アメリカで働く
バレエはビジュアル、才能の世界だが、
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自由な環境で
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華やかなグラン・パ・ド・ドゥ(男女2人で
の舞踊の1つ)。ドン・キホーテ第3幕より |
6歳でバレエを始めました。高校を卒業するまで、別府の実家から先生のスタジオのある東京の中野区まで、1カ月に1回は飛行機でクラスに通っていました。当時日本のバレエ界は、1人の先生につくと他の教室に移りにくいなど、しがらみが多かったのですが、アメリカではそういったことはありません。もっと自由な環境でやってみたいと思い、20歳の時に渡米しました。その頃はすでに日本バレエ協会の公演にプロとして出演しており、アメリカでもっと演技を磨こうと思いました。
最初はシアトルのパシフィック・ノースウエストバレエという大きな学校に入りました。アメリカに来て、やはりショックを受けましたね。まず、体形が全然違う。顔立ちも骨格も違います。特に骨格はバレエにとって非常に重要ですから、日本人の自分がいくらがんばってもだめかもしれないと落ち込みました。その後、ジャズダンスなどもやってみましたが、結婚して子供ができたことを機に、バレエをお休みしました。日本では、学校が終わってから夜寝るまで毎日レッスン。バレエ漬けの人生でしたので、1度バレエから遠ざかってみたかったんです。その後、主人の仕事の関係でサンディエゴに移って来ました。
ある時、近所の友達がバレエ学校に見学に行くというので、私も気軽に足を運んでみると、本格的にバレエを教えておられる先生がいて。こんなところに、プロの指導者がいるんだと感激しました。簡単なクラスから上級へと進み、通う回数も増え、1年で舞台に立つまでに復帰しました。舞台での主役も何度か務めた頃、「そろそろ指導の方に入っては」とオーナーに言われて。そこで初めて「教える」という仕事に就きました。
進化し続けるバレエ
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海賊のグラン・パ・ド・ドゥ。
ボリショイ・バレエのダンサーと |
私の学校(NDA)では、8段階のレベルに分かれており、私はトップの3レベルを担当しています。上級レベルでは、プロのダンサーになりたいという目的意識を持った生徒がほとんどです。
気をつけているのは、自分が教わってきたことだけを普遍的に教えるのではだめということ。生徒1人1人に個性があります。全員に同じことを同じように教えていたのでは、生徒はついて来ません。自分も常に勉強しています。バレエの世界も進化しています。例えば、20年前に世界的なプリマバレリーナだけが披露できた技は、今や普通にこなせるダンサーはいくらでもいます。全体的にレベルが上がっているんです。もちろん、クラシックの伝統や振り付けは自分で崩したり、簡単にしたりしません。
この9月に、チュラビスタ・バレエというバレエ団を結成しました。コミュニティー内でバレエを広めていくことが目的です。このチュラビスタはサンディエゴ郡では2番目の都市ですが、芸術が浸透していません。そこで、「自分が作ろう」と。NDAのオーナーに、「すべて任せるから、やってみたら」と後押しされ、決意しました。実は2年くらい前から、私が監督となって試験的に団の運営を経験していたので自信はありました。
地元からバレエの魅力を
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