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アメリカで働く(多様な職業のインタビュー集)

現地情報誌「ライトハウス」が長年に渡り連載してきた人気コラム「アメリカで働く」は、アメリカで働く日本人・日系人、100名以上の皆さんへのインタビュー集。業種も、職種も異なる100名以上の皆さんそれぞれにとっての「アメリカで働く」とは?アメリカでの"キャリア"や"仕事"が見えてきます。

ライトハウス編集部
ライトハウス編集部

Pacific Summit Energy LLC / Senior Corporate Counsel
(その他専門職)

鄭 直子さん

法的問題を身近に感じてもらえるよう配慮していきたいと思っています


コロンビア大学ロースクールを卒業、カリフォルニア州とニューヨーク州での弁護士資格を持つ鄭直子さん。現在、エネルギー会社の顧問弁護士として働く鄭さんの目標は、法律の専門家として会社を支え、事業拡大に貢献し、共に成長すること。肩書きとは相反するような柔らかい笑顔が印象的な鄭さんに聞いた。


【プロフィール】チクチャ・チョング◉東京生まれの在日韓国人3世。東京のアメリカンスクール卒業後、ハーバード大学へ進学。卒業後、東京とNYで約3年間、マスコミ業界で現場・経営企画に携わる。その後、コロンビア大学ロースクールに進学、法務博士号(Juris Doctor)取得。ニューヨーク州、およびカリフォルニア州で大手国際弁護士事務所に約8年間所属し、主にM&A、金融、不動産等のコーポーレート関連のプロジェクトに携わる。2010年に住友商事の子会社、Pacific SummitEnergy LLCに入社。ニューヨーク州とカリフォルニア州の弁護士資格を持つ

22 歳で人生は決められない とにかく社会に出たかった

ハーバード大学卒業式の写真。
「やっと社会人になれることが
うれしかった」と鄭さん

在日韓国人の3世として育ち、両親の教育方針で、ずっとアメリカンスクールに通っていました。家庭では日本語を話していましたが、学校での公用語は英語です。日本でも自分は外国人という意識はありましたし、叔父がアメリカ留学をしていたこともあって、自然とアメリカの大学に進むことを決意しました。最初から弁護士を志していたわけではなく、当初、医学部志望でした。しかし大学で学んでみると、研究室にこもるのが思いのほか楽しくなかったんです。ですから、東洋学とのダブルメジャーにしました。

卒業後は、この先、医学部で何年も勉強したいのかじっくり考えた末、22歳で人生を決めるよりは、とりあえず社会に出てみることにしました。最初の1年は、日本のテレビ局のニューヨーク支局に勤め、その後2年間は、東京でデジタル衛星放送の立ち上げに関わりました。経営企画部に所属し、優秀な方がたくさんいる中で、色んな経験をさせていただきました。メディアの仕事は興味本位で始めましたが、放送権など法律に触れていくうちに、徐々に自分の将来への道が見えてきました。弁護士を志した直接のきっかけは、弁理士である叔父の影響かもしれません。それにアメリカでは、弁護士になっても色んな仕事に就けます。元弁護士の経営者や政治家も多いですし、とりあえずロースクールに進んでみようと思いました。

ロースクールでは、議論の仕方や弁護士としての考え方を叩き込まれました。授業では、さまざまな議題について、「君はどう思う?」と教授に問われます。厳しい教授だと、講義の最初から最後まで質疑応答が続きます。みんな指名されるのが怖くてビクビク。判例を勉強しても、核となる事項を深く理解していないと、あらゆる質問に対応できません。でも、それを繰り返すうちに論理的に話したり、判例を応用したりできるようになるんです。

3年間のロースクールで、最も大変なのが1年目です。この頃の成績が就職に強く影響します。と言うのもこの成績が、2年目以降に行うインターン採用の判断材料になるからです。そして、そのインターン先が、通常、卒業後の就職先となります。司法試験自体は、ロースクール卒業後、3カ月間予備校に行って、知識を詰め込み準備しますから、弁護士として考える力を蓄えるのが、ロースクールなのです。 ロースクール卒業後は、大手の法律事務所で、徹底的にしごかれた方がいいと思いました。それでニューヨーク拠点の事務所に4年、その後、オレンジ・カウンティーに引っ越し同地の弁護士事務所でさらに4年ほど働きました弁護士事務所では、「君は何をやりたいの?」なんてことは聞いてくれません。興味のある分野を、自分から上司であるパートナーに伝え、どんどんケースを担当させてもらい、実践を積むことが必要になります。私は、最初は破産法を担当しましたが、M&Aなどコーポレートの吸収・合併に興味を持つようになっていきました。

