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JOB

アメリカで働く(多様な職業のインタビュー集)

現地情報誌「ライトハウス」が長年に渡り連載してきた人気コラム「アメリカで働く」は、アメリカで働く日本人・日系人、100名以上の皆さんへのインタビュー集。業種も、職種も異なる100名以上の皆さんそれぞれにとっての「アメリカで働く」とは?アメリカでの"キャリア"や"仕事"が見えてきます。

ライトハウス編集部
ライトハウス編集部

塾講師(その他専門職)

下田佳子さん

生徒の成長が見えると
一緒に頑張ってきた絆を感じられる


教えること、育てることに興味を持ち、大学で教育学を学んだ下田佳子さん。卒業後、アメリカでは障害児教育、日本では進学塾での教育の現場に身を置いた経験を持つ。「子供と触れ合っていて出会う、驚きの瞬間がとても新鮮で面白い」と語る下田さんに話を聞いた。


【プロフィール】しもだ・よしこ◉2003年に渡米。ワシントン州のコミュニティー・カレッジを1年で卒業し、4年制大学編入の単位取得のために、サンタバーバラ・シティー・カレッジに入学。単位取得後、Liberal Studies専攻で05年にカリフォルニア州立大学ノースリッジ校へ編入。卒業後はAssistant Teacherとして現地の小学校に勤務後、日本へ帰国。塾講師として約1年勤務し、10年に再渡米。以降、現職

頑張らず逃げていた自分 学ぶことの楽しさを見つけた

私は、「努力」とか「頑張る」ということが、苦手な子供でした。「いかにして楽に生きようか」ということに精力を使うようなタイプ。それでも中学校までは何とかそこそこの成績が取れていました。進学校の高校に入学し、周りは勉強のできる子たちばかりなのに、「頑張り癖」が備わっていない私は、頑張らなきゃいけない状況でも頑張らなかったんですね。だからおのずとその結果が現れてきて。でも私は、「できない自分」を受け入れることができず、「私はできないんじゃない、頑張っていないだけ」という逃げに走りました。そして最終的に大学受験も「私は大学に行けないんじゃない、行かないことを選択しただけ」と突っぱねました。でも両親を含め周りの環境は、大学に行くのは当たり前というムード。そこで、海外に行ってしまえば、日本の大学を出ていないことを引け目に感じることもないと、正直最初は逃げのような形で2003年に渡米しました。

新しい生活が始まり、新しい文化に触れて、好きなことを深く勉強していくことに興味が出てきました。初めて自分で「頑張る」ことができたのが、こちらの大学での勉強でした。本当は2年制のカレッジを卒業したら日本に帰るつもりだったのですが、もっと勉強がしたいという気持ちになったので、05年からカリフォルニア州立大学ノースリッジ校に編入しました。


詰め込む教育より 育てることに喜びを感じた

ハロウィーンに、優塾の先生たちとお揃いのコス
チュームを着て楽しんだ

従兄弟が脳性麻痺を持っていたことと、小学校の時に一番仲良くしていた友達がダウン症だったためか、障害を持つ人たちに理解があったようです。大学ではSpecial Educationを専攻して、こちらの教員免許を取りたいという気持ちがありました。しかし、そのためにはさらに多くの単位を取得する必要があったので、手話のクラスなどSpecial Educationに関する授業を別にいくつか取るようにし、Liberal Studiesという小学校の先生になる専攻で卒業しました。

卒業後はOPTで1年、現地の小学校でAssistant Teacher(TA)として、障害を持つ子供のサポートをしました。教室外に個別で教えるテーブルがあり、そこでリーディングや掛け算が苦手な子供たちに教えました。学校での仕事は午後2時半頃には終わるので、その後の時間は公文で算数を教えていました。

アメリカでの教育を学んだので、今度は日本の教育を見たいと思い、OPTの後は日本に帰国。英語の塾講師をしました。そこは進学塾でしたので、詰め込み型の教え方で、実際には私が「教えたい」という形のものとはちょっと違いました。もともと、勉強が苦手な子を育てていくことにやりがいや喜びを感じていたので、アメリカにいた頃のような教え方がしたい気持ちが強くなっていきました。1年半ほど日本の厳しい社会にもまれ、訓練をしてもらったと思えたので、アメリカでの仕事を探し、現在の職に辿り着きました。


