働く
JOB

アメリカで働く(多様な職業のインタビュー集)

現地情報誌「ライトハウス」が長年に渡り連載してきた人気コラム「アメリカで働く」は、アメリカで働く日本人・日系人、100名以上の皆さんへのインタビュー集。業種も、職種も異なる100名以上の皆さんそれぞれにとっての「アメリカで働く」とは?アメリカでの"キャリア"や"仕事"が見えてきます。

ライトハウス編集部
ライトハウス編集部

Bank Branch Manager/ Vice president(その他専門職)

齋藤源太郎さん

支店長として僕がすべき仕事は、
「社内と社外のカリスマ」になること


アメリカで生まれ、日本帰国後もアメリカに戻って仕事をしたいという夢を実現した齋藤さん。日本での職とは違う分野の銀行で、人の2倍働いて支店長に。「かっこいい日本人」になって、若い世代の人たちの可能性を引き出してあげたいと話す齋藤さんに聞いた。


【プロフィール】さいとう・げんたろう◎ニューヨーク生まれ。8歳までパサデナで過ごし、日本へ帰国。1996年中央大学法学部へ進学し、3年の時にニューヨーク州立大学アルバニー校へ編入。2年で学士号を取得。帰国後日本でも大学を卒業して、2001年より富士通株式会社に入社。海外営業部で3年半働いた末、2004年に再渡米し、05年よりユニオンバンクに入社。現在ガーデナ支店の支店長として活躍中

日米の文化のギャップに戸惑った学生時代

セコイア国立公園にある湖でマスを13匹釣り、
テントで仲間たちとキャンプ

ニューヨークで生まれて、2歳から8歳までパサデナで過ごしました。帰国後、名古屋で公立小学校に入りましたが、かなりのギャップに苦しみました。例えば、明るく活発な人は不良と見なされること。アメリカでは通常、活発なことはリーダーシップと同様に高い評価を受けます。公立中学に入ると、周りはいい成績を取るのに命をかけ始め、友達の家に遊びに行っても特に会話はなく、個人個人がゲームをしたり漫画を読んだりで、相当なカルチャーショックが重なりました。
 
この様子を見かねた親が、姉が通っていたインターナショナルスクールに中学1年2学期から編入さてくれました。これが人生の転機となりました。ようやくそこで「廃人化」していたところから、個性とエネルギーが復活してきましたね。中学時代に1度、YMCAの夏休みのプログラムでサンディエゴに17日間ホームステイしました。久しぶりのアメリカに「うわっ、やっぱり西海岸がいい!」っていうのを再確認できました。色んな人種がいて、気候が良くて、誰とでもフランクに話せるのがとても心地良かった。大学時代にバックパック旅行でLAを回った時も確信しました。
 
中央大学法学部に入学しましたが、将来のキャリアを考えるうちに「英語でしっかりビジネスができるようになりたい」という想いが募ってきました。そこで3年生の後期から、ニューヨーク州立大学アルバニー校へ編入することにしました。日本の大学の単位をトランスファーして、2年間でアメリカの学士号を取ろうって決めたんです。行ってからは毎日必死でしたね。40ページのレポートを普通に出さなくちゃいけないとか、毎日膨大な資料を読んで予習復習しないとついていけないとか、そのボリュームに驚きました。2年間しかなかったので、「1秒も無駄にしたくない」と、猛勉強。そして無事2年間で学士号を取得して2000年に卒業しました。でも、この留学経験があったから、今アメリカで誰とでも対等にビジネスができる下地ができたと思います。


大手企業で身に付いた仕事体力とバイカルチャー

日本に戻ったら今度はすぐ就職活動。自分が将来何をしたいかを考える余裕もなく、父のアドバイスを元に、1番最初に内定をくれた富士通の国際営業事業部に入りました。国内の外資系企業の営業だったので、国際営業部という名前とは逆に、東京の都心でクライアントと自社のオフィスを往復する日々。でも、大きな取引先を持たせてもらえたので、アメリカ人のCIOにプレゼンできる機会があったり、一流のエンジニアとも仕事ができました。システムの仕事は業務量も膨大で、毎日15時間、土曜日も毎週働く仕事漬けの生活。また日本の大手企業の象徴のような会社だったので、社内に対する根回しが必要だったり、仁義を欠くと「あいつはわかっていない」と言われる。入社してすぐの頃から「27歳になったら外に出たい」って思っていて、行くなら幼少期を過ごしたLAって決めていました。でもこの経験で集中力を持続できる「仕事体力」が身に付き、今でも自分の強い武器になっています。


