アメリカ発・50代からの”生涯現役”ストーリー(セカンドキャリアで夢を叶える)

LCUS
(ライトハウス・カリフォルニア版2025年7月号掲載)

人生100年時代。50代からの人生で、新たな道を歩き出す方もいます。
50代以降にキャリアチェンジを果たし、夢を叶えた4人の日本人にお話を伺いました。
歩んできた道も、選んだ仕事も違う彼らに、ひとつだけ共通していたもの。それは、好きなことを、純粋な気持ちで、ただずっと続けてきたということ。「今から何かを始めたい」と感じているあなたに届くエールになりますように。

01. 大城 恭子さん
日常のすきまを縫うように続けたいけばなが、私の人生を彩る道になった

サーバーとして働き、舞台にも立ちながら、ただ「好き」という気持ちで続けてきたいけばな。それはいつしか、人生を支える仕事となり、自分らしくいられる時間を与えてくれるものに。好きなことを手放さずに続けてきた先に咲いた、恭子さんのキャリアのかたちをご紹介します。

現在はどんなお仕事をされていますか?

大城 恭子さん

おおしろ・きょうこ◉1990年に渡米後、レストランサーバーとして働きながら、LAの劇団に所属。一方で華道小原流に入門し、10年以上の歳月をかけて一級家元脇教授を取得。現在はフローリストとして「Nonaka Hill」「Blum」などアートギャラリーや、高級レストラン「n/naka」、個人宅でいけこみを行う他、不定期で自宅でいけばなのクラスを開催。夫は現代アーティストのKaz Oshiroさん。

私は今、フローリストとして、レストランやギャラリーなどへのいけこみ、自宅でのレッスンを中心に行なっています。お客さまは、日系レストランのオーナーやイベント関係の方が中心です。不定期で自宅でお花のレッスンもしていて、長く通ってくれている方も多いです。教えるときに大切にしているのは、「誰にでもできる」という気持ちで向き合うこと。センスは後から付いてくるものだから、まずは楽しんでやってみてほしいと伝えています。

お仕事で好きな瞬間は?

大城 恭子さん

恭子さんのお気に入りのお花道具。左は小原流の門下生時代だった時から持っていたハサミ。右はIkeaのお花バサミで、意外とこれが太い枝をバチンと切るのに好都合だそう。

やはりいけこみの瞬間ですね。お花は ダウンタウンのフラワーマーケットで仕入れており、その日、一番目を引いたお花や枝ものを買って感覚的に作っていくことが多いです。その空間に合ったお花や枝もの、花器を自由に組み合わせていけこむのですが、無心で枝や茎を切って作品を作っている時はとても集中できますし、メディテーションのような状態になっていると思います。

フローリストとして独立されるまでの道のりを教えてください。

大城 恭子さん

恭子さんが手掛けたお花の作品。アメリカで好まれるゴージャスなフラワーアレンジメントの要素と、いけばなの引き算の美学が美しく調和しています。

LAに来てからは、日本食レストランやカラオケバーでサーバーとして長い間働いていました。と同時に、当時LAにあった日本人が主催する小さな劇団にも所属していて、定期的に小さな公演会に出演していたのですが、たまたま私が日本から来た女の子の役を任されることになって。その演出でお花をいけるシーンがあったので、リアリティーを出すためにいけばなを習いに行ったんです。いけばなは、高校生の時に少しだけ習ったことがあったのですが、すぐにやめてしまったんですよね。それが今度は大人になってからの習い事が楽しくて、思いの外長く続いたんです。
 