知ることは面白い 何でも調べて知りたい

私が現在講師をしている「優塾」は、進学塾ではなく、どちらかというと補習塾。生徒のタイプは2種類で、1つは駐在員のご家庭のお子さんで、いずれは日本に帰る子たち。その子たちには、英語のヘルプや現地校の宿題のお手伝いをします。また、帰国後もちゃんと日本の国語・算数の授業についていけるように、日本の教材を使って補習をします。

もう1つは、アメリカ育ちの子供たちを対象に、「国語」ではなくて、「日本語」を教えていくパターンです。生徒は4歳くらいから高校生まで。当塾は、教科によって先生を分けるのではなく、1人の教師が国語、算数、理科、社会、現地校の宿題のヘルプ、英検、そして高校生になるとSATと、すべて担当します。日本の大学に進みたい高校生には、TOEFLの対策法も教えています。

1つのクラスに3、4人の生徒がいるのですが、個別指導なのでそれぞれみんな別々のことをします。同じ学年の同じ算数をやっていても、生徒によって習熟スピードが違うので、一斉に教えるのはやはり無理があるんですね。当塾では、1人の子に「この問題はこう解くんだよ。やってごらん」と解かせている間に、ほかの子の所に行って「どうかな?」と見る。回りながら、3、4人を同時に教えていきます。ですので、その分予習がとても大変。1クラスに4人いるということは、4人分の予習が必要で、それが1日5クラスあると20人分の予習が必要になります。授業は午後2時からなので、午前中、または休日はもうひたすら予習に充てていますね。でも私、勉強が嫌いではないんです。「Study」の方ではなくて、「Learn」の方。この楽しさに大学に入って気付きました。知るってすごく面白いなって感じています。興味のあることは、調べるのが全然苦じゃないんです。

現職に就いて1年が過ぎたところですが、やっとつかめてきたという感覚があります。この子はここが苦手だから、この宿題を少し多めに出して、この子はこのくらいのスピードで説明してあげないとわからない、逆にこの子はずいぶんわかっているから、あまりヒントを与えないで自分で解かせるなど、考える余裕が出てきたように思います。教育と言っても、サービス業なのだと思うんですね。親御さんや生徒自身が何を求めているかというニーズをしっかり把握して、それをいかに提供できるか、そういう仕事だと思います。

この仕事で楽しいことは、やはり子供と触れ合うこと。子供の人生に、積極的に関与してくれる大人は、主に親と先生です。親とは違った立場の大人としてインパクトを与えられる仕事だと思っています。自分が知っていること、経験してきたことをシェアできるのがすごく楽しいです。あとは子供が成長したのが見えた時、一緒にやってきた絆を感じます。生徒に「なるほど」って言われた時、納得したのがわかるので、「よし!」って思わず心の中でガッツポーズしちゃいます。それがこの仕事の一番の醍醐味かなと思います。


知識を増やし 教える技術を磨きたい

教育に興味がある人は、色んな人と知り合って、文化に触れて、さまざまなことを知って、小さな世界に留まらないで、違う世界をどんどん堪能しましょう。人間的に成長する意味で必要なことだと思います。あとは、これがしたいから、どうやったらそこに辿り着けるかのステップを、私はいつも目標から逆算します。できるかなぁ、できないだろうなぁでは、その時点でその道が途絶えてしまう。もったいないと思います。

それから、子供と触れ合って、どう扱えば良いのかを探るといいと思います。慣れないと、子供の気分を損ねないようにと気遣い過ぎてしまうんです。そうではなくドシッと構えて、付いて来させる方が、結局子供も安心します。ダメなことはダメと言ってくれる人を最終的に子供は信頼します。正しい、悪いという一本の揺るがない線を持って、絶対に曲げない。子供を叱れる大人になることが大切だと思います。

これからのことですが、学校を出て現地の学校で働き、日本に戻って塾で働いた後に現在のこの仕事と、少し点々としてしまったので、今はここでしっかり腰を据えて仕事をしたいという気持ちがあります。長年やって初めて見えて来るもの、習得できるものもあると思いますので、その中で自分の「教える」技術を磨いていきたいです。5年後の自分は正直まだわからないですが、今、自分ができることに一生懸命力を注いで、あえて先を見ないでおこうと思っています。常に知識を吸収していないと、教える側として成長できないので、これからももっと勉強していくつもりです。色々なクラスを取ったり、資格を取ってみたり、勉強をしながら、教えることを続けていきたいですね。

(2012年3月1日号掲載)