ライトハウス
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ライトハウスの特集

アメリカでの教育・進学、ビザ・法律、市民権・永住権、観光・レジャー、求人・仕事、グルメ・レストランなど、現地情報誌「ライトハウス」の過去の特集をご紹介。

戦後の新時代を築いた
団塊世代の生き方(1)

Lighthouse編集部

戦後の貧しい日本に生まれ、ベビーブーマーとして常に厳しい競争にさらされてきた団塊の世代。日本では還暦や退職など、人生の節目を迎えている彼らだが、今、何を思い、これからの人生をどう考えているだろうか。


団塊の世代の歩みと日本の社会背景

1945年太平洋戦争終結

出生期
1947〜51年第1次ベビーブーム(団塊の世代)

学童期
1950年代前半〜小学校入学
1964年東京オリンピック開催

青年期〜成人期
1960年代〜集団就職の実施→「金の卵」として高度経済成長を支える(〜73年頃)
大学進学率の向上→全共闘、学生運動の嵐が吹き荒れる
1962年ビートルズがデビュー(70年解散)
1968年日本の国民総生産(GNP)が世界第2位になる
1970年大阪で日本万国博覧会開催
1971年1ドル360円時代の終結→変動相場制へ
1973年オイルショック
フォークグループのかぐや姫が『神田川』をリリース

40代
1986〜91年バブル景気

50代
1993〜2004年平成不況(失われた10年)

60代
2007年〜一斉退職による労働力・技術力の低下
2012年〜年金受給開始による財政不安


団塊の世代を考えるキーワード

●高度経済成長
55〜73年、自動車、機械技術産業の発展に後押しされ、日本経済が飛躍的に発展したこと。
●三種の神器
高度経済成長期に一般家庭に普及した「テレビ」「洗濯機」「冷蔵庫」のこと。これらの家電の登場で、女性の社会進出が加速した。
●金の卵
高度成長期で就職先が豊富だった東京や大阪の大都市に、地方の若者が集団就職し、産業急成長の原動力となった。その労働力となった地方の中卒、高卒の若者を「金の卵」と呼んだ。昭和39年頃の流行語。
●学生運動
ベトナム戦争反対、反体制主義、反帝国主義を掲げた運動。68年には、全国の大学に闘争状態が広がる。火炎ビンや投石など過激な手段が取られ、機動隊が出動、死傷者が出る事件へと発展したものもある。
●かぐや姫『神田川』
「同棲」「銭湯通い」「3畳一間の下宿」など、70年代の若者文化を象徴
する代表的フォークソング。
●ニューファミリー
70年代前半から使われ始めた言葉。団塊の世代前後の若い共働き夫婦と子供の核家族を指す。怖い父親像から自由な価値観を持つ父親へ、友達のような母娘や夫婦関係へと、家族関係が変化した。
●ニュータウン文化
50〜80年代、大都市郊外に建設された新興住宅街を取り巻く生活スタイル。働き盛りの若い夫婦がマイホームを購入、夜間と昼間人口の差が大きく、通勤時間が長いのが特徴。


団塊の世代の著名人

作家
村上春樹(ノルウェイの森) 宮本輝(泥の河) 北方謙三(三国志) 沢木耕太郎(深夜特急)
赤川次郎(三毛猫ホームズの推理)

漫画家
はるき悦巳 (じゃりン子チエ) 弘兼憲史(課長島耕作)かわぐちかいじ(沈黙の艦隊) 一条ゆかり(有閑倶楽部)

政治家
鳩山由紀夫(民主党代表) 鳩山邦夫(現総務大臣) 鈴木宗男(新党大地代表)

学者
原田明(化学者、ポリロタキサンの合成に成功) 冨松彰(物理学者、T-S解を発見)
富田たかし(心理学者、駒沢女 子大学人文学部教授)

芸能人
ビートたけし 武田鉄矢 高田純次

スポーツ
星野仙一(プロ野球)

アメリカのベビーブーマー
ビル・クリントン(元大統領) ジョージ・ブッシュ(前大統領)


日本経済を牽引した団塊の世代とは?

団塊の世代とは一般的に、1947年から51年(広義では46年から54年)に生まれた世代を言う。第二次世界大戦終結に伴い、帰還兵らが結婚、その後の出産時期が重なったことや、48年まで一部の例外を除き中絶手術が禁止されていたことなどの理由から、この5年間で約1千万人が誕生した。76年、作家・堺屋太一の小説の中で、この世代の日本経済における強い影響力が認知され、「団塊の世代」という言葉が広まった。日本の高度経済成長と共に育ち、学校では1学年10クラス以上、1クラス50人以上と、常に大勢の競争の中に身を置いてきた。
 
青年期は、大多数が集団就職し、日本経済を支える労働力源として活躍する一方、65年には、それまでは10%台だった大学進学率が男子30%、女子20%に到達。同時に、全国の大学で、半帝国主義、ベトナム戦争反対、大学改革などを掲げた学生運動が加熱し、機動隊を巻き込んで死傷者が出る一大騒動となった。
 
自由な思想や価値観を持ち、自由恋愛や同棲文化が誕生。それまでのお見合い結婚から、恋愛結婚が一般化した。そのため、友達感覚の夫婦が多い。ビートルズやフォークソング、ジーンズ、ミニスカートの流行など、積極的に西洋の文化を取り入れる若者文化の基礎を築いたのもこの世代と言われている。
 
