アメリカで働く・学ぶ

アメリカで働く

どんな世代の人にもワクワクしてもらえる
商品を作って、お客さんに喜んでもらいたい

ラジコンカー・ボディーデザイナー/モデラー 松田陽一さんの場合

アメリカで夢を実現させた日本人の中から、今回はラジコンカー・ボディーデザイナー/モデラーの松田陽一さんをご紹介。子供の頃から車好きで、日本でモーターショーに展示するプロトタイプモデルやエアロパーツなどの製作開発をした後、渡米。現在はラジコンカーのボディーデザインと原型製作をしている。

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まつだ・よういち■1968年生まれ、神奈川県出身。高校を卒業後、駿台自動車整備専門学校カーデザイン科に入学。卒業後、ムーンクラフトに入社し、モーターショーに出すプロトタイプなどの製作開発を手がける。車のパーツ会社などを経て、HPI Racingに入社し、99年に渡米。ラジコンカー・ボディーデザイナー/モデラーとして活躍中。

幼い頃からの車好きでデザインを志す

あがってきた原型を手直し中。
微妙な調整は経験と勘が頼りだ

 幼い頃から車が好きでした。当時はまだ現在のように車が普及している時代ではなかったのですが、父もメカが好きだったようで、飛行機や車のプラモデルを作ったり、家に車の雑誌やミニカーもいっぱいありました。物心ついた時から両手にミニカーを持っていた、という感じでしたね。最初はレーサーになりたかったんですが、小学校5年生の頃から視力が悪くなったので断念。トップレーサーに眼鏡をかけた人がいないと知ったのです。中学の時に、車のデザインの仕事をしようと決めました。もともと模型や機械をいじるのが好きで、物を作るのが大好きだったんです。

 車のデザインをやるなら美大のデザイン科に行くのがいいらしい、ということで美大を目指しましたが、結局、当時できたばかりの駿台自動車整備専門学校のカーデザイン学科へ行くことにしました。早くデザイン業務に就きたかったのです。学校では、車のデザイン画やモデリングの勉強をしました。授業が終わってからは、バイクや車の部品を寮に持ち込んでいじっていましたから、デザイン科なのにいつもオイルで手が真っ黒でした。

 そんな私を、恩師である由良玲吉先生が、ご子息でレーシングカーデザイナーの由良拓也さんの営む会社に紹介してくださいました。そこではモーターショーに出すプロトタイプモデルや、市販車用のエアロパーツ、市販予定車のスケールモデルや風洞モデルなどの製作開発をしていました。

 数年間そこで自動車作りを学んだ後、ほかの車のパーツの会社に移ったのですが、若かったせいか自分がいいと思うものと売れるものとのギャップに苦悩を感じ、いったん車から離れることにしました。しばらくレストランなどでアルバイトして生活していました。

 ある時、書店でふと手にしたラジコン雑誌に、今の会社の求人広告を見つけ、早速履歴書を出しました。仕事だった実車のほうを趣味にして、趣味だった模型のほうを仕事にしたら両方充実するのでは、と思ったからです。開発の部署はアメリカにしかないことを聞かされ、一瞬戸惑いましたが、ここで「NO」と言っては現状を打破できないので思い切って渡米することにしました。1999年のことです。

アメリカに渡ってラジコンカーの世界に

手がけた作品は100以上、
アイデアは尽きることがない

 現在は、ラジコンカーのボディーのデザインと原型製作の仕事をしています。まず現車や写真、ミニカーを元に木型図面を書きます。ただ寸法をそのまま縮めればいい、と思われがちですが、ボディーを乗せるシャーシの寸法が決まっていて、それに合わせて設計しなければなりません。ベースとなる車のデザインやコンセプトを尊重しつつフリーハンドで描いてから清書します。ラジコンカーは走ってこその商品ですから、その状態が1番カッコよく見えるように、常に疾走感を意識してデザインしています。

 その図面を外部に出して業者に原型を作ってもらい、それを手直ししていきます。実際に三次元になってから吟味しないとわからない部分がたくさんあるので、手直し作業と仕上げ作業でだいたい2〜3週間かかります。

 アメリカに最初に来た当時は、やはり言葉で苦労しましたね。モデラー専属の同僚がいて、彼らに指示を出さないといけないんですが、形の指示は微妙なものなんです。「上にテンションを持っていって、気持ち丸くして」とか、そんなの最初は英語で言えないじゃないですか。だから1度自分で造形し、言葉抜きで見せて納得させました。

 あとは、材料や道具が、日本で使い慣れたものが見つからなくて困りました。でもその辺はあるもので工夫しながらやりました。苦労はしましたけど、逆に言うと、いろいろなやり方ができるようになったので良かったかもしれません。ただし刃物だけは、日本から取り寄せました。

とにかくやってみれば願いはきっとかなう

 アメリカに来てビックリしたのは、終業ベルが鳴ったとたんにみんないなくなってしまうことです。アメリカ人は家族第一、と聞いていましたけど、まだ勤務時間中なのに掃除を始めるのには違和感がありましたね。今は就業時間通りに帰るのは当然のことだと理解しているので、みんなと一緒に片付けをして、必要だったら残って仕事をするようにしています。

 今の仕事には満足していますが、作りたいものがいっぱいあるんです。一生かかってもできないぐらい、アイデアが頭の中にあります。クオリティーを下げずにもっとスピードアップする方法を模索中です。お客さんに喜んでもらえることが何よりなので、どんな世代の人にもワクワクしてもらえる商品を作りたいですね。

 ホンダの創業者の本田宗一郎さんの言葉で「やってみもせんで」というのがありますが、行動する前からあれこれ考えすぎないで、とにかくやってみることが大切だと思います。私もアメリカに来てみてわかったことがいっぱいあります。アメリカに来るかどうか迷っているなら、とにかく1度来てみたらいいと思います。願いは思っていればきっとかなうので、諦めないでチャレンジしてください。

(2006年2月16日号掲載)