ピアニスト(その他専門職):奥村 尚美さん

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ピアノを通して貢献できることを
コツコツと重ねていきたい 

アメリカで夢を実現させた日本人の中から、今回はピアニストの奥村尚美さんを紹介。武蔵野音楽大学を卒業後、音大のピアノ講師やピアニストとして活躍。渡米後は地域社会に貢献したいという思いから、コミュニティーカレッジや教会で多くの人に音楽を教える毎日を送っている。

【プロフィール】おくむら・なおみ■東京生まれ。武蔵野音楽大学を卒業後、武蔵野音大付属音楽教室で講師を務める。神奈川県で演奏家グループを結成し、定期演奏会やオーケストラとの共演等、幅広く活躍。99年渡米後、コミュニティーカレッジのコーラスクラス、教会の聖歌隊や日本人などに音楽を指導する。「SAKURA MUSIC STUDIO」主宰。

そもそもアメリカで働くには?

4歳から習い始めて
ピアノの指導者に

アメリカに来て音楽活動を共にしている友人
ユニスさんと

 4歳からピアノを習い始め、東洋英和女学院高等部卒業後、東京にある武蔵野音楽大学ピアノ科に入学しました。大学を卒業後すぐ、教授のすすめにより、私自身も高校時代に通っていた武蔵野音楽大学付属音楽教室に勤め、約10年間、ピアノ講師として後輩の指導に当たっていました。
 
 ここのクラスは、厳しい試験に合格した真剣な生徒ばかりなので、ほとんどの生徒が音大を目指しています。音大に合格する、つまり音楽家となるために必要な技術と知識が十分に備わるように指導していきました。しかし生徒の中には、受験直前になって「やっぱり音大ではなく、理数系の大学に行きたい」と言い出す人もいたりして、驚かされることもありましたが、大変やりがいのある仕事でした。

別の分野に入って
音楽の世界を見直す

2000年にラホヤでピアノ・ソロコンサート
「My Favorite Classics」を行った

 出産を機に、武蔵野音大の講師を辞めました。退職後も個人的にピアノを教えるなど、何かしらの形でピアノと関わりのある生活はしていたのですが、子供がハウスダストアレルギーを持っていたことから自宅を改装することに。改装を重ねるうちに、家の構造や材質、さらには建築そのものに興味を持つようになり、学校に入って一から建築の勉強を始めました。
 
 そして、2級建築士の資格を取得し、3年ほど建築士になるための専門学校で講師を務めました。ところが、その期間に自分の中で多くの葛藤があり、やはり「自分にはピアノしかない」ということに気づき、再び音楽の世界に戻りました。今となっては、音楽とは違う世界を経験したことが、ピアノを見直す良いきっかけとなったのではないかと思います。
 
 それからは、ピアノ講師として生徒に指導するかたわら、ピアノの先生や歌手を集めて、「メロディ・トゥリー」という演奏家団体を結成して、神奈川県で年に2回ほど演奏会を開いていました。また、長年の夢であった、オーケストラとの共演も実現することができました。私を含めたピアニスト仲間3人がそれぞれ、神奈川フィルハーモニック・オーケストラと共演したのですが、念願がかなって、ラフマニノフを演奏できたことは、今でも私にとって思い出深い出来事となっています。

活動の場を広げてくれた
アメリカ人の友人

 1999年に渡米したのですが、住み始めてすぐに、ピアニスト兼コーラスディレクターをやっているユニスさんという方と知り合いました。まさに彼女との出会いが、その後のサンディエゴでの私のピアノ生活を大きく変えました。
 
 「一緒に音楽活動をしよう」と誘ってくれた彼女は、まず自分が担当しているコミュニティーカレッジのコーラスのクラスの伴奏を任せてくれました。そこでしばらく演奏していると、「うちの伴奏もやってほしい」「うちでコンサートを開いてくれないか」などと、さまざまな方面から演奏の依頼が入ってくるようになりました。
 
 現在は、サンディエゴ・コミュニティーカレッジ・ディストリクトの4つのコーラスの伴奏や、サンディエゴ・ユダヤ人男性合唱団の伴奏兼コーチ、日系キリスト教会の聖歌隊および音楽ディレクター、サンディエゴ日本混声合唱団の指揮指導者として、1日平均4時間は伴奏をしている毎日です。また、今年度から、コミュニティーカレッジでソルフェージュクラスも開講しました。その他、音楽教室「SAKURA MUSIC STUDIO」を開講し、ピアノや歌の個人レッスンも行っています。

クラシックの原点に戻り
好きな曲を追究したい

 アメリカに来てから、自分を必死に売り込んだという経験はないのですが、このように多くの機会に恵まれたことは、日系社会だけではなく、多くのアメリカ人と知り合いになったことが大きかったように思います。アメリカでは、外国人が自分の実力だけで勝負するよりも、アメリカ人の知り合いから人を紹介してもらったり、推薦してもらうと、驚くほど話が早く進みます。
 
 そういう友人を多く作るためには、アメリカ社会の中で、小さなことでも自分が貢献できることをコツコツと地道に行うことです。人脈というネットワークは、そんな風に自然と広がっていくのではないでしょうか。そして、それが結果的に、多くのチャンスにつながっていく気がします。
 
 日本人の中でも、アメリカで大きなことを成し遂げたいと思っている方は多いかもしれませんが、まずアメリカ人の知り合いを多く作り、初めの1歩として、自分の住む地域に根差した活動を始めると良いと思います。アメリカで成功するには、なんと言ってもアメリカ人からのサポートやヘルプが必要であり、それには勇気を出して、自らアメリカ社会に飛び込んでいかなければ、次のステップには進めません。「困っている日本人はいないかな?」と、優しく手を広げて待ってくれているアメリカ人など、どこにもいないのですから。
 
 今後、日本の方が進んでいるソルフェージュや緻密な演奏技術など、あまりアメリカで教育が徹底されていない分野に貢献したいですね。
 
 ピアニストとしては、クラシックの原点に戻って、好きな作曲家や曲について、自分なりにもっと追究していきたいと思っています。残念ながら、今は研究に費やす時間がないので、それは老後の楽しみの1つとしてとっておきたいなと思っています。
 
(2007年8月16日号掲載)

「アメリカで働く(多様な職業のインタビュー集)」のコンテンツ