お花を習い始めたのと同時期に、カラオケバーのバーテンダーだった今の夫に出会い、お付き合いを開始。彼は当時は古着のバイヤーなどもして生計を立てていたのですが、後に現代アーティストとして見出されて、生活が安定したんです。それで彼と8年ほど付き合った後に結婚。私はサーバーの仕事を徐々に減らして、家族を作ることに専念することに。10年ほど不妊治療のために日本とアメリカを行き来したり、いろいろあったのですが、お花だけはずっと習い続けていました。すると先生のお手伝いをさせていただくことになって、当時、リトルトーキョーあったニューオータニホテルの「千羽鶴」というレストランで先生と一緒にお花のいけこみをさせてもらったり、コミュニティーカレッジのLACCで教えていた先生の代理でお花を教えたりという機会が増えていったんです。私が習ったのは小原流といういけばなの流派なのですが、そこでマスターの資格までは取りましたね。
 
フローリストとして独立したと言えるのは、2018年にオープンしたNonaka Hillというアートギャラリーのオープニングパーティーでお花のいけこみをさせてもらった時でしょうか。そこで私のお花を見た方から問い合わせをいただくようになり、今ではウエストLAを中心に、ギャラリーやレストラン、個人宅でいけこみを行っています。SNSやウェブサイトは持っていないのですが、口コミでお仕事をいただけていてありがたい限りです。

今の暮らしや、これからの夢について教えてください。

大城 恭子さん

DTLAにある恭子さんご夫婦のご自宅兼アトリエには、恭子さんが長年をかけて集めた花器がずらり。

朝は早く起きてフラワーマーケットへ行き、その日のいけこみやレッスンの準備をします。いけこみは早ければ2時間程度で終わります。日によって、レストランやギャラリーを回って、お花の様子を見に行ったり、手入れをしたりすることもあり、仕事は大体お昼から夕方頃に終わります。今はありがたいことに、私のお花の仕事が順調なので、生活はそれで成り立っています。夫は日本で仕事をいただく機会が増えてきたので、彼の故郷の沖縄にも拠点を設けて二拠点生活の方法を模索中です。
 
今後の夢は、今まで夫が集めてきた古着がたくさんあるので、それを展示販売するブティックができたらいいなと思っています。もちろん、お花のワークショップなどもできるスペースで、夫婦2人が好きなことを続けながら、地域の人ともつながれるコミュニティーのような場所を作れたら素敵だねと、夫と話しているんです。

キャリアチェンジを考えている人に伝えたいことは?

私の場合は、特に何も深く考えずに好きなことをずっと続けてきたら、この歳になっていつの間にか手に職ができていました。好きなことを始めて、それを継続するのに年齢は関係ないと思います。やりたいと思ったら、まずやってみること。子どもの時好きだったことや、自分が純粋な気持ちでやりたいと思うことを見つけて、潜在能力を開花させることができれば、その他のことは自然と後からついてくるのではないでしょうか。

02. 大内 二三夫さん
人生の第四楽章、新世界との出会い
ワシントン大学教授からバイオリン職人へ

シアトル・ワシントン大学で約30年間、物質材料学科の教授を務めた大内二三夫さん。75歳で大学教授を退官後、日本へ移住し、現在はバイオリン職人として、また東北大学の国際連携アドバイザーや地域活性化活動にも力を注いでいます。いわば「人生の第四楽章」と語る現在の生活について、その軌跡をたどります。

キャリアを終えて、日本でどんな生活をされていますか?

大内 二三夫さん

おおうち・ふみお◉東京都世田谷区出身。上智大学で物理学を学び、修士課程まで修了する。その後、光学ガラスメーカーに一度就職するも、チャンスをつかんでフロリダ大学博士課程で物質材料学を学ぶ。ウィルミントンのDuPont中央研究所で研究員として勤務した後、1992年から米ワシントン大学工学部 物質材料学科の助教授に就任。後に教授、学科長も歴任。2022年に退官し、長野県松本市に移住。バイオリン製作や町おこしなどに携わる。

私がアメリカから日本に戻ったのは2022年、75歳の時でした。長野県松本市に移住し、今は主に三つの軸で生活しています。一つは、バイオリン製作。週に2回ほど工房に通って、2025年3月に1台目のバイオリンが完成し、現在は2台目を製作中です。二つ目は、東北大学での国際連携のアドバイザー業務。特任教授として、大学の国際戦略の構想や運営に関わっています。そして三つ目は、地域活性化の活動。特急「あずさ2号」の復活プロジェクトに取り組み、2025年3月には1800人規模のホールで「狩人」のコンサートを超満員で成功させました。どれも「仕事」と呼ぶより、人生の一部のような活動です。

大学教授からバイオリン職人へ。
キャリアチェンジのきっかけは何だったのでしょう?

