作曲家(クリエイティブ系):鋒山亘さん

ライトハウス電子版アプリ、始めました

一歩ずつ成功を積み重ねていくことで
いずれ心を癒す映画音楽を世界に発信したい

アメリカで夢を実現させた日本人の中から、今回は作曲家の鋒山亘さんをご紹介。高1の時にテレビで見たボストンポップスの来日コンサートに衝撃を受け、映画音楽を目指す。高2で交換留学生として渡米。名門クリーブランド音楽院からUSC映画音楽作曲学科へ。現在は日米を舞台に活躍中。
 

【プロフィール】ほこやま・わたる■1974年生まれ。福島県出身。インターローケン・アーツ・アカデミー卒。99年クリーブランド音楽院卒。2000年USC映画音楽作曲学科卒。作品にカンヌ映画祭パルムドール受賞『おはぎ』、サンダンス映画祭オーディエンス賞受賞『ONE』、スチューデント・エミー賞受賞『クリスマスにお茶碗を』、NHK『地球大進化』等。

そもそもアメリカで働くには?

高校留学で鍛えられて、クラシックの基礎を学んだ

鍵盤の音にコンピューターのキーボードで
長さを入力し、曲ができ上がる

 5歳の頃からピアノを始めてずっと続けていましたが、音楽家になるとは思っていませんでした。小学校3年生の時に『E.T.』を観て映画音楽に興味を持つようになり、高1の時にテレビで観た「ボストンポップス来日コンサート」で衝撃を受けました。映画音楽界の巨匠ジョン・ウィリアムスがオーケストラを率いて来日したのですが、その演奏をテレビで観て「これだ」と思ったのです。
 
 高校2年の時に、交換留学でオクラホマに行きました。映画音楽が夢なので最終目標はハリウッドでしたが、高校生でしか感じられないこともあるかと思ったからです。レーガン大統領が設立し、日本の旧文部省が認定した交換留学プログラムで、1年間地元の公立高校で学びました。オクラホマの人たちは温かく、すばらしい体験ができました。ただ覚えた英語は南部訛りで、しばらくは訛りが抜けませんでしたが(笑)。
 
 翌年、音楽の先生のすすめもあって、ミシガン最北端にある芸術高校、インターローケン・アーツ・アカデミーに編入しました。編入したのは、映画音楽を始める前に、クラシックを基礎からきちんと学びたかったからです。ピアノの先生は厳しいロシア人で、「1日5時間練習しなさい」といつも言われました。きちんと学ぶということは、これほど大変なものなのかと思いましたが、実にいい勉強になりました。
 
 でもそのおかげで、クリーブランド音楽院に入学することができました。ここは、クリーブランド管弦楽団の首席奏者たちが教授陣として構える大学で、在学中は作曲と指揮を勉強しました。その後USC映画音楽作曲学科に進学し、クラシックをどのように映画に活かせるのかを1年間勉強しました。

音楽参加した学生映画が、カンヌやサンダンスで受賞

 卒業後は、USC時代の教授に誘われて、『ダンジョン&ドラゴン』にオーケストレーターとして参加し、その後USCの学生映画3作に作曲で携わりました。そのうちの1作が、松田聖子さんの長女で女優のSAYAKAさんが主演してカンヌ映画祭でパルムドールを受賞した『おはぎ』で、1作はサンダンス映画祭でオーディエンス賞を取った『ONE』。もう1作がスチューデント・エミー賞を取った『クリスマスにお茶碗を』という映画です。
 
 『ONE』をきっかけに、サンダンス映画祭のスポンサーでもあるNHKから依頼を受け、昨年放映された『地球大進化』というドキュメンタリー番組に、編曲と指揮で参加しました。
 
 ハリウッドでもエージェントと契約し、『アレキサンダー』や『パニックルーム』に出演した俳優ジャレッド・レトのバンド「30 Seconds to Mars」の新曲で、ストリングスのアレンジを担当しました。これは3月に発売されます。
 
 教育機関からの依頼も多く、ワシントン州の高校から作曲と指揮の依頼を受けたり、日本では故郷の小学校の校歌を作曲したり、長崎の高校で講演したりしています。
 こう言うと順風満帆で来たかのような印象を与えますが、そんなことはありません。私はフリーランスですので、仕事を取らなければならないという漠然とした不安はいつもあります。卒業直後は仕事がないのが当たり前。アメリカ社会では精神的なサバイバルが必要です。日本ではそんなことを感じたことはなかったけれど、こちらに来て友人や家族がいかに支えていてくれるかを痛感する機会がたくさんありました。
 
 でもどんなに落ち込んでも、日本に帰ろうとは思いません。日本に帰るのは逃げることになる。がんばればきっといつかは報われるから、日本に帰る時はアメリカで成功して帰りたい。普通は日本で成功してアメリカに進出しますが、私はその逆で行こうと思っています。

感謝の気持ちを忘れず。成功の階段は一歩ずつ

 アメリカで音楽を目指したい人は、いい音楽を毎日たくさん聴いて、本当にいい音楽とは何かがわかるように吸収することが大切だと思います。99%ダメだと思っても、1%の自信を感じたら成功するまで諦めない。でも1人では何も乗り越えられません。そこには支えてくれている人が必ずいるのです。そういった人に対して「ありがとう」という気持ちがあれば、つらい境遇も乗り越えられます。少しくらい仕事が評価されたからといって自信過剰になったり傲慢になると、人は落ちていきます。これは自分への戒めとして忘れてはならないことだと思っています。
 
 将来的には「ワタル・サウンド」と言われるような個性ある音楽を作って、徐々に大きな映画を手掛けられるようになりたい。昔は成功の階段を一気に駆け上がることを夢見ていましたが、今はそうでないことに気づきました。成功の階段は一歩ずつ上がっていかなければならないのです。
 
 私の音楽を聴いた人たちが、各々の懐かしい思い出に浸れるような曲、心にいい刺激を与えて元気が出てくるような曲を広く世界に発信したいと思います。私が音楽で参加した映画が世界中で上演されて、多くの人が「映画も良かったけれど音楽も良かった」と言ってくれるような、そんな作品を創りたいと思っています。
 
(2005年3月1日号掲載)

「アメリカで働く(多様な職業のインタビュー集)」のコンテンツ