会社を辞めて念願の渡米銀行の支店長職への転身

04年の秋にLAに来ました。結局3年半働いてエネルギーをすべて消耗したので、しばらくは放心状態。何もする気が起こらず、半年はサッカーしたり友人と遊んだりして過ごしました。でもこれは自分を見つめるのに必要な時間でした。その時考えたのが、仕事で色んな人と会いたい、ネットワークを作っていきたい、そして、楽しい仲間がいる環境で働きたいということ。200万円あった貯金もゼロに近くなったので、とりあえず小さなITの会社で営業を始めました。その時ユニオンバンクの人事が、求人サイトに登録した僕のレジュメを見つけて連絡をくれたんです。支店長候補の研修生としてうちに来ないかという誘いでした。
 
最初半信半疑でしたが、面接に行ったらちゃんと本物の人事が出てきた(笑)。まったく違う畑なので少し不安でしたが、とにかく頑張るしかないと、富士通の時のように必死になって働きました。ほかの人を見てると、8時間で体力がなくなっちゃうんですね。僕より頭はいいけど2倍も違いはない。じゃあ単純に僕は2倍頑張ろうっていうのをずっと続けて、今日に至ります。
 
研修中は3カ月ごとに違う支店に行きましたが、その後正式配属され、1番長かったウエストLA支店には3年いて、今年の10月からガーデナ支店に移りました。僕たちの仕事は「預金の確保」「ローン・ファイナンス」「投資」と、それに付随する「フィー・ビジネス」の3・5本の柱で成り立っていて、難しそうに見えて実は単純なんです。ここで最も重要なのはカスタマーサービス。サービス業では、窓口に立つ最前線の人たちのカスタマーサービスが悪ければダメなんです。いくら営業でたくさんお客さんを連れて来ても、サービスが悪ければ穴が開いたザルと同じで逃げていきます。社員1人1人にカスタマーサービスの重要性を伝えて背後を固める努力が必要です。
 
そのために支店長として僕がすべき仕事は、「社内と社外のカリスマ」になること。社内の人全員が「この人のために働きたい」と思ってくれたら、やっぱり仕事する姿勢も変わってくるし、カスタマーサービスにも表れてきます。日系アメリカ人にも、インターナショナルにも、どの方にも、ここの銀行が最高だと思ってもらいたい。明るいコミュニケーションで、献身的にお客様のことを考えてる、そんなカスタマーサービスを徹底して作りたいですね。
 
お客様のお金をお預かりするというのは、一緒に生きていくというようなビジネスです。その中でも色んな人生の局面があって、ご結婚されたり、お子さんができたり、お孫さんができたり、どなたか亡くなってしまったりとか、そういうすべてを含めて、継続してお付き合いしていきたいです。「バンキングのことは彼に聞いたら間違いない」って言ってもらえるような人に僕自身もなりたいし、僕のチーム、銀行全体にもそうなってほしいですね。


目標は次世代の可能性を引き出すこと

「人、物、金」ってよく言いますが、その中ではやはり「人」が残るわけです。この先、10年、20年、30年後に自分の人生を振り返って、「素晴らしかったな」って思えるには何をすべきかって考えると、人の可能性を育てて、人材を残していくこと。僕のアドバイスとか言動で、近道ができたとか、元気をもらったとか、人生が変わったとか…。「千里の道も1歩から」って言うように、いくら遠くても光は見えるっていうことを伝えていきたいと思います。
 
後は、かっこいい日本人がたくさん出てきてほしいですね。今、日本には目標にしたいと思える人がなかなかいなくなっている気がするんですね。ビジネスでは活躍してるけど、どうもカッコ良くない。こちらで仕事をしていると、「うわぁ、すごい」って思える人たちに出会うことが結構あります。熱いパッションを持っていたり、生き様がカッコいい、そういう日本人を若い人に見せてあげたいですね。年代を問わず、そんなオールスターズを結集して、これから将来を担っていく若い世代に対して、彼らの可能性を引き出してあげられる力になれればと思います。



(2009年11月1日)