大内 二三夫さん

1台目のバイオリンの製作過程。この後、2025年3月にこのバイオリンは完成して、シアトルから遊びに来ていたお孫さんと演奏会を開いたそう。

もともと僕の一族は音楽一家で、僕だけが科学者なんです。娘の夫がヴィオラニストで作曲家、孫娘もバイオリンを習っていて、とても上手になってきたので「おじいちゃんからバイオリンをプレゼントされたらうれしいだろうな」というのが出発点でした。買うのではなく、自分で一から作って、特別な思い出を作りたかったんです。次は孫息子にチェロを作ってやろうと意気込んでいます。
 
アメリカから移住した先の松本にたまたま素晴らしいバイオリン職人の師匠がいて、幸運にも弟子入りすることができました。師匠の教えは職人気質そのもの。体系立った教え方というより、経験と感覚で学ぶんです。でも私は元科学者ですから、バイオリン作りにも工学的で理論的な視点を交えながら取り組んでいます。1台目の製作中に書き溜めたノートや写真がたくさんあるので、現在はその経験を元に「サイエンスと職人芸の融合」をテーマにした本を書きたいと思っています。

現在の暮らしや、日々のルーティンについて教えてください。

基本的に朝5時に起きて、まずは犬の散歩。そして昼はバイオリン製作をしたり、東北大学の仕事をしたり。夜は10時には一度寝ます。でも夜中の1時頃にまた起きて、2時間ほど資料をまとめたり、パワーポイントを整理したりしています。長年の習慣で、大学時代もこの生活リズムでした。バイオリン作りは週に2回、朝9時から夕方5時まで工房で。とても集中する時間なので、師匠や工房のお弟子さんたちと一緒に黙々と作業しています。
 
収入面については、アメリカで数十年暮らしていたのでソーシャルセキュリティーを受給しており、さらに現役時代の積み立てや、東北大学の非常勤職としての報酬もあるので、安定はしています。

町おこし活動にも積極的に関わられているんですね。

はい、例えば今はなき中央本線の特急列車「あずさ2号」の復活を通じて、駅や地域を活性化させるプロジェクトに関わっています。歌の力や記憶を活用しながら、人の流れを取り戻す。また、地域の活性化は鉄道の安全性にも関わることなので重要です。私はしがらみがない人間なので、思い切ったことも任されやすいようです。
 
町の未来を描く上で重要なのが「ストラテジー」です。日本語では「戦略」と訳されることが多いですが、私はもう少し広い意味でとらえています。経験や知識を蓄積していく中で、自然に生まれる人生の指針。それを持って動けば、年齢に関係なく新しい価値を生み出せると信じています。

第四楽章(=75歳以降)の人生で、どんな目標がありますか?

大内 二三夫さん

バイオリン製作中の大内さん。バイオリン作りにはたくさんの細かい工程があり、師匠の言うことに従って作って、点と点がつながる感覚がもたらされる瞬間がとても楽しいのだとか。

バイオリン製作に関しては「もっと上手くなりたい」、ただそれだけです。完璧を求めるのでは丁寧に作りたいと思っています。来年はイタリアのクレモナ(バイオリンの聖地)に行って学んでくる予定です。
 
また、大学教育にも改革の余地があると考えています。日本の大学がもっとカジュアルで、誰にでも使える場であってほしい。そして私は「人生に迷ったら大学に戻れ」と言い続けてきたんです。私は教養教育の重要性を強く感じていて、若い人たちには広く深い教養と雑学を大切にしてほしいのです。それこそが人生を豊かにする秘訣ではないでしょうか。

