがありましたが、小さい子どもがいたので続けられませんでした。ところが、オレゴンに引っ越してから、レクリエーションセンターで子どもたちがヒップホップダンスをやっているところを偶然見かけたのです。ヒップホップダンスやりたい! と思ってスタッフに「私も習いたい」と言ってみたところ、「子どものクラスなのでダメ」と即座に断られました。「私は隅っこで踊るから」と言ってみたけれど、それもダメでした。諦め切れず「大人のクラスを作ってください」と懇願を続けたところ、半年後にアダルトヒップホップダンスのクラスが開設されたのです。それが移住2年後の2001年のことです。
 
それまでの私は孤独で、昼間、夫は仕事に、上の3人の子どもたちは学校に行ってしまい、一番下の4歳の女の子と一緒に段ボール箱のテーブルでご飯を食べたりして過ごしていました。日本人の友達もできないし、宇和島屋(日本食スーパー)がどこにあるのかさえ知りませんでした。プチ鬱でしたね。

天職との出会い、突然の悲劇

ヒップホップで生活が一変しました。簡単な動きもなかなかできなくて、夜、家のガラス窓に自分の姿を映して一生懸命練習を続けました。一心不乱に踊りながらも、前の道路に車が通るとさっと隠れたりして(笑)。夢中でした。レクリエーションセンターではヒップホップダンスだけでなく、キックボクシングやエアロビクスのクラスが取れると分かり、次々に習いました。そしてそこが後に私の仕事場になりました。
 
最初にインストラクターになって私が教えた相手は中学生でした。アフタースクールのプログラムだったのですが、中学生って態度が悪いんですよ。それで教える側も私の前の人まではすぐに辞めていたそうなんです。でも私は2年続きました。その理由をある生徒が教えてくれたんです。「他の先生と違うところは、一緒に楽しそうに踊ってくれるところだよ」って。私が驚いて「他の先生、踊らないの?」って聞き返したら「音楽を流して、生徒が踊っているのを見ているだけだった」って。初めて知りました。私が一緒になって楽しんだことが、子どもたちにとっても良かったみたいです。
 
ところが2006年、突然の悲劇に襲われました。強引に私たちをアメリカに引っ張って来た夫が不慮の事故で亡くなったのです。私は打ちひしがれました。しばらく教える仕事も休みましたが、翌年、レクリエーションセンターからチャイルドケアで働かないかと誘われ、それをきっかけに少しずつ立ち直りました。そして、2008年の1月にズンバと出会ったのです。当時、ズンバなんて聞いたこともありませんでした。それでも興味があったのでクラスを取って、その魅力にハマり、講師の認定証も取得して自分でも教え始めました。ズンバのインストラクター歴は13年になります。

体が続く限り

薫・メッツラー

クラスでの薫さん(右端)。自分が激しく体を動かすことで生徒たちを引っ張っている。

パンデミックの前までは2つのレクリエーションセンター、さらに民間のフィットネスクラブ、プライベートのクラスまで担当して大忙しでした。クラスの間に少し車内で休憩してまた次といったような生活だったんです。
 
でも、パンデミックで状況が変わりました。それまで走り続けるようにやっていたクラスが突然なくなってしまったことで、またしても渡米直後や夫の死後の時のような鬱に襲われました。気持ちが落ち込んで、生徒さんたちにオンラインレッスンをやってほしいというリクエストを頂きながら、音楽を聴く気持ちにもなれず、立ち止まってしまったのです。それまで15年間、私にとってフィットネスインストラクターという仕事と仲間たちは宝物でした。それを突然奪われて、寂しさと怒りを感じました。娘にそう言ったら、「腹が立って当たり前だよ。お母さんはずっと一生懸命教えていたんだから」と言われました。その言葉で、憑き物が取れたように気持ちが楽になったんです。パンデミックが、体の健康だけでなく心の健康が何より大事だということを教えてくれました。
 
この仕事のやりがいは、生徒さんが最初はできないと思っていたことができるようになったことを見られることですね。私のクラスが彼らの変わるきっかけになれたらいいなと思います。39歳でヒップホップダンスを習い始めて、今50代後半ですが、これからも体が続く限りはずっとやりたいです。
 
これから憧れの仕事に挑戦しようとしている人には、「心の声を聞いてください」と言いたいです。本当にやりたいことだったらやるべきです。そしてダメなら次に行けばいいのです。

(2021年10月1日号掲載)
 
※このページは「ライトハウス・ロサンゼルス版 2021年10月1日」号掲載の情報を基に作成しています。最新の情報と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。

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