ライトハウス
Magazine Information

ライトハウスの特集

アメリカでの教育・進学、ビザ・法律、市民権・永住権、観光・レジャー、求人・仕事、グルメ・レストランなど、現地情報誌「ライトハウス」の過去の特集をご紹介。

アメリカで活躍する日本人女性(2)

Lighthouse編集部


パロアルト市前市長/岸本陽里子さん

日本で生まれ、父の転勤で6歳の時に渡米。ウェスレヤン大学、スタンフォード大学ビジネススクールを卒業後、1981年に日米のハイテク企業の橋渡しをする経営コンサルティング会社を設立。2001年に北カリフォルニアのパロアルト市議会議員に当選、07年度は同市長を務める。現在はパロアルト市議会議員として活躍中

アメリカの市長になるなんて夢にも思ってもいませんでした

1通の通知から市政に興味を持った
父が京都大学博士で大学研究をしていた関係で、2歳の時に渡米しました。2年後に帰国したのですが、6歳で再び父がミシガン大学に赴任。それからはずっとアメリカ暮らしです。1981年にビジネススクールを卒業して、何人かでコンサルティング会社を立ち上げました。アメリカのハイテク企業を日本に紹介したり、日本のベンチャー企業のアメリカ進出をお手伝いする会社です。この頃は、将来政治の世界に入るなんて、まさか自分が市長になるなんて、全然思っていなかったんですよ。子供の時は恥ずかしがりやで、授業中に発言することさえ苦手だったのですから。

地域社会に関心を持ち始めたのは、80年代後半のことです。子供もでき、パロアルト市に腰を据えることに決めたら、少しずつ周囲のコミュニティーが見えてきたのです。

きっかけは、市から来た1通の通知。自宅前の道の最高速度を上げるという内容でした。それを見て、「子供の安全のため、街を守らなければ」と思い、反対運動を始めました。私が地域社会のために活動しようと思ったのは、自分の子供が育つ街を安全なものにし、環境を守りたいという単純な気持ちからでした。それまで、政治は私には関係ない、私には何もできないと思っていましたから。でも、時間はかかりましたが、運動は実を結び、制限速度を上げる計画を止めることができました。その時、パロアルトの民主主義も捨てたもんじゃないなと感じたのです。

経済と自然の調和した街を目指す
もっと地域のために活動したいという気持ちから、パロアルト市の包括計画という20年計画の委員会に加えていただくことにしました。ここでは、交通関係の委員長として活動し、その後パロアルト・シビックリーグのプレジデントにも就任しました。当時、市はハイテクブームの真っ只中で、すごい開発ラッシュ。開発はいいことだけれど、「環境と経済が調和した街の実現」と「自然保護」が私の目標でした。

当時私が訴え、そして現在も伝えようとしているメッセージは、正しい都市開発をすれば、環境を守りながら街が発展できるというものです。パロアルト市は、今では「ここに住みたい」と国中から人が集まってくる街になりました。ハイテクと知識社会が両立した美しい街です。

しかし、理解しない人たちもたくさんいました。環境主義者は、経済発展に真っ向から反対していると誤解されることも。でも、私はバックグラウンドがビジネスとハイテクですから、経済開発の重要性も理解できる。そういう意味で、経済と環境の橋渡しが果たせたのかもしれません。


意欲的に、黙々とデスクワークをこなす

外国生まれが原因で差別されたことはない
市議会選に出馬したのは2001年。それまではコンサルティングの仕事の傍ら、ボランティアとして市の活動をしていたのですが、ボランティアができることに限界を感じ始めていたのです。やりたいことがあっても、市議会議員にお願いするしかなく、決定権はないわけです。それなら、自分で決められる立場になろうと。

周囲から出馬をすすめられながらも、決めたのは締め切り3日前の午前4時頃。パッと目が覚めて「市議会議員になろう」と思ったのです。草の根の選挙活動でしたが、5席の枠に13人が立候補していたところ、2番で当選。05年の2度目の選挙では、おかげさまでトップ当選することができました。

昨年1年間、市長も務めました。パロアルト市では、市長は市民の直接選挙ではなく、市議会議員が選出する仕組みになっています。日系人議員はアメリカに何人かはいますが、日本生まれの政治家は珍しいかもしれませんね。もしかしたら、日本生まれの市長は私が初めてかもしれません。市の歴史を見ても、外国生まれの市長は私が初めてだったんですよ。でも、アジア人は市政で活躍していて、サンタクララ・カウンティーでは15人の市長のうち5人がアジア人。5人ともアメリカ以外の国で生まれた人たちなんです。シリコンバレーは移民が多くグローバルな街ですから市民もリベラル。女性だから、外国生まれだからといって差別されたことはありません。第2次世界大戦で日系人の方たちが受けた差別を考えたら、時代は本当に進んだなと感じますね。

小さなことから始めるとやがて道は開けます
最近力を入れている取り組みが、光ファイバーの敷設です。市民と企業を光ファイバーでつなぎ、知識社会と環境にやさしい社会の基盤にしようというものです。