最後に、これからキャリアチェンジを考える読者にメッセージをお願いします。

私は、自分の人生の25年を一区切りとして考えてきました。25歳で渡米し、50歳で大学教授として活動のピークを迎え、75歳で新世界を体験しています。重要なのは、「やってみたい」というぼんやりした願いでも、まず始めてみること。そして、決断のタイミングが来たら迷わず動くこと。失敗を恐れるより、「やらなかった後悔」のほうが大きいのです。できないことなんてない。そう信じて、いくつになっても挑戦し続けたいですね。

03. Mayumi Akin さん
夫が持ち帰った革の端材から始まった作品作り
ものづくりへの愛が形になったセカンドキャリア

夫が職場から持ち帰った革の切れ端の使い道を探すうちに生まれたタッセルが、日本のバイヤーの目に留まり、やがて雑誌掲載、販売へ。長年勤めたプリスクールを辞め、今は週に数日、朝から晩まで作業机に向かう Mayumiさん。作ることが楽しくて、気がつけば一日が終わっている。そんな毎日を、Mayumiさんは何より大切にしています。

現在はどんなお仕事をされていますか?

「SOBA STUDIO」という名前で、主にレザーを使った財布やアクセサリーなどの制作・販売をしています。SOBAと聞けばほとんどの方はおそばを思い浮かべますよね。でも実は、私のは「側」。私の作った作品が、あなたの側にありますように、と願いを込めて名付けました。商品は全て自分で一つ一つ手作業で作っています。販売先は、LAやOCのセレクトショップ3店舗と、たまにポップアップにも参加しています。インスタグラムのDMから注文をいただくこともあります。オンラインショップはまだ開設していないのですが、2025年中には開設をしたいと考えています。

お仕事で好きな瞬間は?

Mayumi Akin さん

まゆみ・えいきん◉夫のエリックさんとの出会いを機に渡米。2人の子育てをしながら、プリスクールでティーチャーエイドとして14年間勤務。2015年頃から革製品の制作を開始し、インスタグラムに投稿した革のタッセルが日本のバイヤーの目に留まり、日本での取り扱いが急増。現在は市場をアメリカに絞り、インスタグラムのDMやポップアップで作品を販売。また、OCやLAを中心に、3店のセレクトショップにも出品している。
Instagram

やっぱり作っている時間ですね。朝から夜まで、集中してずっと作っていたいくらい。ご飯も忘れるくらい没頭してしまうこともあります(笑)。手が痛くなってしまうので、8時間ほどが限度ですが、新しいものを形にしているときは、もう”モード”〟”に入っちゃう。一つのアイデアを形にするのが好きなので、何度も試して、革を切って、縫って、失敗して…。でも、だんだん「これはいけるかも」って思える瞬間があるんです。そのときが一番楽しいですね。
 
商品のアイデアは、だいたい身近な人のニーズから生まれます。一番多いのは私自身や夫のニーズ。例えば、ロングセラーの3スロット、シングルスロットなどの小さい革のお財布は、私の夫が市販の分厚い財布をジーンズの前ポケットに入れて座った時に、足の付け根が圧迫されて足が痛くなってしまうと言うので、それを改善して、できるだけシンプルにコンパクトに作ったものです。

セカンドキャリアを確立された経緯を教えてください。

Mayumi Akin さん

Mayumiさんが革製品の制作を始めた当初の作品。このタッセルが付いたキーチェーンが、日本のバイヤーの目に留まり、日本での人気につながりました。

私はもともと、プリスクールで、教師のアシスタント役であるティーチャーエイドとして働いていたんです。まだ娘が幼い頃、日本でしばらく過ごした後にアメリカに戻ってきたら、娘が「英語を話したくない」と言い出して。プリスクールに入る年齢だったので、英語が話せなくて心配で、プリスクールでボランティアを始めたのがきっかけでした。先生から「お金を払うから働いて」と声を掛けてもらって、そこから14年間、ティーチャーエイドとして働きました。日本人だから折り紙とか、得意なことが生きましたね。
 
