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LA韓国コミュニティーの素顔

Lighthouse編集部

近くて遠い国と言われた韓国。それが近年、韓流ブームの影響でにわかに身近な国になった。
アメリカで生活する私たちにとって、韓国コミュニティーはそれ以上に身近な存在と言える。韓国経済の繁栄に伴い、著しい勢いで成長を遂げる韓国コミュニティー。
その実態を、2号連続で追究してみたい。今回は、政治的また経済的な側面から調べてみた。


「これからは、政治的にもお互いに協力し
合えるのではないでしょうか?」(チェ大使)

日系社会を追い越し
拡大し続ける韓国系

 1990年の国勢調査で、全米人口におけるアジア系の割合は2.92%だった。それが2000年の国勢調査では、3.64%に増えている。増加率は41%で、ラテン系の57.94%に次いで多い。アジア系で最も増えたのはインド系(105.87%)で、韓国系(34.8%)は、ベトナム系(82.66%)、中国系(47.84%)に次いで、アジア系では4番目の増加率だ。

 アジア系の中で唯一マイナス成長しているのが日系で、90年から00年までに6%に減少し、総人口は約80万人まで縮小した。今や韓国系(約108万人)の方が、大きなコミュニティーになったのだ(表1)。

 全米最大の韓国コミュニティーは、ご存知コリアタウンのあるロサンゼルス・カウンティー(約19万人)で、2位のニューヨーク州クイーンズ・カウンティーを倍以上突き放しての、ダントツ1位だ(表2)。

 韓国コミュニティーの成長の秘密はどこにあるのか。まずは韓国系移民の始まりを、在ロサンゼルス大韓民国総領事館の総領事であるチェ・ビョンヒョ大使に聞いた。
 「韓国からの移民が正式に始まったのは1903年1月13日で、労働者を乗せた船がインチョン港からホノルルに向けて出航したのが、第1号だと言われています」。

 日系移民と同様に、韓国からの移民第1号も、労働者としてハワイに到着した。日本からの移民が正式に始まったのは、官約移民第1号がホノルルに着いた1885年だが、約20年遅れて、韓国からも多数の労働者がハワイに到着したことになる。
 「移民の数は数千人に上りました。100周年を迎えた2003年、連邦議会によって1月13日はコリアン・アメリカンデーと認定され、全米でさまざまな祝典や晩餐が開催されました」(チェ大使)。


【表1】人種別の全米人口推移
資料:U.S. Census Bureau, Census 2000,
Korean American Coalition Census Information Center/
In partnership with Center for Korean-American
and Korean Studies, California State University,
Los Angeles, 提供:在ロサンゼルス大韓民国総領事館

韓国コミュニティーから
初代大統領が誕生

 19世紀の変わり目に、同じ労働者として移民してきた日系と韓国系だが、その背景は複雑に絡み合っている。日本からは貧困にあえぐ労働者が、主に経済的な理由だけで移民したのに対して、韓国からの移民には、当時の日本の国政が大きな影を落としている。

 当時、日本は帝国主義国家へと突き進んでおり、日清戦争(1894年)、日露戦争(1904年)を経て、1910年には韓国を併合した。日清戦争のきっかけは、朝鮮半島で農民蜂起が多発した時、出兵した清国と日本軍が対峙する形になったことであった。韓国からの公式な移民第1号が1903年であったことを考えると、日本の植民地化と移民の関係が鮮明に見えてくる。

 日本の植民地化時代には、多くの韓国人がアメリカ以外にも、上海やチリに脱出した。政治的リーダーだけでなく、一般庶民が生き残りをかけて国外に脱出したのだ。脱出者の総数は、100万人に上るという。

 1919年には、独立運動を組織的に行うための上海臨時政府が樹立した。中国にはその名残で、今でも多くの韓国人が住んでいるとか。
 「国外に逃れた人たちの間で韓国の独立運動が展開され、経済的な支援をしただけでなく、彼らが独立の原動力になりました。特にアメリカで、突出したリーダーが生まれ、1948年の独立で初代大統領になった李承晩大統領は、20代でプリンストン大学に留学した経験を持ちます。アメリカから戻って大統領に就任した時には、70代でした」(チェ大使)。

 在米の韓国コミュニティーから、本国の初代大統領が誕生したとは驚きだ。第2次大戦前に渡米した人は、韓国の独立を願っていたため、独立後には帰国した人も少なからずいたという。