社会人になってからは、自動車、家電、マイホームなどの巨大マーケットを形成。人口の多さと経済的余裕から、日本経済に大きな影響力を持つようになった。女性の社会進出が加速するのもこの世代から。共働きの夫婦や核家族化が進み、86年から91年のバブル期には、働き盛りとして社会の中核を担った。
 
さて、このように日本の発展を牽引し、古い価値観から脱却してきた団塊の世代。退職、還暦を前に、彼らは今何を思い、今後どう生きようとしているのか。同世代の5人に話を聞いた。


1949年、山梨県生まれ。中学で柔道と出会い、お
となしい少年がリーダー気質に変身。東京五輪で聖
火ランナーに選出される。京都外語大卒業。大学
時代は柔道とアルバイト、飲み会と青春を謳歌。72
年の渡米後、老人ホーム、旅行会社に勤務。昭和
天皇訪米の際にガイドを務める。柔道の先輩の誘
いでレストラン業界へ転向。マネージャーとして働き、
レストランビジネス全般を徹底的に学ぶ。鉄板焼き
のレストランチェーン「BENIHANA」の創業者、ロッキ
ー青木さんとの出会いをきっかけに独立し、「さぬき
の里」をオープン。今年20周年を迎える。

“ビートルズ”と“神田川”の青春時代
人生を支えてくれた人たちに感謝!
[ 込山 仁さん ](こみやま ひとし)

幼少期〜大学生時代
◎柔道と酒とバイトと青春


戦後のベビーブーマーとして生まれましたので、小中高と1学年12クラスもありました。あの頃は皆貧乏で、5円のお菓子を買って見る紙芝居も贅沢。当時珍しかったテレビのある家に皆で集まり見せてもらったり、先生や親も威厳があって、怒られてはよく殴られました。近所に子供を叱る怖いおじさんがいたり、経済的には貧しくても、ご近所さんとの社会性や地域性に富み、情に溢れた時代でした。

小さい頃、僕はおとなしい少年でしたが、柔道に出会ってから一変。中2で主将になり、県大会で個人3位と団体優勝。東京五輪では柔道が正式種目になったこともあり、聖火ランナーに選ばれました。柔道で自信を付けたことでリーダーシップを発揮するようになり、高校では生徒総会の議長やクラス委員長などを務めました。そして中3の時、ビートルズに大ショックを受けて以来、エレキとポップスにハマっていきました。

大学は京都外語大に進学。大学でも柔道部に所属しました。新入生の同期全員が黒帯で期待もされ、先輩たちにはかなりしごかれました(笑)。それからは、柔道の厳しい練習と酒、パチンコ、玉突きに明け暮れる毎日でしたね。

全共闘が世間を騒がせていた激しい時代でしたが、個人的には京都の3畳の下宿に住んで、東京からカミさんが遊びに来たら2人で銭湯に行く『神田川』の世界を地で行ってました。

京都南座の前にあった洋食屋でウエイターをしてましたが、店でまかないの食事を腹いっぱい食えるのが、本当にありがたかった。だから、自分の店の若い連中にも、腹いっぱい食べてもらいたい!


渡米直前の込山さん(左)と、一緒に渡米し、道場を
開いた空手部同期の仲間。共に黒帯の実力派だった

渡米期
◎店は20周年。初心忘るべからず!


卒業してすぐ空手の同期の友人と2人で、ロスで道場をやりたくて渡米しました。でも、こちらの道場は「優しく、楽しく」がモットーで、僕たちの大学仕込みの練習は厳し過ぎ。徐々に皆辞めてしまった。

その後は、月給300ドルの老人ホームで働きました。この頃、日本からカミさんを呼び寄せ結婚! 家賃80ドルのアパートでバス通勤。ゼロからのスタートでした。その後、柔道部の先輩がツアーガイドの仕事を紹介してくれ、無事に労働ビザを取得。5年間ガイドをした後、先輩が経営するレストランでマネージャーとして働き、レストランビジネスを勉強しました。独立しようと思ったきっかけは、「BENIHANA」の創業者、ロッキー青木さんとの出会い。お話をうかがって、大いに啓発されて決断しました。

おかげさまで、「さぬきの里」も今年で20周年。たくさんのお客様に愛され支えられて、ここまで来ました。今は不況の時代ですが、「今こそオープン当時の初心に戻って頑張ろう!」と、スタッフ一同、志を新たにしています。


未来とメッセージ
◎世界一周、日本暮らしもいいな


カミさんには苦労をかけました。店が忙しくて好きなことをさせてやれなかった。カミさんとは、世界一周クルーズしようと約束しています。しばらくは店を守らなきゃいけないけど、老後は、家の近くの小さな商店街に歩いて行けるような、日本の小さな海辺の町でゆっくり暮らすのもいいな。

それに、柔道を通して築いた人間関係は人生最大の宝。一生付き合える先輩、後輩、仲間はそうそうできないでしょ。世界中にいる彼らを訪ねると、これでもかってくらいもてなしてくれる。昔の思い出話に花が咲いてね、人生って楽しいなーって。

これまでを振り返ると、とても強運だったと思います。色んな人に支えられ、自分で決めたことに思い切って飛び込み、粘り強く頑張ったから今があると信じています。

ここぞという時は、冒険も必要。最近の人たちは頭が良いから無謀なことはしない。でも、考えているだけでは何も始まらない。行動することです。そこから何かが始まるし、生まれて来る。あの時、思い切って日本を飛び出していなければ、今のこの状況はなかったでしょう。必ずチャンスはやって来ます!