アメリカで働く
どういう条件で建てられたとしても、
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TOEFLは後回しで
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建築材料のサンプルを使っての
プレゼンテーション |
建築家で、武蔵野美術大学で教授をしていた父の影響もあって、私も多摩美術大学の建築科に入学し、建築の勉強をしました。UCバークレーの客員教授をされていた竹山実先生が武蔵野美大で父と同僚だったこともあり、多摩美大在学中から竹山先生の事務所でアルバイトをさせてもらっていました。竹山先生は、SHIBUYA109や晴海客船ターミナルなどを設計した日本を代表する建築家の1人で、卒業後もやはり竹山先生の下に残って働き続けることにしました。
それからアメリカの大学院で建築の勉強をしたいと思い、1980年にサンノゼ州立大学にある語学学校に留学しました。大学院に進学する方法をいろいろと調べてみたのですが、ほとんどの学校で既に新年度の入学受付が締め切られており、そのうえ、私はTOEFLも受けていなかったため、入学願書の書類も揃わない状態でした。
しかし、当時UCバークレーに留学中の竹山先生の教え子の方が、サンディエゴ州立大学(SDSU)ならまだ受け付けていると、私に教えてくれたのです。当時、SDSUに入学するのにも、私の英語力は十分ではなかったのですが、それまでの自分の作品をまとめたポートフォリオを学校に提出したところ、TOEFLは入学してから受けるという条件で入学許可が下り、SDSUのArt Department Environmental Designというマスターコースで2年間勉強することになりました。ここでは当時の教授だった建築家、ユージン・レイの下、一般現代美術史を含め、環境および建築設計デザインを勉強しました。
入学して1年半を過ぎた頃に、現パートナーの中村氏の紹介でローズリング氏に出会い、彼の仕事を手伝うことに。彼らと一緒に建築をすることがとにかく楽しかったので、大学院卒業後も事務所に残り、正式に就職することになりました。
携わる人を取りまとめ
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Mater Dei Catholic High Schoolの
施主との打ち合わせ |
建築家というと、オフィスで静かにデザインを描いている姿をイメージするかもしれません。しかし、1番の大きな仕事は、「何を造るのか」を頭に置きながら、そのプロジェクトに携わる多くの人たちを取りまとめ、そのビジョンを現実化することです。施工主、エンジニアやデザイナー、施工会社、役所の担当者など、多くの人たちが関わり合ってプロジェクトは進んでいきます。それぞれに立場があり、希望があり、譲れないプライドもあります。こちらの意見を受け入れてもらわなければならない時、彼らを説得し、まとめることは簡単なことではありません。
また、仕事を受注するのもひと苦労です。例えば、公共建築の設計プロジェクトを受注するために、建築事務所は州・郡・市、あるいは学校の教育委員会など、公共機関からの広告を基に書類を提出します。公共機関では、いくつもの建築事務所からの提出書類を比較検討し、また必要に応じて面接などを行い、その中で最も適切だとされる事務所に仕事を依頼します。そういった設計の仕事を獲得するためには、他の事務所との競争を乗り越え、自分たちのデザインの秀逸性だけではなく、依頼されるプロジェクトに対するアプローチなどを、明確に説明できなければならないのです。
地道に勉強し
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