働く
JOB

アメリカで働く(多様な職業のインタビュー集)

現地情報誌「ライトハウス」が長年に渡り連載してきた人気コラム「アメリカで働く」は、アメリカで働く日本人・日系人、100名以上の皆さんへのインタビュー集。業種も、職種も異なる100名以上の皆さんそれぞれにとっての「アメリカで働く」とは?アメリカでの"キャリア"や"仕事"が見えてきます。

ライトハウス編集部
ライトハウス編集部

フローラルデザイナー(その他専門職)

中村 猛さん

商品は花でも本当に売っているのは信用
だから絶対にお客様の信頼を裏切れない


アメリカで夢を実現させた日本人の中から、今回はフローラルデザイナーの中村猛さんを紹介しよう。花屋に生まれ、幼い頃から花に囲まれて生活していた中村さんは、デザインの勉強を追究するために渡米。その後、メルローズに出店するが、新鮮な花を低価格で提供するため、注文制度を確立した。


【プロフィール】なかむら・たけし■神奈川県出身。1963 年生まれ。82 年に高校を卒業後、東京フラワーデザインスクールに通いながら、東京や横浜で修業を積む。その後、アメリカやオランダで学んだ後、90 年、メルローズに生花店をオープン。97 年にトーランスに移り、注文を受けてから仕入れるシステムの「アンジェラック」を設立。フローラルデザインクラスも行っている。
キャリアインフォメーションはこちら

生まれた時から花に囲まれた生活

昨年のジャパンエクスポでは、
ブライダルブーケ作成の実演を行った

 実家が鎌倉で花屋を営んでいたため、気がついたら花に囲まれた生活でした。小学校低学年の時のことです。朝のラジオ体操に出かける際に、朝露に濡れた朝顔を見て、吸い込まれるような気がしました。「花はすごい」と思った最初の思い出です。小さい時は「今忙しいから、あっちへ行って」と言われていたのが、いつの間にか「今忙しいから、手伝って」と言われるようになりました。店を開けて鉢物を出したり、仕入れた花を水につけたり、たまには早朝から一緒に仕入れに行くこともありました。

 高校を卒業して、東京フラワーデザインスクールに進みました。本科1年と師範科1年です。授業は夜、週2日で、カラーチャートを使った色の勉強やプラントのケア、スタイルやテクニックなど。最初の頃は、制作したウェディングブーケを持って電車に乗るのが恥ずかしかったですね。
 学校に通いながら、東京の花屋で働きました。オーナーがビジネスマンで勉強になりましたが、3カ月で体を壊したので、一旦実家に帰り、その後、横浜市内の評判の高い先生の下で働きました。コンテストで総理大臣賞を2度も受賞した著名な先生だったのですが、厳しいと有名な人で、「1週間もった人はいない」と言われたほど。確かにすごく怖くて神経をすり減らしていましたが、素晴らしいデザインをされる方でした。ところが3カ月ほど経った頃、先生がご病気になり、先生に「残って店を継いでほしい」と言われたのです。でも、私はデザインに興味があったので、卒業後は海外でデザインについてもっと勉強したい、自分の可能性を広げたいと思い、渡米を決心しました。


欧米でデザインを勉強メルローズで得た信用

新鮮な花を使うため、
長持ちすると顧客からの評判も高い

 最初に行ったのはシカゴの花屋。アメリカではどんなデザインなのかを見たかったのです。デザインがシステマチックというだけでなく、アメリカでは一般の人の中にいろいろなデザインを受け入れる基盤があることを知り、それに新鮮な感動を覚えました。一旦帰国しましたが、もっと勉強したいと思い、1987年に再渡米。今度はノースリッジの語学学校に通いながら、花の勉強を続けました。
 
 その後はオランダに行き、世界チャンピオンになった人の花屋で3カ月仕事をさせてもらいました。オランダでは、花の扱いや色使いが異なります。例えば、アメリカでは日本人には派手すぎるような色使いが多いのに比べて、オランダは日本人にも薄すぎるかな、というような色使いなのですね。でもそれがきれいに見えるんです。
 勉強を終えて帰国し、いよいよ店を開けようという段階になった時、日本はちょうどバブル時代でした。いろいろ物件を見て回りましたが、どこも途方もない金額です。そのうち「アメリカで花屋をやってみないか」とお誘いを受け、メルローズの小さな花屋を居抜きで買ったのが90年のことです。そこに決めたのは、デザインさえ見てもらえば気に入ってもらえるという自信があったから。人が歩いているストリートと言えばメルローズだったのです。
 
 ところが、アメリカでは景気後退が始まっており、良い物を揃えただけでは売れません。渡米したばかりで、アメリカ社会のことも良く知らなかったのですね。あの辺りはユダヤ系のお客さんが多いのですが、彼らは価格に対してシビアです。その代わり、一旦信用されると、「食事してくるから適当に選んでおいてくれ」とゴールドのクレジットカードを置いて行く、というようなこともありました。うれしい反面、緊張もしましたね。
 また、日本の花市場はすべて競りですが、アメリカはすべて仲買で、市場にある花が必ずしも新鮮であるとは限りません。自分で見て鮮度や値段を見極めるのですが、満足できる品物が入ってこないこともあります。そのうちに、これは自分の求めていたものではない、と考えるようになりました。


お客の喜ぶ方法を考え注文制度を確立

 メルローズで7年やっていましたが、子供が生まれたのを機に治安も気がかりになり、とりあえず店を閉めようと決心しました。花は鮮度と値段が命の生鮮商品です。常に新鮮なものを良心的な価格で提供するには、ホームオフィスでウエアハウスだけを持って、注文システムにするのがベストではないかと気づきました。ご注文をいただいてから仕入れたら、その時にある最高の商品を提供できます。お客様の喜ぶ方法を考えたら、こういう形態になったのです。
 
私は花を売っていますが、本当に売っているのは信用です。だから絶対に裏切れません。いい物を作っていれば、必ずお客様は来てくれます。メルローズ時代は映画やメディア関係の仕事が多く、エディー・マーフィーの自宅の寝室に花を飾りに行ったこともあります。日本では考えられないですよね。アメリカは結果重視で、どんな業種であれ、一生懸命に仕事をすれば、絶対に認められる国です。
 実家では鎌倉という土地柄、お葬式も多く、よく花祭壇を手がけていました。現在、ブライダルサロンを準備中ですが、アメリカでも、きちんとした日本式の結婚式やお葬式、花祭壇をもっと手がけてみたいですね。

(2006年8月1日号掲載)