3Dアーティスト(クリエイティブ系):金子ゆかりさん

ライトハウス電子版アプリ、始めました

アメリカは自分の才能を信じて、強い力でやっていければ評価してもらえる国

アメリカで夢を実現させた日本人の中から、今回は3Dアーティストの金子ゆかりさんを紹介しよう。高校時代に交換留学で渡米し、大学留学で再渡米。ウェブデザインからテレビや映画、ゲームなどのスペシャルエフェクトを手掛けるようになり、現在はシニアアーティストとして活躍している。

【プロフィール】かねこ・ゆかり■1972年生まれ。新潟県出身。高校3年の時、メリーランドの高校に1年間交換留学。帰国して高校を卒業後、91年に再渡米し、カリフォルニア州立大学ノースリッジ校に。96年に卒業後、スクウェアUSAに3Dアーティストとして就職。98年、デジタルスカルプチャー設立。2003年、アクティビジョンに就職。現在はシニアアーティストとして活躍中。

そもそもアメリカで働くには?

就職は必死で売り込み。日本語がプラスに

大学生の頃、ゲッティー美術館の
インターンシップに参加した

 高校3年の時に、交換留学生としてメリーランド州のリバティーハイスクールに1年間留学しました。将来的にエンターテインメント業界で仕事をしたかったのと、自分のやりたいことができそうなアメリカの自由な環境が魅力で、以前からいずれ大学はアメリカで行きたい、と思っていました。1年後に帰国して日本の高校を卒業し、1991年、再渡米してカリフォルニア州立大学ノースリッジ校に入り、アートを専攻しました。メリーランドで留学したのは地方都市だったので、多人種の集まるロサンゼルスはずいぶん印象が違いました。
 
 大学では油絵、デッサンなどを基礎として勉強し、グラフィックデザインのクラスも取りましたが、その頃、人から聞いて3Dアニメーションに興味を持ちました。大学には3Dアニメーションのクラスがなかったので、UCLAのエクステンションを取ったり、専門学校に通って3Dの勉強をしました。在学中に「japanonline.com」というホームページを立ち上げて、デジタルハリウッドのコンベンションではベストアート賞を受賞しました。
 
 卒業後は3Dアニメーションをやりたいと思い、ポートフォリオやデモリールを作って就職活動を行いましたが、経験がないために就職先を見つけるのは大変でした。今でもそうですが、大学を卒業したばかりの人は経験がないため、就職するのは簡単ではありません。特に当時は、3Dがまだ新しい存在で、ソフトウェアなども高価で一般の人は買えないような状態でしたから、どの会社でもインターンとしてさえ雇ってもらえなかったのです。その頃はSGIというコンピューターを使っていましたが、これが最低万円もするような高価なもので、インターンに使わせるようなものではなかったのですね。
 
 結局3Dアーティストとして雇ってくれたのはスクウェアUSA(現スクウェアエニックス)でしたが、インタビューの後1カ月後に就職が決まるまで、多い時には1日に10回でも電話し、「1週間後にまた電話して」と言われたらその1週間後にはすぐに電話して、と必死で掛け合いました。受付の方から日本人のバイスプレジデントにつないでもらい、その人からさらにアートディレクターにつないでもらって、「一生懸命に働きます」とかなり売り込みましたが、結果的に日本語が話せることが就職のプラスになりました。同社ではちょうど『パラサイト・イヴ』のアメリカ制作が始まって間もない頃で、日本からデベロッパーが来て一緒に仕事をしていたのです。

朝10時から翌朝3時まで毎日、3カ月ぶっ通しで

手掛けた作品の1コマ。制作期間は、
作品によっては1~2年かかることもある
©Activision

 同社では『チョコボの不思議なダンジョン2』のカットシーンを担当するなど、ゲームをいろいろ手掛けましたが、98年に「デジタルスカルプチャー」という会社を、アメリカ人のパートナーと共同で設立し、独立しました。経営はアメリカ人パートナーに担当してもらい、私が制作を担当しました。ゲーム以外にも分野を広げて仕事をしたいと思っていたので、独立をきっかけにバラエティーに富んだプロジェクトに関わることができました。
 
 『頭文字D』アメリカ発売用の3Dの車や、ケーブルテレビのディスカバリーチャンネルで放送中の『モンスターガレージ』での3Dの車制作、DVDの表紙にするイメージ制作、映画では『ブレットプルーフ・モンク』のアクションシーンで、セーフティーケーブル(身体を吊るケーブル)を画面から消すデジタル処理の仕事、またゲームでは『スーパーカー・ストリートチャレンジ』などを担当しました。
 
 ですが、契約で独立して仕事をしていると責任が重く、プロジェクトの掛け持ちも多いため、毎日朝10時から翌朝3時までぶっ通しで仕事をするという日々が、3カ月続いたこともありました。
 
 そんな折、デベロッパーからの下請けで『スーパーカー・ストリートチャレンジ』でも仕事をしたことのあるアクティビジョンから、「正社員として迎えたい」という申し出があり、面白そうなプロダクションがあったので入社したのが、2003年のことです。

信じる心や夢があれば、負けずに頑張れる

 同社では『シュレック2』のゲーム制作に関わり、昨年11月に発売となった『トゥルークライム・ニューヨークシティー』ではシニアアーティストとして参加しました。この作品でスペシャルエフェクト部門が新設され、私が同部門最初の1人となり、水や火の爆発の映像などを担当しました。
 
 これからは映像方面に興味があるので、3Dアニメーションを作ってみたいですね。変わったビジュアルが好きなので、ミュージックビデオでもいいしギャラリーでもいいので、3Dの技術を活かして人に見てもらえればいいなと思っています。
 
 アメリカは自分の才能を信じて、強い力を持ってやっていけるのであれば、評価してもらえる国だと思います。1人でアメリカで生活していくのは簡単ではありません。親元を離れた不安や寂しさ、外国で1人でやっていけるのかといった思いも、自分の夢や自分を信じる心があれば負けずに頑張れます。
 
 この業界で言うと、市場にはアメリカが1番大きいですし、技術と才能があれば日本人でも入り込めます。アメリカで生活すると視野が広がるので、世界を広げてみたいと思う人は、異文化を経験でき、選択肢が多いアメリカは向いているのではないでしょうか。
 
(2006年2月1日号掲載)

「アメリカで働く(多様な職業のインタビュー集)」のコンテンツ