 1948年、独立を勝ち取った韓国だったが、50年には朝鮮戦争が勃発した。61年には軍事クーデターで朴正煕大統領が就任し、民主主義を謳歌したのも束の間、韓国は軍事政権へと傾いていった。

 一方アメリカでは、1924年に制定された移民法によって、アジア諸国からの移民は事実上禁止されていたが、それが再開されたのは、33年後のことだ。65年の改定移民法で、移民受け入れにおける人種差別は撤回され、アジア系にも再び門戸が開かれた。


【表2】韓国コミュニティー人口全米トップ10
資料:U.S. Census Bureau, Census 2000,
Korean American Coalition Census Information Center/
In partnership with Center for Korean-American
and Korean Studies, California State University,
Los Angeles, 提供:在ロサンゼルス大韓民国総領事館

移民ピークは70年〜80年代
高学歴者が多い1世たち

 さて、ここから日本と韓国の移民史は、さらに大きな変化を迎える。日本からの移民は戦後、日本の経済成長と反比例して激減したのに対し、韓国では70年代半ばから、軍事政権を嫌って渡米する人が激増した。
 「70年代には、毎年3万人以上が渡米しました。政治的な理由もありましたが、経済的な理由も大きく、特に大学卒の高学歴者の渡米が顕著でした。私の学生時代には、ソウル大学でも、医学部の卒業生の約8割が渡米したほどです」(チェ大使)。

 70年代から始まった渡米ブームで、多くの高学歴者がアメリカ本土を目指した。だがたとえ高学歴であっても、言葉のハンデのある移民が、アメリカの大企業で職を得るのは難しい。

 そこで多くの人が事業を始め、スモールビジネスオーナーになった。韓国系にリカーストアなどのオーナーが多いのはそのためだ。韓国系の医師や弁護士が多いのもその影響で、彼らの多くが韓国で教育を受けて渡米した人たちだ。日系の医師や弁護士の多くがアメリカで生まれ、アメリカで教育を受けた2世以降の世代であるのと、性質が異なるところが興味深い。

 民主主義が導入された戦後の日本でも、64年までは外貨確保のため、海外渡航や外貨の持ち出しは基本的に禁止されていたが、軍事政権へと傾いた韓国では、70年代後半まで海外渡航の自由化は叶わなかった。その規制が段階的に緩められたのは、70年代後半に入ってからだ。

 民主化を望む学生デモにより、政府が民主化を宣言したのは87年のこと。その間、軍事政権に疲れ切っていた多くの国民が渡米した。70年代後半から80年代にかけてピークを迎えたのはそのためだ。
 政府による移民や海外投資に対する規制は年々緩和され、昨年にはついに、誰でもアメリカ国内において100万ドルまでの不動産投資が可能になった。

LA暴動では被害者に
韓国政府が援助の手
 韓国コミュニティーと本国は、移民の始まりから強い絆で結ばれていたが、相互扶助の精神は、今でも着実に受け継がれている。92年4月に勃発したロス暴動では、コリアタウンで大きな被害が出た。ロス暴動の被害総額は8億ドルとも10億ドルとも言われるが、その半分近い被害は、韓国系ストアのものであったと言われている。ロス暴動での被害者に対して、韓国政府は数百万ドルの援助の手を差し伸べており、現在でもスカラーシップ制度を設けて、被害者家族に教育の機会を提供しているという。

 日系社会が4世や5世の世代になってきたのに対して、移民のピークが70年代から80年代であった韓国コミュニティーでは、現在でも1世が4割を占める。これまではスモールビジネスのオーナーが多かった韓国系移民だが、2世が30代を迎えようとしている現在では、早くも州レベルで韓国系の政治家も出現した。アメリカ社会における韓国系の活躍は、政界や財界においても、今後、大いに期待される。

 同じアジア系コミュニティーの一員として、我々に何ができるのか、チェ大使に聞いてみた。
 「多民族・多文化社会のアメリカでは、日系も韓国系もマイノリティーです。日系と韓国系は文化的にも似ているものがあるので、お互いに協力し合うべきだと思います。韓国系はアメリカ政治においても立ち上がる時期に来ていますが、政治的にもお互いに協力し合える余地があるのではないでしょうか」。

 文化的な相似点だけでなく、移民の歴史から見ても、日系とは切っても切れない関係にあるのが韓国コミュニティーだ。アメリカという第3国で生活する私たちにできることは、想像以上に大きいのかもしれない。

(2007年3月1日号掲載)