娘が大きくなってもティーチャーエイドの仕事は続けていたのですが、ある日、夫が当時勤めていたアパレル系の会社から、余った革の端材をたくさん持ち帰ってきたんです。プリスクールの子どもたちに、ということだったのですが、革が硬すぎて子どもたち向きではなくて。それで、当時レザーのタッセルがすごく流行っていて、「これ、自分で作ってみよう」と。何個か作ってみてそれをインスタグラムに投稿したら、ハッシュタグから私のタッセルを見つけた日本のバイヤーさんから「東京で販売したい」とオファーをいただいたんです。2016年頃の話ですね。『otona MUSE』という雑誌に載せていただいたり、東京のお店でも扱ってもらえるようになり、思い切ってプリスクールを辞めて革の仕事に専念することにしました。
 
でも、最初は工場のようにずっと手を動かす作業で、疲れ過ぎてしまって…。しばらく続けた後、日本との取引はやめ、OCの地元のお店やポップアップで少しずつ自分のペースを見つけました。

今の暮らしや、これからの夢は?

Mayumi Akin さん

現在Mayumiさんの作品を販売しているのは、OCの「The Inconvenience Store」と、LAのチャイナタウンにある「Paper Plant Co」。革のカラーが豊富で、遊び心満載。

今の生活は週に3日くらい作業に集中する日があって、残りは家のことをしたり、近所の雑貨店で店員としてお手伝いしています。革の作業をする日は、朝から作り始めて、気がついたら夜になってることも。気分が乗ると1週間ずっと作業していることもあるけど、それが苦にならないのは、やっぱり「好きなこと」だからだと思います。昔からものづくりはずっと好きで、革の仕事を始める前も、子どもたちが着古したTシャツをつなぎ合わせて大きなキルティングを作って、彼らが成人する時にプレゼントしたこともありました。革以外の素材にも興味があって、最近では、散歩途中に偶然に知り合った方とのご縁で、時間のある時にはシニア施設のさくらガーデンズで、セラミッククラスのボランティアをしています。
 
将来的には、日本に帰って伝統工芸を学びたいという夢もあります。技を受け継ぐ人がいない地方の工房に弟子入りして、学んだことをまた誰かに伝えていけたら…。なんて漠然とですが思っています。まだ口には出せないけれど、夫と話している「ふたりの夢」もあって、いつかそれが形になればいいなと思っています。

04. 山本優子さん
ホイール輸出の会社経営から55歳でアートメイクの世界へ
自分が楽しめることを見つけるのに年齢は関係ない

30歳で車のホイール輸出会社を起業し、55歳でリタイア。その後、全く異なるキャリアのアートメイクの道へ。好きなことに正直に、興味に忠実に歩んできた山本優子さんの人生には、年齢にとらわれず挑戦を始めるヒントが詰まっていました。

現在はどんなお仕事をされていますか?

サウスベイの「Bellute Beauty Studio」で、アートメイクアーティストとして活動しています。主に担当しているのはリップと頭皮の施術。さまざまな講習やクラスを受けながら、今も技術をアップデートし続けています。PMU(パーマネントメイクアップ)の世界は日々進化していて、衛生管理のルールも頻繁に変わるんです。ライセンスの更新も年に一度は必要で、動画での講習や試験を受けるなど、裏方の作業も多い仕事ですね。

お仕事で好きな瞬間は?

山本優子さん

やまもと・ゆうこ◉20代で渡米し、30歳でLAで車のホイール輸出会社を起業。55歳でリタイア。現在は「Bellute Beauty Studio」にてアートメイクアーティストとして活動中。好きなことに没頭する生き方を大切にしながら、日々アートメイクの技術を磨き続けている。一児の母。

私はとにかく「没頭できること」が好きなんです。施術中は無心になれるし、自分の中で好きなことに集中している時間は最高のご褒美みたいなもの。昔から洋服づくりやクラフトなど、手先を使う細かい作業に夢中になることが多かったんです。前職で車のにも、お客様からホイールのデザインをしてほしいと頼まれて、CADでデザインを学んだりしていました。
 
今も、施術以外にラスベガスやマイアミのPMUエキスポに参加して、世界のトップアーティストから学んだり、最新の針やカラー理論を取り入れたりしています。年に数回とはいえ、こうして学び続けることが、楽しく仕事を続けられる秘訣かもしれません。

キャリアチェンジのきっかけは?

