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アメリカで働く(多様な職業のインタビュー集)

現地情報誌「ライトハウス」が長年に渡り連載してきた人気コラム「アメリカで働く」は、アメリカで働く日本人・日系人、100名以上の皆さんへのインタビュー集。業種も、職種も異なる100名以上の皆さんそれぞれにとっての「アメリカで働く」とは?アメリカでの"キャリア"や"仕事"が見えてきます。

ライトハウス編集部
ライトハウス編集部

日本語教師(その他専門職)

高橋 晃さん

私が日本語を教えた生徒たちが、
社会で活躍するのを
見届けるのが楽しみ


 アメリカで夢を実現させた日本人の中から、今回は日本語教師の高橋晃さんを紹介。サンディエゴの大学で教鞭を執りながら、毎年、夏休み期間にはモンゴルを訪れ、ボランティアとして日本語を教えている。


【プロフィール】たかはし・あきら■1947年樺太生まれ。San Diego State University教育学部バイリンガル教育学科修士課程卒。Mira Costa College、La Jolla High Schoolなどで教鞭を執り、83年に「Japanese Language Class」を開塾。塾とUniversity of San Diegoにて日本語を教える。www.japaneselanguageclass.com
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アジア諸国の旅で
悲惨な状況を目の当たりに

モンゴルのサマースクールの生徒たち

 私が日本語教師を目指そうと思ったのは、若い頃に半年間かけて回ったアジア諸国への旅行がきっかけでした。香港からバックパックを背負って出発し、タイ、インド、スリランカ、ビルマ(現:ミャンマー)などを訪れたのですが、バングラデシュでは、栄養失調で倒れている人たちや、戦争で手足を失った人たちが町に溢れ、あちらこちらに銃痕が生々しく残っているという衝撃的な光景を目の当たりにしました。

 今までに見たこともない悲惨な状況の中で、「何とかしなければ」という思いに駆られながらも、結局、何もできない自分に、もどかしさと悔しさを抱えながら、複雑な思いで帰路に就いたのです。

 それからしばらくは、自分にできることは何かと真剣に考え、「教育でなら、何か自分にも貢献できることがあるのではないだろうか?」と、思いつきました。そして、教師になるために学校に入学することを決心したのですが、これからの時代は、英語も必要になってくるだろうと感じていましたので、30歳の時に家族でサンディエゴに引っ越してきたのです。

 最初の1年間は、語学学校で英語を勉強し、その後、San Diego State Universityの教育学部バイリンガルエデュケーション学科のマスターコースに入学しました。そこで2年間、異文化の理解や交流について学び、Mira Costa College、La Jolla High Schoolなどで日本語を教え、サンディエゴに日本語教室も開きました。

 今は、University of San Diegoでも日本語を教えています。日本の経済が良かった15年くらい前は、仕事で日本語を使うアメリカ人の生徒が多かったのですが、最近はちょっと傾向が変わってきているようですね。空手を習っている人や、日本の文化やアニメに興味のある人たちが多くなってきたように感じます。


日本語習得熱が高い
モンゴルでも教える

クラスでは生徒が楽しく学習できるよう心がけている

 日本語は、英語を母国語とするアメリカ人にとっては簡単な言語ではありません。英語と日本語は文字も文法もまったく異なる言語ですので、英語を母国語とする人たちが日本語を習得することは、スペイン語やイタリア語などに比べ3倍難しいと言われています。

 また、生徒たちには大きく分けて2つのパターンがあるように思います。1つは、既に日本語を習得している人たちが、その能力を維持するために学習するケース。そしてもう1つは、日本に旅行やビジネスで行くチャンスのある人たちです。生徒のニーズに合わせて、レッスンを進めています。

 アジアの途上国で何か貢献できないかという思いがきっかけで目指した日本語教師ですが、6年前に、その夢が現実となる出会いがありました。娘と中国、韓国へ旅行したのですが、その時に、たまたま同じバスに乗り合わせたオーストラリア人と知り合いになりました。その人は、夏休みの期間だけ外国で英語を教えていると話してくれました。それを聞いて、夏休みだけなら自分もどこかの国で日本語を教えることができるのではと思い、それから真剣にリサーチを始めました。

 そしてある日、モンゴルのサイトを見つけました。そのサイトによれば、モンゴルは人口に対して、日本語を学ぶ人の比率が大変高い国だそうで、「これだ!」と、自分の中でピンと来る何かがありました。すぐにサイトを通して、「夏だけ日本語教師をしたい」と、担当者にコンタクトを取ったのですが、元来、遊牧民であるモンゴル人は、夏の期間は移動をしながら仕事をする人が多く、忙しくて勉強どころではないという素気ない返事が返ってきました。

 しかし、どうしても諦めることができず、再度、担当者にお願いしたところ、日本語のサマースクールを予定している高校が見つかったとの連絡が届いたのです。校長先生と連絡を取り、とうとう「アジアの国で日本語を教える」という長年の夢が実現しました。

 それからは、毎年夏休みの1カ月間はモンゴルで日本語を教えており、今年で5年目になりました。最初は15名くらいだった生徒数も、今では150名に増え、生徒たちは真剣に日本語を勉強しています。日本は奨学金制度が充実しており、経済的に余裕のない子供たちでも、頑張れば日本に留学するチャンスがあるのです。

 彼らは、日本で学んだ専門的な知識や経験を自国に持ち帰って、国のために働きたいという強い思いがあり、そんな彼らを見ていると、私も清々しい気持ちになりますし、彼らにできるだけチャンスをあげたいと思うのです。


生徒が楽しみながら
学べるようにしたい

 アメリカで日本語を教えていて難しいなと感じるのは、日本語にはあって、英語にはない文法を教える時。日本語は受け身の表現を使うことが多いのですが、例えば、「雨に降られた」といった使い方は、英語にはないもので、生徒がこの使い方を理解することは簡単ではないようですね。また、日本人でもきちんと使い分けができていない人もいますが、尊敬語や謙譲語の区別も難しいようです。

 日本語の学習は難しいですが、大学でも塾でも、生徒が楽しいと感じながら日本語を学べるよう心がけているつもりです。大学では、生徒が先生を評価するシステムがあるのですが、いつも高い評価をいただいており、クラスを楽しいと思ってくれているのかなとうれしく思います。

 今後は、私が日本語を教えた生徒たちが、社会でどのように活躍していくのかを見届けるのが楽しみですね。まるで自分の子供の成長を見ているような気持ちです。

(2007年11月16日号掲載)