仕事を始めた当初は、夜中の12時過ぎまで仕事をして、朝9時にまたオフィスに戻るという生活を、1カ月続けたりということがざらでした。ある服飾メーカーが破産申請した時、1カ月間毎日4時間睡眠で対応しました。20代でしたからスタミナがありましたし、今思えば、この時鍛えてもらったのは、本当に良い経験になったと思います。

最初の事務所では、100人いた同期のうち、3年後に残ったのは30人程度。ノルマもありますし今考えるといつもプレッシャーを感じて、ストレスをためていましたね。 当時の仕事で特に印象にっているのは、ボストン近郊での病院買収の案件です。契約が成立しないと、100km圏内に病院がなくなるという地元住民にとっての一大事でした。買い手は見つかったものの、カトリック系の病院だったため、バチカンの許可を取ったりと、プロセスに手間取りましたが、無事に契約成立。企業の吸収合併と社会奉仕は通常結び付かないものですが、その時はコミュニティーに貢献できてうれしかったですね。

弁護士もサービス業。クライアントに手紙をもらったり、感謝のメールをもらったりした時は、寝ないで頑張った甲斐があったと、うれしい瞬間です。 ただ、大手の弁護士事務所にいる限り、女性としてバランスの取れた幸せな生活を送るのは難しいなと感じていました。皆さん、弁護士としては優秀な人ばかりでしたが、女性としてお手本にしたいと思う人はいなかったです(笑)。私は、娘と過ごす幸せな時間を大切にしながらも、一生弁護士でいたいと思っています。


法的環境を整え 事業拡大に貢献したい

弁護士事務所では、あまりチームワークを必要としませんでした。仕事さえきちんとこなせば、誰も何も言わないという実力主義の世界。大きな案件も担当でき、やりがいはありました。しかし、その案件が処理された後のクライアントが、どうなったかまでは知る機会がなく、次々と違う案件をこなさなければなりませんでした。徐々に何かを育てたい、チームとして働きたい、という気持ちが芽生えてきました。弁護士事務所に残るか、違う道を選ぶか迷っていた時に、現在の職場の顧問弁護士の話をいただいたんです。

Pacific Summit Energy は、日系企業の子会社で、一からみんなで立ち上げ、実績を積んできた会社です。スタッフは若く、情熱を持っており、いい刺激になります。日本語を活かすこともできるので、私には願ったりかなったりの職場です。私の仕事はあくまで会社がスムーズに業務を行うことができるように法的環境を整えること。そのためにもロースクールや弁護士事務所時代の仲間と密に情報交換したりしています。天然ガスは日本の原発問題もあり、最近さらに注目されているエネルギー資源ですし、これからは会社の事業拡大に貢献したいと思っています。

「Counsel」とは助言するという意味です。顧問弁護士として、自分から率先して同僚たちの輪に入り、法的問題を身近に感じてもらえるように配慮していくことが大切だと思っています。一緒にランチに出かけたり、部屋のドアを開けて声をかけてもらいやすいようにしたり、気軽に相談してもらえる環境を作っています。早い段階で知ることで、解決できる問題も多いんですよ。

仕事内容は、弁護士事務所にいた頃とはまったく違います。朝、家でiPhoneでメールをチェックして、オフィスに来たら同僚から色んな事項の相談をされたり、電話会議をヒューストンのオフィスとしたり。新規契約の際は、契約書や情報の秘匿ルールを作ったり、誰かを雇用することになれば、その条件などを法的に確認したり、会社全体の業務に携わっています。毎日のように大小ハプニングのようなことが起きるので、それに対応したり…。同僚たちと密接にプロジェクトを進めていくため、ミーティングの数も格段に増えました。人と話すことが好きなので、コミュニケーションを必要とする業務は楽しいですね。

相談されて難しい時には、ただ「ノー」と言うのではなく、なぜダメなのか、どんなリスクがあるのか、また、どんな条件なら実現可能なのか、答えを一緒に考えていくことで、信頼関係が生まれるとっています。とは言っても、はっきり「ノー」と言わなければならない場面もあります。そんな厳しい局面では、せめて笑顔を絶やさないよう心がけています。

現在は、仕事さえしっかりこなせば、勤務時間の裁量は任されているので、子供がいる女性とっても働きやすい職場です。娘にも母親が幸せに働く姿を見せられたらいいですね。仕事も母親業も手を抜かず、バランスを取りながらやっていくことが、今後の目標です。