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アメリカでのビジネス・仕事

現地情報誌「ライトハウス」が人気コラム「アメリカ人と共に働く技術」をはじめ、起業・独立、マーケティングに関する情報など、アメリカでのビジネスに役立つ情報をご紹介。

ライトハウス編集部
ライトハウス編集部

156)志と文化を込める

マーケティング講座

こんにちは!阪本啓一です。あなたの志は何ですか?


地元に愛されるお菓子屋さん

ブランド・ネームは全国区の知名度があるのに、決して北海道から外へは出ない「六花亭」というお菓子メーカーがあります。この度北海道を旅し、地元の人々に熱く愛されていることを再認識しました。また、知れば知るほど、地元住民ではない私にも共感を呼ぶ、いわゆる「共感企業」であることがわかりました。これは、創業者小田豊四郎(小田氏は2006年に逝去)の経営哲学や世界観が今なお脈々と組織の中に生きて、カンパニーカルチャーとして残っていることが理由だと考えます。

札幌の真駒内六花亭ホール店を訪問したお話をします。他の店舗もそうですが、まるで美術
館か図書館みたいな、外から見るとお菓子のお店には見えないたたずまい。お菓子屋さんは普通、一目でお菓子を売っているお店のような外観デザインや看板が出ているものですが、そういう類は一切ありません。そもそも営業しているのかどうかもわからない。車内から見ただけ
ではわからず、一旦車から下りて入口まで確認に行ったくらいです。「周囲の環境に溶け込む
建物」をポリシーにしているとの由ですが、なるほど(平成15年度北海道赤レンガ建築賞受賞作品)。

店内に一歩入ると、左が喫茶コーナー、右が商品販売コーナー。喫茶コーナーは開店前でした。商品販売コーナーのドアを入ると、店の奥正面にステージのようなものが。入口からステージに向かって商品ケースが並んでいます。見上げると側壁がまるで音楽ホールみたいな造
作。後でわかったことですが、実際にコンサートホールとして使われています。コンサートの際、商品ケースは片付けられます。

店内のパンフレットラックに、『子どもの詩 サイロ』という薄い雑誌がありました。小田氏の発案で六花亭が約50年前の1959年(昭和34 年)から出し続けていて、内容は子どもの詩ばかり。愛する十勝の子どもたちの心を豊かに育てたい、という思いが動機にあるといいます。六花亭」ブランドには地元への愛が根底にあるのです。


お菓子のおいしい街にしたい

小田氏は、経営が苦しい時でさえ、「どんなに高くてもいいから一番良い材料を使っておいしいお菓子を作る」方針を守りました。戦前や戦後間もなくの頃ですから、甘いものが不足していた時代です。サッカリンやズルチンなどの人工甘味料を使ったお菓子でも、飛ぶように売れたでしょう。しかし、小田氏は「最高の材料を使う」方針を曲げず、地元のお客さんに本物のお菓子で喜んでもらいたい、と考えました。これも愛ですね。

そして、「いつか帯広を、お菓子のおいしい街と呼ばれるようにしたい」志を持っていました。そのためには手抜きなどできません。

甲斐あって52年(昭和27年)、帯広開拓70周年の記念品を帯広市に依頼されました。帯広市役所総務課長・新井甚七氏は依頼の理由を、「戦後一番まじめにおいしいお菓子を作り続けてきた」からと、小田氏に話したといいます。

小田氏は開発するにあたり、十勝地方の開拓の祖・依田勉三の努力にちなんだ記念菓子にしようと決めました。依田勉三に「開墾の はじめは豚と ひとつ鍋」という句があります。意
味は「開墾当初は貧しく、豚がエサを食べた同じ鍋で自分たちも食事した」。そこで小田氏は
新しい商品に「ひとつ鍋」というネーミングを付けました。これは最中の餡の中に小さな牛皮を餅に見立てて入れたもので、ただお菓子を作るのではなく、お菓子の中に文化を込めたので
す。先人の忘れてはならない苦労をお菓子へ刻印し、若い人へバトンとして伝える思いもあっ
たのでしょう。お菓子のバトン、素敵ですね。

また、あまり知られていないことですが、ホワイトチョコレートを日本で最初に製造したのも六花亭です(67年頃)。特許を取っていないので、今では広く色んなメーカーが製造販売していますが、この、「特許を取らない」「わが社が最初と広報していない」姿勢に、小田氏の哲学を感じます。


志と文化をこめる

北海道には六花亭の熱いファンがいます。それは、お菓子のおいしさもさることながら、六花亭のあり方、つまり、志と文化への共感がベースにあります。心的な絆は簡単には破れません。

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(2011年1月16日掲載)