働く
JOB

アメリカで働く(多様な職業のインタビュー集)

現地情報誌「ライトハウス」が長年に渡り連載してきた人気コラム「アメリカで働く」は、アメリカで働く日本人・日系人、100名以上の皆さんへのインタビュー集。業種も、職種も異なる100名以上の皆さんそれぞれにとっての「アメリカで働く」とは?アメリカでの"キャリア"や"仕事"が見えてきます。

ライトハウス編集部
ライトハウス編集部

正看護師・保健師・CWOCN(医療・福祉系)

柏井喜代子さん

私の手当てで症状が大きく好転していると、
「やった!」って思います。それが看護師の醍醐味なんです。


日本での豊富な看護師経験を背景に、アメリカでも正看護師(RN)として活躍する柏井さん。現在担当するのは創傷ケア。見るに耐えない、ひどい傷を負った患者を、日々手当てする。アメリカにいても、日本人看護師としての意識を忘れたくないと言う柏井さんに、自身の過去、現在、そして今後をうかがった。


【プロフィール】かしわい・きよこ
大阪府出身。幼い頃から医療分野に興味を持つ。高校3年の時父ががんを患い、看護師の働きを目の当たりにするなどして、看護師の道へ進む。1990年、大阪大学医療短期大学部看護学科に入学。93年卒業と共に、東京大学医学部保健学科に編入学。98年、大阪大学医学部保健学科看護学専攻に教授の助手として勤務。2001年、夫の仕事の関係で渡米。03年からLong Beach Memorial Medical Centerで、正看護師(RN)、CWOCN(認定創傷・人工肛門・失禁ケアナース)として勤務する。 www.kiyokocwocn.com

がんと知らずに死んだ父
患者の知る権利は大切と気付く

患者の下肢にある静脈性潰瘍の壊死組織を切除
する柏井さん。ドクター以外で、この外科処置がで
きるのは、創傷ケアの資格を持った看護師のみ

実は、看護師を目指した明確な理由がないんです。しかし、小さい頃から自分の腕に刺される注射針をじっと見つめたり、オキシドールの消毒で泡がジュワーって立つのが好きでした(笑)。また、高校3年生の時に父が肺がんになり、看護師さんの働きを目の当たりにしていたのも影響したのかもしれません。

1990年に、大阪大学医療短期大学部看護学科(以下、看護短大)に入学し、93年の卒業と共に正看護師の資格を取得。そして同時に、学士号を得るため、東京大学医学部保健学科に編入しました。

大学を出てから3年間、国立がんセンター中央病院に勤務。その後98年に、大阪大学医学部保健学科看護学専攻に助手として勤務しました。この学校は、名前こそ変わっていますが、母校の看護短大。その当時は4年制大学になっていたんです。仕事は、授業や教材の準備・試験の採点など教授のアシスタント業務、そして看護技術の実習や病院実習の引率などでした。しかしこれは全業務の4割程度。残りは研究や論文の執筆でした。大学は文部科学省から科学研究費を割り充てられますから、それに見合った研究報告が義務です。だから常に研究と論文に追われていましたね。私の当時の研究課題は「床ずれ」。マットレスによってどう体圧が分散するか、マットと接する部分の血流はどう変化するかなどをグループで実験研究していました。

話は戻りますが、父は、私の看護短大受験の5カ月ほど前に亡くなりました。当時の日本は、患者にがん告知をしないのが一般的。抗がん剤にも「ビタミン剤」と書かれていたほどです。父も、自分ががんであることを知らずに亡くなりました。

しかし、父は自分の病状を見て、がんに気付いていたと思います。それでも、医師も看護師も私たち家族も、全員でがんを隠し通す。いつも「良くなるよ」って、ある意味ウソをついていました。もし父ががんを知っていたら、私や母の態度も違っていたと思います。父ももう少しやりたいことをやって、そして言いたいことを言って逝くことができたのではないかと思います。

驚かれるかもしれませんが、がんセンターで働いている時に出会った患者さんの中には、「がんで良かった」とおっしゃる方が何人かおられました。なぜなら、がんは交通事故死などに比べて余命がある程度わかるし、自分らしい生き方と死の準備ができると言うんです。あるがん患者の女性は、どう「生」をまっとうし、どう死ぬかを前向きに考えるようになったとおっしゃっていました。そういった方々の考えには、大きな驚きと感銘を受けましたね。ですから、がん告知は患者さんの人権を考える上で、とても大切なことだと私は思います。


