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アメリカで働く(多様な職業のインタビュー集)

現地情報誌「ライトハウス」が長年に渡り連載してきた人気コラム「アメリカで働く」は、アメリカで働く日本人・日系人、100名以上の皆さんへのインタビュー集。業種も、職種も異なる100名以上の皆さんそれぞれにとっての「アメリカで働く」とは?アメリカでの"キャリア"や"仕事"が見えてきます。

ライトハウス編集部
ライトハウス編集部

ギタリスト(その他専門職)

石原 秀朗さん

メンバーのエネルギーが、
お客さんの反応とすべて一致して
融合したと感じられます


アメリカで夢を実現させた日本人の中から、今回はギタリストの石原秀朗さんを紹介。美大に進学後、ミュージシャンに転向。『Blue Man Group』のオーディションに合格し、同ショーでギタリストとして活躍する。


【プロフィール】いしはら・ひであき■東京都出身。14歳の時に渡米し、高校に入学。卒業後、Massachusetts College of Artに入学。写真を専攻するが、Studio for Interrelated Mediaに変えて卒業。ニューヨークに移住後、結婚。1999年に勤務先のスタジオで『Blue Man Group』のオーディションを受けて合格。2000年から、ラスベガスで同ショーのギタリストとして活躍。

ミュージシャンは
お金にならない

所属していたパンクバンド(98年頃)

 中学の時はまったく勉強しなくて、ロックばかり聴いていました。はっきり言って不良でしたね(笑)。そんな時、父の仕事の都合でアメリカ行きが決まり、マサチューセッツ州ケンブリッジの公立高校に入学しました。英語はロックの影響で好きだったので、少しは話せたんです。

 高校2年の時に、写真家になりたいと思って写真のクラスを取って、ボストンにある州立の美術大学に行くことにしました。写真を専攻していたのですが、在学中にやる気が失せてしまい、「Studio for Interrelated Media」という専攻に興味を持ちました。これは、生徒たちがそれぞれ興味のある分野で作品をコラボレートして行くというもの。私は「山海塾」のようなムーブメントアートに興味を持ちました。自分の身体を使ってパフォーマンスすることが好きだったんです。これがパフォーマンスに興味を持ったきっかけでした。『Blue Man Group』に入るきっかけでもあったかもしれません。

 中学からいつもバンドに入っていて、アメリカでもずっと続けていましたが、音楽を大学で学ぼうとは思いませんでした。父はミュージシャンでしたが、「ミュージシャンはお金にならないから、やらない方がいい」と言われてたから(笑)。


やはり自分は
好きな音楽をやりたい

奥様のジェニーさんと息子、ライデンちゃん

 卒業後は、写真屋で手焼きのプリンターを1年半ぐらいやっていました。ですが、後に妻となるジェニーが、ニューヨークに行きたいと言い出し、引っ越すことに。ニューヨークは仕事の競争率が高く、給料も安くて驚きました。とにかく生活しないといけないので、いろんな仕事をしましたね。

 ニューヨークでもバンドで音楽はやっていて、最終的に「自分のやりたくない仕事はやりたくない。やはり自分は好きな音楽をやりたい」。そう思い、とにかく音楽に携わる仕事を探したら、貸しスタジオで職が見つかりました。エレベーターを動かしたり、スタジオ清掃、予約受付、機材修理など、ありとあらゆることをしました。ラモーンズのジョーイ・ラモーンやパティー・スミス、イギーポップなどの有名アーティストがリハーサルに来ていて、会うことができました。正直、自分の好きな仕事だったから、お金はなくて大変だったけど、楽しかった。

 ある時、働いていた貸しスタジオでブルーマンがオーディションをしていて、自分も受けたいと、試しに受けてみました。カットソーで髪もスキンヘッド、サンダル履きで行ったら、雰囲気がかなり気に入られたみたいで、受かってしまいました。技術より演奏スタイルが気に入られたんだと思う。だって待合室には、自分より上手い人たちがたくさんいたから。

 早速、ラスベガスに移れるかと聞かれたのですが、結婚したばかりでジェニーは仕事もあったし、友達もみんなニューヨークだったから、説得するのは大変でした。結局、「このチャンスを逃したら2度目はないかも知れない、ちょっとだけ行ってみて嫌だったらニューヨークに帰ればいいじゃん」と説得しました。


キャラになり切る
それが楽しい

 ブルーマンでの最初の3カ月はリハーサルでした。ブルーマンのやり方というのは、その場で決めて行くことが多いんです。大体のアイデアはあるのだけど、細かいところは変えていく。今日のパートが明日には変わることも。譜面もなくて、自分の耳で覚えるか、紙に書くしかない。同じ場面、同じ曲でも弾き方が少し違ってきたりします。ブルーマンのスタイルというのは、紙には書いていないんですが確かにあって、そこからはみ出ないようにしながら、自由にやっています。

 2000年の立ち上げから7年、お客さんにアピールというか、ありがとうという気持ちを込めて、ずっと演奏してきました。自分にとってはいつものことでも、お客さんにとっては新鮮だから、自分を第3者の目で客観的に見ながらやらないと、新鮮さが出なくなります。

 ショーの最中はコスチュームを着ているから、自分かどうかはわからない。自分ではないブルーマンバンドのキャラクターになれる、それが楽しいですね。

 ブルーマンで演奏していて楽しい時は、いいショーができた時。そういうショーでは、10人のメンバーのエネルギーが、お客さんの反応とすべて一致して、融合したと感じられます。逆に、疲れている時もありますが、ジムなどに行ってトレーニングをしたりして、いつもフルパワーでショーをこなし、会場のムードを奮い立てられるように頑張っています。

 仕事が入っている時は、サウンドチェックとメークをする前に練習しています。家でも毎日ではないですが、練習しています。待望の子供が生まれて、今は僕の中では子育てがメイン(笑)。だから、ブルーマンが終わったらすぐに帰って育児。

 今後はテレビのコマーシャルやショーや映画の音楽などのプロダクションをやっていきたいです。だから機材を購入して、コンピューターでプロダクションの勉強をしています。育児が終わってからですから、朝の3時くらいに寝ていますね。

 ミュージシャンを目指している人に、僕がアドバイスできるのは、とにかくいろんな人とプレーすること。自分よりうまい人とプレーする。とにかく数をどんどんこなして、いろんな場所でプレーする。失敗にめげないで、オーディションにもどんどん参加する。どんな職業でも言えることだけど、自分が好きでやっているということを、忘れないでほしいですね。

(2007年4月16日号掲載)