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アメリカで働く(多様な職業のインタビュー集)

現地情報誌「ライトハウス」が長年に渡り連載してきた人気コラム「アメリカで働く」は、アメリカで働く日本人・日系人、100名以上の皆さんへのインタビュー集。業種も、職種も異なる100名以上の皆さんそれぞれにとっての「アメリカで働く」とは?アメリカでの"キャリア"や"仕事"が見えてきます。

ライトハウス編集部
ライトハウス編集部

歯科医(医療・福祉系)

織田 潤さん

アメリカはキャリア変更にもポジティブ
自分に必要なのは強い意志と覚悟


アメリカで夢を実現させた日本人の中から、今回は歯科医の織田潤さんを紹介しよう。自分の将来を自分で決めたいと、日本の会社を辞めて渡米したが、漠然と勉強することに疑問を持ち、歯科医を目指して猛勉強。現在は、トーランスで歯科医院を開業している。


【プロフィール】おだ・じゅん■千葉県出身。1954年生まれ。日本の大学で経済学部を卒業後、流通業の会社に就職。79年、会社を辞めて渡米。語学学校を経て、82年、ロマリンダ大学に入学。85年、シカゴのノースウエスタン大学歯学部に入学。89年に同校卒業、米国歯科医師免許、日本歯科医師免許取得。90年、トーランスに織田歯科医院を開業

何かに特化したいと、選んだ道が歯科医

装着前の義歯を最終チェック。
個々の特性にあわせて微妙に調整していく

 日本では大学の経済学部を卒業して、流通業に就職しました。当時の大卒の初任給は流通業が比較的高く、ボーナスももらえるので、アルバイトをするより渡米資金を貯めるのによいかなと思ったからです。もし面白かったらそのままいようと思っていましたが、会社の方針で自分の進路や職種が決まってしまう現実に満足できず、1979年に渡米しました。アメリカに行きたかったのは、世界の中で自分を見てみたかったのと、ステップアップするためには英語が必要だという気持ちがあったからです。

 1年いれば英語が身につくと思っていましたが、1日目で早くも挫折しました。英語の勢いにまったくついていけなかったのです。持っていた教材は、成田空港で買った英和辞典だけ。でも初日のショックが過ぎると、今度は、目標もなく漠然と英語を勉強するのが苦痛になりました。英語はコミュニケーションのツールに過ぎませんから、何か目標を定めて勉強しなければザルで水を汲んでいるようなもの。何かキャリアとなるものはないかといろいろ調べ、周りのアドバイスをもとに選んだ道が歯科医でした。専門性が高く、難しい分達成感も高く、人の役に立てる仕事だからです。でも、最終的には天の声ということでしょうか。


クリニック実習では治療費回収に戸惑いも

患者が安心して治療を受けられるようにと、
院内は明るく開放的

 アメリカで歯科医になるには、まず大学で学位を取ることをすすめられます。歯学部に入るための必須単位が入っていればどの学部でもよく、私の場合は日本の大学の単位も考慮してもらいました。82年にロマリンダ大学に入学しましたが、生物や化学は日本語でも高校以来勉強していなかった上、周りのレベルも高い。3年強でシカゴのノースウエスタン大学歯学部に入り、これでやっと楽になると思ったら、ここからが本当の競争の始まりだったんです。

 私は志を持って入学したわけですが、歯科の内容は何も知りません。毎日朝8時から午後5時まで授業とラボがびっしり。夜は寮で朝2時まで、週末もずっと勉強ですが、試験科目が多いので、こなすので精一杯です。英語のハンデもあったと思います。試験の合格ラインは70%。アメリカ人が最初から70%理解できるとしたら、10%の努力でB、さらに10%努力すればAがもらえます。でも私の場合、英語の壁を考えると最初に聞いて理解できるのは50%くらい。周りと同じ努力をしても、やっと合格レベルなのです。必死でしたね。

 3年生からクリニックの実習が始まります。歯科医としてひと通りの流れを担当します。ただし、治療を終了しただけでは、クレジットとして認められません。治療費回収も仕事の一部だからです。実践的なのですが、最初は戸惑いました。学生なので、日本人的に言えば「治療させていただいている」わけですから。

 ひどい歯周病を患っていた80歳くらいの女性は、金銭面を含めて可能な治療法は総入れ歯しかないと伝えた時、ショックを受けて泣いていました。でも、治療結果に非常に満足してもらえた上、卒業時の試験では、入れ歯の患者として快く協力してくれました。また、ある女性患者は、最後の最後に保険がカバーしないことが判明。卒業単位にその患者のクレジットが必要だったため、自腹を切りましたが、その3カ月後、引っ越し先のロサンゼルスまで連絡をしてくれました。「大学や先生などに聞き回って、ようやく探し当てたのよ」と。そして、きっちり治療費を送ってくれました


キャリアチェンジにポジティブなアメリカ

 小児歯科が歯科医としての私の原点です。歯学部入学時に英語の能力を問われた時、面接官に「子供の患者ときちんとコミュニケーションが取れれば、大人の患者は問題ない」と言われたのもあって、小児歯科が試金石のようなものと思い、小児歯科の授業は特に身を入れてやりました。小児歯科を担当していた恩師から適切な指導を受けられたことも大きいと思います。

 また、自分の限界を知ることが大事だということも、学校で学んだことの1つです。自分でできるレベルの最善を尽くした上で、適切に専門家の手を借りて、患者が1番利益を受ける治療を施す。その一方で、経験で新しいことを得ることも必要ですから、線引きが重要です。

 私は、日本にいたら歯科医になっていなかったでしょうね。日本は進路変更が難しく、周りもネガティブな反応が多数です。私が歯学部に在籍したのは20代半ば過ぎでしたが、同級生の最高齢は36歳。彼女は夜勤で看護師をして、娘を育てながら歯学部で勉強していました。私が勉強で苦労していた時も教授はポジティブで、「辞めたら」とか「無理だ」とは言いません。努力する者には、手を差し伸べてくれます。アメリカも昔からそうではなかったのかもしれませんが、そういう道を切り開いた人がいるのだと思います。

 アメリカで必要なのは、「こうなりたい」という強い気持ちとお金と時間です。タイムリミットがある場合は、その限られた時間で何ができるか。目標をクリアできない可能性もありますから、お金と時間を無駄にしても挑戦するだけの覚悟があるかどうかだと思います。

(2006年9月1日号掲載)