山本優子さん

PMU施術中の優子さん。無心で手を動かして、作業に没頭している時間が一番好きなんだそう。

20代でアメリカに来て貿易会社に勤め、その後30歳で独立。車のホイールを日本へ輸出する会社を立ち上げ、月に2回コンテナを出荷するほど成長しました。契約や品質チェック、クレーム対応まで自分で行っていたので、体力的にも精神的にもハードな仕事でした。
 
40歳で出産し、育児と経営を両立していましたが、50代に入って「一人で続けるのは体力的にそろそろ限界かもしれない」と思い、55歳でリタイアを決断しました。その後、美容の世界へ一歩踏み出したんです。
 
実は美容にはずっと興味があったんですよ。起業した会社が落ち着いて、自分の時間が取れるようになった30代前半頃に、美容師の学校に通っていたことがあって。その時はくせ毛がコンプレックスだったので、ストレートパーマをする方法を知りたいという動機で通っていました。自分で研究したり、兄弟や姉にも試してみたりしていました(笑)。
 
本格的なキャリアチェンジの転機となったのは、今もパートナーとして一緒に仕事をさせてもらっている久美子さんとの出会いです。ちょうど50歳頃にホイールの仕事のリタイアを考えていて、次に挑戦したいことを探している時に、私自身が久美子さんのところに眉毛のPMUの施術を受けに行ったんです。それで、彼女と話しているうちに、私もPMUをやってみたいという気持ちが生まれてきて、久美子さんに「一緒にやりたいんだけど、何をすればいい?」と聞いて、ライセンスや必要な資格など全てを1年で取得しました。その後、久美子さんが経営されていたBellute Beauty StudioにPMUアーティストとして在籍させてもらって、最初は久美子さんのお客様に無料で施術させてもらうところからキャリアが始まったんです。そして気が付けば10年近く、常連さまにも恵まれながら続けてこられました。あらゆる面でサポートしてくれた久美子さんには本当に感謝しています。

今の暮らしや、これからの夢を教えてください。

山本優子さん

優子さんが手がけたリップのPMU。PMUの世界は日々進化しているので、毎年ラスベガスで開催されるPMU World Expoなどに通って、技術力アップと最新技術のチェックを欠かさず行っています。

今は朝10時頃からサロンに入り、夕方まで施術。帰宅したら夫が作ってくれるごはんを食べて、ダンベルをしながらテレビを観て1日が終わります(笑)。夫がとても理解のある人で、家のことはすべて彼が担当してくれています。
 
サロンワークは、忙しくも充実していて、毎日がとても楽しいです。最近は、アートメイクだけでなく、スキンケアやお肌の悩みにも向き合って、新しい施術メニューも増やしているところです。私は細かい作業やリサーチが好きな「オタク気質」なので、それを生かしながら、お客さまがどんどん若々しくなっていく姿を見るのが何よりの喜びなんです。技術や知識の探求に夢中になれる環境に、本当に感謝しています。
 
次の目標? 今は特にないんです。でも、私はきっとチャレンジし続けるのが好きなので、またすぐに見つかると思います。PMUで一番になりたいとか、有名になりたいとか、それは年齢的に難しいかもしれませんが、自分が楽しめることを見つけるのに年齢は関係ないと思います。あ、それで言うと「犬を飼うこと」が私の次のチャレンジですかね。動物が大好きなので、いろいろな動物を飼ってみたいですね。

※このページは「ライトハウス・カリフォルニア版2025年7月号」掲載の情報を基に作成しています。最新の情報と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。

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