チェンバロ奏者(クリエイティブ系):大西 孝恵さん

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アメリカで夢を実現させた日本人の中から、今回はチェンバロ奏者の大西孝恵さんを紹介。バッハの自筆譜に衝撃を受け、バロック音楽チェンバロの世界へ。現在、講師をしながら、演奏活動やレコーディングに励む。

【プロフィール】おおにし・たかえ■6歳からピアノを始め、相愛大学音楽部、桐朋学園音楽部門研究科にてチェンバロを学ぶ。1998年に渡米、New England Conservatory of Musicチェンバロ科で修士号取得。その後、Stony Brook Universityにて博士号取得。現在、UCSDおよびUSDで講師を務める。San Diego Early Music Society会員

そもそもアメリカで働くには?

チェンバロの黄金期
衝撃のバッハの自筆譜

バーモント州で行われたコンサートの
リハーサル風景

子供の頃からピアノ教室に通っていましたが、チェンバロを知ったのは、高校生の時でした。ある日、何かの本にバッハの自筆譜が載っていて、それを見て大きな衝撃を受けたのです。それは、私が普段目にしている楽譜とはまったく違うもので、強弱を表す記号など、どこにもない楽譜。バッハの時代は、チェンバロの黄金期で、私がいつも弾いていた曲は、ピアノのために書かれた物ではなく、チェンバロ用の曲だったことを、その時に初めて知りました。
 
それまで、バッハの曲はあまり好きではなかったのですが、それを知ってからは、1つ1つのフレーズや指使いに納得し、古楽のロマンに目覚めていきました。
 
大阪の相愛大学音楽部に入学し、音楽学とチェンバロの勉強をしながら、東京にも定期的にレッスンに通っていました。卒業後は、東京の桐朋学園の研究科で、2年ほどチェンバロを学びました。大学時代はコンクールに向けて、ただただ練習ばかりの毎日でしたね。
 
卒業してからは、4年ほどフリーランスで演奏をしていました。しかし、その頃の私の演奏は、自分のコンフォートゾーンの中での演奏。リスクや新しいことになかなかチャレンジできない「守りの演奏」をしていると、いつも自分の中で感じていました。
 

 

「助けてほしい」
心情を素直に打ち明けた

ボストン郊外で開催された
チェンバロワークショップにて

その壁を、なかなか越えることができず、次第に「変わりたい」「もっと上を目指したい」という思いが強くなり、1998年にアメリカ留学を決心しました。留学先は、ボストンにあるニューイングランド音楽院(New England Conservatory of Music)のチェンバロ科の修士課程。
 
留学前に、教授に手紙を書き、「助けてほしい」と、その時の心情を素直に打ち明けました。すると、私の状況をすぐに察してくれ、もっと色々な人の演奏を聴くようにと、アドバイスをいただきました。それからは、1つ1つのフレーズを細かく分析したり、音楽の中の戯れを聴けるようになったりと、私の演奏はどんどん変わっていきました。この教授が、私を変えてくれたと言っても過言ではないと思います。
 
ニューイングランド音楽院在学中は、言葉の壁もありましたし、環境に慣れるのは本当に大変でした。クラスメイトたちは、自分の意見をはっきりと言うだけでなく、人の演奏までも批評したり、ディベートしたりと、それはもう日本の大学とは大違いです。でも、レベルが高いからこそ、それが可能であり、同時に真剣に音楽に取り組んでいるからこそのぶつかり合いなのだと感じました。
 
勉強は大変でしたが、実際に演奏するチャンスも積極的に探しました。キャリアオフィスに毎日のように電話し、演奏の機会があれば、何でも挑戦しましたし、知り合いからの紹介で演奏させてもらうこともありました。
 
ボストンに住んでいた時に結婚したのですが、夫は現代音楽の作曲家です。彼がUniversity of California San Diego(UCSD)で、教授として仕事のオファーを受けたのをきっかけに、サンディエゴに移り住むことになりました。私も現在、講師としてUCSDとUniversity of San Diego(USD)で、チェンバロと室内楽を教えています。
 
サンディエゴでは、San Diego Early Music Societyのメンバーとして、演奏会でチェンバロを弾いたり、UCSDでリサイタルを開いています。少し前にランチョ・サンタフェにある個人宅で演奏会があったのですが、リビングルームにはステージがあり、調度品はどれも重厚で豪華絢爛。美しいバラの庭園など、それはもうバロック音楽が良く似合うお宅で、楽しい体験をさせていただきました。
 

 

強く願っていると
自然と機会が舞い込む

世の中には、将来、音楽で生きていきたいという人も多いかと思います。でも、夫ともよく話すのですが、音楽で成功する人は、ほんのひと握りの人だけというのが現実です。ニューイングランド音楽院時代、相当なレベルに達していても、生活のためにキャリアチェンジをしなければならない人たちが、たくさんいました。
 
でも、夢や目標を明確に持っていれば、それに向かって頑張れますし、その強い思いが、チャンスを呼び寄せてくれることもあります。だから、諦めずに頑張ることが大切だと思います。実際、私
「あれがやりたい!」と、強く願っていると、自然とその機会が舞い込んで来ることがあります。主人は、「君が何かをやりたいと言う時って、子供が『あの乗り物に乗りたい!』とダダをこねているのと同じくらいの強さがあるよね」と、笑っていますけど(笑)。
 
私にとって音楽は言葉と同じで、自分を表現する方法の1つでもあり、生きるためのエネルギーです。学生時代に、やりたくても忙し過ぎてできなかったことを「いつかやりたいリスト」にして書きためていました。それを今、少しずつ行動に移しているところなのです。
 
その1つとして、年内にはレコーディングを予定しています。CDは、これまでにもリリースしているのですが、今回はチェンバロ用に作られた現代曲を集めたもので、今からどんな物になるのか、私自身も楽しみにしています。
 

 
(2009年3月16日号掲載)

「アメリカで働く(多様な職業のインタビュー集)」のコンテンツ