
(2026年7月号掲載)
観光客と市民の生活が分かれていた20世紀の途上国
2025年、成田空港を利用した外国人旅客数は過去最高となる2390万人だった。
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止まらない円安の結果、ついに1ドル160円という水準が定着してきた。そんな中で、多くの外国人観光客が日本を訪れて、買い物や飲食を満喫している。そもそも安い物価水準に加えて、円安効果が乗っかり、優れたサービスと質の良い品物が廉価で買えるとあって、満足度は高いようだ。
こうした状況について、20世紀に自分たちが高い円の恩恵を使って遊び回った世代は、「まるで日本が物価の安い途上国になったようだ」という感想を持つようだ。80年代から90年代にかけて、多くの日本人は「強い円」を武器に世界で買い物をしまくっていたのだが、現状はその裏返しだというのである。
この指摘だが、何となく当たっているようにも聞こえるが、実は違う。現在の日本で起きているのは、20世紀の発展途上国が当時の先進国から観光客を招いて外貨を稼いだという構図とは根本的に違っているからだ。
まず、昔の途上国では仮にその土地がブームになって、先進国から多くの観光客が流入したとしても、これに伴って物価が高騰して現地の住民が苦しむということは、多くはなかった。問題があったとすれば地価が高騰するという程度であった。エスニック料理を求めて観光客が来るにしても、あくまで外国人向けに味付けを抑えた観光レストランが受け入れ、そこで高額な値段を払っていた。その一方で、地元向けの物価が上がることはなかった。
ところが、今の日本は全く違う。町のラーメン屋にしても、寿司屋にしても、インバウンド観光客に魅力がバレてしまうと価格が高騰して、日本人としては自分たちが排除されているように感じるという。こんな現象は、世界の経済史の中でも珍しいのではないだろうか。
観光客と市民が交差する現代の日本
理由は比較的簡単だ。仮に、20世紀に途上国へ観光に行っていた日本人をはじめとする人々が、好奇心を手軽に満たそうとしていたとするなら、現在の日本へ向かうインバウンド観光客の姿勢ははるかに真剣だ。日本文化の核心に近い部分を理解し、評価するので高い金額を払ってくれるとも言える。ならば、そのような日本文化への評価をしっかり日本全国の経済成長に結びつけることができれば、「買い負け」などということは防げるはずだ。
もう一つ、20世紀の途上国はその名の通り「発展途上」であった。だから、部分的には観光業に頼っていても、若者は英語を学んで世界を目指したし、政財界は投資を呼び込んで製造業を拡大していった。東南アジアや中国圏がいい例で、発展の結果として豊かになった世代は、それこそ今は日本で大金を使ってくれている。けれども、現在の日本は同じ途上国といっても「衰退途上」である。人口減という重い荷物を背負っているということもあるが、人口の多くがいまだに日本語による事務仕事にこだわり、先端技術を学んで世界で勝負しようという人材は少ない。結果的に、世界有数の教育水準を誇りながら、その能力を効率の悪い仕事に浪費して全体の衰退が加速しているとも言える。
例えば、日本国内でよく聞くのは、自分たちが忙しく働いている平日に、若い外国人が京都や富士山などの観光地を占領して遊び回っているのは不愉快だという声である。先端産業に参画していれば、世界的には30歳前後で米ドルで6桁の年収があるのは自然だし、有給休暇も計画的に取得するのが当たり前である。不愉快に思うのなら、それは給与水準が低く有給の取れない労働慣行への異議申し立てをすべきで、外国人に対して不愉快だと言うのは筋違いであろう。
円安による物価高、そして日本人が日本文化を「買い負け」るという現象は確かにおかしい。けれども、その原因はグローバルな技術や経済に背を向けてきた30年以上の「失われた年月」にある。「物価の安い途上国になった」などと愚痴を言っている場合ではないのだ。
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