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JOB

アメリカで働く(多様な職業のインタビュー集)

現地情報誌「ライトハウス」が長年に渡り連載してきた人気コラム「アメリカで働く」は、アメリカで働く日本人・日系人、100名以上の皆さんへのインタビュー集。業種も、職種も異なる100名以上の皆さんそれぞれにとっての「アメリカで働く」とは?アメリカでの"キャリア"や"仕事"が見えてきます。

ライトハウス編集部
ライトハウス編集部

画家(クリエイティブ系)

クライメンソン 弓さん

信じて続けていれば、
必ず道は開けていくもの。


アメリカで夢を実現させた日本人の中から、今回は画家のクライメンソン弓さんをご紹介。幼少時代に見たゴッホの絵画に感銘を受け、油絵の世界へ。良い作品を作り、社会の役に立ちたいと制作活動に励んでいる。


【プロフィール】くらいめんそん・ゆみ■東京都生まれ。慶応義塾大学文学部美術・美術史学科卒業後、Academy of Fine Arts in San Franciscoで油絵やデッサン、コマーシャルアートを学ぶ。オランダでの制作活動、La Jolla野外ギャラリーへの出展、サンディエゴや東京で個展を開催。La Jolla美術協会元会長、美術展審査員。現在、La Jolla Fine Arts幹事。www.yumi-art.com

強い感銘を受けたゴッホの油絵

6/21〜/23までバルボアパーク
「ギャラリー21」にて個展を開催中

 母や祖母が絵を描いていたこともあり、私も幼い頃から絵を描くのが好きでした。13歳の時、書家であり水墨画家であった内山雨海先生に弟子入りし、水彩画を習っていたのですが、上野の美術館で開催されていた「ゴッホ展」で見た「夜のカフェテラス」に強い感銘を受け、それをきっかけに油絵を描き始めました。油絵は、日本を代表する画家、藤田嗣治先生とパリ時代に先輩後輩として親しかった成井弘画伯に指導を受け、大学では美術と美術史を学びました。

 両親は大学を卒業した私に、すぐに嫁に行ってもらいたかったようですが、もっと絵の勉強がしたかったのでアメリカ留学を決意し、1964年にサンフランシスコにある「Academy of Fine Arts in San Francisco」へ入学しました。

 まだ若かった私は、現実の厳しさも知らずに、「もう仕送りはいらないから」と両親に告げ、アルバイトしながら自活していこうと頑張りましたが、生活は苦しくなるばかり。スケッチブックを買うお金もなく、新聞にチャコールで絵を描いていた時期もあったほどです。ところが、新聞に描いた絵を見た先生が、クラスで「これこそが芸術だ!」と褒めてくれ、翌週からみんな新聞に絵を描いていたのが、面白かったですね(笑)。

 卒業後は、アメリカ人と結婚し、3人の子供に恵まれる一方、画家としての活動も続けました。当時はサンディエゴで生活していたのですが、サンディエゴの画家たちのリーダー的存在だったジョン・フーパー氏が、何かと私を助けてくれ、展覧会にも積極的に出展するようすすめてくれました。

 徐々に私の絵が展覧会で入賞するようになり、権威ある賞を受賞したのをきっかけに、絵が売れ始めるようになりました。


交通事故で左手が一時麻痺

La Mesaのイタリアンレストラン
「Ciao Bella」に飾られている作品

 そんな時、結婚生活にピリオドを打つことになり、3人の子供を引き取った私は、絵を売って、子供たちを養わなくてはいけませんでした。私が引き取ったことで子供たちの生活レベルが落ちるようなことは、絶対にあってはいけないと思い、制作活動を続け、野外美術展などに出展していました。幸いにも絵はよく売れたので、まとまったお金ができると子供たちと一緒に旅行に出かけたりしていたものです。

 その後、ちょっとしたことがきっかけで、オランダで制作活動をするチャンスが訪れました。オランダと言えば、私が上野で感銘を受けたゴッホの生誕地。しかし、そうは言っても3人の子供がいましたので、大変悩みました。

 結局、前夫や子供たちと相談し、上の2人の娘は前夫に預け、末っ子の息子だけを連れて行くことに。オランダでは、アントーベンという町の画廊で制作活動をしていました。

 同時にサンディエゴのコロナドアイランドにあるアートギャラリーにも私の描いた絵を置いてもらっていたのですが、私の絵を買ってくださった方が、わざわざオランダまで会いに来てくれ、その方の依頼でノルウェーでも絵を描く機会に恵まれました。

 順調に活動を続けていましたが、ある日、ニューヨークで仕事を終え、オランダの自宅に向かっていた時、友人が運転していた車が交通事故に遭い、同乗していた私は頭部を打撲し脊椎を痛め、左手が不自由になってしまったのです。右利きだったので絵を描くことはできたものの、パレットを持つことはできず、この時ほど人生のどん底を経験したことはありません。

 地道にリハビリに打ち込んでいましたが、主治医から「オランダは寒過ぎるから、スペインに引っ越してはどうですか?」と提案されました。それならいっそサンディエゴに戻ろうと、85年にオランダを後にしました。その後、リハビリの甲斐があって、左手は1年ほどで元の状態に戻りました。


人生には昼もあれば夜の時もある

 サンディエゴに移ってからは、ラホヤ美術協会の会長を務めたり、美術展の審査員を務める一方、バルボアパーク・スパニッシュビレッジ・アートセンターにある「ギャラリー21」で個展を開いたり、市からの要請でアダルトスクールの講師をして絵を教えていました。

 2005年には、東京で初の個展も開いたんですよ。その時には両親は他界していましたが、ずっと「日本で、いつ個展を開くの?」と待ち望んでいてくれたので、画家としての私をサポートしてくれた両親への恩返しのつもりで開きました。そして、この個展をきっかけに日本のエージェントが付いてくれたので、来年あたり東京で2回目の個展を開く予定でいます。

 人生には、昼の時もあれば夜の時もあります。私はこれまで多くの夜を経験しましたが、私の父は、「人から助けられたお陰で今の自分があるのだから、人への恩返しをしなければいけないよ」と、常々、私に言っていました。その教えを胸に、美術協会や学校を通して美術教育を行ったり、市のパブリックアートやバルボアパークのミュージアム・チャリティーオークションに作品を出展するなど、さまざまな形で社会貢献できるよう活動しています。

 真剣に画家を目指している方がいらっしゃいましたら、どこかの美術協会に登録し、自分の作品をどんどん展覧会に出展して、チャンスを掴んでいってほしいと思います。好きなことは情熱を持って続けていれば、必ず上手になります。信じて続けていれば、必ず道は開けていくものだと思いますよ。

(2008年6月16日号掲載)