働く
JOB

アメリカで働く(多様な職業のインタビュー集)

現地情報誌「ライトハウス」が長年に渡り連載してきた人気コラム「アメリカで働く」は、アメリカで働く日本人・日系人、100名以上の皆さんへのインタビュー集。業種も、職種も異なる100名以上の皆さんそれぞれにとっての「アメリカで働く」とは?アメリカでの"キャリア"や"仕事"が見えてきます。

ライトハウス編集部
ライトハウス編集部

ゲームソフト・プロデューサー(クリエイティブ系)

千綿 浩之さん


今回は、ゲームソフト・プロデューサーとして活躍する千綿浩之さんを紹介。プログラマーとして制作畑に入り、自ら希望しアメリカへ。プロデューサーとしての役割から日米の市場戦略の違いまでを聞いた。


【プロフィール】ちわた・ひろゆき■国際基督教大学教養学部でコンピューターサイエンスを専攻。卒業後、コナミに入社する。入社3年目にシカゴの現地法人に赴任。サンフランシスコでの勤務を経て、2000年ハワイでコナミの制作拠点の立ち上げに携わる。06年ロサンゼルスのコナミデジタルエンタテインメントに異動し、現在に至る

企画から発売まで
ゲーム制作の進行役

大学でコンピューターサイエンスを専攻し、コナミにゲームプログラマーとして就職しました。入社2年目に上司にアメリカ赴任希望を告げたところ、3年目にシカゴの事務所に赴任することに。その後、サンフランシスコとハワイの拠点に異動。ハワイではリードプログラマーを経て、音楽ソフト「ダンスダンスレボリューション(DDR)」の制作でディレクターとしてチーム全体を統括する役職に就きました。ハワイでプロデューサーに昇格し、2006年秋にハワイのオフィスがLAに統合され、こちらに移ってきました。

日本では私のようにプログラマーや音楽系、映像系などの現場からプロデューサーになるのが典型的なキャリアパスですが、アメリカの場合は、例えば小さなチームのマネジメントを任され、サブプロデューサーからプロデューサーへというように、現場を通らない人もいます。

プロデューサーは企画・立案から予算・コストの管理、制作までの進行を担当します。映像、プログラム、ゲーム内容のデータ、契約などをまとめていくのが役割です。私は現場上がりですので、自分で企画・立案することも多いのですが、アメリカでは外部の制作会社から買い取るという形が多いですね。逆に日本は内部ででき上がっていくことが多いです。

ハワイでDDRのPC版を担当して以来、DDRのXbox版を作り、「DDRウルトラミックス1〜4」を毎年出してきました。06年からはXbox360版の「DDRユニバース」を毎年ホリデーシーズンにリリースしており、現在は新しいプロジェクトの準備中です。

典型的な毎日の業務は、朝夕に日本からのメールをチェックし、日中は企画の内容を吟味したり、試作品を検討したりします。企画が走り出すと作業が中心になり、例えばDDRは70以上入っている曲の1つ1つについて、外部と制作やライセンス取得の交渉を繰り返します。納期に合わせて作業を進め、トラブルに対処していくことも仕事の1つです。


玩具だけどビジネス
そのバランス感覚が肝

DDRシリーズXbox360版のゲーム画面。
ジャミロクワイら有名アーティストの楽曲を
使用するため、ライセンス取得なども重要な仕事

プロデューサーに求められるのは、コミュニケーション能力と、ゲームを作る流れやノルマをわかっている頭、そしてクリエイティビティー。もちろん個人差はありますが、それを意識することは重要だと思います。

コミュニケーション能力はどんな職種にも最も重要なスキルでしょう。やはり「ほう・れん・そう(報告・連絡・相談)」が大切。自分だけで対処できないトラブルは上司にすぐに報告し、外部制作会社の方などとも同様に対応しています。

職場はほとんどがアメリカ人ですが、コミュニケーションの難しさは言葉の問題というより、考え方の違いである場合が多いです。相手も同じように思っていると思うと、まったく違う答えが返ってくることもあります。また、アメリカと日本では市場の動き方が違うので、お互い理解しないといけません。

例えば、日本では新しいゲームの発売時には、全国ネットのテレビや雑誌で一斉に告知すればバッと売れることも多いのですが、広いアメリカではそのような手法が通じません。ただ、いったんヒットしたら地道に長く支持されるという市場特性もあります。もちろん、続編を維持する努力も必要。立ち上げるのは難しいけれど、大事に守っていくことが非常に重要です。

プロデューサーは予算や発売日も厳守しなければならないので、かっちり管理していかなければなりませんが、同時に遊び心も忘れてはなりません。また自分が面白いと思ったゲームでも、それが売れるかどうかを客観的に判断する感覚が必要です。1つのゲームを作って売るというのは大変なこと。1つが何万と売れていくので、細かいところまできちっと作っていかなければなりません。玩具だけれどビジネス。ビジネスだけど玩具。そのバランス感覚が難しいですね。


自ら企画したゲームを
世に出すのが夢

企画段階で社内の同意を得るために、社内営業をしていくのも大事な業務です。形のないものを形にしていくわけですから、立ち上げは難しいですね。また、決まった納期に向かって計画を立てるのですが、それも2週間ごとにどんどん変わっていく。帳尻を合わせるのも至難の業です。

逆にこの仕事の醍醐味は、発売した商品をみんなに知ってもらえるところ。「あれを作っているんだ」と認められたり、子供たちから「すごい」と尊敬の眼差しで見られたりするとうれしいです(笑)。

それに、「こうしたい」と思うことが現実化されるところが何よりも楽しい。ユーザーの声を聞くのもうれしいことです。もちろん、それで売り上げを出せれば1番。社内での発言力も強くなり、次の企画の立ち上げもやりやすくなります。

こちらに来て11年。実は06年にハワイを統合する時点で日本のコナミに帰るという選択肢もあったのですが、アメリカに残ることに決めました。自分で企画を立て、ゼロからゲームを手がけてみたかったからです。非常に難しいことなのですが、ぜひ実現させたいと思っています。

この業界で働きたい人は、まず技術を高めることが大切です。グラフィックや音楽、プログラム、それぞれの分野で自らの技術を強化すること。すでにゲーム業界や専門学校、大学でゲームの知識がある人は、そういった点をアピールすると良いのではないかと思います。そして、現場でコミュニケーションをしっかり取る努力をすること。スゴ腕のプログラマーでも一緒に仕事ができないようでは採用が難しいですね。また、営業などの分野でこの業界に入りたいという人も、他の業界と同様、それぞれのビジネススキルを身に付けなければならないと思います。


(2008年12月1日号掲載)