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JOB

アメリカで働く(多様な職業のインタビュー集)

現地情報誌「ライトハウス」が長年に渡り連載してきた人気コラム「アメリカで働く」は、アメリカで働く日本人・日系人、100名以上の皆さんへのインタビュー集。業種も、職種も異なる100名以上の皆さんそれぞれにとっての「アメリカで働く」とは?アメリカでの"キャリア"や"仕事"が見えてきます。

ライトハウス編集部
ライトハウス編集部

エンターテイメントマーケティング・プロデューサー(企画・コーディネート系)

杉山英隆さん

アメリカはビジネスでは完成されたモデル、この国でビジネスを学べば将来の財産になる


アメリカで夢を実現させた日本人の中から、今回はエンターテインメントマーケティング・プロデューサーの杉山英隆さんを紹介しよう。商品を映画などで使用してもらうプロダクトプレースメントという職業に出会い、38歳で渡米を決意。現在はロサンゼルスを拠点に、日米を股にかけた事業を展開中だ。


【プロフィール】すぎやまひでたか■ 1958 年生。大阪府出身。81 年、同志社大学を卒業後、カリフォルニア州立大学ロングビーチ校に留学。翌年、ホテルプラザ(当時)に就職。国際部の広報マネーャーを経て、5年後マッキャンエリクソン博報堂に転職。97年、渡米してプロダクトプレースメントの会社S2C2 を起業。現在は日本とロサンゼルスで多岐にわたって活躍中。

ベルボーイの経験は貴重な財産になった

初仕事は映画『アルマゲドン』。
ブルース・ウィリスがボールを打つシーンで、
画面上でロゴがアップになり、
広告効果にもつながった©1998 Touchstone Pictures

ずっとロサンゼルスが好きで、大学時代からバイトしては遊びに来るという状態でした。大学を卒業後は留学プログラムを利用して、しばらくカリフォルニア州立大学ロングビーチ校に通いました。帰国後は兄の紹介で大阪のロイヤルホテルに就職できると踏んで、就職活動もしていなかったのですが、留学して1年半ほど経った頃に同ホテルに入れないことがわかり、慌てて帰国しました。たまたま知り合った人の紹介で、結局旧ホテルプラザに就職しました。
 
将来レストランを経営したかったので、サービス業の勉強のためにホテルに就職したのですが、「フロントデスクに入りたい」と言ったところベルボーイに回されました。フロントに入るには3年間ベルボーイをしなくてはならなかったのです。でもここでの経験は貴重な財産になりました。当時、政界や財界のトップが大阪に来るとよくこのホテルを利用されました。多くのトップの方とお会いして、偉い人ほど腰が低いのだいうことを肌で知りました。
 
大変な経験も多く、酔ったお客に殴られた時はさすがに辞めようと思ったほどです。ところがその翌日、「国際部を作るから海外広報をしないか」という話をもらい、その後は広報マネージャーとして国内外のイベント企画などを担当しました。
 
5年後、マッキャンエリクソン博報堂から声をかけてもらい、外資系のあこがれの会社だったので喜んで転職しました。8年間営業を担当し、ブルーノート大阪やリッツカールトン大阪のオープニングを手掛けたりもしました。ところが15年ぶりにロサンゼルスに出張で来て10日間ほど滞在した時、発作的にこの街に住みたくなったんです。阪神大震災の直後で、当時の村山総理の対応にがっかりしていたのも理由の1つかもしれません。その前年のノースリッジ地震で友人に電話を入れた時には「すぐにヘリコターや救急車が来て、『ケガ人はいませんか』と回ってくれたので安心だった」と聞いていたので、その落差が余計に身に染みたのです。


夢でうなされた独立のプレッシャー

それ以来、夏休みなどを利用してロサンゼルスに来ては、「どうすればこの街に住めるか」と模索しました。業界誌でプロダクトプレースメントという職種があるのを知ったのはその頃です。映画『マディソン郡の橋』でカメラマン役の主役クリント・イーストウッドがニコンを使っていたのは広告代理店からの仕込みだったと知って、世の中にこんなに面白い仕事があるのかと思いました。それがテレビCMに比べ比較的安価でできるなら、日本の企業もやるに違いないと思い、ロサンゼルスでエージェンシーに次々と電話をしました。その時「明日にでも会おう」と言ってくれたのが、モーションピクチャーマジックの女性社長、ダイアン・ローリーです。飛び込みの人間を信用して契約しようと言ってくれた彼女には、今でも感謝しています。
 S2C2という会社を起業して渡米したのが97年。38歳での渡米でしたが、不安はありませんでした。何かに背中を押されているかのように良いイメージしかなかった。でも会社勤めから独立したインパクトは大きかったですね。仕事がなければ収入もないというプレッシャーに、夢でうなされることもありました。寝ている間にビジネスチャンスを逃しているのではないかと夜中にハッと目覚めることなど、会社勤めの頃には1度もありませんでしたから。


好調な滑り出しもテロや戦争で打撃

初仕事が映画『アルマゲドン』で、主役のブルース・ウィリスが海上の油田でゴルフボールを打つシーンで、ダンロップのアメリカ向けブランド「スリクソン」を使ってもらい、幸先の良いスタートを切りました。ですがその後、日米間のビジネスは9・11テロ、SARS、イラク戦争の影響を受け、仕事も一変して減りました。一生懸命営業して回る以外にありませんでした。10回叩いて1回ドアが開くなら、100回叩けば10回開くと思って、ひたすら地道に営業しました。
 今はプロダクトプレースメントの仕事が3分の1、日本で流れるCMなどの広告代理店業務が3分の1、そして残りがラスベガスのショービジネスの投資案件です。07年には私もスタッフに加わる新作ショー『アクエリア』が開演予定です。『アクエリア』はギリシャ神話をテーマにした恋愛物語ですが、最新のマジック技術などを駆使した仕掛けの多いスペクタクル系のショーで、水中ダンスやアイススケートなど、英語のわからない人も楽しめる構成になっています。現在はこのショーを日本に持っていく事業に関わっています。 将来的には、日本のコンテンツでハリウッド映画を作るのが夢で、「ハリウッドとラスベガスのことなら杉山に聞け」と言われるようになりたいですね。
 
9・11テロ以来、ビザが厳しくなったこともあり、アメリカに来る人は減っていますが、この国は大変な部分もあるけれど、ビジネスでは最先端の考えを持つ完成された国だと思います。この国でビジネスを学ぶのは、将来きっと大きな財産になると思うので、若い人はどんどん来てほしいですね。

(2006年3月16日号掲載)