もう1つは地球温暖化対策。パロアルト市には「クライメート・プロテクションプラン」という、とても意欲的な計画があり、排気ガスを積極的に減らすと共に、ゼロウエイスト、リサイクルを進めています。また、シャトルバスを作って自転車を推奨し、車社会からの脱却を目指しています。

「これからのグリーン社会はスマートに」が私の考えです。知識社会を通して、グリーンに発展させたい。そして市長時代の私のビジョンである「イノベーションを通してグリーンな経済を構築する」という考えを、さらに進展させていきたい。環境破壊をせず街を発展させることは不可能ではありません。経済発展の副作用をできるだけ少なくすること。企業任せでは環境はなかなか守れませんから、これは市政の大切な仕事です。

地球温暖化など、社会は危機的状況にあります。若い方たちに訴えたいのは、1人1人に世界の将来に対する責任があることを自覚していただきたい、ということですね。私がリーダーになれるのだから、皆さんだって必ずなれます。私が家の前の道路から始めたように、小さなこと、目の前にあることから始めればいいのです。そうすれば、パッションやビジョンが見えてきて、後で大きく育つ種になります。毎日少しずつ自分にチャレンジすることで、道は必ず開けてくると確信しています。


女優・ダンサー/甲田真理さん

東京都出身。NYでの語学留学で渡米。我流でダンスを習得し、2005年アカデミー賞主演男優賞受賞のジェイミー・フォックスと、『MTVビデオミュージックアワード』のオープニングでHIPHOPオペラを披露。またディーバのパティ・ラベルの振付師兼ダンサーとして全米ツアーに同行。今年2月に全米公開された『Step Up 2 The Street』では交換留学生を演じ、全米ダンス映画の歴代興行成績を1週間で塗り替え堂々のトップに。現在世界40カ国で公開され、DVDも発売中

自分が感じたステキなことを地方の活性化に役立てたい

バイトを辞めてダンス一本に挑戦
高校時代のアメリカ旅行で、留学を決心しました。資金を貯め、出発1週間前くらいに「留学してくる」って親に言って、出てきました(笑)。留学先はニューヨーク。半年の語学留学の予定でしたが、楽しくなっちゃって。また日本に戻ってバイト生活を始め、お金を貯めてまたニューヨークに戻って来ました。

ダンスは元々趣味でした。クラブに通っていて、色んな人に「ダンス上手だね。プロになれば?」なんて言われ始め、少しずつ出演依頼が舞い込んできたんです。そして好き勝手に踊っていたら、さらに多くの人に覚えられて、オーディションを受けるようになりました。

当時は、少しばかりのアルバイトをしながら暮していました。でもある時、「もらえるお金に安心してちゃダメだ」って思ったんです。アルバイトしていれば生活費は手に入りますが、この先自分には何も残らないって思ったのです。それで思い切ってバイトを辞め、ダンスをやっていこうと決心しました。その時は偶然CMの仕事がありましたが、その後は未定。でもとにかく挑戦しようと。自分のやりたいことでもらえるお金で生活したいって思いが強くなったんです。

プレッシャーを感じない性格が活きる
初めての大仕事が、アフリカ系の歌姫パティ・ラベルのツアー。彼女の振付師として3カ月間全米ツアーに同行しましたが、オーディションで私の採用が決まったら、いきなりマネージャーに「オープニングを担当してくれ」って言われ…。彼女は有名ディーバだから、これまでダンスなんて必要なかったんです。だから私の振り付けは、彼女にとっても新しい試み。もちろん、私にとっても貴重な経験でした。今考えたら、あれほどの大物歌手を相手にしたのに、プレッシャーはなかったですね。バンドもいい人たちでしたし、同行スタッフはみんな「音楽好き」が共通項で、ステキなステージをやろうという目的に一緒に向かっていました。だからプレッシャーがなかったのかも知れません。


『Step Up 2 The Street』で共演したBriana Eviganとのスナップ

父の励ましに感謝する
私は父子家庭。父は日本にいますが、私が突然アメリカ行きを決心したことに反対しませんでした。父はフルート奏者でアーティスト。ですから、アートを目指す私の生き方に、とやかく言わないのかもしれません。心配しているとは思いますが、時には、「もっと練習しなきゃ」とか、「おめでとう、よくやったね」とか激励してくれます。

アメリカに住む日本人女優・ダンサーとして、日本の方から色々相談を受けます。日本を離れて日本の良さを感じるってことが多々ありますよね。それを日本の方と共有したいと思っています。私は東京出身で東京育ちなんですが、もっとローカルを活性化できないかなって、思っているんです。私は年に数回日本に戻って、ダンスのワークショップを開催していますが、今後はどんどん地方を回りたいと思っています。地方の皆さんは、その土地を拠点に成功したり、あるいは地方から直接海外に出て地元に戻る。そうすることで、地方も活性化すると思います。私もニューヨークで受けた刺激や影響を、良い形で日本に持って帰りたいと思っているんです。そのために、私にできることは色々やっていきたいと思っています。