どこにいたって私は日本人看護師

2001年の2月に日本で結婚。同年4月に、主人がアメリカの会社に就職したのを機に渡米しました。そして02年の6月に、アメリカの看護師の資格を取得。私の就労ビザをサポートしてくれる病院を探し、今働いているLong Beach Memorial Medical Centerに就職しました。
 
1年近くビザの手続きに時間がかかり、03年の7月に勤務を始めました。最初はAdult DiabeticMedical Care Unit(成人の糖尿病患者病棟)に配属され、05年4月に、Wound Care Unit(創傷ケア病棟)に異動しました。私はアメリカで、CWOCN(Certifi ed Wound Ostomy and Continence Nurse)という資格を取得しましたが、その名前の中の「Wound」が創傷ケアに当たります。

創傷ケアとは、術後にきちんと閉じなかった傷や糖尿病による壊死組織の傷、交通事故による腕や足の切断後の傷など、あらゆる狃〞の治療を含みます。この病棟では、患部が皮膚一枚でつながっているようなひどい状況の患者さんにも出会いました。実は、私は希望してこの病棟に入ったんです。日本で床ずれの研究をしていたと言いましたが、専門的には創傷ケアの研究。ですから、元々興味がある分野だったんです。
 
08年2月からは、Wound Healing Centerで勤務しています。同病院の創傷ケア外来部門で、病歴アセスメントや傷の状況と治療薬の判断、そしてそのケアなどが業務内容です。また外来特有の業務としては、患者さんの保険の種類によって治療方針や治療薬を選定したりすることです。これは色々な保険システムから成り立っているアメリカの医療現場ならではのことですね。また、人工肛門や人工膀胱を付けた患者さんの手当てやそのパウチ(袋)の選択、治療法の決定なども担当します。これは、先ほどのCWOCNの「Ostomy」に相当する仕事になります。

日米の医療現場比較を、ひと言私の言葉で表すなら、「患者になるなら日本、働くならアメリカの医療」です。日本人はとても優しく、しかもきめ細やかで丁寧。日本では、自分の就業時間後でも、担当患者から要望があればトイレの介助や悩みの相談などに対応します。それが日本の医療の常識。

でも、アメリカはとてもドライ。時間外のナースコールには対応せず、そのシフトの人が対応します。また、分業が進んでいて、私が日本でやっていたような雑務はそれぞれ専門の人が対応します。アメリカでは、時間内に自分の仕事を終えることで評価が上がりますから、私も時間が来れば家に帰りますし、働く方としては楽です。

またアメリカでは、医師が看護師をチームの一員と見てくれます。日本では、どうしても医師と看護師では上下関係が存在しますが、アメリカは違う。医師から看護師へのリスペクトが感じられます。

日米共に一長一短ですが、私はどこにいても、日本人魂を忘れたくないと思っています。日本で身に付けた看護師としての意識や振る舞い方を、アメリカの医療現場に上手くミックスさせながら働きたい。傷にテープを貼るにしても、丁寧に貼ってあげたいですし、患者さんから「ありがとう」のひと言をもらえるようなケアをしたい。創傷ケアはとてもグロテスクな現場ですが、患者さんが次にやってきた時には、目に見えて良くなっていることも多いです。私のアドバイスや手当てで大きく好転していると、「やった!」って思います。それが一番の対価。看護師の醍醐味なんです。


女性の私にできること、まずはそこから役立ちたい

私は今、CWOCNの3つ目の資格である「Continence」を活かしたいと思っています。これは、日本語で「失禁ケア」とでも言えばわかりやすいでしょうか。

女性の失禁というのは、あまり表に出て来ませんが、実は結構あるんです。例えば、産後や更年期などが引き金になって起こります。笑ったりくしゃみをした際に少し尿もれが起きるケースから、常にパッドが必要な状態の方まで色々です。このような方で医療機関にかかるのを躊躇し、とりあえず自己流でしのいでおられる方は多いようです。たしかに失禁は病気ではありませんから、病院に行ってもあまり重要視してもらえないのが現実です。でも当人からすると、これは日常生活の大きな障害です。そういった悩みを持つ女性の方々に、この度取得したこの資格が活かせないか、自分の勉強した知識や情報を提供して、生活の質を向上させるお手伝いができないかと考えているところです。

今は2歳になった息子が自分の言葉で話し始めて、かわいくて仕方がない時期です。ワークライフバランスを大切にしながら、「人が喜んでくれるようなケアを提供し、かつ自分自身もそれを楽しむ」というスタンスで仕事を続けて行きたいと思っています。


(2010年2月1日号掲載)